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新・細菌論

Jillian Banfieldの研究対象はどれも、地獄のような穴の中に棲んでいる。2010年9月、彼女は米国カリフォルニア州アイアン山にあるリッチモンド鉱山の、暗く暑くて硫黄の匂いのする坑道にいた。そこでは、青い鍾乳石から、これまで見つかった中で最も酸性度の高いpH −3.6という水が滲み出ていた。その1年ほど前、彼女は、コロラド州ライフルにある閉鎖された核処理施設の下から、ウランやヒ素、モリブデンなどの金属が含まれた有毒な「スープ」を汲み上げていた。彼女はどちらの場所からも試料を採取して、カリフォルニア大学バークレー校(米国)の研究室へ持ち帰り、試料に含まれるDNAの塩基配列を解読して分析した。どんな細菌や古細菌、ウイルス、菌類が、そうしたひどい極限環境を棲み家とし、どうやってそこで生き延びているのかを解明しようとしたのだ。

そして、今から1年ほど前、Banfieldは4つあった調査地にさらに1か所を追加した。その新しい調査地とは、シカゴ大学(米国イリノイ州)の新生児集中治療処置室にいる体重1.5キログラム以下の未熟児のお腹の中の、鉛筆ほどの細さの腸だ。Banfieldはそれまで人体内の微生物を扱ったことはなかったが、リッチモンド鉱山の微生物群集に関する研究が評判となり、2人の医学研究者が彼女に注目したのだ。

1人は、当時シカゴ大学にいた新生児外科医で、現在ピッツバーグ大学(米国ペンシルベニア州)にいるMichael Morowitz。彼は、未熟児の内臓が傷害され死亡することもある壊死性腸炎を研究していた。もう1人はスタンフォード大学(米国カリフォルニア州)のDavid Relmanで、現在急成長中のヒト微生物叢研究という分野の先導者の1人である。ヒト微生物叢とは、ヒトの体内や体表に常在する膨大な微生物の集合体のことである。2人はBanfieldに、人体という未開拓の場所にいる微生物群を解明するのに手を貸して欲しいと頼んだ。

Banfieldはこれを引き受け、3人は共同研究に取りかかった。彼らは現在、Banfieldの研究手法をヒトの腸に応用して、識別しにくい微生物の種や菌株が壊死性腸炎と相関するかどうか、この腸炎を促進する可能性があるかどうかを解明するため、微生物の遺伝子の塩基配列を解読し詳細に解析しているところだ。同様の共同研究は、現在ほかでも進められており、ヒトの腸や皮膚、口腔その他の体表面にある微生物叢を調べる研究者と、Banfieldのような、土壌や海水、毒性廃棄物処理場といった極限環境の微生物の世界を研究して実績を挙げた微生物生態学者とが手を結んでいる。

ヒト微生物叢の研究者は手助けを必要としている。Relmanやほかの多くの研究者がこの5年間に行った研究で、ヒト微生物叢の遺伝子カタログ(微生物の種類と場所の一覧)の作成という目標に向かって大きく前進したが、予想外の圧倒的な複雑さも明らかになった。ヒト1人の体内や体表に棲み着いている何百もの微生物種は相互作用し、共進化を遂げており、各個人の抱える微生物集団どうしでは種の重なり合いががっかりするほど少ないため、微生物と健康の関連性の解明はこれまで考えられていたよりもずっと難しそうである。

研究者らは、人体に常在する微生物が免疫機能や栄養摂取、薬剤代謝、あるいは肥満やがん、自閉症、多発性硬化症といった多様な病態に、どんな役割を果たしているかを知りたがっている。しかし、それを知るには、膨大な量の遺伝子塩基配列を選り分けて、叢内にどんな微生物がいるのか、1日もしくは一生の間、あるいは食事の変化後にどのように変化するのか、特定の微生物種、微生物種どうしの組み合わせ、もしくは微生物の代謝産物によって、どの機能が発揮されるのかを明らかにする必要がある(下コラム「超個体を探る」を参照)。

微生物生態学者らは、専門知識や生体情報学の手法をいくつか提供し、大量のデータに埋もれた情報を引き出すのを助けている。また、ヒト微生物学の分野に、コロニー形成や遷移、変化からの復元力、群集内の微生物どうしの競争や協力といった、生態学の基本概念も持ち込みつつある。「この分野に足を踏み入れるなら、生態学を考慮せざるを得ません」と、腸内微生物学のリーダーの1人であるワシントン大学(米国ミズーリ州セントルイス)のJeff Gordonは言う。その代わり、ヒト微生物学の専門家らは、資金提供や一般市民の関心を引き寄せるという、生態学者らにはなかなかできない役どころを果たしている。「環境微生物学と医学微生物学との間にあった壁が、崩れつつあるのです」とGordonは話す。

圧倒的な数の微生物

赤ちゃんが生まれて最初に微生物にさらされるのは出産のときである。赤ちゃんは無菌状態の子宮から押し出されて膣内をくぐり抜け外に出るが、このとき母体の膣液や排泄物が体に塗り付けられる。それ以降、人体は常に微生物の襲来を受け続けることになる。皮膚や眼、肺、消化管など外界にさらされる器官にはすべて、新しい細菌やウイルス、菌類が定着する。しかし、10年前までは、歴史的、文化的、技術的な問題に阻まれて、これらの微生物を全部まとめて調べることはできなかった。19世紀後半にロベルト・コッホが疾患の細菌病因論(germ theory of disease)を推し進めて以来、臨床微生物者らはサルモネラやエボラウイルス、ペスト菌など体外由来の病原体に執着し、それらを同定して単離・培養し、疾患との因果関係を明らかにしてきた。その一方で、体内や体表に常在する微生物は、ヒトの健康にはあまり重要でないものとして片付けられることが多かったのだ。

しかし、微生物生態学者らの目の付けどころは違っていた。コッホが炭疽菌や結核菌を初めて純粋培養したころ、環境微生物学ではようやく、「平板培養での細胞計測数の異常」という現象が認識され始めた。例えば池の水1滴の試料を分析したとき、それを顕微鏡で見ると微生物細胞が膨大な数あるのに、同じ試料を平らな培地で培養して増殖させると細胞数が非常に少なくなるという、劇的な違いが観察されたのである。自然の生態系をそっくりそのまま研究することに熱心だった当時の研究者らは、これらの培養不可能な微生物の正体をすべて突き止めることに力を注いだ。

1985年、ある微生物学者チームが、試料中の細菌や古細菌の菌体数を調べることのできる方法を発表した。これは、すべての種で異なる16SリボソームRNAの塩基配列を調べることで、1つの試料内の細菌や古細菌の菌体数を調べることができる方法である1。この種の遺伝学的解析法は、すぐに環境生物学の分野で当たり前に使われるようになった。Banfieldは、アイアン山で酸性鉱山排水の研究を始めて間もない1995年に、この解析法を使い始めた。

臨床微生物学者がこうした解析法に注目するまでには、さらに時間がかかった。1999年にRelmanは、ヒトの体内や体表にいる微生物のそうした調査として最初期の研究結果を発表し、健康な男性の歯からこすり取った歯垢の16Sリボソーム調査結果を、培養皿で増殖させたものと比較した2。その結果、培養に基づく方法では大部分の微生物種が見逃されてしまい、その多くはまだ一度も解析されていないことがわかった。

それから数年の時間と、こうした解析手法によって、ヒト微生物叢の全体像は、大量かつ広く存在していて不可欠なものという、従来よりはるかに高度で複雑な姿で描かれるようになった。食物からエネルギーや栄養素を取り入れたり、必須アミノ酸を合成したり、肌を保湿したり、免疫系の発達に不可欠な役割を果たしたりしていることがわかってきたのである。「ヒト微生物叢は、宿主のヒトが持っていない調理器具一式を台所に用意しているようなものです」とGordonは話す。この全体像を表すものとして、昨今よく言われる言葉が「超個体(superorganism)」である。これは、ヒトとそのパートナーの微生物たちが、それぞれお互いにサービスを提供して共進化してきたと考えるものだ。(Gordonは、文化人類学者も1人雇っている。この学者は、ヒトが超個体の膨大な数の細胞のうち99%が微生物であることを知ったとき、自己イメージがどう変わるかを調べている。)

「ヒトが1個の生物体としてどのように機能しているのかを真に理解するには、ヒト微生物叢全体を含める必要があることを実感します」と、米国立衛生研究所(米国メリーランド州ベセスダ)でプロジェクト責任者を務めるLita Proctorは話す。同研究所は、2007年後半に、5か年計画で予算1億1500万ドル(約95億円)のヒトマイクロバイオーム計画(HMP)を立ち上げた。この計画は、人体に常在する微生物の総体(マイクロバイオーム)のかなりの部分の塩基配列を解読するために立てられた。世界中で同様の目標をめざして作られた計画の1つであり、国際ヒトマイクロバイオーム・コンソーシアムの傘下に入っている。

2010年3月、主要なヒトマイクロバイオーム研究組織の1つである「メタHIT」(欧州連合と中国を含む)が、124人の糞便から取り出した微生物ゲノムのカタログを発表したが、そのヒト集団全体を通じてよく見られる微生物が1000種以上、また、330万種類の微生物遺伝子(ヒト遺伝子の数の150倍)が見つかった3。その数か月後、HMPの研究チームが、人体のさまざまな部分から得た178の微生物ゲノムの塩基配列解読と解析を完了し、タンパク質をコードする遺伝子が3万種類以上見つかった4。「我々が今話題にしているものは、ヒトゲノムの100倍の大きさがあります。我々は今のところそれを理解しておらず、しかも我々の健康や生命力と密接に結びついているのです」とProctorは話す。

異例の容疑者

RelmanがBanfieldの研究をよく知るようになったのは2000年の初めだ。そのとき彼女はすでに、酸性鉱山排水に棲む微生物群集の動的構造や代謝過程の研究者として認められていた。Banfieldのチームは、微生物の大量のDNA塩基配列断片から、その持ち主である微生物の種や菌株を知るための手法を開発した。これに対して、16Sリボソームを使った手法や、大半の自動生体情報解析法では、近縁の菌株どうしの違いを明らかにしたり、わずかな遺伝子再編を見つけたりするのが難しい。

Banfieldのチームはまず、十数種の主な微生物に由来するDNA断片から完全なゲノムを組み立て、その後、きめの細かい解析に取り組んだ。つまり、主要な種の近縁な菌株を見つけるられるほどにはきれいに並んでいないDNA断片の箇所を、手動で調べたり、多数派の種と少数派の種の身元や代謝、機能を探り出すためのソフトウェアを開発したりした。これは、微生物群集の構成種が時間経過につれてどう機能し変化するかを細かく調べるのに役立った5。また、遺伝子の分布からは、微生物群集が行っていた生物地球化学的な過程も明らかになった。

Relmanは、人体のマイクロバイオームもこれと同程度に詳しく解析したいと考えた。「この手法がほんとうに重要なものかどうかを調べるのに、このテーマが合理的で素直な選択だったからです」と彼は話す。だが、Banfieldのやり方は、ごく単純な群集を分析するのに使われていたものだ。極端な環境のリッチモンド鉱山で繁殖できる微生物は数種程度にすぎず、最も優勢な種が群集内の細胞の約40%を占めている。しかし、成人の腸には普通、数百もの微生物菌株もしくは種が含まれ、最も数の多い種でも全細胞の約4%しかいない。「彼女の解析システムは簡単で、この種の解析をするには十分ですが、人体は鉱山とはまるで違っているように思われました。人体の微生物群は少なくとも1桁は多かったからです」とRelmanは言う。

その後、2009年1月にMorowitzが加わった。「彼はある日、突然電話をかけて」きて、壊死性腸炎について話したのだとBanfieldは回想する。「彼は、この恐ろしい病気について本気で心配していました。私自身は彼のひたむきな姿勢に惹かれたようなもので、何かお役に立てればと思ったのです」。壊死性腸炎は、極低出生体重の未熟児の約7%がかかるが、腹部の異常な膨らみや血まみれの便といった症状が本格的に現れるまで、この疾患だと診断できず、治療も始められない場合が多い。重症の場合、腸の一部または全部を外科的に切除しなければならず、多くは死亡する。医学界では原因となる病原体を何十年にもわたって探してきたが、成果は得られていない。「私は、病因となる決定的な証拠を見つける方向に進んでいないのでは、と疑念を持ちました。そこで、この問題を調べる別の方法を探しまわっていたところだったのです」とMorowitzは言う。「私は、生物群集全体をひとまとめにして解析していた研究者に関心を向けるようになりました。そんな経緯で、Jillの論文を読むに至ったのです」。

BanfieldとMorowitz、Relmanは、Banfieldの手法を試すには人体が完璧な実験場になりそうだと気付いた。小さい新生児はひとりひとりがわずか十数種の微生物種しか持たず、これは酸性鉱山排水と同程度である。また、新生児集中治療室は滅菌され、環境がしっかり調節されており、その中で研究できる。

3人の研究は、これまでのところ、健康な赤ちゃんに重点を置いたものだ。Morowitzは、赤ちゃんの出生後ほぼ毎日、便を採取し、DNAを単離して塩基配列解読の高速処理センターへ送り、得られた配列データや臨床上の情報をBanfieldとRelmanへ渡している。Relmanは、すべての採取時点での16Sリボソームの塩基配列を解析し、微生物種とその菌体数を測定する。その後Banfieldが、より詳細な塩基配列解読とゲノム解析のために少数の時点を選び、存在する微生物の種、菌株、遺伝子を特定するのである。

2010年の末に発表された、研究チームの最初の成果は、この手法がうまくいくことを示している。彼らは、妊娠28週目で生まれた未熟児の誕生後3週間を調べ、微生物群集が急速に変化していくようすを菌株レベルの詳しさで追跡することができた。例えば、シトロバクター属(Citrobacter)細菌の2菌株の菌体数変化も区別できた。この細菌種はヒト腸内に広く見られ、新生児髄膜炎と関係付けられている。両菌株の塩基配列は99%以上同じである。この研究の最終目的は、特定の菌株や群集構造が壊死性腸炎と相関しているのかどうかを突き止めることだ。それができれば、壊死性腸炎を発症しそうな未熟児を見つけ出すのに役立つだろうし、この腸炎を予防する手がかりを得る助けにもなるだろう。

研究チームはさらに幅広くとらえ、生態学の原理が人体の微生物系にどの程度当てはまるかを探るのに、新生児の腸にみられる単純なモデル群集が役立ってくれるだろうと考えている。「これらの科学的な疑問は、まさに分野を超えたものです」とBanfieldは話し、その一例がコロニー形成だという。つまり、最初にどんな生物が到来し、その群集がどう進化するのかという問題だ(上図参照)。「これは生態学で言うところの遷移です」とBanfieldは言う。「酸性鉱山排水の水たまり表面を見て、そこに最初に来た生物を考えるのと、消化管が無菌状態の新生児とそこにやってくる最初の微生物を考えるのは同じことなのです」。

抗生物質の影響

同チームのほかにも、人体の微生物生態系が、病気の最中や食習慣の変化、抗生物質投与後にどのように順応するかを調べている共同研究グループがある。「人体の微生物群集は、種々の撹乱に応答して絶えず変化している可能性が高い」と、メリーランド大学医学系大学院(米国ボルティモア)の微生物学者Claire Fraser-Liggettは話す。彼女は、カリフォルニア大学バークレー校の土壌微生物学者Janet Janssonとの共同研究で、クローン病と呼ばれる腸疾患と関連したマイクロバイオームを、スウェーデン人の一卵性双生児で調べているところだ。「腸内の微生物群集は、抗生物質による撹乱が起こる前の状態に戻れるくらい回復力があるのでしょうか。この解答を得るために何を測定すべきでしょうか。回復期間中には何が起こっているのでしょうか。これらはすべて、生態学者が数十年前からずっと取り組んできた疑問につながります」。

ヒト微生物叢にはかなりの個人差があることが多くの研究でわかっており、たとえ一卵性双生児でも、程度は少ないにしろ個人差がある。こうした個人差の説明にも生態学の概念が役立つ。生態学的には、冗長性という考え方で適切な説明ができる。この考え方によれば、どの個人の微生物叢も、重要な遺伝子や生物学的機能のコア・セットの提供源となっており、それらをコードする種が何であるかには関係がない6。「地球上のさまざまな場所にある草原を見た場合、そこにはある共通の形態や機能があります。しかし、場所が異なれば、群集を構成する種も全く異なっているのです」とGordonは例を挙げて話す。Gordonらは、多くの個人のマイクロバイオームについて塩基配列解読および解析をもっと詳しく行うことで、それらの中核的機能が何であるかを明らかにできると考えている。一方Relmanは、稀少だが群集内できわめて重要な役割を果たす「キーストーン種」を見つけ出すことに関心を寄せている。彼は現在、スタンフォード大学の同僚で生物工学者のStephen Quakeと、ヒトの腸から採取した単一の微生物細胞のゲノム塩基配列解読を進めている。

しかし、ヒト微生物叢の真の密度、多様性、複雑さは、ほかの微生物群集とは一線を画している。「数十億種類の塩基配列、数万種類のタンパク質や代謝産物など、膨大なデータを得ています。解析処理がとても追いつきません」とJanssonはため息をつく。人体の細胞とそこに棲む微生物たちの間には絶え間ないコミュニケーションがあり、それが全体として複雑さを幾重にも増してしまっている。「複雑さは挑戦しがいのある問題ですが、我々はまだ全くその段階まで行っていません」とRelmanは言う。

「ヒトマイクロバイオーム計画の目標設定については、まだあまりはっきりしません。ヒトゲノム計画の目標は、1人分のヒトゲノムの高品質な概要塩基配列を作成することでした。しかし今回の場合、ヒト微生物叢の複雑さを考えると、いずれ何か終着点が見えてくると考えるほど楽観的ではいられません」とFraser-Liggettは話す。彼女によれば、ヒト微生物叢はあまりにも多様性が高く、「永遠に抜けられないブラックホールのように思えて、資金提供機関は尻込みしてしまう」という。

以上のことを踏まえれば、臨床応用などははるか先の話だ。たとえ研究者が特定の微生物種と疾患の間に十分納得できる関連性を見つけたとしても、何らかの選択性をもって微生物群集を操作し、1つの種を排除したり別のを組み込んだりできる手段はない。抗生物質は、1つの種ではなく複数の微生物種をまとめて殺してしまうことが多く、また、大半の微生物種は培養できないので増殖や移植が不可能である(便の塊をそのまま移植するのに成功した例は少数だが存在する)。特定の微生物種の移植がたとえ可能になったとしても、移植先でその新参の種が生着できる保証はない。

ヒト微生物叢を解明するための枠組みは生態学から提供されつつあるが、一方で、これらを臨床に応用しようとしても、臨床分野では病原体に重点を置く旧来の微生物学がまだ幅を利かせている。そしてこの状態はすぐには変化しそうにない、とMorowitzは言う。「どこかの病院に行って、白衣を着た誰かに近づき、微生物学について尋ねてみましょう。彼らが知っている微生物像のほとんどは、血液検体を培養検査へ出して単離される生物についてのものでしょう」。

自身も研修を受けた臨床医であるRelmanは、この点は理解できると話す。「医師たちは意識が病原体に縛られており、また、臨床現場で対処すべき実際的な問題を抱えています。彼らは微生物像の多様性をこれ以上必要としていないわけです」。しかし、それは変わるべきだとし、彼はこう語った。「1つの疾患に1つの病原体という一面的な見方から脱却しなくてはいけません。微生物の『集団』こそが研究の単位であるべきなのです」。

「超個体」を探る

ヒト微生物叢に関する大きな疑問

ヒト微生物叢はどのくらい安定か?
腸内に微生物個体群の集合体である微生物叢が確立されたあと、それらが年齢や食習慣の変化、活動程度、共同居住者の有無、あるいは抗生物質の投与によってどう変化するかはよくわかっていない。抗生物質シプロフロキサシンを2回投与すると、健康なヒトの腸内微生物叢が大きく損なわれ、完全に元どおりにならないことが明らかになっている7

微生物叢は診断に使えるか?
患者の微生物叢やそれらの代謝産物を解析することで、疾患に直接関連する微生物やさまざまな病態のバイオマーカーが見つかる可能性がある。また、個人の微生物叢に合わせて治療法を調整できるようになるかもしれない。

微生物叢は変化することがあるか?
研究から、食習慣と微生物叢は密接に関係することがわかっているため、適宜調整した食事を取って、最も有益な微生物群集を支援することができるかもしれない。繊維分やビタミンの豊富な特定の食品で特定の微生物増殖を促進させる「プレバイオティクス」は、現在、食品業界の熱い視線を集めている。なお、食品や経口薬の形で微生物を摂取する「プロバイオティクス」はすでに普及しているが、それらが何か有益な作用を持つことを明確に示した証拠は今のところない。

もっと急進的な方法として「便移植」がある。腸内微生物叢が大きく損なわれた患者に、この方法を最後の手段として用いて恩恵をもたらした事例がいくつか報告されている。しかし、ある人には無害な微生物が、別の人では病気を引き起こす可能性もある。病気になったときに自分の腸に微生物叢を再定着させるためには、他人の便を移植するよりも、「自分の骨髄を保存するのと同様に、自分の便を保存しておくのが得策かもしれない」と、スタンフォード大学(米国カリフォルニア州)のDavid Relmanはいう。「ただし、便そのものを増殖させることはできないので、凍らせておいた便を腸に戻すのです」。

微生物叢は行動に影響を与えるか?
自閉症や統合失調症など、行動に影響するいくつかの症状は、消化器の異常と結びつけられており、症状は食習慣とつながっていることが多く報告されている。微生物はさまざまな化合物を生産し、それらが脳の活動に密かに影響を及ぼしている可能性はある。自閉症児の微生物叢の構造が、自閉症でない子どもの構造と異なっていることを示した研究もある8。因果関係は何も実証されていないが、一部の研究者は、微生物叢を解析することで、臨床医がそうした疾患を診断して、症状が出る前に治療し始めることが可能になるのではないかと考えている。

現代生活は微生物叢にどのような影響を及ぼしているか?
特に富裕な先進国では、ヒトが接触して体に定着させた微生物群が、抗生物質のぜいたくな使用や厳しい衛生基準、帝王切開の増加、母乳育児の減少、加工食品の多い食生活のおかげで、劇的に変化してきたと考えられる。「衛生仮説」の1つでは、ヒトが生育する環境が清潔すぎて菌が少ないと、体内の微生物叢が変化して、免疫系の正常な発達を妨げ、アレルギーや喘息、クローン病、および自閉症の発生率上昇につながるおそれがあると主張している。これを「微生物叢仮説」と呼ぶ研究者もいる。その一方で、現代の環境ならではの毒素への対処に役立つように微生物を順応させることも可能になるかもしれない。

微生物叢は科学捜査でも使えるか?
犯人の体液や指紋から採集した微生物叢を解析することで、犯人について情報を得たり追跡したりすることができるかもしれない。これによって、容疑者が何を食べ、どこで暮らし、どれくらい活動的で、特定のペットを飼っているかどうかが明らかにできると考えられる。ただし、時間とともに微生物叢がどの程度変化するか、あるいは、ほかの誰かが同じ箇所を触った後の場合など、注意すべき問題はたくさんある。

L.B.

翻訳:船田晶子

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 3

DOI: 10.1038/ndigest.2011.110316

原文

The new germ theory
  • Nature (2010-11-25) | DOI: 10.1038/468492a
  • Lizzie Buchen
  • Lizzie Buchenは、米国サンフランシスコを活動拠点とするフリーランスのライター。

参考文献

  1. Lane, D. J. et al. Proc. Natl Acad. Sci. USA 82, 6955–6959 (1985).
  2. Kroes, I., Lepp, P. W. & Relman, D. A. Proc. Natl Acad. Sci. USA 96, 14547–14552 (1999).
  3. Qin, J. et al. Nature 464, 59–65 (2010).
  4. The Human Microbiome Jumpstart Reference Strains Consortium. Science 328, 994–999 (2010).
  5. Dick, G. J. et al. Genome Biol. 10, r85 (2009).
  6. Turnbaugh, P. J. et al. Nature 457, 480–484 (2009).
  7. Dethlefsen, L. & Relman, D. A. Proc. Natl Acad. Sci. USA doi:10.1073/ pnas.1000087107 (2010).
  8. Parracho, H. M. R. T., Bingham, M. o., Gibson, G. R. & McCartney, A. L. J. Med. Microbiol. 54, 987–991 (2005).