Editorial

生物学者グールドの偽善

著名な研究が、著者の死後に問題視されたケースは、これまでにも多数ある。例えば1978年、ハーバード大学(米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)の物理学者Gerald Holtonは、ノーベル物理学賞受賞者であるロバート・ミリカンによる1913年の油滴実験の論文を取り上げ、データが恣意的に選択されたことを批判した。

逆に、批判自体が批判されたこともある。例えば1936年、英国の統計学者Ronald Fisherは、オーストリアの修道士グレゴール・メンデルを相手に、エンドウマメにおける遺伝継承パターンを実証したデータが整いすぎていると批判したが、2007年にハーバード大学の生物学者Daniel Hartlとユタバレー大学(米国ユタ州オレム)の生物学者Daniel Fairbanksはメンデルを弁護している。

こうした批判論文の最新刊が2011年6月に発表された。今回は、2002年に亡くなった米国の進化生物学者で著名な作家でもあったStephen Jay Gouldへの批判だ。これはGouldの大半の業績とは関係ないが、一種独特のとげを持っている。

Gouldは、1978年の論文(S.J. Gould Science 200, 503-509;1978)と1981年の書『The Mismeasure of Man(人間の測りまちがい)』の中で、19世紀の医師Samuel Mortonの仕事を批判した。Mortonは、1839~1849年に発表した論文で、全世界の民族の数百点に及ぶ頭蓋骨に基づいて頭蓋容量を測定している。Gouldは「Mortonの測定には無意識にバイアスが入っており、それは、白人の知能のほうが高く、したがって頭蓋骨も大きいというMortonの偏見に基づいている」と主張した。科学の世界では、不正行為よりも無意識の偏見を告発したほうが心に突き刺さることを、Gouldは知っていたのだ。

今回の批判論文は、スタンフォード大学(米国カリフォルニア州)の人類学者Jason Lewisらによるもので、Gould の主張が詳細に検証されている(J. Lewis et al. PLoS Biol. doi:10.1371/journal.pbio.1001071; 2011)。Lewisらは、ペンシルベニア大学考古学人類学博物館(米国フィラデルフィア州)に保管されているMortonのコレクションから、約300点の頭蓋骨を取り出して容量を再測定した。その際、各頭蓋骨がどの民族のものかわからないようにして測定した。そして、測定結果をMortonの測定結果と比較したが、Mortonの測定結果が偏見によって歪められていたとする証拠は見つからなかった。

Lewisらは、Mortonのデータに関するGould の記述の誤りも具体的に指摘している。そのうえで「Gouldはアメリカ先住民の標本を誤って定義し、アメリカ先住民に関する平均値を誤って過大に計算し、それを根拠として、Mortonの示した平均値が異常に低いと主張した」とも述べている。

論文では、GouldがMortonの研究成果を意図的に歪めたという指摘はなされていない。しかし、共同著者の何人かは、インタビューでその可能性を示し、「もしGouldに几帳面な学者という定評がなければ、これほど厄介な問題とはならなかった」と語った。少なくとも、Gouldの人種差別に断固反対する姿勢とMortonを見せしめにしたいという思いが、Morton のデータの解釈に偏りを生み、そのために、Gouldを偽善者にした可能性は高い。

著者の2人は「たとえ曲解されるおそれがあっても、科学者は、科学的事実を自由に立証しなければならない」と表明している。Lewisらは、方法とデータを文書に示して、その主張をほかの研究者が十分に検証できる形にしている。Mortonもこの点は同様だったことがLewisらの論文で示されている。何も隠さず記録を残せば、たとえ著者に客観性が欠けていても、科学全体の客観性は保持できるのだ。

Gouldの説得力のある著作と称賛に値する反人種差別的な動機が、彼に関する事実の精査を遅らせる一因となった面は否定できない。それは非常に残念なことである。同様のことは、現在の科学者についても当てはまる。批判を未来の歴史家に委ねてしまってよいわけがない。

翻訳:菊川要、要約:編集部

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 9

DOI: 10.1038/ndigest.2011.110928

原文

Mismeasure for mismeasure
  • Nature (2011-06-23) | DOI: 10.1038/474419a