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明日の化学 — 世界化学年2011

分子のレンズでものを見る

Paul Wender
スタンフォード大学(米国カリフォルニア州)

化学はしばしば「中心の科学」と呼ばれるが、個人的には「普遍的に必要とされる科学」と呼ぶほうがふさわしいと思う。化学が扱う分子の構造や機能や合成は、科学全体にとって非常に重要なテーマだからである。われわれが今日抱えている問題や、将来直面することになる問題は、もはや1つの科学分野の中で解決することは不可能だ。科学研究のあり方も、個々の問題についての考え方も、ますます「分子化」している。問題を解決するためには、ものの構造や機能を原子レベルで理解し、新しい分子や系―薬物、診断法、新素材、機能化細胞―を設計し、合成する能力が求められているのだ。分子人類学から分子動物学、ひいては「分子料理学」まで、化学の探究が大きな変革をもたらそうとしている。

分子のレベルで問題を理解できれば、現代社会の重大問題に効果的に取り組むことができる。例えば公衆衛生の面では、疾患の早期発見と予防を重視する方向にもっていく必要があるが、そのためには、病気の起源を分子レベルで理解できなければならないし、病気の進行につながる初期の分子事象を検出できるような分子を設計する必要がある。

エネルギーの収集・貯蔵・変換についても、その未来は、分子の構造や機能の問題と不可分である。スマート材料も応答性デバイスも、特定の事象を検出し、それに応答して構造を変える分子や分子系を必要とする。われわれは今、世界を根底から変えてしまう分子革命のただ中にいる。

化学がもたらすよりよい暮らし

Christopher C.Cummins
マサチューセッツ工科大学(米国マサチューセッツ州)

化学は、必ずしも単純な「大きな問題」の公式で要約できるわけではない。化学の進歩を必要とする課題は無数にあり、それは、地球上の炭素・窒素・リン資源の物質循環の管理から、豊富に存在する安価な元素を利用した省エネルギー触媒まで幅広い。環境や動植物の生息地を犠牲にすることなく、万人が高い生活水準を享受できる未来を築き上げるために、化学はなくてはならない役割を担っている。

私は、マリー・キュリーを心から尊敬している。彼女はラジウムを単離するためにおそろしく単調な作業に耐えなければならなかったが、一片の迷いもなく、断固たる決意を持ってそれをやり遂げた。彼女の卓越した発想は、途方もない力仕事の積み重ねに支えられていたのだ。科学を志す若者は全員、彼女の伝記を読むとよい。

環境にやさしい化学プロセス

Martyn Poliakoff
ノッティンガム大学(英国)

この10年間、グリーンケミストリー(環境共生化学)を模索する科学者とプロセス技術者は、主として、特定の性質や機能を備えた分子をいかにして設計し、そうした分子を合成するにあたり、廃棄物や危険をいかに最小限に抑えるかという課題に取り組んできた。化学は近年、この分野で長足の進歩を遂げたが、われわれはなお試行錯誤の段階にあり、分子をいじくりまわし、その性質の変化を観察しているにすぎない。

もっと広い視野で見れば、人類が製造し、利用する製品のすべては元素からできている。過去100年間、人類は現代生活に必要なもろもろの道具を製造するために、地球上の資源の多くを浪費してきた。鉱床は採掘され、そこに集中していた元素は世界中に散らばっていった。現在、これらの元素の多くが不足し、枯渇が危惧されている。持続可能な代替品を発明しないと、ノートパソコンから肥料まで、現代社会を支える製品の多くが姿を消すことになる。その発明のカギを握っているのが化学者なのだ。

私にインスピレーションを与えたのは、特定の人物ではなく、1869年という年である。この年、ロシアのサンクトペテルブルクでドミトリー・メンデレーエフが周期表を提案し、北アイルランドのベルファストではトマス・アンドルーズが液体と気体の違いがなくなる「臨界点」という言葉を作った。私は25年以上にわたって超臨界流体の研究をしており、そこからグリーンケミストリーの研究に入った。私はまた、高校生の頃から周期表の影響を受け、最近、YouTubeで周期表の解説をする動画の配信を始めた(www.periodicvideos.com)。

自然がポリマーを作る方法を模倣

Laura Kiessling
ウィスコンシン大学マディソン校(米国ウィスコンシン州)

生物システムは、鋳型も使わずに、決まった配列と長さをもつポリマーを作ることができる。その仕組みは、われわれが答えを出さなければならない基本的な問題の1つだ。炭水化物ポリマーは地球上で最も大量に存在する有機物質であるが、われわれは、それが生成する仕組みも、その長さが制御される仕組みも知らない。この仕組みが明らかになれば、セルロースから効率よくエネルギーを取り出したり、各種の病原体に対するよりよいワクチンを設計したり、がんや発生にかかわる成長因子のシグナル伝達経路を制御したり、新しいタイプの抗菌剤を開発したりすることが可能になる。自然が多糖を作る方法を解明できれば、テロメア(染色体の端を保護するキャップ)の形成の基礎にある反応や、がんとのかかわりも含めて、さまざまな重合反応に関する洞察が得られるはずだ。

私が尊敬する化学者は大勢いて、存命中の人も、すでにこの世を去った人もいる。強いて1人選べと言われれば、創意工夫に富むやり方で有機合成を生物学の問題に応用したエミール・フィッシャー(1852–1919)の名前を挙げたい。彼はおそらく最初のケミカルバイオロジスト(化学生物学者)であった。

人工光合成の実用化

Paul Alivisatos
ローレンス・バークレー国立研究所 所長(米国カリフォルニア州)

今後10年で、人工光合成を実用化する方法がついに明らかになるだろう。これは、生物学的な炭素の同化回路を解明したメルビン・カルヴィン(1911–97)の時代からの目標だ。カルヴィンは、人類がエネルギーを利用するためには安定したサイクルを確立する必要があることを察知していた。人工光合成のシステムが実現すれば、未来の持続可能なエネルギーが供給されることになる。

この野心的な取り組みの過程で、化学者は、長年の難問をいくつも解決しなければならない。例えば、水から酸素を取り出したり、二酸化炭素を還元して燃料としたりするためのよりよい触媒を開発するには、多電子・多段階触媒反応に関する理解を深める必要がある。われわれは、光を吸収して電荷を分離する、複数の構成要素からなるナノスケールの系を精確に組み立て、これらを触媒と組み合わせる方法を確立する必要がある。こうした系は、スケールアップできる工業プロセスによって、地球上に大量に存在する材料から安価に製造できなければならない。

人工光合成の研究は1970年代末から1980年代初頭にかけて行われ、その後は30年にわたって中断されていた。その間にナノ科学が発達し、新しい理論や分析ツールを利用できるようになった。

私は、敬愛する科学者の代わりに、注目すべき論文を紹介したい。それが、物理化学者スヴァンテ・アレニウス(1859–1927)の「空気中の炭酸が地上の温度に及ぼす影響について」(Philos.Mag. 41, 237–276; 1896)だ。彼はこの論文で、大気中の二酸化炭素濃度が2倍になると、地球の気温が5度上昇すると見積もった。その数年後、彼は計算を改良して、2.1度という値を得た。アレニウスは当時、人類の活動がそこまで大きな変化を引き起こす可能性は低いと考えていた。けれども、それから100年以上の歳月が過ぎた今、人類の活動は桁外れに拡大し、われわれはアレニウスの計算がおおむね正しかったことを思い知らされている。

自己組織化を利用した化学合成技術

E. W.'Bert' Meijer
アイントホーフェン工科大学(オランダ)

「自己組織化を利用した合成化学はどこまで行けるか?」という問いは、われわれ科学者が今後数十年のうちに解かなければならない最も興味深い問題である。合成化学者は、地球上に存在するほとんどすべての分子を合成できるが、われわれは今、こうした分子を組み立てて有機的な構造をもたせ、機能的な分子を作るための洗練された技術を必要としている。この新しい学際的な分野から、すでに、新しい方法論、力学的洞察、非平衡系の速度論的に制御された組織化などの成果が現れているが、なおごく一部にすぎない。

私の理想は、ヤコブス・ファントホフ(1852–1911)とHans Wynbergを一緒にしたような科学者だ。1901年に初のノーベル化学賞を受賞したファントホフは、空間内の原子の三次元的配置について洞察し、立体化学という学問分野を開拓した。驚くべきことに、彼は22歳という若さでこの着想を得たという。このことは、科学への情熱と独創的な思考との結びつきが、すばらしい成果を生むことを示している。私は、博士論文の指導教官だったHans Wynbergを尊敬している。私にキラル分子の魅力的な世界を教えてくれた彼は、多くの若手研究者を鼓舞して科学の最前線に送り込んでいる。

未来は太陽エネルギーにあり

David King
オックスフォード大学 Smith School of Enterprise and the Environment学長(英国)

うまくいけばこれから10年以内に、安価に生産でき、効率のよい、新世代の光起電力材料(プラスチック、塗料、セラミックスなど)が登場し、太陽エネルギーの利用に革命が起こるだろう。それは、建築家や建築業者が素材として使いたいと思う魅力も兼ね備えているはずだ。

私がインスピレーションを受けた化学者は、近代化学の父アントワーヌ・ラヴォワジェ(1743–94)である。彼の名著『化学要論』(1789)には、元素の概念の確立、質量保存の法則の発見、化学の発展を妨げていたフロギストン(燃素)説や錬金術の否定など、その主要な業績について記されている。近代化学、材料科学、物理学は、彼のこうした研究から生まれたと言っても過言ではない。

より高度な選択的相互作用をめざす

Karen Wooley
テキサスA&M大学(米国テキサス州)

次の10年間で、機能性材料としてのポリマーを設計し、研究して、医療などの分野に応用するためには、3つの主要な課題に取り組まなければならない。第一に、分子が生体内の特異的な組織を標的にできるように、非選択的相互作用を防いで選択的相互作用を増やす方法を見いだすこと。第二に、今日の技術で物質を合成すると組成や構造や大きさにばらつきが生じてしまうので、自然のように、完全に同じ構造を合成できる方法を見いだすこと。第三に、有機合成化学者が天然薬や類似化合物を合成する技術をさらに進めて、リボソームやウイルスなどを新しい化学操作の標的とする方法を見いだすこと、である。これらすべてに必要なのは、分子間相互作用をより厳密に制御することだ。

私は、少女の頃はマリー・キュリーにあこがれていたが、年を経るうちに、現代化学の「巨人」たちへの尊敬の念が深まってきた。例えば、有機反応に関する研究により2005年にノーベル化学賞を共同受賞したロバート・グラブズは、科学的好奇心にあふれ、謙虚で気さくで、若き化学者たちの指導に情熱を注いでいる。

持続可能な生活を促す

Joanna Aizenberg
ハーバード大学(米国マサチューセッツ州)

今日の化学者が取り組んでいる持続可能性の問題は、未来の化学者にとっても重要な課題であり続けるだろう。持続可能性の問題は、効率のよい代替エネルギー源の開発、天然資源の賢く持続可能な利用、環境保護、飢餓との戦い、世界中の人々の健康の増進と生活水準の向上など、いくつかの重要な領域からなるが、これらは相互に関係がある。すべての領域で必要とされるプロセスと材料、例えば、太陽エネルギーの有効利用、水素系燃料、核廃棄物の最少化と処理、水の精製、石炭ベースの技術を最高の環境基準に適合させること、より生産性の高い作物の開発などは、いずれも、有機化学、無機化学、物理化学、ポリマー化学、材料化学、生化学などを専門とする化学者の力を必要とする。

私が最も尊敬する化学者は、化学熱力学と物理化学の確立に多大な貢献をしたジョサイア・ウィラード・ギブズ(1839–1903)である。彼の研究は、数学、物理学、化学、工学にわたっており、当時はもちろん、いつの時代を見ても、これほど広範な研究を展開した科学者はいない。ギブズによって発見、研究、説明され、彼の名を与えられた現象は非常に多く、その一部だけでも、卓越した科学者として人々の記憶に長くとどめられる価値がある。ギブズのエネルギーがなかったら、今日の化学はどんなものになっていただろうか。

エネルギー生産を触媒する

Graham Fleming
カリフォルニア大学バークレー校研究副学長(米国カリフォルニア州)

今日の重要な問題のうち、単一の学問分野内で解決できるものは1つも残っていない。化学者が問題解決に協力できる大きなテーマは、エネルギーとその生産や貯蔵に関するものだ。電気自動車を実用化するには、現在のバッテリーの2倍のエネルギー密度と1/5のコストの(つまり、10倍優れた)バッテリーが必要であり、化学者はその開発に重要な役割を果たすことができるだろう。また、地球上に豊富に存在する材料から便利なエネルギーを生産するためには、太陽エネルギーを液体燃料に変換するよりよい触媒を開発し、自然界には存在しない新しい化学サイクルを利用できるようにする必要がある。さらに、生物学者と協力して、自然の食料生産機構と燃料生産機構を再プログラムすることにより、生物学的光合成の効率を大幅に高める必要がある。

長期的には、外界の変化に反応して自らの挙動を調節し、損傷を受けたときには自分自身を修復できるような分子システムを合成する方法を開発しなければならない。後者については、おそらく10年で開発するのは困難だろうが、それでも目標として掲げなければならない。

私が尊敬する化学者は、論文指導教官だったジョージ・ポーター(1920-2002)である。彼は、革新的な研究によりノーベル賞を受賞しただけでなく、若者や科学者以外の人々とも積極的に交流し、社会正義を強く意識していた。私は、英国学士院から依頼を受けて彼の伝記を書く準備をしながら、出国を禁じられていた旧ソ連の科学者たちが自由を獲得し、出国ビザを取得できるようにするために、彼がどんなに骨を折っていたかを知った。

翻訳:三枝小夜子

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 4

DOI: 10.1038/ndigest.2011.110408

原文

What Lies Ahead
  • Nature (2011-01-06) | DOI: 10.1038/469023a