Editorial

曲がり角に立つシンガポールの科学

がん遺伝学者夫妻のNeal CopelandとNancy Jenkinsが、米国メリーランド州ベセスダの国立癌研究所からシンガポールの分子・細胞生物学研究所に移ったのは2006年のことだった。ここにはすでに、スター研究者が多数集まっており、シンガポールの旺盛な研究投資が成果を挙げていることを示していた。21世紀に入ってほぼ10年、多額の資金がシンガポールの科学研究に流れ込み、それを追いかけるように世界中から研究者が集まった。国際的な存在感も急速に高まり、例えばシンガポールゲノム研究所は、世界で最も重要なゲノミクスの基礎研究機関の1つであることを誇るようになった。

特に恵まれていたのは、研究投資に見返り条件が比較的少なかったことだ。研究者は好奇心に従って研究する自由を望み、最高レベルの研究者を集めるには、管理を緩める必要があることに政府は気付いていた。その結果、シンガポールにおける生物医学の研究インフラは、次なる発展段階、すなわち、有望な若手研究者や博士研究員が、定評ある科学研究と知的興奮のためにシンガポールを就職先に選ぶという段階に進み始めたように思われる。

このシンガポールの挑戦について、海外の多くの関係者は、うますぎて信じられない話ととらえてきたが、もしかすると、本当に出来過ぎた話だったのかもしれない。世界中で研究コミュニティーに対する経済的圧力が増し、政策立案者が投資に対する見返りを求めるようになり、シンガポールも例外ではなくなったのだ。

実際、1年前から科学予算縮減のうわさが広がっていたが、2010年9月、科学研究予算総額の約3分の1を「産業連携基金」という競争的資金に移行する政策が突如発表され、研究者は衝撃を受けた。この助成金を得るには、研究が工業的に応用できることを明らかにしなければならないのだ。新政策はすべての研究に適用されるが、政府高官が十分な成果を挙げていないと感じている生物医学を特に狙い撃ちにしている。

ただし、シンガポールの科学者のために声を上げる必要はないし、彼らも同情を期待していない。ぜいたくをしてきたシンガポールの科学者だが、自らの力量を証明できれば、これからも高給を維持できるだろう。それに、助成金申請書を書くことは、奴隷になり下がることではない。世界のほとんどの研究者にとって当たり前の話なのだ。問題は、政策変更自体にあるのではなく、その実施方法にある。

シンガポールの科学者は11月の告示を受けて、応用を指向する研究提案書の作成に急きょ取り組んだ。企業との研究契約があれば有利なのだが、世界の製薬業界が不安定な状態にある今、そのような契約を得るのは容易ではない。多くの提案書には「提携先企業は未定」という注記が付されることとなる。それに、わずか数週間から数か月で企業との契約を決めようとすれば、不利な契約内容を強いられるおそれがあることを科学者は心配する。

もう1つ、研究者が懸念しているのは、研究助成金申請書の審査方法を政府が明らかにしていない点だ。これまでシンガポールでは、外部の審査委員会を用いて、政府関連研究機関の監査を行ってきた。しかし、個別の助成金審査を適正に行おうとすれば、こうした監査とは異なる労働集約度の高い手続きをとらねばならない。

いずれにせよ、CopelandとJenkinsは、今回の政策転換に失望し、シンガポールを離れることを決断した。ほかにも多くの科学者が新たな勤務先を探している。

シンガポール政府は、迅速に対応して、助成金申請の審査過程を明確にすべきだ。また、工業的応用という制約条件を緩和すれば、短期的に科学者を助けることになる。さらに根本的に重要なことは、研究助成金制度の改革を一度に行うのではなく、今後数年間で段階的に実施することだ。

シンガポールが急速に変化を遂げたのは、過大ともいえる高額な研究予算の支出があったからだ。今回のような科学研究の目標を経済的現実に合わせようとする動きは理解できる。しかし、十分な計画もせずに拙速に実施すれば莫大な浪費となり、シンガポールの輝ける実験は台無しになってしまう。

翻訳:菊川要

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 3

DOI: 10.1038/ndigest.2011.110332

原文

Singapore's salad days are over
  • Nature (2010-12-09) | DOI: 10.1038/468731a