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デニソワ人が語る人類祖先のクロニクル

分子遺伝学的手法を用いて古代のDNAを分析する「古遺伝学」という新しい学問分野から今、次々と成果がもたらされている。そうした中、Reich、Pääboらの研究チームが、シベリア南部のデニソワ洞穴で発見された人間のものと思われる指の骨について核DNAの分析を行い、Nature 2010年12月23/30日号の1053ページで発表した1。この結果から、解剖学的に「現生」に属する人類(ホモ・サピエンス)が約6万~5万年前にアフリカを離れた後に、どのように移動してどこに定住したのかについて、複雑なモデルが浮かび上がってきた。

1925年のRaymond Dartの発表は、人類の起源に対するヴィクトリア朝時代の考え方をひっくり返した。彼がアフリカ南部で発掘したアウストラロピテクス(猿人)の頭蓋骨は、ヒトとサルとを結びつける最初の発見だったからだ。それ以来、ホモ・サピエンスの祖先はただ1系統の種が出現しただけで、それが世界中に広がって当時存在していたすべてのホモ属の種と入れ替わったのか(単一起源説)、それとも、さまざまな地域の他のホモ属人類集団やその亜種との混血なのか(多地域進化説)、という論争が続いている。後者については、最も極端な「枝付き燭台」モデル(ホモ・エルガステルを祖先に、地域ごとに並行的に進化してホモ・サピエンスになった)というものがあったが、その後の発見により、現在はほとんど顧みられなくなっている。しかし、さらに微妙なモデル、つまり、現生人類と絶滅した他のホモ属集団(ネアンデルタール人、それにおそらくデニソワ人も含まれる)の間で遺伝子が交換された可能性については、これまで評価することが困難だった。

前者の単一起源説は、全現生人類種の遺伝学的系統のすべては、さかのぼれば、「20万年ほど前にアフリカで生まれた1つ以上の中規模な集団」にたどり着く、というものだ2-5。近年まで、遺伝学的データや化石記録の解釈は、この説の「混血のない完全置換」を支持しているように思われていた。しかし、今回ReichとPääboらの研究チームが報告したデニソワ人の核ゲノム配列の分析結果1は、彼らが以前に報告したホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)の核ゲノム配列6とともに、ホモ・サピエンス集団がアフリカを離れた後の歴史は、従来考えられていたよりもはるかに複雑に絡み合っていることを示唆しているのである。また、一部の地域では特に複雑だったことが示されている。

図1:新たな仮説が現生人類の歴史に関する定説を進化させる
▲がネアンデルタール人の遺骨発見地、●が現代人ゲノムの試料採取地1,6。青色の矢印は、定説となっているホモ・サピエンスの移動経路11。6万~5万年前、ユーラシアには主にネアンデルタール人およびホモ・エレクトスの2種のホモ属が存在していたが、研究チーム1は、デニソワ人のような第三のグループの存在を示唆している。彼らの推測によると、最初の遺伝子流動は、アフリカを離れてまもない現生人類とネアンデルタール人との間で起こり、その後、デニソワ洞穴で発見された別のホモ属集団との間で起こった。後者は、4万5000年ほど前にパプアニューギニアに定着した現代のメラネシア人の祖先のみに影響したと考えられる。

そして、これらの分析結果に基づいて彼らが立てた仮説は、2つの短い経路(図1)において他のホモ属から現生人類への限定的な遺伝子流動(異なる地域の集団間で遺伝子が交換されること)が生じたというものだ。1つは、現生人類の集団がアフリカを離れた直後の経路であり、もう1つはオセアニアのメラネシア人集団の祖先となった現生人類のみがたどった経路である。研究チームが推測する「遺伝子の混合」は、数十万年の間にさまざまな地域のホモ属種間で大規模な遺伝子流動が生じて現生人類になったという旧来の多地域進化説7を蒸し返すものではない。だが、彼らの提案する「置換プラス限定的な遺伝子流動」モデルを裏付けるには、まだ研究が十分とは言えないだろう。とはいえ、古代のDNA配列を解読して得られた概略は、人類のゲノムの流動に関する興味深い考察をもたらすものであり、今後さらに多様なヒトのゲノムを多く得ることができれば、仮説は検証できるものと言える。

Pääboを中心とするグループは以前、同じ指の断片から回収されたミトコンドリアゲノムDNA(mtDNA)に関して、現生人類から深く分岐した新しい系統の人類であるという研究成果8Natureに発表しており、今回の研究成果1はその続報である。彼らは今回、この骨の核ゲノム配列を約2倍のカバー率で解読した。それは、ゲノム上のある塩基をカバーするDNA断片が平均して2つあり、それらから解読配列を得たということである。研究チームは、このDNA断片について、現生人類ゲノムから得た低いカバー率(1~5倍)のデータ12セット、およびネアンデルタール人ゲノム6から得たカバー率1.5倍のデータと比較した。

核DNAは、遺伝子流動の分析に適しているが、それは遺伝情報の大多数を含むためだけではない。遺伝子組み換えが生じているので、現代と古代の遺伝的な関係を比較するための半独立的な差異を収集できるポイントが、数万か所も得られるからなのだ。洞穴で見つかった古代の骨から得られた情報は、まるで、プラトンの比喩でいう「洞窟に映し出される影」のようである。我々の前に現れた祖先の移動の概略は、「影」のように、真実と言うにはまだ不十分なものであるが、人類の起源に関する我々の理解を深めるのに役立つはずだ。

この分析結果からわかったストーリーは、非常に興味深いものだった。デニソワ人は、遺伝学的にはきわめてネアンデルタール人に近いが、かといって同一集団から採取したといえるほど近くはないらしい。ゲノム分析によると、両者が現生人類の試料と形成するクラスターよりも、両者どうしが形成するクラスターの方がわずかに多かった。これは、デニソワ人とネアンデルタール人が姉妹分類群であることを示している。またデニソワ人の試料は、現生人類の中ではアフリカのヨルバ族、ムブティ族、およびサン族よりも、現代の欧州や東アジアの人と形成するクラスターのほうがわずかに多かった(約1~3%)。もしデニソワ人とネアンデルタール人が近縁の姉妹分類群であるならば、この結果は、ネアンデルタール人集団から現代のユーラシア人への遺伝子流動に関する報告6とも整合している。

しかし何より予想外だったのは、デニソワ人の試料が、欧州やアジアの人を通り越して、現代のメラネシア島民と特別な遺伝的類縁関係を持つとみられることだ。オセアニアのパプアニューギニアに初めて現生人類が現れたのが高々4万5000年ほど前にすぎない9,10ことから、デニソワ人の移動はかなり複雑なものだったと予想される。

古代の分子的多様性に関する研究には、落とし穴がつきものだ。分子から得られる情報は全体のシルエットでしかなく、目に見えないもっと複雑な事実が潜んでいることがある。Reich、Pääboらの研究チーム1は、データにバイアスをかけると考えられる多くの要素を排除するため、論文の補足情報として、汚染の可能性、古代の研究材料の取り扱い方、ゲノム間のカバー深度の差などについても詳細を明示している。

こうした問題の多くは確かに排除されているが、技術的な障害は残されている。シーケンシング技術とDNAの保存は、古代ゲノムのクラスター分析の統計の解釈に影響する可能性がある。例えば、ユーラシア人とネアンデルタール人に共通な派生対立遺伝子(対立遺伝子に変異が生じ、新しく派生したもの)のほうが、ユーラシア人とデニソワ人に共通な派生対立遺伝子よりも多いという知見は、シーケンシング技術の違いによる可能性もあるのだ。しかし、古代ゲノムと現代ゲノムの比較は同時並行で処理されている。よって、デニソワ人と現代のメラネシア人、そしてデニソワ人とネアンデルタール人が特別に共有する対立遺伝子に関する構図は揺るがないと考えられる。

こうした古代のDNA配列を解読する技術が最も威力を発揮するのは、おそらく仮説を立てる段階だろう。例えば、デニソワ人やネアンデルタール人のDNAから得られた情報は、配列未解読の現生人類のゲノムに存在する遺伝学的変異のパターンについて、それがどういった由来なのか明確に予測するのに役立つと思われる。具体的には、メラネシア人のゲノムと絶滅した他のホモ属集団のゲノムの間で対立遺伝子が5~7%多く共有されているならば、現在メラネシアに住む個人の配列を解読することで、メラネシア住民の一部できわめて異質なゲノム領域が発見できるかもしれない。もしそのゲノムがアフリカ人由来のものでないならば、古代の集団から受け継がれている領域の可能性がある。

ヒトゲノムの変異に関する研究の活用法を、医学的関心の領域だけにとどめていてはいけない。古代、現代を問わず、多様なヒトゲノムを扱う研究は、今回の研究成果1が示すように、人類共通の起源と歴史を解明する最も強力なツールとして利用できるからだ。もちろん、この研究を成功させるためには、祖先の大移動の痕跡をゲノムに有すると思われる多様な人々(隔離された人類集団も含む)に対して、共同体のレベルでも個人のレベルでも協力要請が不可欠である。古代人と現代人のDNAを古人類学的な記録と合わせて分析することで、我々人類の誕生の謎はさらに明らかになり、洞穴で見つかった「影」の真実の姿に近づくことができるだろう。

翻訳:小林盛方

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 3

DOI: 10.1038/ndigest.2011.110328

原文

Shadows of early migrations
  • Nature (2010-12-23) | DOI: 10.1038/4681044a
  • Carlos D. Bustamante & Brenna M. Henn
  • Carlos D. BustamanteとBrenna M. Henn、スタンフォード大学医学系大学院遺伝学科(米国)。

参考文献

  1. Reich, D. et al. Nature 468, 1053–1060 (2010).
  2. Cann, R., Stoneking, M. & Wilson, A. Nature 325, 31–36 (1987).
  3. Ramachandran, S. et al. Proc. Natl Acad. Sci. USA 102, 15942–15947 (2005).
  4. Underhill, P. et al. Ann. Hum. Genet. 65, 43–62 (2001).
  5. Klein, R. The Human Career 3rd edn (Univ. Chicago Press, 2009).
  6. Green, R. E. et al. Science 328, 710–722 (2010).
  7. Wolpoff, M., Hawks, J. & Caspari, R. Am. J. Phys. Anthropol. 112, 129–136 (2000).
  8. Krause, J. et al. Nature 464, 894–897 (2010).
  9. O’Connell, J. & Allen, J. J. Archaeol. Sci. 31, 835–853 (2004).
  10. Summerhayes, G. et al. Science 330, 78–81 (2010).
  11. Cavalli-Sforza, L. & Feldman, M. Nature Genet. 33, 266–275 (2003).