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失われた記憶を取り戻せるか

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 4 | doi : 10.1038/ndigest.2011.110428

原文:Nature (2011-01-06) | doi: 10.1038/469044a | Recollection of lost memories

Robert C . Malenka & Roberto Malinow

「年を取るにつれて人は賢くなる」と言われているが、年を取ると記憶を保持する能力が低下していくというのが現実だ。しかし、この問題を解決する方法のカギが見つかったかも知れない。アルツハイマー病モデルマウスのニューロンで、シグナル伝達分子EphB2の発現レベルを上昇させたところ、記憶障害が回復したのだ。

今回の研究がさらに進んで、記憶のピースをつなぎ合わせることのできる「夢の新薬」が開発されれば、失われた記憶を取り戻せるかもしれない。 | 拡大する

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「鍵をどこに置いたかな?」「昨日、夕食を食べたかしら?」 認知力の中でも記憶を保持する能力は、年を取るにつれて否応なく低下する。そのうえ、介護が必要になるほど認知力が低下する人が増えてきている。高齢者のこうした認知症の主な原因は、アルツハイマー病であり、85歳以上の人の約半数が、この病気の何らかの症状を示す。しかし、アルツハイマー病の生物学的な理解が大きく進歩しているにもかかわらず、有効な治療法はまだ見つかっていない。そうしたなか、Cisséたちの研究チームは今回1、アルツハイマー病のマウスモデルで特定の膜タンパク質(受容体型チロシンキナーゼEphB2)を発現させると、アルツハイマー病の特徴である記憶障害が回復できることを発見し、Nature 2011年1月6日号47ページに報告した。そして、このタンパク質を標的とした治療戦略の有望性について、説得力のある証拠を示している。

アルツハイマー病の原因については、「アミロイド仮説」が有力である。この仮説は、脳内で、アミロイドβ(Aβ)と呼ばれるペプチド断片が大量に蓄積し、それが慢性化することによるというものだ。最初にヒトの遺伝学的知見に基づいて提唱され、その後、多くの細胞生物学的モデルや動物モデル、そしてヒトでの研究によっても裏付けられた。実際、Aβを作り出す酵素の変異やAβの前駆体タンパク質の変異は、Aβの蓄積レベルの上昇を引き起こすことから、若年発症型アルツハイマー病にかかわっているという報告2,3がある。

これらと同じ変異を発現するように遺伝子操作したマウスでは、加齢に伴って認知障害が見られること2,3が報告されている。その一方で、正常なマウスでも、ニューロンのAβ蓄積レベルを上昇させると、ニューロン間のシナプス結合の消失が引き起こされる。そして、このAβ蓄積レベルに伴ったシナプス結合の消失の程度は、ヒトの認知症における程度とよく相関するようなのである。ヒトの脳にあるAβは、現在、非侵襲的(体を傷つけず)に画像診断できるのだが、アルツハイマー病患者の脳画像にはAβの蓄積が見られ、この蓄積の程度が、記憶の低下と相関することがわかってきたのだ4。このような知見から、Aβの蓄積がどのように記憶障害を引き起こすのかを解明しようと、意欲的に研究が進められている。

学習と記憶には、シナプスでのシグナル伝達効率が長期にわたって増強される必要があると考えられている。この「長期増強(LTP)」とは、脳の海馬領域で顕著に見られるシナプス可塑性(シグナル伝達効率を変化させるメカニズム)の1つである。また海馬は、記憶の形成に必要なだけでなく、アルツハイマー病の早期段階でも影響を受けることが知られている2,3,5。そのため、アルツハイマー病モデルの遺伝子組み換えマウスやAβを投与したマウスで海馬LTPの障害が見られることは、容易に想像できると言えよう2,3。だが、こうしたモデルにおいて、LTPの障害や記憶障害がどういった分子機構で起こるのか、詳細はいまだ解明されていない。それよりももっと大きな問題は、こうした障害を回復させることが非常に困難なことである。

これらの問題を解決するため、Cisséたちは1まず、シナプスタンパク質複合体であるNMDA受容体(NMDAR)の減少について、原因となる機構を検討した。受容体は、LTPの誘導や海馬依存性の記憶形成に必要であるため5、この受容体の減少や機能不全が、アルツハイマー病の症状に関与しているのではないかと彼らは考えたのだ。事実、彼らのこれまでの研究によって、シナプスでのNMDAR機能の低下6やNMDARの細胞表面から細胞内への移行が、Aβによって引き起こされることが明らかになった7

次に、彼らは膜タンパク質のEphB2に着目した。このタンパク質がNMDARと相互作用すること8や、欠損するとLTPが障害されること9,10が、以前から知られていたためだ。そして今回、AβがEphB2に結合して、EphB2の発現レベルを低下させることを発見したのである。そのうえ、正常マウスの脳で、歯状回(海馬への入力領域)でのEphB2発現レベルを低下させたところ、アルツハイマー病モデルマウスで見られるようなシナプスでのNMDARの低下、およびLTPの障害が再現されたのだ。

これらの知見は、「障害を回復させる」という問題を解決するための重要な手がかりとなった。つまり、「歯状回にEphB2を発現させれば、アルツハイマー病で見られるシナプスの減少や記憶障害を回復させられるのでは?」というアイデアが浮かんだわけだ。そして、アルツハイマー病のマウスの歯状回にウイルスを介してEphB2を発現させたところ、NMDARを介したシナプス応答とLTPは共に、正常レベルに戻った。マウスを「治療できた」のである。それだけではない。このマウスの海馬依存性の記憶を3つの異なる行動試験で評価したところ、正常に学習し、正常に記憶できるようになっていたのだ。これこそ、この研究における最も大きな臨床的意義と言えよう。

Cisséたちの研究成果は、EphB2がアルツハイマー病の有効な治療標的となる可能性を示すのに十分な説得力を持っている。また彼らは、治療法の可能性として、AβのEphB2への結合阻害やEphB2分解の減少、およびEphB2発現の増加など、いくつかの候補を挙げている。しかし、基礎研究者や製薬業界がこの新しい治療機構を精力的に追求する前に、いくつか心に留めておいて欲しいことがある。

アルツハイマー病の原因が複雑であることを考えると、治療法開発のカギとなる知見の再現性がまず不可欠である。また、アルツハイマー病のモデルのうちのどれがヒトの症状を正確に反映しているかについても、まだ議論の余地があると言える。そのため、アルツハイマー病の他のモデルでEphB2を発現させた場合でも同様に、減少したシナプスや記憶障害を回復できるかどうかについて検討すべきである。

アルツハイマー病の影響は、いくつかの脳領域にわたっている。そのため、Cisséたちのマウスでは、歯状回のみにEphB2を発現させただけで記憶障害から完全に回復したことは、非常に驚きである。また、著者たちが示唆しているように、あるニューロンが属する大きなネットワークの機能を向上させるには、その一部のニューロンの機能を改善するだけで十分なのかもしれない。とはいえ、他の脳領域においても、EphB2がAβ誘導性の障害を回復できるかどうかを明らかにすべきである。

最後に、治療を行うのに効果的な時期は、アルツハイマー病の進行過程のどの時点なのかを決定することが、大きな課題として残されている。CisséたちがEphB2を発現させたのは、アルツハイマー病の典型的な神経病理学的特徴が出現する前の時点である。これよりも遅い時点でこの受容体を発現させても、同様の治療効果が得られるのかどうかを明らかにする必要があるだろう。

上述のような留意点はあるが、この研究は、アルツハイマー病の発症機構の研究に新たな道を開いたうえ、治療標的になるようなこれまで明らかになっていなかった機構も示した。このところ、アルツハイマー病に対するいくつかの臨床試験でよい成果が得られなかったことが報道されていたが、今回の成果1は、アルツハイマー病研究に希望をもたらすものでもある。新たな推進力になるだけでなく、新薬の開発も想定されているので、そう遠くない未来、この深刻な疾患が進行する前に治療薬を手にできるに違いない。

(翻訳:三谷祐貴子)

Robert C . Malenka、スタンフォード大学医学系大学院(米国)。

Roberto Malinow、カリフォルニア大学サンディエゴ校(米国)。

参考文献

  1. Cissé, M. et al. Nature 469, 47–52 (2011).
  2. Tanzi, R. E. & Bertram, L. Cell 120, 545–555 (2005).
  3. Walsh, D. M. & Selkoe, D. J. Neuron 44, 181–193 (2004).
  4. Jack, C. R. Jr et al. Brain 133, 3336–3348 (2010).
  5. Malenka, R. C. & Bear, M. F. Neuron 44, 5–21 (2004).
  6. Kamenetz, F. et al. Neuron 37, 925–937 (2003).
  7. Snyder, E. M. et al. Nature Neurosci. 8, 1051–1058 (2005).
  8. Dalva, M. B. et al. Cell 103, 945–956 (2000).
  9. Henderson, J. T. et al. Neuron 32, 1041–1056 (2001).
  10. Grunwald, I. C. et al. Neuron 32, 1027–1040 (2001).

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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