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がん細胞を自滅させるスイッチ (井上 丹)

井上 丹

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 4 | doi : 10.1038/ndigest.2011.110426

生体での多様な働きが研究者の注目を浴び続けているRNA(リボ核酸)。長年、RNAの機能と構造の解析に取り組んできた井上丹教授は、豊富な知識をいかして、新しいRNA分子や反応系を作り出すことにした。そして、誕生したのが「RNAスイッチ」1,2*。病気の予防や治療に広範に利用できると期待されている。

––Natureダイジェスト:どんなスイッチを作ったのですか?

井上:がん細胞が生じたら、自動的にその細胞が死ぬようにしむけるスイッチです。つまり、正常な細胞ががん化したときに、その細胞内で自らを滅ぼす仕組みが作動し始めるというスイッチなのです。今はまだ、基礎技術の段階で、生体内で実際に機能させるには、もう少し研究が必要です。

––具体的には、どのようにできているのですか?

実はどんな細胞にも、自身の死をもたらす仕組みが備わっています。ただし、普段はその仕組みが作動していません。私たちがスイッチと呼んでいるのは、この仕組みを実際に作動開始させることのできる反応系のことで、それには、今回私たちが見つけた分子を細胞に仕掛けておけばいいのです。

タンパク質に出会うと、何が起こる?

––今回見つけた分子とは?

Kt(キンクターン)という名前のRNA(リボ核酸)と、L7Aeという名前のタンパク質です。どちらも天然に存在する分子の構成成分です。この2つが出会うと、結びついて複合体を形成し、スイッチとして機能するのです。

––KtとL7Aeの出会いはどうコントロールするのですか?

最初は細胞中で、KtとL7Aeを別々にしておき、細胞ががん化するとKtとL7Aeが出会うような仕組みを考案しました。

もう少し詳しく説明しましょう。細胞ががん化すると、がんに特有のタンパク質が生産されることが多いのです。がんの診断でよく使われている「マーカー」と呼ばれるタンパク質がそれです。そこで私たちは、細胞内にマーカータンパク質が増えてきたら、KtとL7Aeが出会えるようにしたのです。そうすれば細胞のがん化を検査したり、処置を施すことなく、自動的にこのスイッチがオンになるわけです。

––KtとL7Aeが出会うと、どんなことが起こるのですか?

RNAスイッチ。RNA(Kt)は、mRNAやshRNA分子のループ部分(緑色)に連結しておく。KtとL7Aeが結合すると、分子が変形し、機能が阻害される。左では翻訳の抑制が起こる。右では、shRNA(「RNA干渉」と呼ばれる翻訳の抑制分子)を阻害するので、結果的に翻訳の促進が起こる。 | 拡大する

「翻訳」を制御できるようになります。ご存じだと思いますが、細胞内で、遺伝子が「転写」されるとmRNAが作られ、そのmRNAが「翻訳」されるとタンパク質が作られます。ですから、翻訳が制御できると、タンパク質の生産を促進したり、抑制したりすることが可能になるのです。細胞が機能するためには、タンパク質が作られていくことが必要です。私たちのスイッチは、タンパク質の生産をオン・オフすることにより、がん細胞の死を導くスイッチということになります。

––KtとL7Aeは便利な分子ですね。

そうなんですよ。目的の性質を備えた分子を探そうと、天然に存在し、その構造が明らかになっているRNAとタンパク質の複合体をリストしていきました。そして、片っ端からチェックしていったところ、幸運にも、比較的すぐに、望みの性質を備えたものを探し当てることができたのです。それが、このKtとL7Aeでした。Ktは古細菌リボソームRNAの一部分、L7Aeは古細菌リボソームの一成分です。これらを見つけることができなかったら、このスイッチを実現させるのは、決して容易ではなかったと思います。

新たな方向へ向かって

––RNAとタンパク質の複合体に注目されたきっかけは?

私は、RNAでできた酵素、リボザイムを長年研究してきました。ですから、RNAがタンパク質と複合体を形成して、より多彩な構造を作ることはよく知っていたのです。分子や反応系の設計や合成をするにあたり、私は最初から、RNA–タンパク質複合体に焦点を当てていました。

––機能の解明から、分子の合成に興味が移られたのですね?

ちょうど2000年頃のことでした。リボザイムの機能の解明が、一定の到達点に達した感があったのです。私は、リボザイムの研究でノーベル賞をとったトム・チェックの最初のポスドクで、16年間、研究し続けてきていたのですが、次に何をしようかと考えました。そのとき、これまで蓄積してきた知識を使って、実践的に役に立つ、新たな分子を設計することに強く心を引かれたのです。

そうするうちに、シンセティック・バイオロジーという概念も、分子生物学の潮流に台頭してきました。要素の分解や解析から、生命系の再構築といった方向をめざす流れです。ちょうど私が舵を取った方向と合っていたので、研究が進めやすかったです。

––実際に研究を進められて、いかがでしたか?

RNA–タンパク質複合体は、研究者にとって、本当に「お得」な分子です。RNAは基本構造が単純でありながら柔軟性があるので、改変しやすい。そして、タンパク質を連結させることによって、新しい性質を簡単に作り上げることができるのですから3

しかも、RNA–タンパク質複合体の研究者人口は少ないので、競争も激しくありません。

––研究者人口が少ない理由は?

RNAの研究者はタンパク質に、タンパク質の研究者はRNAに苦手意識をもつことが多いから、互いに手を出さないのかもしれません。研究者が群がるより、落ち着いて研究できるのでいいですけどね。

いつも思ったようにいくとは限らない

––研究は、順風満帆ですね。

ところが、世の中には、生き馬の目を抜くようなことが起こるのです。実は、今回の私たちの論文発表の約2か月前に、ふだんから交流のある身近な研究仲間が、私たちと同じテーマの研究をScienceに発表したのです。具体的な研究方法は異なるのですが、翻訳を制御するという手法は全く同じ。

互いの研究について議論する機会は多々あったのですが、私たちは彼らに話しても、彼らは、このテーマで研究していることを一言も漏らさなかったので、非常に驚きました。

––研究内容を秘密にして競争することは、珍しくないのでは?

もちろんそうです。だから、彼らが私たちに義理を欠いたなんて、全く考えていません。

今では私たちのように、自分たちの研究を比較的オープンに話すほうが、珍しいタイプでしょう。でも私は、他人を出し抜くことに力を注ぐよりも、前向きに刺激し合って、互いの研究を高め合うやり方を大事にしたいのです。

––オープンにすることで、生産的な競争が生まれるのですね。

そうですね。今回の研究の場合でも、私たちの方法では、RNAスイッチの働く場所が、細胞質の中、彼らのは細胞の核の中と異なり、使い分け可能でしょうから。

もっとも、がんのマーカータンパク質への応用は、私たちの方法でしか行えないと思います。核の中にタンパク質分子を送り込むのは、容易ではないですから、私たちのほうがずっと応用範囲が広いと思います。

––研究室ではどのように指導されているのですか。

20歳代のころのことですが、私の行ったある研究が成功をおさめました。しかしその成果を発展させる次の段階で、ライバルに論文発表で先を越されてしまったのです。それを、ある年長者に、頭ごなしに叱責されて、たいへん不愉快な思いをしました。

私も、教授として、若手を叱ることはありますが、それは彼らが研究者として自立していくのに必要なことに限っています。そして、研究を進めたり、発表したりする際に、どんなことに焦点を絞るべきか、それを明解に示すことが、私の仕事だと思っています。研究を効率よく進め人々の理解を得るためには、わかりやすく焦点を絞ることが重要ですから。

––ありがとうございました。

聞き手は藤川良子(サイエンスライター)。

*科学技術振興機構の援助の下での研究。

参考文献

  1. Saito H.et al. Nature Chemical Biology. 6, 71-78 (2010)
  2. Saito H.et al. Nature Communications. 2, 160 (2011)
  3. Saito H. et al. Nature Nanotechnology. 6, 116-120 (2011)

Author Profile

井上 丹(いのうえ・たん)

京都大学大学院生命科学研究科教授。1978年、東京工業大学理学部化学科助手。80年、米国・ソーク生物学研究所博士研究員を経て、コロラド大学博士研究員。85年、同研究所助教授を経て、准教授。92年、京都大学理学部教授、同大学大学院理学研究科教授を経て、99年より現職。85年、ドイツ・クルップ財団リサーチファンド受賞。

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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