Twitterによる審判
「科学者が長寿のカギを発見」 ― こんな見出しが、The Wall Street Journal 2010年7月1日号に躍った。翌日には、ナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)が、「私たちの中で100歳まで生きられるのは誰でしょう? 遺伝子検査により、それが明らかになるかもしれません」と報じた。そのほかにも、数百本の記事や番組が、似たような言葉で熱く紹介していた。これらは、Scienceに掲載された1本の論文1についての報道である。論文では、ある人が長生きするかどうかを77%の精度で予測できる遺伝子セットを特定したと主張されていた。それが紛れもない事実なら、医学、保健政策、経済に大きな影響を及ぼす可能性がある。
しかし、大衆メディアがこの知見を大きく報道するそばから、研究者たちがウェブ上で論文の実験手法を批判し始めた。個人向けのゲノム解読サービスを提供している23andMe社(米国カリフォルニア州マウンテンビュー)の研究者は、「この研究結果の大半は、実験の参加者のような『長生き』はできないだろうね」という手厳しい批判をブログに記した。
特に批判されたのは、長寿遺伝子を特定するために用いられた全ゲノム関連解析(GWAS)のやり方だった。この研究では、100歳以上の人々と対照群を調べるのに異なる種類のDNAチップが用いられており、その違いが解析結果に影響を及ぼしている可能性があったのだ。論文が発表された当日に、Newsweekのブロガーにこの懸念を語ったデューク大学ヒトゲノム変異センター(米国ノースカロライナ州ダーラム)のセンター長David Goldsteinは、「こうした間違いはよくあるもので、GWASを頻繁に行う研究者なら誰でも知っています。だから皆、すぐに反応したのです」と言う。
この痛烈な攻撃は衝撃的だったが、例外的なものではない。従来の論文は、発表から数年の間に、小規模な学会や個人的な会話の中で否定されていったが、近年の論文は、発表からわずか数時間で、ブログやツイッター、その他のソーシャル・メディア上で、公然と否定されるケースが増えているのだ。例えば、2010年12月に、DNAの骨格にリンの代わりにヒ素を利用する細菌が見つかったと主張する論文2が大きく報道されたが、この論文に対しても、多くの研究者が即座にブログ上で批判を始めた。
否定の大合唱
論文に対する反応が速くなれば、ずさんな研究が早い段階で除去され、多くの研究者のためになる。「問題のある論文が長期にわたって科学文献中にとどまっていると、害をなすおそれがあります。その論文の存在がほかの研究に影響を及ぼし、ひいては分野全体に影響を及ぼす可能性があるからです」と、Goldsteinは説明する。長寿遺伝子の論文については、こうした事態は回避されたと彼は言う。問題の論文が発表されてから1週間後、著者らが、「我々は、研究に用いた検査法に技術的な誤りがあったことに気付かされた……現在、解析結果を詳細に再検討しているところである」という声明を出したのだ。11月になると、Scienceはこの論文に関する「懸念の表明」という論説3を掲載し、事実上、その結果の正当性に疑問を投げかけた。
この論文の第一著者で、ボストン大学(米国マサチューセッツ州)の生物統計学者Paola Sebastianiは、Natureの取材に対し、「(自分も共著者も)今回の経験について語るのは時期尚早だと感じています。この問題はまだ終わっていないのです」とだけ回答した。
こうしたネット上のレビューの早さと論調は、多くの研究者を委縮させるおそれがあり、時に、実際に攻撃されたと感じている研究者もいる。論文の著者は、四方八方から飛んでくる批判に、どのように対応すればよいのだろうか? そもそも、対応しなければならないのだろうか? それとも、学会や学術ジャーナルなどの昔ながらの発表の場で慎重に表明される批判にのみ対応するべきなのだろうか? NASA宇宙生物学研究所(米国カリフォルニア州マウンテンビュー)のポスドク研究員で、ヒ素を利用する細菌に関する論文の第一著者であるFelisa Wolfe-Simonは、「私たちが考えたり、実験室で作業したりするのに必要な時間に比べて、情報の伝播スピードが速すぎるのです」という。彼女がこのコメントを発表したのもツイッター上だった。実際、多くの研究者が、長文の論文やブログに目を向けてもらおうと、ツイッターを利用している。
この混沌とした状況に何らかの秩序をもたらすには、新しい文化的規範と、それを支えるネット上のインフラが必要なように思われる。ネット上の公開査読は、以前から提案されていた。伝統的に、ある論文を学術ジャーナルで発表する価値があるかどうかは出版前の査読によって判断されてきた。ところが、1990年代にインターネットの使用者が急増すると、ネット上のコメントがその役割を果たすことができ、そうでなければならないと熱心に主張する人々が出てきたのだ。
英国の研究資金提供機関である科学技術施設会議の上級研究員Cameron Neylonは、「実際、すべての論文を発表してからふるいにかけていくほうが、はるかに理にかなっています」と言う。
迅速なフィードバック
以前から、数学や物理学などの分野では、論文が出版される前にも後にも、この種の公然の議論が行われていた。こうした分野の研究者のほとんどは、20年も前からarXiv.orgというプレプリントサーバーに論文の草稿を投稿しており、ブログが普及してくると、早速それを使って研究に関する議論をするようになった。
そのほかの分野の研究者たちは、出版前の論文については議論したがらないようだ。特に生物学者は、自分自身の研究について公然と語ったり、ほかの研究者の研究についてコメントしたりするのを嫌うことで悪名高い。これは、ライバルに出し抜かれたり、将来、自分の論文の査読をするかもしれない研究者の機嫌を損ねたりするのを恐れるからだ。さらに、ネット上でこうした活動をしても、終身在職権審査委員会や研究資金提供機関から特に評価されるわけではないとわかっていることも、意識が高まらない要因となっている。
こうした理由から、2005年のNatureをはじめ、複数の学術ジャーナルがさまざまな形で行ってきた、研究者に公開査読への関心を持たせようという試みは、あらかた失敗に終わっている。コーネル大学(米国ニューヨーク州イサカ)のコミュニケーション研究者で、学術出版協会(米国コロラド州ウィートリッジ)のブログThe Scholarly Kitchenの編集長Phil Davisは、「大半の論文は、誰からも興味を持たれずに、不毛な沈黙の中に放置されています」と言う。
学術ジャーナルのオンライン版で発表された論文にコメントを付ける形での出版後の査読は、もう少しうまくいっている。しかし、そこでの議論は活発というにはほど遠い。それは主として、学術ジャーナルが論文への批評を求めている場所が、一般的なソーシャル・ネットワークのサイト上ではなく、自誌のウェブサイト上であることが多いからだ。
PloS Biologyの学術編集長で、ブログやツイッターを使って活発に情報を発信しているJonathan Eisenは、「まともな頭の持ち主で、論文にコメントするためだけにPLoS Oneのサイトにログインする人がいるでしょうか?」と言う。「PLoSで発表された論文に関するコメントの数は、ツイッターのほうが絶対に多いと思います」。
研究者にとっては、論文に対するこうした場当たり的な批判にどのように対応するかが問題になる。ネット上のコメントは体系化されておらず、気まぐれで、往々にして匿名で寄せられるため、伝統的な手段での議論に慣れている生物学者はしばしば不快感をあらわにしている。例えば、Wolfe-Simonは、ヒ素の論文をめぐる騒動が勃発した当初は、Sebastianiのように距離を置こうとした。論争が始まったとき、彼女は、「節度ある議論となるように、こうした批判も、私たちの論文と同様の方法で査読を受け、綿密な審査プロセスを経なければなりません」と言った。彼女と共著者は、その後、いくつかの批判に対して自身のウェブサイト上で回答している。
しかし、自らも論文に対してネット上で否定的なレビューをされたことのあるGoldsteinは、こうした声に振り回されないことが大切だと考えている。「しっかりした研究なら、騒動により傷つけられることはなく、歳月の試練に耐えられるはずです」と彼は言う。とはいえ、「こういう状況では群集心理が働くことがあり、本当に気を付けなければなりません」とも付け加える。長寿遺伝子の論文もヒ素を利用する細菌の論文も、本来は、にわかにもてはやされたり、突然こき下ろされたりする性質のものではないからだ。
1つの解決法は、ネット上に散在しているコメントがブログ圏に埋もれてしまわないように、新しい技術を駆使してこれらをすべて捕らえ、体系化し、評価して、科学界に一貫性のある貢献をさせることだ。こうした実験的取り組みの中で、特にうまくいっていて興味深いものが、Faculty of 1000(F1000)やthirdreviewer.comなどのウェブサイトと、Mendeley、CiteULike、Zoteroなどのオンラインライブラリーである。オンラインライブラリーでは、ユーザーはオンライン版の論文やその他の興味深いサイトにブックマークし、リンクを共有することができる。
なかでも最も有名なのは、生物学全般の学術誌に掲載された論文の評価を行っているF1000だ。2002年に立ち上げられたF1000は、現在、研究者や臨床医の間で推挙された1万人のメンバーからなる「ファカルティー(同業者集団)」が、論文を選択し、評価し、6点(推奨)、8点(必読)、10点(卓越)の3段階の点数をつけている。個々の評点はある公式を使って足し合わされ、その論文のF1000ファクターが算出される。この点数は、終身在職権の審査や研究資金の申請の際にも考慮されるようになってきている。ウェルカムトラスト(英国ロンドン)で研究資金提供後の評価を行うチームを率いるLiz Allenは、「F1000ファクターは、私たちが組織的に利用する唯一の要素です」と言う。「引用指数に別の側面を追加するものだと言えます」。
しかしながら、F1000のランキングは伝統的な引用と密接な相関があるため、新しい価値を付与することがあったとしても、それはごくわずかであると批判する声もある。さらに、ほとんどの論文はファカルティーの注意を引かず、ランク付けされることもない。あれほど話題になった長寿遺伝子の論文でさえ、F1000では1回しか評価されず、その評点は8点(必読)だった。ちなみに、現在、このサイトで最高位にある論文が獲得した点数の合計は62点で、20点前後のものが多い。
メタ・ツイッター
このように、新しい評価基準には予測不能なところがあるため、ある論文に対するネット上の反応と評価のすべてを集計して定量化する新しい測定法を開発し、従来の測定法と比較することへの関心が高まっている。Neylonや一部の研究者は、そうした新しい測定法を「オルトメトリクス(alt-metrics)」と呼んでいる。
ノースカロライナ大学(米国チャペルヒル)で情報科学を専攻し、オルトメトリクスの研究をしている大学院2年生のJason Priemは、「研究者がより新しい形のコミュニケーション手段を用いるようになるにつれ、彼らがしていることを測定し、比較することが非常に重要になるのです」と言う。
Neylonが率いる研究チームは、発表された論文がウェブ上で引き起こすすべての動きを評価し、その影響力を迅速に測定するオルトメトリクス・システムを試作し、それをテストするために、3万ポンド(約400万円)の研究資金を申請している。また、Neylonや彼の仲間の多くは、論文の出版前にウェブ上のみで査読を行うシステムを構築しようとしている。そのシステムはarXiv.orgをモデルとしており、彼らがその欠点と考えている査読過程が、より平等で、透明性のあるものに変更されるはずだ。
とはいえ、ほとんどの研究者は、そこまでの透明性は望んでいないのかもしれない。出版後の論文に対して、ブログやツイッター上で盛んにレビューをしている人々も例外ではない。Goldsteinも、ブログやツイッターが「物事の理解を助ける仕組みとして優れている」ことは認めつつ、「誰でも参加できる実況解説のようなシステムが、論文の質を決定する唯一の方法になることは望んでいません」と言う。そして、こう結んだ。「民主主義について言われていることとちょうど同じです。査読過程が、あまりよいものでないのは確かです。けれども、これよりましなやり方もないのです」。
翻訳:三枝小夜子
Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 4
DOI: 10.1038/ndigest.2011.110423
原文
Trial by Twitter- Nature (2011-01-20) | DOI: 10.1038/469286a
- Apoorva Mandavilli
- Apoorva Mandavilliは、ニューヨーク在住のライター。
参考文献
- Sebastiani, P. et al. Science doi:10.1126/ science.1190532 (2010).
- Wolfe-Simon, F. et al. Science doi:10.1126/ science.1197258 (2010).
- Alberts, B. Science 330, 912 (2010).
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