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生物学のセントラルドグマが覆されるのか?

奇妙な出来事はリボゾームへ向かう途中で起こった。メッセンジャーRNA(mRNA;細胞内でDNAからタンパク質合成装置まで情報を運ぶ仲介分子)が、その情報である遺伝的指令の解読前に、日常的かつ体系的に書き換えられているというのだ。この研究結果は、2011年5月19日にScienceオンライン版に掲載された(M. Li et al. Science doi: 10.1126/science.1207018; 2011)。

だが、まもなく、複数の計算生物学者から論文に不備のある可能性が指摘されるといった鋭い批評が起こり、著者の主張に疑問が投げかけられている。

この研究結果が立証されれば、分子生物学の「セントラルドグマ」を書き改めなければならなくなる。セントラルドグマでは、転写産物であるmRNAは、遺伝情報をリボゾームに運び、そこでタンパク質を組み立てるための鋳型として使われる。このため、一般的にmRNAは、元のDNAと忠実にマッチするとされている。もしセントラルドグマが修正されるならば、この過程に「RNAエディティング(RNA編集)」という段階が加えられることになるだろう。RNAエディティングによって、遺伝コードの個々の塩基は別の塩基に変換され、結果として生じるタンパク質が変化することになる(右図参照)。このような段階があると、DNAレベルからこれまで考えられていた以上に、細胞には多様性が生じる可能性がある。

研究チームは、1000ゲノムプロジェクトおよび国際ハップマッププロジェクトで配列解読された27人のRNA転写産物とDNAの塩基配列を調べた。その結果、エキソン(mRNAに転写されるDNA領域)に、DNAとRNAの配列がマッチしない部位を1万個以上も発見した。別の人々でも、同様のミスマッチが見られ、これは転写時にランダムに起こる間違いではないことが示唆された。さらに、研究チームは、「ミスマッチ」RNAからタンパク質が作られることも見いだした。

「このようなマッチしないRNAもタンパク質に翻訳されていることがわかり、マッチしないRNAは人為的な結果によるものではなく生物学的に生じているに違いないとの確信が深まりました」と、研究チームを率いたペンシルベニア大学(米国フィラデルフィア州)のVivian Cheungは話す。

RNAエディティングとは、DNAの塩基配列を転写したRNAに、その後、塩基の挿入や欠失が起こる、あるいは塩基が別の塩基に変換されるなど、RNAの塩基配列の編集が行われる現象で、新しい発見ではない。例えば、ヒトでは、ADARと呼ばれる酵素がRNAのアデノシン塩基を分解してイノシンにするため、タンパク質への翻訳時にはそれがグアニンと認識され、結果としてミスマッチを誘導することになる。こうしたRNAエディティングは、植物やヒトの寄生体にも見られる現象である。

しかし、今回の論文では、想定されているRNAエディティングの範囲が並外れて大きいのである。研究チームが「RNA−DNA differences(RDD;RNAとDNA配列間の差異)」と呼ぶミスマッチ部位が、1人当たり約1065個もあると見積もられているのだ。このミスマッチには既知のRNAエディティング機構で説明できない塩基変化もあることから、まだ明らかになっていない作用機序が示唆される。

「つまり、RNAレベルでの遺伝子調節にこれまでとは完全に異なる機構が考えられます」と、ウィスター研究所(米国フィラデルフィア州)の西倉和子は話す。「このようなRNA配列を変化させる分子機構の解明が、現在の大きな課題です」。

もちろん、今回の論文に疑問を持つ人も多い。カリフォルニア大学バークレー校(米国)で比較ゲノミクスを研究しているLior Pachterは、研究チームがRNAの塩基配列決定に使用したハイスループットシーケンサーで、DNAやRNAの塩基配列を解読する場合に起こる技術的な読み取りエラーについて研究している。彼によれば、研究チームのミスマッチは、こうしたエラーが起こりやすい部位にあるものもあるが、そうではない部位に起こっているものもあるという。

一方、シカゴ大学(米国イリノイ州)のヒト遺伝学者Jonathan Pritchardの研究室の大学院生Joe Pickrellは、5月20日にブログ「genomes unzipped」で、このミスマッチの原因について、別の可能性を述べた。Pickrellは、ヒトゲノムにはDNAの配列がよく似た複数の領域があるので、ゲノムDNAに比べて非常に短いRNAから、そのRNAが由来する特定のDNA配列にたどりつくことは難しいと考えられ、そのため、DNA−RNA配列間の差異という錯覚が生まれたのではないかと言う。「研究チームが、ゲノムの2つの異なる領域から生じたRNAを同じDNA領域から生じたと間違って考えてしまったとしたら、RNAエディティングが起こっていると誤った推定をしてしまうかもしれません」とPickrellは話す。「私は、今回のデータの多くが、解読したRNA配列が由来するゲノム領域を正しく同定できなかった結果ではないかと思っています」。

ほかの研究者たちは、自分の持つデータを精査し、PachterやPickrellなどが提起した問題を検証する追跡研究の結果を心待ちにしている。今回の研究が裏付けられたなら、生物学やゲノミクス研究に重大な影響を与えるであろう。ハドソンアルファ・バイオテクノロジー協会(米国アラバマ州ハンツビル)の研究部長であるChris Gunterは、もしRNAエディティングの起こる頻度の制御機構が遺伝するならば、RNAエディティングが疾患の遺伝学的原因に関与している可能性が出てくると話す。

「この論文によって、我々遺伝学者の仕事は、より複雑になりますが、もっとおもしろくなるでしょう」とGunterは語っている。

翻訳:三谷祐貴子

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 8

DOI: 10.1038/ndigest.2011.110813

原文

Evidence of altered RNA stirs debate
  • Nature (2011-05-26) | DOI: 10.1038/473432a
  • Erika Check Hayden