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年中無休、24時間研究中!

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 12 | doi : 10.1038/ndigest.2011.111211

原文:Nature (2011-09-01) | doi: 10.1038/477020a | Work ethic: The 24/7 lab

Heidi Ledford

帰宅は真夜中、週末もラボ。ミーティングは金曜日の夜。こうした生活を送ってこそ、すばらしい研究成果が得られるのだろうか。

7月のある暑い金曜日の深夜、ラジオからはエンリコ・イグレシアスの歌う「Dirty Dancer」が流れていた。26歳の大学院生Sagar Shahは、ちょっと疲れてきたようだった。彼の頭を悩ませているのは、もうすっかり夜中だということでも、細胞培養用の窮屈なクリーンベンチで3時間も作業し続けていることでもない。問題は、稀少なヒト腫瘍細胞を集めて新鮮な培地に浸すという細胞培養おきまりの作業をしているだけで、データが全く得られていないことだ。自分はデータに「飢えて」いるのだとSagarは話す。

Sagarの隣のクリーンベンチでは、22歳の学部生Lyonell Koneが作業をしていた。突然Koneは立ち上がり、顕微鏡に足を向けると、研究室仲間のNathaniel Tippensを脇に押しのけ、彼は自分の培養細胞に目を凝らした。細胞が適正な密度で増殖していることを確かめると、満足した彼は顕微鏡から離れて、細胞培養フラスコをインキュベーター内に注意深く置き、両目をこすって大きく伸びをした。これでこの日の作業は終わりだ。

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LEFT TO RIGHT: JAMES KEGLEY; HEIDI LEDFORD; MAX FRANZ; DAVID PURGER; HEIDI LEDFORD

ここは、真夜中のジョンズホプキンス大学コッホがん研究棟(米国メリーランド州ボルティモア)。この日は7月4日の米国独立記念日を月曜日に控えた金曜日で、夜の清掃人たちも数時間前に帰ってしまった。シンとした廊下には消毒薬の臭いがかすかに漂い、時おり、高圧蒸気滅菌器のピーッという音だけが響き渡っていた。そんな研究棟内で唯一見られる人間活動、それがこの狭い細胞培養クリーンルームで繰り広げられるくたびれた光景だった。しかし、神経外科医Alfredo Quiñones-Hinojosaの研究室のメンバーが研究棟を最後に出るのは、いつものことだ。ボスが、研究室のメンバーに朝の6時に電話したり、夜10時までかかるような研究室ミーティングを金曜の夕方に入れたり、クリスマス休暇中でさえも仕事をするのが当然と思っているような研究室では、連休となる週末でも夜中まで当たり前のように仕事をするのだ。

強烈な研究意識と長時間労働で知られる研究室は多々ある。私(筆者)はそうした研究室のありさまを調べるにあたって、どんな人間がこうした環境に魅力を感じるのか、そこで働くことが現実にはどういうものなのか、そして、長時間労働がより多くの、またはより優れた研究成果につながるのかどうかを知りたいと思った。そこで、非常にハードワークだと評判の11の研究室に取材を申し込んだ。だが、10人の研究リーダーは私の取材を断り、中には自分が「奴隷監督」のように思われるのを恐れるリーダーもいた。

しかし、11人目のQuiñones-Hinojosaはそうしたことを全く気にかけなかった。彼の労働観は今さら説明する必要もないだろう。19歳のときにメキシコから不法入国し、カリフォルニアの農場で働いた後、米国の一流の研究病院の1つで神経外科医になるまでの立志伝は、すでに New England Journal of Medicine にエッセイ1として掲載されたり、テレビや新聞でも取り上げられたりしている。9時から5時までというレギュラーワークでは、現在の地位に上り詰めることはなかったのである。

Quiñones-Hinojosaは、学部生であったカリフォルニア大学バークレー校(米国)時代も、また、その後医学生となったハーバード大学(米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)時代も、研究所で1人遅くまで残って研究していた。彼は、今でも昔を懐かしむ。カリフォルニア大学サンフランシスコ校(米国)でレジデントだったとき、3人の幼い子どもたちは、父親は病院に住んでいると思い込んでいた。実際、当時のQuiñones-Hinojosaの生活は、週に140時間も研究に従事し、ちょっとした合間に10分の仮眠をかろうじて取るというものだった。自分がここまで成功したのは、こうした持ち前の回復力と無限にも見える体力に裏打ちされたプロフェッショナル魂だと、Quiñones-Hinojosa自身、自負している。「他人より一歩先の研究をするには、運動選手が体を鍛えるように脳を鍛えるのです」。Quiñones-Hinojosaの研究グループは過去6年間に113本の論文を発表しており、研究助成金を13件受けている。だが、その理由は、ほかに比べて優秀であるからでも、人脈が広いからでもないのだとQuiñones-Hinojosaは言う。「これは単に量の問題なのです。ポイントは、助成金の交付申請を年に24件も提出していることです。そして我々は、自らの過ちから学習しているのです」。

Alfredo Quiñones-Hinojosaは、長時間労働もいとわない研究員を選りすぐり、研究室のミーティングに患者を招いて研究員のモチベーションを高めている(写真中央、外科手術チームとともに)。 | 拡大する

COURTESY OF ALFREDO QUIÑONES-HINOJOSA

そんなわけで、ハードワークにもマスコミにも抵抗感がなく、医学研究の長時間労働文化にどっぷり浸っているQuiñones-Hinojosaは、私の研究室訪問を歓迎し、「喜んで取材に応じますよ」と言ってくれた。

取材当日の朝、私は午前8時きっかりに到着した。その日の最初の手術を見学するようにQuiñones-Hinojosaから言われていたからだ。それは、部下のレジデントShaan Razaとともに、54歳の女性から下垂体腫瘍を摘出する手術だった。Quiñones-Hinojosaの説明では、手術室は研究棟の増築部分にある。患者の同意を得たうえで、組織検体を集め、それを培養細胞として不死化し、細胞株を作製する。これらの検体は、がん幹細胞が脳腫瘍発生を促す仕組みや、腫瘍細胞が脳内を広がるようすを調べているこの研究グループにとって、研究の「種子」になるものだ。

Quiñones-Hinojosaが前日に就寝したのは午前1時。起床は午前5時だった。手術に向かいながら、彼は研究室への階段を上がるKoneを追い越した。「ロックンロールの準備はできているかい?」Quiñones-Hinojosaはすれ違いざまにそう声をかけた。次に時計に目をやり、いたずらっぽい笑みを浮べた。そして足を止めることなく、肩越しに、「もう10時じゃないか。10時に来て、いったい何をやるんだい?」と言った。

研究棟を出ると、Quiñones-Hinojosaは私を肘でつつき、大声で笑った。「見てごらん、彼は研究室に戻ってみんなにきっとこう言うよ。『朝10時に来たところをドクターQに見つかっちゃったよ!』ってね」。(実際、ドクターQの言ったとおりだった。研究室のメンバーは9時過ぎにはだいたい来ているのだ。)

Quiñones-Hinojosaは社交的かつ魅力的、周囲の人への影響力を持ちながらも、謙虚さを見せることも忘れない。一方でQuiñones-Hinojosaは、研究室で働くメンバーが自分に恐れをなしていることもよくわかっており、それをお構いなくフル活用している。彼がジョンズホプキンス大学の職についてからちょうど2年目の2007年、大学カフェテリアの角を曲がったところで、研究室のメンバーたちがテーブルに座って談笑しているのを目にした。Quiñones-Hinojosaの姿を見た彼らは会話を止め、立ち上がって即座に研究室に戻って行った。

Quiñones-Hinojosaには、研究室のモチベーションを維持するための秘策がもう1つあった。折をみて、がん患者やその家族にミーティングに加わってもらうのだ。患者にとっては、自分の腫瘍に関連する研究について知るチャンスになるし、研究室側にとっては、自分たちの仕事がどんなに緊急で切実なものであるかを再確認する機会となる。Quiñones-Hinojosaは患者から個人的な話を聞き出す。自分ががんであることをどうやって知ったのか。がんであることを知ったとき、どう感じたのか。そして、家族にどんなショックを与えたのか。このように患者に向かい合うことは、臨床訓練を受けていない研究者にとって衝撃的である。「研究者たちの表情を見ればよくわかりますよ」と、研究員のHugo Guerrero-Cázare。「患者さんが『私は余命6か月です』と言うと、みんなほんとうに衝撃を受けるんです」。

公開手術の話に戻ろう。手術室では看護婦や外科医が忙しく動き回り、麻酔で意識のない患者の周囲に器具や装置をセッティングしていた。下垂体腫瘍は、脳に血液を供給する2本の頸動脈(けいどうみゃく)の間に埋まっていることがあり、その場合、腫瘍が大きくなると摘出が非常に難しくなる。通常、下垂体腫瘍はエンドウ豆ほどの大きさだが、この患者ではゴルフボールに近い大きさだ。(Quiñones-Hinojosaの話だと、昨晩はこの手術のことが心配で夜中に目が覚め、2時間かけて手術の全手順をイメージトレーニングしてから仮眠をとったのだという。)Quiñones-HinojosaとRazaは、細心の注意を払って少しずつ腫瘍をかき出した。

手術はどうやら成功したようだ。Quiñones-Hinojosaは患者から離れ、摘出した検体がラベルを貼られて適切に冷蔵保管されていることを確かめた。そして、廊下の先にいる病理学者たちとこの検体をチェックし、目当ての腫瘍組織が含まれていることを確認してから、研究室へ搬送した。こうして、彼の検体コレクションに「872番」が加わった。

ファストフード三昧の日々

研究室では、ランチタイムの頃、内分泌学研究員のNestoras Mathioudakisがクリーンベンチ内でこの採取組織を準備していた。彼は、組織に混入している赤血球を破壊する酵素とともに細胞をインキュベーターに入れると、ダッシュで部屋を出た。昼食の冷凍食品を食べるためだ。Mathioudakisはほとんど冷凍食品ばかり食べて暮らしているが、塩分量が多いので、頭痛を引き起こすのではないかと心配している。冷凍ディナーを5回ほど食べた後、顕微鏡の前に座ったところ、右目のピントがうまく合わないことに気付いたこともある。それでも、冷凍食品は安価で手早く食べられ、研究室を離れずに食事ができる。Mathioudakisは、「今日は忙しくなるから、冷凍食品三昧になるなあ」と予想していた。

だが、Mathioudakisはこの状況を嫌だと思っているわけではない。「この種の研究室に居続けるのは、一部の特別な性格の持ち主だけでしょう」と、Quiñones-Hinojosa研究室に来て4年になるGuerrero-Cázaresは話す。私が取材に訪れた日の前夜、Quiñones-Hinojosaは帰宅途中にメールをチェックしていた。その中に、ロザリンド・フランクリン医科学大学(米国イリノイ州シカゴ)のJoshua Bakhsheshianという医学生から、研究室で働きたいという申し出があった。Quiñones-Hinojosaは、毎日数件、そうした問い合わせを受けるが、この学生には少々興味を持った。そこで、すぐさま「午前6時に連絡を取りたいが、電話番号を教えてほしい」と返信した。時はすでに真夜中だというのに。だが、その1分後には、Bakhsheshianから返信が来たのである。

翌朝午前6時2分、Quiñones-HinojosaはBakhsheshianに電話をかけた。「私は彼のことを思い、かなりキツい言い方をしたんですよ。『君はテレビを見て、私のことをいい人だと思ったのだろうが、うちの研究室に来るということは、とにかく働くということなんだよ。うちの研究室のメンバーは四六時中働いている。クリスマスや新年ですら、休まずここで助成金の申請書類を書いている。研究室のメンバーになれば、君もそうなるんだよ』ってね」と、Quiñones-Hinojosaはその日の午前中、小声で話してくれた。

しかし、「それこそ、私には心地よいことなんです」とBakhsheshianは返事をしたというのだ。後に、Bakhsheshianは、あんなに多忙な外科医からこんなに速く返事がくるとは予想していなかったので、その夜は遅くまでQuiñones-Hinojosa研究室の出版物を必死に調べまくった、と私に話してくれた。(Quiñones-Hinojosaはその後Bakhsheshianに、特別研究員奨学金を獲得できれば研究室に彼の席を用意すると伝えた。)

一方、Quiñones-Hinojosaが選んだ研究員が全員、彼の研究室の猛烈さにうまく適応できるわけではない。メリーランド大学(米国カレッジパーク)の神経外科のレジデントで、神経免疫学のPhDを持つ研究員David Cheslerは、目の下にくまのある顔で、「続かなかった」実験助手の話をしてくれた。また、Guerrero-Cázaresは、金曜夜の研究室ミーティングに顔を出さなくなってしまった同僚の話を詳しくしてくれた。どちらも研究室を辞めてしまったが、Quiñones-Hinojosaによれば、彼は「立つ鳥跡を濁さず」を実践するよう助言し、新しい職を見つけるのを手伝ったという。

とはいえ、研究室がこれほど猛烈なのにもかかわらず順調に動いているのは、仕事ぶりや性格的な特徴を見抜くQuiñones-Hinojosaの眼力が、その理由の1つに挙げられるだろう。マサチューセッツ工科大学スローン経営大学院(米国)で戦略を教える准教授Pierre Azoulayは、長時間労働に慣れていない被雇用者を長時間働かせると、思わぬめんどうを招くことがあると話す。「細心の注意を払って自分たちの基準に合う部下を選ぶようにしないと、おそらく悪影響が現れるでしょう。私は、ほとんどの研究リーダーはこうした慎重な人選をしていないと感じています」。

もう1つ重要なのは、研究者の自主独立性である。Quiñones-Hinojosa研究室の多くのメンバーは、それぞれ自分のプロジェクトを進め、助成金の申請書類を自分で作成している。彼らは自分の研究に、自分自身で執り行っているという自負を持っているのだ。そして、朝6時に病院への通勤中にボスから電話がかかってきても、さほど苦にせずに自分なりのスケジュールを組み立てられるのだという。Shahの話だと、20時間労働も珍しくない。「出退勤のタイムカードなんて考えられないですね。だけど、もし研究室じゃなくてスーパーマーケットで働いていたなら、タイムカードを切って残業代をきちんともらいますけどね」。

そうした自主独立性は、研究者の満足感と生産性を維持するのに欠かせないのだとAzoulayは話す。「科学は厳しい世界です。9時から5時までの仕事を期待する研究者などまずいないと思います。研究者が求めているのは、独立性です。ですから、独立性を侵害する研究リーダーは問題にぶつかって苦労することになるでしょう」。

これまでQuiñones-Hinojosaの研究室はあまり問題が起こらずにすんでいるようだ。しかし果たして、長時間労働と私生活の犠牲は、研究者にとって、また科学にとって、見合った価値があるのだろうか。2004年にウェイン州立大学(米国ミシガン州デトロイト)の社会学者Steven Stackは、学術研究機関で働くPhDを持つ科学者や技術者1万1231人を対象に、米国学術研究会議が集めた調査データを解析して結果を発表した2。それによると、平均的な研究者の労働時間は週に約50時間で、一般に、費やす時間が増えるほどその研究者の発表論文の数も増えていく。

Quiñones-Hinojosaの研究室はそのパターンに当てはまるようだ。彼が2005年に研究室を立ち上げてから発表した論文は113本。大部分はがんの臨床転帰(治療後の経過)に関する小規模でドライな研究(コンピューター解析やデータ分析など)から生まれたものだが、27人が従事するウエットな研究(手を動かして実験する研究)でも、29本を発表している。全体では彼の h 指数(論文数と被引用数の関数で表される研究の生産性の物差し)は27となり、同じ准教授レベルの米国神経外科医の10.7を大きく引き離している3。Quiñones-Hinojosaは、ジョンズホプキンス大学医学部の研究者が教授に昇格するには平均15年かかるという。しかし彼は今年、わずか6年で教授職に推薦された。

ダンディー大学(英国)の生化学者Philip Cohenによると、彼が在任中に指導してきたポスドク70人と学生50人近くのうち、最も成功したのは、研究室に長時間詰め、なおかつ効率よく作業していた者たちだという。Cohenは、研究室の伝統が変化しつつあることを心配している。「誰もが、自分で自分にストレスをかけたり、仕事をしすぎたりしないようにと言います。でも、私は絶対に反対ですね。むしろ、研究をする者が自分を限界まで追いつめなかったら、人生の真の喜びを見つけられずに終わってしまうだろうと心配に思っています」。

しかし、研究時間が多いほど成果も上がるという意見に、誰もが賛成しているわけではない。カリフォルニア大学デービス校(米国)の心理学研究者で、研究の創造性を研究しているDean Simontonは、科学の世界では、論文発表、助成金申請、終身雇用といったプレッシャーが、1つのことに専心する「ストイックな伝統」を作り出してきたのかもしれないと話す。しかし彼によると、創造性の高い研究者は創造性の低い研究者に比べて興味の対象が広く、趣味も幅広いことを示唆する研究結果もあるという。マサチューセッツ工科大学(米国ケンブリッジ)の化学者Stephen Buchwaldは、研究室メンバーに、毎年1か月休暇をとるよう強く勧めており、休暇中は仕事について考えないよう言い渡している。「私はメンバーに考える能力をつけてほしいのです。完全に疲れ果ててしまったら、高い創造性なんて生み出せないでしょう」と彼は言う。Buchwaldのやり方が生産性を損なっているようには見えない。トムソン・ロイター社は、1999~2009年で論文の被引用数の最も多かった化学者の1人にBuchwaldを挙げた。彼の171本の論文の平均被引用数は86を超えていた。

猛烈な研究活動には個人的な犠牲がつきものだが、これを測ることは難しい。「私がいちばん失敗した分野は父親業です」。Quiñones-Hinojosaはあっさりと認めた。今、これを何とか取り戻そうと、子どもたちと過ごす時間を増やしたり、水泳教室の送り迎えをしたりしている(その道すがら研究室メンバーに電話をしてはいるが)。

また、ポスドクのPragathi Achantaは、インドにいる姪の話になると、寂しげな表情になった。Achantaが最後に会ったとき、姪は生後6か月だった。今はもう5歳近いはずだ。これまでAchantaは、休暇中もずっと助成金申請に追われ、帰省する時間も取れなかった。

7月1日金曜日午後8時。定例ミーティングが珍しく早く終わった。Achantaは、幹細胞への放射線治療の効果をモデル化する実験のために、マウス用の外科道具を準備している。彼女は、翌日、コールド・スプリング・ハーバー研究所(米国ニューヨーク州)の授業補佐に出かける前に、朝のうちに手術を手早く終えられるよう準備を整えているのだ。助成金申請の状況が許せば、今年後半にはインドへ帰省して姪の顔を久しぶりに見たいとも思っている。でも、ボスにこの話を切り出すことを考えると緊張する、と彼女は告白した。

だが、Quiñones-Hinojosaは、研究員が休暇を取ることには反対しないと話す。「バカンスは大事だよ。週末は休むようにね」。

(翻訳:船田晶子)

Heide Ledfordは、米国マサチューセッツ州ケンブリッジ在住のNature特派員。

参考文献

  1. Quiñones-Hinojosa, A. N. Engl. J. Med. 357, 529–531 (2007).
  2. Stack, S. Res. Higher Ed. 45, 891–920 (2004).
  3. Lee, J., Kraus, K. L. & Couldwell, W. T. J. Neurosurg. 111, 387–392 (2009).

キーワード

Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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