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超光速ニュートリノが突きつけた難問

有名な科学のジョークがある。ニュートリノがバーに入ってくる。バーテンが「悪いが、うちにニュートリノに飲ませる酒はないよ」と言うと、ニュートリノは「いいさ。通り抜けるだけだから」と答えるというものだ。もしかすると、このジョークは修正しなければならないかもしれない。最初にバーテンが「飲ませる酒はない」と言い、オチとしてニュートリノがバーに入ってくるのだ。

最近、因果律の破綻に関するこうしたジョークがインターネット上で飛び交っている。きっかけは、「スイスのジュネーブ近郊にある欧州原子核研究機構(CERN)で発生させたニュートリノを、730.5km離れたイタリアのラクイラ近郊にあるグランサッソ国立研究所まで飛ばし、その速度を測定したところ、ニュートリノの速度が光速を上回る結果になった」というニュースが伝えられたことだ。

2011年9月22日にOPERA(Oscillation Project with Emulsion-tracking Apparatus)共同実験によってこの結果が発表されると、アインシュタインの特殊相対性理論から始まった100年間の物理学を根底から引っくり返す大発見として、メディアは騒然となった。特殊相対性理論では、運動する物体は決して光速に到達することはできず、光速は因果律などの「現実」の基礎と関連しているとされている。

たいていの物理学者は、OPERAの驚くべき結果の背景には何らかの系統誤差があるのではないかと考えているが、これまでのところ、明らかな系統誤差は見つかっていない。多くの研究者は、OPERA実験の精度の高さを「離れわざ」と評価する。検証実験を行うとみられるフェルミ国立加速器研究所(米国イリノイ州バタビア)のMINOS(Main Injector Neutrino Oscillation Search)実験の共同スポークスマンであるRob Plunkettは、「非常に複雑な実験ですが、彼らは専門家にふさわしい仕事をしました」と言う。

透過性が非常に高く、質量がほとんどないニュートリノは、飛行中に、ある種類から別の種類へと「振動」するという奇妙な振る舞いをする。OPERA実験は、この現象を調べるために2006年に始まったが、その後、従来のどの実験よりも高い精度でニュートリノの速度を測定できるよう改良された。この実験のポイントの1つは、GPSを利用して、ニュートリノのスタート地点とゴール地点の時間基準を確立したところで、まさに先駆的な試みであった。もう1つのポイントは、遅れが生じる原因を特定するため、1対の超高精度セシウム時計を用いて、粒子が実験装置の各ステージを通過する時間を慎重に測定していることだ。

2011年3月、OPERA実験グループは、光が同じ距離を飛ぶ場合よりも60ナノ秒早くニュートリノがゴール地点に到達したことを示唆するデータに衝撃を受けた。OPERA実験の物理学コーディネーターであるリヨン核物理学研究所(IPNL:フランス)のDario Autieroは、「我々は半年間のクロスチェックを経て、この結果を公開することに決めました」と言う。共同実験のメンバーの大半は決定に同意したが、ドイツ電子シンクロトロン研究所(DESY:ハンブルク)の物理学者Caren Hagnerらは、この結果に自分の名前を載せることを辞退した。Hagnerはその理由について、特別な問題があったからではなく、単に、もっと時間をかけて確認したかったからだと言っている。

ニュートリノ研究コミュニティーは、OPERA共同実験チームがarXivサーバーに投稿したプレプリント(http://arxiv.org/abs/1109.4897)とプレゼンテーション(go.nature.com/kl4jah参照)で公表したデータについて、実験結果を説明できそうな誤差の要因を探している。実験の中で、特に慎重に検討されている要素が2つある。1つはGPSを利用した同期システムで、もう1つは、標的との衝突の副産物としてニュートリノを生成する陽子ビームのプロフィールである。実験チームは、CERNの陽子ビームのシグナルの形を、グランサッソで検出したニュートリノのシグナルの形と比較することにより、ニュートリノの飛行時間を決定したからである(下図参照)。

米国のMINOSと日本のT2Kという2つの共同実験チームが、それぞれOPERA実験の結果を検証しようとしている。いずれも現時点ではOPERA実験に匹敵する精度でニュートリノの飛行時間を測定することはできないが、MINOS実験ではすでにアップグレードが予定されている。MINOS実験は、フェルミ研究所からミネソタ州のスーダン鉱山までミュー型ニュートリノのビームを飛ばすもので、その距離はCERNからグランサッソまでの距離にほぼ等しい。

T2K実験は、茨城県東海村の大強度陽子加速器施設(J-PARC)で発生させたニュートリノを295km離れた岐阜県飛騨市のスーパーカミオカンデ検出器まで飛ばすものものだが、3月11日の東日本大震災以来、実験は中断している。T2K実験の科学者たちもまた、OPERAの結果を確認するためにアップグレードを検討していると、共同スポークスマンのChang Kee Jungは言う。

どちらのアップグレードにも1年以上かかるだろう。その間、T2K実験とMINOS実験の研究チームは、自分たちの既存の実験データを見直して、OPERA実験の結果と整合性があるかどうか確認する予定である。Plunkettは、MINOS実験のグループは数か月以内に答えを出すかもしれないと言う。たとえニュートリノの速度が光速を超えていないことがわかったとしても、より精確な計時が可能になれば、長期的には実験を大きく発展させることになる。

翻訳:三枝小夜子

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 12

DOI: 10.1038/ndigest.2011.111218

原文

Speedy neutrinos challenge physicists
  • Nature (2011-09-29) | DOI: 10.1038/477520a
  • Eugenie Samuel Reich