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ノーベル物理学賞選考が批判の的に

2010年10月、ノーベル賞委員会は、マンチェスター大学(英国)のAndre GeimとKonstantin Novoselovにノーベル物理学賞を授与すると発表した。授賞理由は、「二次元材料グラフェンに関する画期的実験」である。この新物質は、炭素原子の単結晶層で構成されており、タッチスクリーンからトランジスターに至るまで、多くの用途が見込まれている。

ところが、理由も含めこの受賞に関して説明する文書をめぐって論争が巻き起こり、委員会は防戦一方となっている。ただ、委員会は誤りを訂正しようとあわてて対応しながらも、決定の根拠となった過程を擁護している。

ノーベル賞委員会の審議は秘密主義で有名である。それでも、研究者たちは、「Scientific Background(科学的背景)」という文書を参照して、委員会の意図をうかがうことができる。この文書は、ノーベル賞選考にかかわっているスウェーデン王立科学アカデミーのメンバーによって作成され、受賞発表時にオンラインで掲載される。

物理学賞の根拠となる「Scientific Background」には不正確な部分が含まれています、とWalter de Heer氏は話す。 Credit: MALI AZIMA/GEORGIA TECH

だが、この文書に誤った記載と思われる箇所がいくつ見つかり、読んだ研究者たちから疑問の声が上がり、批判にさらされることとなった。「ノーベル賞委員会は入念な下調べをしなかったのです」と、ジョージア工科大学(米国アトランタ)の物理学者Walter de Heerはいう。彼は、2010年11月17日、異議を書き連ねた手紙を委員会に送った。

文書によると、GeimとNovoselovは、広く引用されている2004年の論文1でグラフェン研究を活気付けたという。また、ノーベル賞委員会は、その論文から転載した図を、グラフェンの電子物性を示すデータとして説明している。しかし、それは、実は、グラフェンが数層積み重なったグラファイトという物質のデータであった。グラフェンとグラファイトは電子物性が異なるため、両者を区別することは重要である。

de Heerは手紙の中で、NovoselovとGeimが単層グラフェンの測定について報告したのは2005年になってからである、と述べている2。また、自分たちの研究グループ3の2004年の論文には、単層グラフェンについての測定結果が記載されているとも述べている(残念ながら、当時彼は気づかなかったのだが)。

文書にはほかにも誤りと思われる点がある。コロンビア大学(米国ニューヨーク州)のPhilip Kimの研究が軽視されているのだ。Kimもノーベル賞を受賞すべきであったと考えている人は多い。マンチェスター大学のグループはグラフェンに関する重要な電子測定結果を2005年のNature に発表した4が、その論文に続いて同じ号でKimの研究グループの論文も掲載されているのだ5。「Kimは、グラフェン研究に重要な貢献をしました。私は、彼と賞を分かち合えればよかったと思っています」とGeimはいう。

Nature がコンタクトを取ったGeimをはじめとする専門家たちは、皆、この文書が慎重に作成されたようには思えないと考えている。Geimは論争が起こってからこれを読んだのだが、「もっとうまく書けたのではないか」と話している。

委員会は、「グラフェンは不安定であると考えられていたため、GeimとNovoselovは物理学界に大きなセンセーションを与えた」と述べているが、de Heerは、詭弁にすぎないと委員会を非難している。コーネル大学(米国ニューヨーク州イサカ)のPaul McEuenも、「この表現は正しくありません」とde Heerに同意する。グラフェンの観測6は、少なくとも1962年までさかのぼるのだ。

委員会は、こうした批判に対応しているようである。委員会の委員長であるIngemar Lundströmは、「ウェブ版を修正いたします。一部については、我々も誤りであると考えております」と話している。

de Heerの手紙が公になってから、いく人かのグラフェン研究者たちが、ノーベル賞委員会の文書に反論しようとNatureに連絡を取ってきた。グラフェン製造会社Angstron Materials社(米国オハイオ州デイトン)の共同創設者であるBor Jangは、GeimとNovoselovはしばしば、グラフェンの発見者として間違って評価されていると話す。どうやら、彼らの研究が話題になる少し前、文書中で「グラフェンの発見(the discovery of graphene)」という副題が記載されていたことも影響しているようだ。「この評価には全く同意できません」とJangはいう。

de Heerは、グラフェン関連のノーベル受賞は時期尚早だったのではないかと考えており、グラフェンの潜在能力が十分発揮されるまでもっと時間が必要だと話している。これは決して負け惜しみなどではないと強調する。de Heerが懸念しているのは、こうした誤った記述によって数人の研究者の貢献が正確に伝えられていないことなのだ。

ノーベル賞委員会の補助委員であるチャルマース工科大学(スウェーデン・イェーテボリ)のPer Delsingは、グラフェンが安定と考えられていたかどうか、また2004年の研究が学界にセンセーションを与えたかどうかについて、論争があったことを認めている。しかし、Delsingは、委員会の仕事を擁護している。「いろいろな人がいれば、当然、いろいろな意見が出るでしょう。ノーベル賞委員会はこの件に関して多くの調査を行ってきたと断言できます」と彼は語っている。

翻訳:藤野正美

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 2

DOI: 10.1038/ndigest.2011.110202

原文

Nobel document triggers debate
  • Nature (2010-11-25) | DOI: 10.1038/468486a
  • Eugenie Samuel Reich

参考文献

  1. Novoselov, K. S. et al. Science 306, 666–669 (2004).
  2. Novoselov, K. S. et al. Proc. Natl Acad. Sci. USA 102, 10451–10453 (2005).
  3. Berger, C. et al. J. Phys. Chem. B 108, 19912–19916 (2004).
  4. Novoselov, K. S. et al. Nature 438, 197–200 (2005).
  5. Zhang, Y. et al. Nature 438, 201–204 (2005).
  6. Boehm, H. P. et al. Zeitschrift für Naturforschung B 17, 150 (1962).