Editorial

歴史的な科学資料の保存と有効利用へ、ドイツの挑戦

1832年に死去した著名な解剖学者アントニオ・スカルパは、自分が所属していたパビア大学(イタリア)に大規模な解剖標本コレクションを遺した。このコレクションには、スカルパ自身の頭部標本も含まれており、厳重に守られた博物館の中で、しかめっつらをして彼の遺産を見守っている。

現在、ヨーロッパの大学では、植物標本から鉱物標本にいたる大量の歴史的な科学資料が失われ、朽ち果てており、悩みの種になっている。こうした大学の多くは、自治組織であるため、政府からの指示はできない。また、ほとんどの大学は、財政難に苦しんでおり、過去より未来を指向する傾向が強い。歴史的な科学資料は、現役の研究者との間で空間と資源を奪い合う関係にあり、優先的な扱いを受けることもほとんどない。

そんな中で、このジレンマから脱するための方法がドイツで打ち出された。2011年2月初め、ドイツ学術審議会が、潜在的な研究価値の認められる科学資料を、研究基盤として取り扱うべきとする詳細な提言リストを発表したのだ。その中で、「危機的状態」にある科学資料を保存し、学内外の研究者に公開し、必要に応じて教育プログラムに組み入れることが各大学の義務だと明言した。

この提言には、具体的な方法も詳細に示されている。すなわち、各大学は、ドイツ国内の研究博物館や代表的研究助成機関であるドイツ研究振興協会(DFG)と協働して、個々のコレクションの科学的メリットを評価するための基準を作成する。この基準は厳格に適用され、メリットの少ないものは閉鎖、あるいは他所に移動される。一方、有用なコレクションには、必要なスペースを配分し、そこには、研究者が科学資料を用いて研究を進めるための研究室や一般公開用の展示室も整備する。

こうした取り扱いは大切だ。歴史的な資料が、予想に反して、最先端の研究に大きな価値を持つことも多いからだ。例えば、古い骨の標本が良好な状態で保存されていれば、DNA解析技術を駆使する現代の古生物学者にとって宝の山となる。古い植物標本もしかり。また、歴史的な科学資料は、科学史研究者のまたとない情報源だ。

ドイツ学術審議会が優れているのは、科学者だけでなく、連邦政府、州政府の代表者によって構成されていることで、その提言は非常に強い影響力をもつ。系統的な手続きも定められ、徹底的な分析も行われている。また、委員が予算確保に疑問を持つような提言はなされていない。ただし、実施にはある程度の時間は要する。

ドイツ学術審議会は、連邦政府に対して、各大学での学内コレクション保存作業がうまく調整できるよう、5年プロジェクトの提言をしている。ドイツの大学は、運営資金を州政府から受け取っており、連邦政府から基盤整備資金を得ることは憲法で禁止されている。そこで、こうしたコレクションの更新、修復や公開を行うために、大学の科学者が研究機関や研究財団から短期助成金を獲得し、それを大学としてプールして、科学資料の長期的管理を確実に実行するための費用を計上する方法が提案されている。ドイツ学術審議会は、こうした費用がそれほど多額にはならないと考えている。

今回の提言は、突然生まれたものではない。2004年にDFGが、ドイツの大学に保管されている科学資料コレクションの内容確認と目録作成を行うための5年プロジェクトを支援したのだ。ここで1000件以上のコレクションについて内容確認が行われ、そのうちの約300件が紛失あるいは廃棄されていることが判明した。多くの国ではなお、各大学に埋もれた「宝物」に関する全国レベルの目録がない。特にそうした国々の科学者から、DFGのプログラムは高い称賛を受けたのだ。

今回のドイツ学術審議会の提言は、今後、論争が起こることが確実視される。例えば、もし新たなスペースを得ることが本当にできないなら、科学資料コレクションのためのスペースを確保すべきだと言ってみても、あまり役に立たないからだ。しかし、この論争は容易に克服できると考えられる。他国の研究団体も、ドイツ学術審議会の例にならうことができるかどうか検討を開始すべきだ。

翻訳:菊川要

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 5

DOI: 10.1038/ndigest.2011.110533

原文

Preserve the past
  • Nature (2011-02-03) | DOI: 10.1038/470005b