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見つめていたい

Credit: N. Islam/H. Dadabhoy/Baylor College of Medicine

今から10年前、心理学者のTom Baranowskiは、食事に関する研究の一環として、前日に食べたものをすべて思い出すように言われた。「夕食はチキン」と、彼は自信をもって答えた。なにしろ、妻のJaniceと一緒に料理をしたのだから。ところが実際には、チキンを食べたのは、その夜のことではなかった。あとになって、自分1人でハンバーガーにかぶりついていたことを思い出したのだ。

ベイラー医科大学(米国テキサス州ヒューストン)で子どもの食事について研究しているBaranowskiでさえこんな調子なのだから、一般の人々の食事に関する記憶がどれほど頼りにならないかは推して知るべしである。Baranowskiは、被験者がある日に食べたものを観察し、翌日にその内容を思い出してもらった結果、子どもは自分が食べたものの約15%を忘れていて、食べたと言っているものの30%以上が空想の産物であることが判明した。成人についても同様の傾向が見られた。「食事の評価には、たいへんな誤りがあるのです」と彼は言う。

こうした誤りは、人間の記憶がどれほど怪しいかを物語っているだけはでない。それ以上に危惧されるのは、現代の医学的疫学の基礎をむしばむ可能性があるということだ。医学的疫学の研究者は、ある人の過去の出来事や経験を、後々にその人の身に起こったがんなどの疾患等と関連付ける。しかし、最初の記録が不正確だったら、こうした関連は弱くなったり、誤解を招いたりするだけでなく、完全に間違ったものになってしまうことさえあるのだ。この問題は食事の研究で最も問題になるが、それ以外にも、運動、ストレス、公害、喫煙など、面接やアンケートでの自己申告に基づいて被験者の曝露量を推定するすべての研究にかかわってくる。インペリアル・カレッジ・ロンドン(英国)の環境疫学者Paolo Vineisは、「これは疫学の弱点です」と言う。

BaranowskiやVineisをはじめとする保健学研究者たちは、アンケートよりも正確かつ客観的に環境曝露を測定する方法を開発しようと努力している。ある研究者は、血液検査を利用して個人の曝露プロフィールを作成しようとしている。またある研究者は、被験者の体にセンサーを取り付けて街の中を歩かせ、被験者の運動を把握し、昼食のスナップ写真を撮影し、呼吸する空気をサンプリングしようとしている。米国立環境保健科学研究所(ノースカロライナ州リサーチトライアングルパーク)の曝露生物学プログラムマネージャーのDavid Balshawは、「我々は現在、50万人の被験者に、毎晩チャージできる携帯電話サイズの測定装置を持ってもらう調査を考えるところまで来ています」と言う。

研究者の中には、1人の被験者の全環境曝露(「エクスポゾーム(exposome)」と呼ばれている)を追跡できるようになる日が来ると考えているものもいる(下コラム「すべてを測定する方法」参照)。とはいえ、それが可能になるのは、ずっと先のことだろう。Natureは今回、エクスポゾームの3つの主要な要素である大気汚染物質、身体活動、食事について、測定する試みを報告する。こうした試みにより、エクスポゾーム研究は一歩ずつ現実に近づき、欠点の多いアンケート調査は一歩ずつ絶滅に追い込まれるであろう。

すべての呼吸を

その装置は、子どものリュックサックにやっとおさまる大きさだった。絡み合った緑色のビニールチューブ、フィルター、ポンプ、回路基板、さらに重さが約3キログラムもある大きなバッテリーから構成されており、スイッチを入れると、ブーンと低い音を立てて空気を吸い込んでいく。そして、ブロンクスのアパートに住む子どもが家を出て、ニューヨークの地下鉄に乗って学校に行き、帰宅するまでにさらされるすべての粉塵が、この小さなフィルターに連続的に記録されていく。

この装置は、コロンビア大学ラモントドハティー地球観測所(米国ニューヨーク州パリセード)の地球化学者Steven Chillrudの研究チームが、2004年に開発したものである。彼らは、曝露生物学の未来はここにあると信じている。それまで、米国の環境科学者たちは、ビルの屋外に設置したセンサーのデータの分析に基づいて、そこに住む人々の空気中の汚染物質への曝露量を見積もってきた。しかし、2005年に発表された重大な研究により、多くの危険な化合物の濃度は屋外よりも屋内のほうが高いことが示され、このアプローチに欠点があることが明らかになった1。以前からニューヨーク市民の汚染物質への曝露について考えていたChillrudは、これはもっともなことだと思った。「人は、ビルの上に住んでいるわけではないのですから」と彼は言う。

ところが、Chillrudの測定装置は、ニューヨーク市警察(NYPD)からテロ行為と関連付けられてしまった。2005年7月7日にロンドンで起こった地下鉄とバスの同時爆破テロの後、NYPDはニューヨークの地下鉄で無作為に捜索を行うようになっていた。そこでChillrudは、地元の警察署を訪れ、自分が計画している研究について説明した。それを聞いた警察官たちは、あっけにとられてしまった。Chillrud自身も認めているとおり、当時の装置は何とも物騒な外見をしていたからだ。今、その装置を見せながら、彼は当時を振り返る。「たいへんな苦労をして作った装置でしたが、警察は、これを使った研究を許してくれませんでした」。けれども警察は、進むべき道を示してくれた。「装置を小さくしてウォークマン程度の大きさにすることができれば、研究目的で使用してもよいと言われたのです」。

その後、Chillrudは共同開発者とやりとりを重ね、2010年11月、ついに最初のウォークマンサイズの環境センサーを手にした。新しい装置には2つのフィルターが付いており、被験者が「自宅」ビーコン(無線標識)から遠ざかるとフィルターが切り替えられて、自宅での曝露とそれ以外の場所での曝露を区別できるようになっていた。また、全地球測位システム(GPS)により、通勤・通学時間の曝露と、それ以外の時間の曝露を区別できる。この装置を数日間使用した後、フィルターの化学分析を行い、黒色炭素(ブラックカーボン)やその他の化学物質がどこからきているかを識別するのだ。小さくなった測定装置は、襟の近くに吸気口がついている特製のベストにきれいに入るので、NYPDも満足だろう。

この装置を用いて行う最初の保健学研究では、受動喫煙について、より正確な測定を行うことを目標にしている。Chillrudは、50人の成人と数人の子どもに携帯型センサーを持たせ、Avrum Spiraが開発した手法により、ブラシを使って鼻孔内から払い落とした細胞の遺伝子発現の変化を調べて、タバコの煙への曝露量を測定するつもりである2。Spiraは、ボストン大学医学系大学院(米国マサチューセッツ州)の肺の専門家であり、タバコの煙への累積曝露量をより正確に測定することで、一部の喫煙者(全員ではない)が肺がんや慢性閉塞性肺疾患(COPD)になる理由を特定できると考えている。「我々の研究では、曝露量だけでなく、曝露に対する反応も測定するのです」とSpiraは言う。

すべての歩みを

Credit: soUrCe: Palms ProJeCT, UCsD/CalIT2

カリフォルニア大学サンディエゴ校(米国;UCSD)無線集団健康管理システムセンターの所長Kevin Patrickは、なにやら色とりどりの点がプロットされたサンディエゴ市の地図を作成した。ぱっと見ただけでは、その意味はよくわからないだろう。まず目に付くのは、左側の青い太平洋と、それに接する海岸だ。街は、灰色のハイウェイやビル、緑の公園のパッチワークのように見える。その上に、緑色、黄色、オレンジ色、赤色の点が散らばっている。点は、さまざまな時刻での被験者の心拍数を表している。心拍数が低いときには緑色、高いときには赤い点が、30秒ごとに記録される。自動車通勤時には、安静状態にあることを表す緑色の点が広い間隔を空けて並び、オフィスで仕事をしているときには、やはり緑色の点が同じ地点に重なっていく。そして、崖に沿ってジョギングやサイクリングをしているときには、心臓が激しく鼓動していることを表すオレンジ色や赤色の点がびっしり並ぶ(上図参照)。

Patrickによると、これまでの研究では歩数計とアンケートにより被験者の身体活動を測定してきたが、この新しい地図により、もっと正確な測定が可能になるという。「我々は、人々がどれだけ活動しているかだけでなく、どこで活動しているかも知る必要があることに気付いたのです」とPatrick。このようなモニタリングは、都市における公園や丘陵、高層建築物の配置が、市民の身体活動、ひいては公衆衛生に及ぼす影響を解明するのに役立つだろう。

Patrickは、2007年に身体活動に関する地図作成プロジェクトを立ち上げた。このシステムは、心拍計、GPS受信機、加速度計を組み合わせて被験者の体の動きを詳細に記録するもので、身体活動位置測定システム(Physical Activity Location Measurement System:PALMS)と呼ばれている。すでに1500人以上の被験者が、60ドルの装置を身につけて1日を過ごした後、どこで何をしていたかを研究者に報告している。さらにPatrickは、コンピューター科学者と協力して、さまざまな活動を自動的に区別するパターン認識システムを開発したいと考えている。

現在、PALMSを健康管理に応用する最初の実験として、米国立心臓・肺・血液研究所などが運営するヒスパニックコミュニティー保健学研究/ラテンアメリカ系研究において、サンディエゴ在住の被験者の身体活動を測定することが計画されている。Patrickはまた、外部からの介入(都市の道路ではなく公園で多くの時間を過ごすように奨励するキャンペーンなど)の効果も測定しようと計画し、UCSDのソフトウェア・エンジニアWilliam Griswoldが率いるCitiSenseというプロジェクトにも参加している。これは、Chillrudの測定装置に似たものを用いて、身体活動と大気中の汚染物質を測定しようとするものである。このほかにも、サンディエゴの自転車愛好家たちにこの装置を持たせて、サイクリングの最中に呼吸する空気の質をリアルタイムで教えようと考えている。

Patrickは、研究者が収集するデータを、ソーシャルネットワーク、心理学、遺伝学のデータと結びつけて、これらの要因の組み合わせが疾患に及ぼす影響を解明できるようになる日を楽しみにしているという。「そう遠くない未来に実現すると思っています」。

すべての食事を

食事について調べることなくして、人間の環境曝露の研究を完成させることはできない。12月のある雨の日の午後、Baranowskiはフラットスクリーン・モニターに映し出された画像をしげしげと見ていた。画像は全部で8種類あり、いずれも青いテーブルの上の同じ位置に、トウモロコシを盛りつけた皿が載っている。違いはトウモロコシの量で、スプーン数杯分からカップ数杯分まである。「子どもたちに画像を見せて、自分が食べた量に最も近いものを選ばせるのです」とBaranowskiは言う。

ここ数年、Tom Baranowskiと妻のJaniceは、小児栄養研究センターの3階の「代謝」キッチンで調理された食べ物の写真を撮影している。朝食用シリアルからチキンナゲットやブドウまで、合計1万5000枚ほどになる。写真撮影は、Baranowski夫妻が開発した食物摂取記録ソフトAutomated Self-Administered 24-hour Dietary Recall(ASA24)を改良して子どもが使用できるようにするために行っており、米国立がん研究所から研究資金が提供されている。撮影された食べ物の写真は、子どもたちが食べたものの量を自ら思い出すためのヒントになる。Baranowskiが子どもたちにこのソフトを試してもらったところ、彼らは自分が食べたものの量を約60%の正確さで見積もることができたという。Baranowskiの目標は、食事日記の代わりに利用できるようなウェブベースのツールを構築して、ほかの研究者が、食習慣、遺伝子サイン、疾患リスクなどと食事内容を関連付けられるようにすることにある。

一方、ピッツバーグ大学(米国フィラデルフィア州)の電気工学者Mingui Sunは、自己申告を完全になくそうとしている。彼は、首かけ式の汎用型曝露生物学測定装置を製作した。この装置は、GPS受信機、音声レコーダー、加速度計、毎秒2~5枚の写真を1週間にわたって撮影するようにプログラムしたデジタルカメラなど、5~8種類のセンサーを搭載している3。画像処理ソフトは、食べ物が載った皿や牛乳が入ったコップを自動的に認識することができ、ビデオストリームを分割して、あとで栄養士が食事内容や調理手順をチェックできるようになっている。Sunによると、この装置は近いうちに、肥満者のカロリー摂取と身体活動レベルを見積もる予備的研究に使われることになっているという。

同じく食環境を研究しているVineisは、10か国が共同で実施している「欧州がん・栄養前向き研究」の一環として、Sunらとは大きく異なるやり方で食品への曝露を測定している。2010年11月、彼のグループは、研究が行われている7年の間に大腸がんになった24人の参加者の血漿の分析データと食事の評価を、23人の健康な対照群のデータと比較する原理証明論文を発表した4。その中で、食物繊維を消化する腸内細菌が作り出す安息香酸の誘導体が、食物繊維の摂取および大腸がんのリスクの低さと相関するバイオマーカーであることを見いだした。このように、ある物質への曝露量を測定すると同時に、その物質への曝露による疾患を予測できるようなバイオマーカーを発見しようとする方法を、Viniesらは「歩み寄りアプローチ」と呼んでいる。

しかし、人体は既知および未知のさまざまな環境にさらされており、食物繊維はその1つにすぎないし、大腸がんは、食物繊維への曝露の少なさが引き起こす多くの影響の1つにすぎない。広範にわたるエクスポゾームが得られるのは何年も先のことになるだろう。だからVineisは、現時点では、一度に1種類の曝露を測定する方法がもっと改良されることしか望んでいない。「アンケートが完全に不要になるとは思えません」と彼は語っている。

すべてを測定する方法

1998年の映画『トゥルーマン・ショー』では、巨大な映画セットのあちこちに隠された数千台のカメラを通じて、主人公Truman Burbankの受胎のときから人生のすべてが放送されていた。やがて彼は、それに徐々に気付いていく。そのシュールな映像に加えて、Burbankが呼吸する空気や口にする食物や水の化学分析の結果、彼の腸内細菌叢のサンプル、血液検査による内分泌攪乱物質、重金属、代謝産物の分析結果も表示されると考えれば、エクスポゾームの圧倒的な情報量をいくらか実感することができるだろう。それは、1人の人間の生涯にわたる環境曝露を完全にカタログ化したものなのだ。

このカタログを作成することができれば、どの物質への曝露が将来かかる病気に関係しているかを明らかにすることができる。このように、エクスポゾームの概念は圧倒的だが、それと同じくらい技術的に困難だ。世界保健機関(WHO)の国際がん研究機関(フランス・パリ)の長官で、2005年に「exposome(エクスポゾーム)」という造語を提案したChristopher Wildは、「そんな複雑なものを実現するのは不可能だと思われるかもしれません」と言う。

被験者の体に取りつけたセンサーは、「体外」のエクスポゾームの一部を記録することができる。しかし、カリフォルニア大学バークレー校(米国)の環境保健生物学者Stephen Rappaportは、「こうした装置が我々の理解に役立つのは数%程度でしょう」と言う。彼らが「体内」のエクスポゾーム、すなわち、食事や毒素などの曝露要因の影響を明らかにする生体分子のプロフィールを記録する方法を模索しているのは、そのためだ。例えば、殺虫剤DDTへの曝露から20~30年も経過している人の血液中から、その代謝産物が検出されることもあるのだ。とはいえ、研究者が統一的なアプローチにより数万種類の化合物のプロフィールを作り、そこから生涯にわたる環境曝露歴を解き明かせるようになるのは何年も先のことである。これに関しては、食事の変化への代謝応答が人によって全く違っている可能性があることなども問題となる。

現在、一部の研究者は、既存の曝露データを徹底的に調べて、特定の疾患との関連を見つけ出そうとしている。例えば、1999年から、米国疾病管理予防センター(ジョージア州アトランタ)は、問診、診察、数百種類の化学物質の血中バイオマーカーからなる国民健康栄養調査を実施している。昨年は、スタンフォード大学医学部(米国カリフォルニア州)のバイオインフォマティクス研究者にして小児科医でもあるAtul Butteが、これらのデータを利用して全環境関連解析を行い、2型糖尿病と266種類の環境要因との相関を明らかにした。なかでも意外だったのは、ある種のビタミンEが糖尿病のリスクを高めるという発見だった5

B.B.

翻訳:三枝小夜子

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 5

DOI: 10.1038/ndigest.2011.110514

原文

Every Bite You Take
  • Nature (2011-02-17) | DOI: 10.1038/470320a
  • Brendan Borrell
  • Brendan Borrellは、ニューヨーク在住のフリーライター。

参考文献

  1. Weisel, C. P. et al. J. Expos. Anal. Environ. Epidemiol. 15, 123-137 (2005).
  2. Spira, A. et al. Proc. Natl Acad. Sci. USA 101, 10143-10148 (2004).
  3. Sun, M. et al. J. Am. Diet. Assoc. 110, 45-47 (2010).
  4. Chadeau-Hyam, M. et al. Biomarkers 16, 83-88 (2010).
  5. Patel, C. J., Bhattacharya, J. & Butte, a. J. PLoS One 5, e10746 (2010).