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福島原発事故から半年

2011年7月27日、東京大学アイソトープ総合センター長の児玉龍彦は、衆議院厚生労働委員会に参考人として出席し、福島第一原子力発電所事故に関して自分が知っている事実を話した。彼はよく通る声で、3機の原子炉がメルトダウンを起こしてから数日後に同センターで高い放射線量が検出されたことを、毅然と指摘した。だが、自分が知らされていなかった事実に話が及ぶと、その口調に怒りがにじみ始めた。「今回の福島第一原発事故によりどれだけの量の放射性物質が漏れ出したのか、東京電力からも政府からも、明確な報告が全くないのです!」。彼はそう叫んだ。

この児玉の熱のこもった陳述の模様は、7月末にYouTubeに投稿され、9月下旬には再生回数が60万回を超えた。児玉は、日本政府の批判者として一躍有名になった。しかし、政府の原発事故対応に不満を持つ研究者は児玉だけではない。ある研究者によると、地震と津波がメルトダウンを誘発してから約半年が過ぎた今でも、この危機的状況をしっかり把握するための肝要なデータがまだ不足しているという。さらに、官僚主義と研究資金獲得に時間がかかりすぎることが、データ収集を妨げているのだ。一部の研究者は、もっと協調して取り組まなければ、除染は遅れ、チェルノブイリ以来最悪の原発事故の影響を測定する機会は永久に失われてしまうと警告している。業を煮やした児玉をはじめ、日本人研究者の中には、情報収集と除染のスピードアップのための草の根運動を始めた者もいる。

原発事故の発生以来、東京電力と政府は広く放射線モニタリングを行い、膨大な量のデータを収集しているが、福島の放射性降下物の全体像が明らかになり始めたのはつい最近のことである。文部科学省は、8月30日にようやく、原発から100km圏内の汚染状況を示す地図を発表した。2200か所で測定を行った結果、セシウム137の汚染レベルが1m2当たり1000キロベクレル(kBq)を超えていると思われる地域が、原発から北西方向に約35kmにわたって帯状に伸びていることがわかった。ちなみに、1986年のウクライナ・チェルノブイリ原発事故では、1m2当たり1480kBq以上だった地域は、ソ連当局によって居住禁止区域とされた。日本では、事故直後より原発から半径20km圏内に避難指示が出されていたが、4月中旬、20km圏内は強制力の伴う警戒区域として立ち入りが禁止された。また、20km圏外でも年間の積算放射線量が20ミリシーベルト(mSv)に達する可能性のある区域は、計画的避難区域として避難が求められている。しかし、計画的避難区域は強制避難ではないため、依然として居住している人々がいる。

被曝量の推定

原子力安全・保安院も、原発事故により漏出した放射能の総量の新しい推定値を発表した。推定には、原子炉の損傷に関して明らかになっている測定値を組み合わせたモデルが用いられている。6月に日本政府が国際原子力機関(IAEA)に報告した最新の数字によれば、今回の事故により空気中に漏出したセシウム137の量は、チェルノブイリの事故の17%に当たると考えられる(下図参照)。また、漏出した放射能の総量は、政府の見積もりでは、チェルノブイリの事故の5~6%に当たる7.7×1017Bqとされている。

しかし、ドイツ連邦放射線防護庁の物理学者Gerald Kirchnerは、「回答は明確であったが、それ以上に依然として多くの疑問が残されている」と言う。溶融した炉心の放射線量は非常に高いため、その損傷を直接測定することは不可能だ。おそらく、最大の不確定要素は、事故発生から10日間の停電により測定ができなかった期間に、どれだけの放射能が漏出したかという点である。このデータを当時の気象情報と組み合わせてプルームのモデルを作れば、住民の被曝量について、より正確な予測ができるはずだからだ。

数種類の測定により、一部の避難者の被曝線量が非常に高いことがわかっている。弘前大学の放射線医学研究者の床次眞司らは、3月16日、4月12日、4月25日の3回にわたって、弘前市から福島市まで数百kmを車で走行し、大気中の放射線量を測定した。そのデータから、予想年間被曝量の最大は、福島県浪江町の計画的避難区域である赤宇木小阿久登から避難してきた人々の68mSvと見積もられた(http://dx.doi.org/10.1038/srep00087)。これは、政府が定めた年間被曝量の上限の3倍以上である。だが、床次は、この被曝量ならまだ大丈夫だと言う。また、インペリアル・カレッジ・ロンドン(英国)の放射線医学研究者Gerry Thomasも、福島の原発事故による周辺住民の被曝量は、チェルノブイリの事故での被曝量に比べてはるかに少ないと言う。「個人的には、この被曝量なら健康に影響が出ることはないと思います」とThomas。ただし、「集団の心理的健康には影響が出るかもしれません」と付け加える。

けれども児玉は、日本政府が緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)を使った放射性プルームの拡散予測を早期に発表していたら、浪江町をはじめとする警戒区域内や計画的避難区域の市町村の被曝量をもっと少なくできたはずだと言う。こうした批判に対し、当局は、予測の基礎となる入力データが十分でなかったため、発表を控えたとコメントしている。

ホットスポット

現在環境中に存在する放射能についても、多くの疑問が残っている。サウスカロライナ大学(米国コロンビア)の生態学者で、最近、福島に赴いて環境調査を行ったTimothy Mousseauは、原発の周囲は丘陵が広がっているため、放射性降下物が雨水で洗い流されて特定の地点に集まり、いわゆるホットスポットになっていると言う。また、ウッズホール海洋研究所(米国マサチューセッツ州)の海洋学者Ken Buesselerは、太平洋に面した福島第一原子力発電所は、海に放射性核種を垂れ流し続けていると付け加える。 Buesselerの調査チームは、7月中旬、原発から600km以上離れた海域で低濃度の放射性物質を検出した。陸上と同じように、海洋でも海流が放射性降下物を集めてホットスポットを形成しうるが、海洋生物への影響を推定するのは困難である。

研究者は皆、さらなるデータ収集がどれだけたいへんであるかを語る。床次は、ただでさえ無理を強いられている地元当局は、これ以上仕事が増えることを危惧し、彼らの現地調査の受け入れに消極的だと言う。一方、BuesselerとMousseauは、悪名高い日本の官僚主義が、海外の研究者の調査を困難にしていると言う。研究資金の問題もある。Buesselerは、調査船の航海をやり遂げるため、Gordon and Betty Moore財団から350万ドル(約2億7000万円)の資金提供を受けた。Mousseauも、福島での調査にはバイオ企業の支援を受け、その後はSamuel Freeman公益信託から資金援助を受けている。

一部の日本の研究者は政府の対応の遅さにしびれを切らし、市民と協力してデータを収集し、除染を始めようと動き出している。豊橋技術科学大学のコンピューター科学者、相田慎は、狭い範囲でも場所によって線量が大きく違っていることがあるのに、国が発表した最新の線量地図は粗すぎて地元の人々には役に立たないと指摘する。相田は、「ユーザー参加型センシング」という方法で、より詳細な地図を作成することを提唱している。相田は、ピア・ツー・ピア型被災者支援サイト311Helpを用い、人々に自分の家や畑からサンプルを採取して放射能測定センターへ送ってもらい、その結果を地図上にプロットしていくことを計画している。

一方、児玉は、南相馬市に対してアドバイスを行っている。南相馬市は警戒区域にまたがる海岸の都市で、放射性降下物対策費として9億6000万円を計上しており、9月1日に除染対策室を設置した。その責任者の1人である南相馬市教育委員会の横田美明は、「我々は、最も効率よく、効果的にリスクを低減できる方法を調べることから始めなければなりませんでした」と言う。彼らの最初の仕事は、学校の校庭の表土を削って埋めることだ。住民は、土を埋める前に、セシウムを吸着する性質を持つゼオライトを内側に塗布したビニールシートに土を包んで、セシウムが地下水に染み出さないようにする指導を受けている。

さらに北西に離れた伊達市では、除染活動は学校から近隣の桃畑へと移行しつつある。8月31日には、15人ほどの専門家が、桃の木の根を傷つけないように、畑の表土をスコップや吸引器で除去し始めた。伊達市では、この作業により畑の線量を下げ、来年は桃を市場に出荷したいとしている。

日本政府もようやく重い腰を上げた。2種類の除染モデル事業を始めると発表したのだ。1つは、年間積算放射線量の平均値は20mSv未満だが若干のホットスポットがある、南相馬市のような市町村を対象とするものである。もう1つは、年間積算放射線量が20mSv以上になる12市町村を対象とするものである。

研究者たちは、原発事故直後の混沌とした状況が一刻も早く終息して、放射性降下物とその影響が、よりはっきりと見えてくることを期待している。チェルノブイリの事故後に多くの調査を行った「原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)」は、日本の関係機関と協力して、事故発生時から収集されてきた大量のデータを照合する作業を進めている。UNSCEARは、原発事故が環境に及ぼす影響や、原発作業員や避難者の被曝量も調べて、来年の夏には中間報告を行いたいとしている。

最優先事項が除染であることは明らかだ。しかし、チェルノブイリで精力的に研究を行ってきたMousseauは、今回の事故が非常に貴重な研究機会であることも忘れてはならないと言う。チェルノブイリでは、ソ連の秘密主義のため、研究者はウクライナの危機を検証するカギとなる時期に調査を行うことができなかった。「日本は我々の調査を直ちに受け入れてくれ、本当に深い理解を示してくれています」と、Mousseauは語っている。

翻訳:三枝小夜子

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 11

DOI: 10.1038/ndigest.2011.111112

原文

Fukushima impact is still hazy
  • Nature (2011-09-08) | DOI: 10.1038/477139a
  • David Cyranoski, Geoff Brumfiel