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フランシス・クリックの手紙(中)

Credit: COLD SPRING HARBOR LABORATORY ARCHIVES

51番写真は、DNAがらせん構造をとっていることを示していた。 Credit: NATURE

1953年1月28日、カリフォルニア工科大学のライナス・ポーリングからキャヴェンディッシュ研究所に、DNAの三重らせんモデルに関する原稿が送られてきた。もちろん、間違ったモデルである。2日後の1月30日、ワトソンはこの原稿を見せるために、キングスカレッジのウィルキンズとフランクリンのもとを訪れた。そして、「ロージー(Rosy)」と悪名高き口論をし1、ウィルキンズからは運命の「51番写真」を見せられた。それこそ、フランクリンが撮影したB型DNAのX線回折写真で、DNAが二重らせん構造であることを明確に示していた。この写真が撮影されたのは何か月も前の1952年5月だったが、フランクリンがロンドン大学バークベックカレッジに移ることになったため、その指導を受けている大学院生のレイモンド・ゴズリングが、最近になってウィルキンズに渡してきたのだ。

一方、ポーリングが送ってきた原稿を見て、彼が「生物学の真の大問題」の1つを解いてしまうかもしれないという現実に直面したブラッグは、ワトソンとクリックにモデル作成の再開を許可した。ポーリングは、2年前にもタンパク質の構造モチーフであるαへリックスとβシートの発見という大きな成功をおさめており、ブラッグはその競争に負けた痛手から完全には立ち直っていなかったのだ。

これらの一連の出来事には、予兆があった。それは、ウィルキンズがクリックに送った手書きの書簡だった。日付は「金曜日」としか書かれていないが、おそらく1953年1月23日である。手紙には、1月28日にフランクリンがキングスカレッジで行う最後の討論会について書かれていた。彼女は、バークベックカレッジのJ. D.バーナルのグループに移る前に、これまでの研究データをまとめてウィルキンズに渡すことになっていた。ワトソンとクリックは当然、この討論会に参加したがっていた。手紙では、ウィルキンズが、彼らの参加を許可できない理由を必死になって説明している。

こちらでも、フランクリンの言い分をめぐって、ばかげた混乱が起きています。私は、このセミナーを聞けるのは内部の人間だけだと、強く念を押されました。同じ研究室で仕事をしてきた同僚との間の討論会だというのです。その後、この討論会について多くの警告が回ってきたので、おそらく全員が個別に念を押されたのでしょう。……ジムにもいいましたが、あくまでも内輪での討論会と主張している以上、外部の皆さんにはご遠慮いただくしかないと思います。誰でも参加できるようにするか、内部の人間だけが参加できるようにするか、どちらかでなければならないのです。後日、もう少し雲行きがよくなりましたら、話し合いましょう。間もなく、魔法の煙が晴れて視界が開けてくるはずですから。

この「魔法」についてのくだりは、フランクリンが間もなくキングスカレッジから出ていくことを意味しており、彼女につけられた有名なあだ名(訳注:「ダークレディ」)と重なるところがある。そして、DNAの構造の探究が最終局面を迎えようとしているこの時期になってもなお、手紙の追伸には、キングスカレッジの重苦しい雰囲気とコミュニケーションの欠如が皮肉たっぷりに書かれている。

追伸 ジムから「彼女と最後に話したのはいつだった?」という質問を受けたのですが、今朝と伝えておいてください。今日これまでの会話は、私が話しかけた朝の挨拶一言がすべてです。

この章の最後に、化学者ジョン・グリフィスからクリックへの手紙について少し触れる。1953年3月2日付の手書きの書簡には、クリックからの依頼で行った塩基間のスタッキング相互作用に関する2回目の計算について報告されている(クリックが1回目の計算を依頼したのは1952年のことだった)。グリフィスは、アデニン塩基はウラシルをはじいてしまい、「がっかりした」と書いている。ウラシルはRNAだけに見られる塩基である。もしかすると、クリックは既にDNAを鋳型にしてRNAを作る方法について考えていたのかもしれない。

1953年3月:論文発表に至るまで

Nature 1953年4月25日号には、DNAの構造に関する論文が3本掲載されている。そのうちの1本はワトソンとクリックの論文で、二重らせんモデルを提案している。残りの2本はキングスカレッジのグループの論文で、二重らせんモデルを裏付けるX線回折データを、ウィルキンズとフランクリンが別々に示している。今回見つかった書簡のうち4通は、彼らがこのような形で研究成果を発表することに決めた経緯を垣間見ることができ、注目に値する。

ワトソンとクリックは、二重らせんモデルを完成させると即座に論文を書き、3月17日、ウィルキンズにその写しを送った。新発見の4通の手紙のうち、クリック手書きの2通(1枚の紙の表と裏にそれぞれしたためている)からは、論文発表までの最初の状況がよくわかる。まずは、彼らがウィルキンズに送った原稿に同封した手紙の草稿から。

親愛なるモーリス

我々の論文の草稿を同封します。ブラッグにも見せていません。だから、どうかあなたも、ほかの誰にも見せないでください。今この段階であなたに草稿をお送りするのは、次の2つの点であなたの承認が必要なためです。

a) 参照文献8にあなたの未発表の研究を載せること

b)謝辞

この2点について書き直してほしいと思われる場合には、どうぞご連絡ください。もし、1、2日以内にご連絡がなければ、異論はないものと考えさせていただきます。

ジムはパリに行きました。おめでたいやつです。 敬具

明らかに、ワトソンとクリックはできるだけ早くNatureに論文を投稿したがっていて、ウィルキンズやフランクリンはこの段階で何か発表しようとしているとは思っていなかった。ウィルキンズは、ワトソンとクリックの新しいモデルを見るために3月13日にケンブリッジを訪れたが、論文を共著にしようという彼らの申し入れは断っている(この日付はウィルキンズ2、ワトソン1、ロバート・オルビー4,6の説明とは一致しているが、ホレス・ジャドソンの説明5とは異なっている)。

同じ紙の裏面は、Natureの編集長A. J. V. ゲイルへの手紙の下書きだ。当時のNatureには、物理系の投稿を扱うゲイルと生物系の投稿を扱う「ジャック」ことL. J. F. ブリンブルという2人の編集長がいた。クリックがブリンブルではなくゲイルに手紙を書いたのは、キャヴェンディッシュ研究所がゲイルのほうと関係が深かったからかもしれない。

親愛なるゲイル

Natureは先日、ポーリングとコーリーの核酸についての短い論文を掲載しました。同じ問題に関する我々の論文も掲載していただけたらと思い、『A Structure for D.N.A』という論文を同封いたします。

我々はこの論文の草稿をウィルキンズに見せました。その結果、我々が提案する構造を彼らのデータで検証するという形で共著にするよりも、我々が独自に構造を発表した後、彼らが自分たちのデータと照らし合わせて検証したほうがよいということで合意しました。

ブラッグ教授もペルツ教授も既にこの論文を読んでおり、Natureへの投稿を承認してくださいました。この論文を掲載していただけるかどうか、その場合、掲載はいつになるのか、おおまかにでも教えていただければ幸いです。 敬具

J. D. W

フランシス

この下書きは、当時のクリックの状況認識を裏付けるものである。クリックは、二重らせんモデルがNatureに直ちに掲載され、その後、キングスカレッジのデータにより独立に検証されることを期待していた。ワトソンとクリックがこの手紙を実際にゲイルに送った可能性は低い。2週間後にこの論文をNatureに投稿したのは、ブラッグだったと思われるからである。

クリックの期待に反して、ワトソンとクリックの論文の草稿を受け取ったウィルキンズは、翌日、キングスカレッジの2つのグループもNatureに論文を投稿することになっていることを告げる手紙を書いた。それが、「君たちは食わせ者だよ」という書き出しから始まる有名な手紙である4。彼らがその後、3本の論文の表現や内容について打ち合わせをしていたことや、キングスカレッジのブルース・フレイザーという学生が第4の論文をほかのジャーナルで発表する可能性があったことについては、既知の書簡からよく知られている。今回新たに、この時期のウィルキンズからクリックへの手書きの書簡が2通発見され、当時のやりとりがより詳細に明らかになった。

そのうちの1通は日付のない短い手紙で、夕方前にクリックが受け取ることを想定して書かれている。

親愛なるフランシス、

ほとんど訂正してない草稿を同封します。我々の側では、あなたの論文についてどう触れたらいいのでしょう? 提案と○○謝辞(○○は判読不明)は歓迎します。

今晩はかなり遅くなりそうなので、夕食の約束はキャンセルしたほうがよいかもしれません。残念ですが、いまいましい仕事を片づけなければならないので。

ところで、コラーゲンの構造の方は、もう解明できましたか?

最後の言葉はおそらく皮肉だ。クリックは、ランドールが3月27日にロンドンで開催したコラーゲンの構造に関する会合に出席している。彼は、DNAの構造についてキングスカレッジを出し抜いたわずか2週間後に、今度はコラーゲンのデータについて差し出がましい解釈をしてみせ、ランドールの不興をかった6。3月27日という日は論文が発表された日に近いが、ウィルキンズのこのメモは、会合の後で、論文の最終草稿と一緒にクリックに郵送されたか、ロンドンで手渡された(おそらくはこちら)のだろう。

ウィルキンズからクリックへのもう1通の手紙は、日付が「月曜日」としか書かれておらず(おそらく3月23日)、クリックからの長い手紙に対する返信になっている6。クリックはその手紙の中で、フランクリンが近々英国を訪問することになっているポーリングに会いたがるのではないかと心配していた。「彼女がポーリングに実験データを提供しようと考える可能性がないとはいえません。そうなれば、DNAの構造を証明するのは、あなたではなくポーリングになることは確実でしょう」。クリックはまた、Natureに合同で論文を投稿しようとしている以上、全員がお互いの論文の草稿を読んでおくべきだと考えていた。「我々は、ロージー(Rosy)とゴズリングの態度に困惑しています。……すべての関係者がお互いの論文に目を通さずにNatureに合同で投稿するのは合理的ではありません。我々は彼女の論文を見たいと思っていますし、彼女も我々の論文を見たがっているはずです」。さらに、フレイザーが提案した、塩基が内側にくる未発表の三本鎖モデルの扱いにも問題があった。クリックはウィルキンズに、自分とワトソンがフレイザーのモデルにどのように言及すべきか、そして、フレイザーに本当に論文を発表させるつもりなのかを尋ねていた。そして最後に、「我々は現在の状況に当惑しており、ランドールに短い手紙を書いて、水曜日にお会いできないかと提案しました(論文が完成していれば、火曜日にそちらに行けます)」と書いている。

これに対し、ウィルキンズの返信にはいらだちが表れている。

親愛なるフランシス

ロージー(Rosy)と私の論文をそのまま送って、編集者が重複に気付かないように祈るしかなさそうです。私は今回のごたごたに心底うんざりしていて、どうなろうと知ったことではないという気分なのです。

 ロージー(Rosy)がポーリングに会いたいと願うなら、我々に何ができるでしょう? 我々がポーリングとは会わないほうがよいだろうなどといったら、彼女ははりきって彼に会いに行くでしょう。誰もかれも、どうしてポーリングに会いたがるのでしょう……レイモンドも彼に会いたがっているのです! 全くもって、いまいましい。

ウィルキンズは、論文の草稿については以下のように続ける。「明日、ロージー(Rosie)の論文のコピーをあなたに送ります。我々がどうして会合をもつ必要があるのか、わかりません」。彼らが実際に会ったのかどうかは不明である。オルビーは「会合が開かれたのは確実だ」といっているが6、ウィルキンズが乗り気でなかったのは明らかで、ワトソンもそのような会合の記憶はないといっている。

この手紙には追伸がある。「レイモンドとロージー(Rosie)はあなたの論文をもっているので、これで全員が互いにほかのグループの論文を見ることになります」。

フレイザーのモデルについては、ウィルキンズはこう書いている。「ブルースのモデルについてのあなたのコメントは、ちょっと失礼かと思います。どうしてそんなに手厳しい言い方をするのでしょう?」。ワトソンとクリックの論文には、フレイザーのモデルについて、「少々不明確であるため、ここではコメントしない」という、極めて否定的な文章が含まれていたからである。結局、フレイザーのモデルが発表されることはなかった。 (次号へ続く)

翻訳:三枝小夜子

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 2

DOI: 10.1038/ndigest.2011.110212

原文

The Lost Correspondence of Francis Crick
  • Nature (2010-09-29) | DOI: 10.1038/467519a
  • Alexander Gann, Jan Witkowski
  • Alexander Gannは、コールドスプリングハーバー研究所出版会の編集ディレクター。
  • Jan Witkowskiは、コールドスプリングハーバー研究所バンブリー・センター理事。

参考文献

  1. Watson, J. D. The Double Helix: A Personal Account of the Discovery of the Structure of DNA (Norton Critical Editions, ed. Stent, G. S.) (Norton, 1980).
    『二重らせん』 ジェームス・D・ワトソン著 江上不二夫/中村桂子訳 講談社
  2. Wilkins, M. The Third Man of the Double Helix: The Autobiography of Maurice Wilkins (Oxford University Press, 2003).
    『二重らせん 第三の男』 モーリス・ウィルキンズ著長野敬/丸山敬訳 岩波書店
  3. Maddox, B. Rosalind Franklin: The Dark Lady of DNA (HarperCollins, 2002).
    『ダークレディと呼ばれて 二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実』ブレンダ・マドックス著福岡伸一監訳 鹿田昌美訳 化学同人
  4. Olby, R. The Path to the Double Helix: The Discovery of DNA (Univ. Washington Press, 1974). 1
    『二重らせんへの道 分子生物学の成立』 ロバート・オルビー著 長野敬/石館三枝子/木原弘二/道家達将訳 紀伊國屋書店
  5. Judson, H. F. The eighth Day of Creation: Makers of the Revolution in Biology, 25th Anniversary Edition (Cold Spring Harbor Lab. Press, 1996).
    『分子生物学の夜明け 生命の秘密に挑んだ人たち』H・F・ジャドソン著 野田春彦訳 東京化学同人
  6. Olby, R. Francis Crick, Hunter of Life's Secrets (Cold Spring Harbor Lab. press, 2009).