News

記憶を強化するタンパク質ホルモン

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 4 | doi : 10.1038/ndigest.2011.110407

原文:Nature (2011-01-26) | doi: 10.1038/news.2011.49 | Protein hormone boosts memory

Tiffany O’Callaghan

記憶を強化するための標的になりそうな分子が、ラットの研究で新たに見つかった。

拡大する

ISTOCKPHOTO

初期段階の実験ではあるが、特定の細胞の増殖や修復を促進させるホルモンが、記憶の形成や保持にも関与している可能性が示された1。ラットに学習訓練を行った後、一定期間内に、インスリン様成長因子II(IGF-II)というタンパク質ホルモンを脳の海馬に直接注入したところ、記憶が強化され、なおかつ記憶が長く保たれたというのだ。海馬は、体験や出来事についての「エピソード記憶」にかかわっている脳領域である。

「IGF-IIが記憶強化因子の1つだとわかって興奮しました」と、マウント・サイナイ医科大学(米国ニューヨーク)の神経科学者で、研究チームを率いたCristina Alberiniは話す。「記憶を強化できる因子はあまり多くありません。記憶は強化させるよりも妨害するほうがずっと簡単なのです」。

Alberiniが、記憶強化の研究対象としてIGF-IIを選んだ理由は、彼女の研究室で、IGF-IIが記憶形成の「標的」タンパク質の1つであることを突き止めていたからだ。脳は、学習後にタンパク質群を合成し始め、最終的に記憶の固定につながる一連の神経生理学的イベントを始動させる。それらの最初に合成されるのは転写因子で、一連のイベントを進行させる二次的タンパク質や標的タンパク質の産生を制御している。IGF-IIにはまだ不明な点が多いが、これまでの研究で、IGF-IIの受容体が海馬に多いことが示唆されており、脳内のIGF-II発現量もこの領域で最も多いだろうと推測されていた。

電気ショックを忘れる

Alberiniらが最初に行ったのは、抑制性回避学習を用いた実験だ。これは、ラットを入れる箱の中を暗室と明室に分け、暗室に足を踏み入れると弱い電気ショックを感じるようにしたもので、ラットは暗室では電気ショックを受けることを学習する。実験の結果、学習訓練後にラットの海馬のIGF-II量が増えることがわかった。次に、学習後の記憶の固定にIGF-IIが関与していることを確認するため、学習訓練をしたラットの海馬にIGF-II阻害物質を注入し、その後ラットを箱に戻した。すると、暗室と関連付けた電気ショックの記憶がなくなっていることが明らかになり、IGF-IIが記憶の固定にかかわっていることが示唆された。

続いて研究チームは、IGF-IIの生合成を阻害するのではなく、学習訓練後のラットの海馬にIGF-IIを少量だけ注入してみた。すると今度は、記憶が強化された(つまりIGF-IIを注入したラットはより長い時間、暗室に近寄らなかった)だけでなく、最初の学習訓練後かなりの時間が経っても記憶が保持されていることがわかった。

マサチューセッツ工科大学(米国ケンブリッジ)の神経科学者Li-Huei Tsaiらは、今回の結果はごく予備的なものであり、IGF-IIが記憶を強化する正確な仕組みはまだわからないと指摘する。ただし、IGF-IIが「これまで知られていなかった記憶強化因子」であることや、強化作用が「長く続く」らしいことを示した点では、高く評価している2

一方、カハール研究所(スペイン・マドリード)の神経生物学者Ignacio Torres-Alemánは、IGF-IIについてのAlberiniらの成果は大いに評価できると話す。この研究分野は、これまでインスリンやインスリン様成長因子I(IGF-I)ばかりが注目されており、IGF-IIは新参者でありなおざりにされてきた。Torres-Alemánはそう話し、「でも今後はIGF-IIも考慮に入れるべきですね」と付け加えた。

今回の知見は、アルツハイマー病やその他の認知症など、記憶関連障害の治療につながる可能性があり、非常に興味をそそられる。Alberiniらは、IGF-IIは血液脳関門(脳内に入る化学物質を制限する生理的機構)を乗り越えられると指摘しており、臨床応用の観点からいえば、これは大きな利点だと考えられる。

ただし懸念されるのは、IGF-IIの注入と特定のがんのリスク増大の可能性との関連性で、これには対策が必要であろう。Tsaiは、海馬への直接注入が「ヒトで行われる可能性は非常に低い」とも指摘している。しかし、今後のラットの研究で、鼻からの注入など、ほかの投与手段でも同様の結果が得られれば、有望な新療法に向けた最初の一歩となるかもしれない。

(翻訳:船田晶子)

参考文献

  1. Chen, D. Y. et al. Nature 469, 491-497 (2011).
  2. Graff, J. & Tsai, L. Nature 469, 474-475 (2011).

キーワード

Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

プライバシーマーク制度