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PhD改革へ5つの挑戦

「彼らの大半は間違いなく失敗する」。この厳然たる事実がAnimesh Rayの心の中をよぎったのは15年前、博士課程の優秀な学生たちを眺めている時だった。彼らは、自身が訓練を受けた唯一の職種である大学教員になろうと必死になっていた。学生の中には、Rayが所属するロチェスター大学(米国ニューヨーク州)の学生も含まれていた。彼らの何人かは、いつまでたってもポスドクのままだろう。そして何人かは、科学の世界から完全に離れることになるだろう。

それから数年後、Rayは准教授として、この状況に対処することになった。カリフォルニアの新設企業で働く経験を積んだ彼は、博士課程の学生の多くが、チームの中で働くことや、頻繁に変更される目標に対応するのが苦手であると感じた。ところが産業界の雇用主が求めているのは、まさにそうしたスキルなのだ。彼はケック大学院大学(KGI;米国カリフォルニア州クレアモント)で、学生たちにこうしたスキルを身につけさせるためのプログラム作りに取りかかった。「科学者たちは、自ら職業訓練を受けた分野でのみ、職を探すのに悪戦苦闘しています。このような姿を見なくて済むようにしたいと私は決心したのです」。

Rayのほかにも、多くの研究者や管理職が、大学院教育を立て直そうと努力している。彼らは、若手科学者たちがいつまでたってもポスドクの身分から抜け出せなかったり、せっかく取得した学位が無駄になるような職業に就いたりするのを食い止めたいと考えている。

Natureは今回、PhD改革へのアプローチを5つ紹介する。そこには、若手科学者をもっと突き放して自主性を育てる試みから、学際的なPhDプログラムの新設、あるいはPhDへのこだわりを捨て去ることまで、いろいろある。いずれにしても、これまで、ともすれば神聖視されてきた大学アカデミアという基盤を、根底から揺るがすものである。

1 自主性を育てる

米国立衛生研究所(NIH;メリーランド州ベセズダ)の分子免疫学者Michael Lenardoは、次のように考えた。大学研究職は非常に少なく、非常に多くの科学者がそのポストを狙っている。したがって、PhDプログラムには最も成功しそうな学生だけを受け入れて、彼らに将来必要になるすべてのスキルを身につけさせなければならない。その意味では、米国と英国のPhD教育は、どちらにも一長一短があると彼は見た。

英国では、博士課程の学生は早い時期から自主的に研究することを許され、ほとんどの学生が4年以内に修了する。しかし、すべての大学が学生に筆頭著者論文の発表を義務づけているわけではなく、Lenardoはそれを欠点と見なした。一方、米国の多くの大学では、PhDを取得するには筆頭著者論文を発表する必要があり、修了までに7年以上かかってしまう。

2001年に、Lenardoは「NIHオックスフォード–ケンブリッジ・スカラーズ・プログラム」という新しい博士課程を創設した。これは、真のエリート学生のためのプログラムで、米英両国のPhD教育制度のいいとこ取りを狙ったものだ。このプログラムには毎年250~300人の申し込みがくるが、わずか12人しか受け入れない。ここで重視されるのは自主性だ。学生は自分でプロジェクト計画を考えて書類を作成し、直ちに学位論文研究に取りかかる。画一的なコース学習はないが、論文執筆などの必要条件を満たさなければならない。

学生たちは米英両国で過ごし、それぞれの国に1人以上の論文指導教授を持つ。指導教授の専門分野は異なっていることが多い。Lenardoによると、1人の教授が責任を持って指導にあたるというシステムではないので、結果として、学生たちは自主的に活動する方法を身につけるという。また、外国に行くことで学生の自主性が育ち、その分野で最高の研究者と研究できるようになるという。

このプログラムが始まって10年間で、60人以上の学生が博士課程を修了した。学生の在学期間の平均は4年強であり、PhD研究を進めるなかで平均2.4本の筆頭著者論文を発表した。修了者の80%は現在も学術研究機関に所属し、うち6人はすでに主任研究員として仕事をしている。

Ambika Bumbは現在、米国立がん研究所(メリーランド州ベセズダ)のポスドクだ。PhD研究では、腫瘍の画像化や標的治療に利用できる磁気的・光学的・核医学的性質を持つナノ粒子の開発を進めた。彼女は丸3年で博士課程を修了した。2か国に4人の指導教授を持ち、工学、免疫学、放射化学、放射線学の訓練を受けた。このPhD研究で少なくとも4本の原著論文と1本のレビュー論文を発表し、現在は大学での職に応募している。

ニューカッスル大学(英国)の大学院スキル開発コーディネーターであるRichard Hetherlingtonは、一人前の研究者になるためには、自主性を養うことが重要なステップになると指摘する。「自主性が身についている人は、何かに行き詰まったときにもしっかりとしていられます」と言う。一方で、ケンタッキー大学(米国レキシントン)で助成金・原稿作成部局の運営にあたり、科学におけるキャリア問題に関する著書もあるNathan Vanderfordは、「博士課程にも確固たる体系と核になるコース学習がないと、一部の学生は科学者としてやっていくために必要な準備ができずに終わるおそれがあります」と指摘する。「学生が研究室に閉じこもって1人だけで研究していたら、科学の歴史や、その中核にある原理を深く学ぶことはできないでしょう」。だとすれば、一部の学生は、こうした点で苦労するに違いない。

2 産業界での成功を目指す

Rayは自分の経験から、博士課程学生のための学問以外の訓練について、いろいろと考えるようになった。KGIを含めた多くの大学が、MBAの理系版ともいえるPSM(Professional Science Master、専門科学修士)プログラムを開設している。産業界に送り込む人材を育て、科学者の訓練を続けるためだ。しかしRayは、学生がPSMを取得することで、逆にその機会を狭めてしまう場合があることに気がついた。

Rayは、KGIで生物科学のPSMを取得した学生たちが、しばしばコンサルタントの補佐役や中位のマネージャーとして職に就き、そこから昇進していく姿を見てきた。彼らはよくやっていたが、科学から離れて経営サイドにいることが多かった。そこでRayは、KGIの共同設立者であるDavid Galasや同大学の学長であるSheldon Schusterと協力し、PSMプログラムを拡張して、産業界のノウハウと技術研究訓練の両方を学生に提供するPhDプログラムを開設した。

KGIで応用生命科学のPhDを取得するには、学生はまず修士課程を修了し、それからさらに3~4年間、産業界から1人以上の指導者を得て、オリジナルの研究をしなければならない。このプログラムを最初に修了したEric Tanは、KGIでの博士課程で、診断法や生物兵器の評価への応用が考えられるDNAチップを開発した。彼はここで科学的手法を学んだだけでなく、事業計画書の書き方や、ベンチャーキャピタルにその計画をプレゼンテーションする方法、市場調査の方法や、特許法の詳細についても学んだ。

Vanderfordによると、マーケティングとコミュニケーションのコースは、どんな科学者にも役立つという。大学にとどまる科学者にとっても例外ではない。「博士課程の学生がどのようなキャリアパスを選ぶかに関係なく、こうしたコースは助けになるでしょう」。

それが本当に役立つかどうかは、時間が証明するだろう。KGIのPSMプログラムの成功はRayを鼓舞している。2000年の開設以来、このプログラムを修了した300人のほぼ全員が、就職できた。2006年に始まった博士課程では、現在、3人の学生が学位を取得し、いずれもPSMを取得した学生の平均的な初任給(7万3000ドル)より高い賃金の職を見つけることができた。Rayはこれを「目覚ましい成果」と見る。

Rayは、KGIで総合的な訓練を受けた学生たちが、科学者を管理し、実業家とやり取りする能力を身につけることを期待している。「彼らは全体像を見て、適切に判断することができます。それと同時に、技術的な詳細も熟知していて、それゆえ、高く評価されるのです」。

けれども、広く学んだ学生は切れ味が鈍くなるおそれがある。Rayはまた、KGIが物理化学や細胞生物学などの特定領域の課程を提供できていないことを認める。Vanderfordは、このシステムは、「どの程度の科学教育が必要なのか、プロとしてどの程度完成している必要があるのか、その両者が最適なバランスをとるような点を探している途上にあるのでしょう」と言う。

3 学際的なPhDプログラムの新設

Marc Jacofskyは、アリゾナ州立大学(ASU;米国テンピ)で自然(形質)人類学のPhD研究をしていたときに、整形外科医の兄から、運動や人工関節について研究してみたい問題がいろいろあると打ち明けられた。彼は兄の説明を聞いていたが、途中で何度かさえぎって、その場で思いついたことを提案した。「すると彼は私の顔をまじまじと見て、『お前はサルの研究をしていると思っていたが』と言ったのです」。

確かにJacofskyはサルの研究をしていたが、そのほかに、工学、数学、コンピューターサイエンス、運動生理学、神経生理学の研究もしていた。彼が履修していた博士課程プログラムは、ASUの多くの学科の教授陣がいわゆる学際研究さえも飛び越えて、全く新しい学問分野を打ち立てるために開設したものだったのだ。

ASU大学院のMaria Allison学長によると、「科学技術の人間的・社会的側面」「生物学的デザイン」「都市生態学」など、ASUの新しいPhDプログラムのほとんどすべてが、分野横断・融合的(transdisciplinary)なものであるという。学位のなかには、関係するトピックが広く、80人以上の教授が関与しているものもある。

「形態と機能における神経・筋骨格の適応」というJacofskyのプログラムや、その他のASUの学位の一部は、当初は、全米科学財団のIGERT(Integrative Graduate Education and Research Traineeship;統合的大学院教育研究研修)プロジェクトから資金提供を受けていた。IGERTは、学生にキャリアスキルを身につけさせ、現実世界の問題への取り組みを促すプログラムを開発している米国の大学に、5年間で300万ドルの助成金を提供している。

1998年から今日まで、IGERTプログラムは5000人近い大学院生に助成金を提供してきた。独立の調査により、IGERTプログラムを履修した学生は、履修しなかった学生に比べて、自分が選んだ分野の専門知識を犠牲にすることなく、多分野出身者のチームで働いたり、専門家でない人々とコミュニケーションしたりするのが上手であることが明らかになった。IGERTの修了生は、就職先を見つける際の苦労も少なかったようである。

米国以外の国々も、IGERTに似た学際的な博士課程プログラムを開設している。カナダ政府にはCollaborative Research and Training Experience(CREATE;共同研究訓練経験)プログラムというイニシアチブがあるし、インドのバンガロールの新しいPhD課程では、工学者、化学者、コンピューター科学者、物理学者に学際的な生命科学の訓練を行い、物理学のツールを用いて生物学の問題に取り組む方法を身につけさせている。このプログラムは、約5年前にインド国立生物科学センターの物理学者によって開設されたもので、現時点で8人の学生が修了している。そのうちの2人は、すでに大学で常勤職に就いている。

学生をさまざまな分野に触れさせるのはよいことだが、専門知識は今日もなお重要であるとHetheringtonは言う。PhD課程の本来の目的は、「特定の領域について深い理解を持つ人材を育てること」にあるからだ。学際的な研究でさえ、科学者たちがそれぞれの専門分野に固有の技術を持ち寄ることで成立している、と彼は言う。

しかし、視野を広げるのは大切だし有用だ。Jacofskyが博士課程に進むことにしたのは、将来、大学レベルの人類学を教えたいと思ったからだ。しかし彼はいま、兄と共同で所有する整形外科研究教育センター(米国アリゾナ州フェニックス)の研究開発副社長であり、生体力学と整形外科手術の前後の歩行について研究している。「伝統的な人類学の学位を取得していたら、今、産業界で働いている可能性はほとんどなかったと思います」。

4 オンライン博士課程

大学院で学位を取得したがっている人の中には、時間の都合がつかず、フルタイムで研究をしたり、研究室に来たりすることができない人もいる。オンライン課程は、このギャップを埋めて、より多くの人々が適切な訓練を受けられるようにするものだ。PhDレベルの訓練も例外ではない。

Rana Khanがオンライン課程を教えるようになったきっかけは好奇心だった。それがどういう仕組みなのか、よくわからなかったのだ。「非常におもしろいアイディアだと思い、そのシステムに興味を持ったのです」と彼女は言う。

Khanは当時、米国農務省のポスドクとして、ダイズの病原体への耐性を高める方法を研究していた。教える機会を求めていた彼女は、そのとき、メリーランド大学ユニバーシティーカレッジ(UMUC;米国アデルファイ)の求人リストを見ていた。

仕事の内容は、バイオテクノロジーのオンライン修士課程の一部を教えることだった。UMUCはオンライン教室を用意していて、Khanはそこに毎週講義を投稿する。学生たちは1週間かけてその課題を完成させ、議論にも参加しなければならない。Kahnは少なくとも1日に1度ログインして学生からの質問に答える。プログラムの最後には、オンライン研修もある。学生たちは本物の企業のためのグループ・プロジェクト(例えば新しい技術を持つ潜在的なライバルの調査)に取り組み、100~200ページのレポートを提出する(KhanはPSMを持っている)。実際の研究室を利用する場合もあるそうで、学生は住んでいるところに近い研究室で研究をして、データをオンラインで提出するわけだ。

UMUCのプログラムは2001年頃からあり、現在まで毎年約50人の学生が修了している。そのうちのざっと10%が米国外で暮らしている。これはオンライン学位の大きな長所だとKahnは言う。彼女が今教えている学生の中には、アフガニスタンやイラクに派遣されている軍人もいるという。

修士課程の修了生の1人であるKyle Rettererは、もとは物理学のPhD取得を目指していた。しかし、半導体研究の狭い領域に何年間も束縛されたくないという気持ちが強くなり、大学を去った。その後、研究が恋しくなった彼は、最先端の問題に取り組むことができ、自分が以前から好きだったこと、すなわち、膨大な量のデータの解析をさせてくれるようなプログラムを探しはじめた。

Rettererの母親は情報技術の分野で2つのオンライン学位を取得し、現在はナスダックの副社長になっていることもあって、彼自身も通信教育の可能性をよく理解していた。2年でオンライン修士課程を修了し、その2か月後にはGeneDx社(メリーランド州ゲイサーズバーグ)という臨床遺伝子検査会社に職を得た。現在、複数遺伝子検査のデータを解析しており、大学院生時代の3~4倍の収入がある。「今は、非常に調子よくやっていると思います」。

PhDも通信教育で取得できる。英国ミルトン・ケインズに本部を置くオープン・ユニバーシティーには、現在、約40人の博士課程の学生がパートタイムで研究に従事している。彼らは地元の天文学研究室などで研究を行い、2週間に1度、大学のメイン・キャンパスにいる指導教授とスカイプで連絡を取り合う。ときには、じかに会うこともある。大学のPhD学生を指導しているJames Bruceは、このシステムは、指導教授がいるキャンパスで研究をするのと「同じくらい有益だ」と言う。

オンラインでPhDを取得する人は、まだまだ少ない。けれどもHetheringtonは、状況は変わるだろうと考えている。科学は1人でできるものではなく、学生が指導教授とたまに連絡をとりながら1人で研究を進める現在のオンライン課程では、学位は取れても、指導教授や同僚との関係を良好に保つコツを学ぶことはできない。しかし、未来のツールは、学生が遠隔地にいる人々と交流することをもっと容易にし、よき共同研究者になるための準備をさせるだろう。「そうしたことは、徐々に可能になっていくでしょう」とHetheringtonは言う。

5 PhDへのこだわりを捨てる

PhDを取得しないという道を選ぶ人もいる。Deanna Pickettは、以前は、工学か環境化学のPhDを取得したいと考えていた。それが変わったのは、ウースター大学(米国オハイオ州)で化学を学んでいた去年のことだ。学部の最終学年になっていた彼女は、化学のPaul Edmiston教授から、飲料水中の汚染物質を吸着する新しい材料の特性評価を手伝ってほしいと頼まれたのだ。それは現実の仕事で、直ちに強い社会的影響力を持つものだった。彼女はこの仕事が気に入った。

その後、Pickettは進学を考えていた大学院を訪問してみたが、心を動かされなかった。現場で仕事をする楽しさを知った彼女にとって、これから何年間も理論の研究をすることは魅力的には思えなかったのだ。Edmistonと共同でABSマテリアルズ社(オハイオ州ウースター)を設立した最高経営責任者のStephen Spoonamoreから、卒業後もこの仕事を続けてほしいと依頼され、彼女はキャリアプランを変更した。「私の人生の次の一歩を考えたとき、これから5年間も1つの研究テーマにかかりきりになるよりも、少しは充実した日々を送れると思ったのです」。

とはいえ、Pickettがつかんだ機会は例外的なものだ。今日では、PhDを持たない人が科学者として職に就けることは、かつてないほどまれである。大学も産業界も、求人広告を出せばPhDを持つ人がいくらでも応募してくるので、PhDを持たない人は応募するだけ無駄という状況になっているのだ。米国化学会(ワシントンD.C.)のキャリア管理・開発部のDavid Harwell副部長は、「現在の研究者市場では、高度なスキルをもつ人材が、あり余っているのです」と言う。

バイオインフォマティクスのように、職場で実作業指導を受ければPhDを持つ人々と同等の仕事ができる分野もあるが、その場合でも、科学者として昇進するためにはPhDを持っている必要があることが多い。ワシントン大学(シアトル)のゲノミクス研究者Maynard Olsonは、「バイオインフォマティクス研究者なら、PhDなしで非常に大きな貢献をした研究者の名をいくつも挙げることができるでしょう。けれども、こうした人々が、PhDを持つ研究者に典型的に約束されている責任ある地位に就くことは、ほとんどないのです」。

ABSマテリアルズ社は、数少ない例外の1つである。なぜならSpoonamoreは、PhDを持つ人々は「間違った訓練を受けている」と考えているからだ。彼はしばしば、学部生にPhDを持つ従業員と「ほぼ同額」の給与を支払い、同じように昇進させるという。彼自身は、学士課程さえ終えることなく、13もの技術会社を設立した。彼が芝刈りビジネスで貯めた資金で最初の会社を設立したのは18歳のときだった。「私が好きなのは、信じられないくらい頭がよくて、クラスで一番優秀な化学科の学部生です。大学院生ではありません。本当に気に入る学生は、いつもそうなんです」。

仕事について2日目には、Pickettは起業家グループの前でプレゼンテーションを行っていた。そして1週間後には、トリクロロエチレンで汚染されたオハイオ州の土壌を除染するためのパイロットプランを作成することになった。自分はすでに、PhD課程を修了した人々がするような仕事をしているのではないか、と彼女は言う。「途中の段階を1つ飛び越してしまった感じがします」。

けれどもPickettは、自分が転職した場合、今ほど責任ある仕事には就けないかもしれないことを知っている。彼女の同僚のLaura Underwoodは、同じことを考えた結果、3年間ABSマテリアルズ社で働いた後、博士課程に進むことにした。Pickettと同じような背景を持つUnderwoodは、この会社の最初の従業員であり、製造施設の運営、会議計画の監督、研究室の管理など、非常に大きな責任を担ってきた。けれども彼女は、PhDを持っていないと、ほかの会社で同じような機会を見つけるのは難しいかもしれないと考えたわけだ。それでも彼女は、大学院に進む前にしばらく仕事をしたことは有益だったと考えている。「まっすぐPhD課程に進んでいたら、研究室の中では素晴らしいと思っていたものが、現場ではつまらないもののように見えてしまったかもしれませんから」。

翻訳:三枝小夜子

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 7

DOI: 10.1038/ndigest.2011.110711

原文

Rethinking PhDs
  • Nature (2011-04-21) | DOI: 10.1038/472280a
  • Alison Mccook
  • Alison McCookは、米国ペンシルベニア州フィラデルフィアのフリーライター。