Japanese Author

トラウマ記憶は、海馬のシナプスで「AMPA受容体」が増えるために起こる! (高橋 琢哉)

––Natureダイジェスト:トラウマというのは、どう定義されているのでしょうか?

高橋:日常的には、怖い思いや体験をすると「トラウマになりそう」などと言いますが、米国精神医学会による『精神障害の分類と診断の手引き(DSM-IV)』では、「実際に(あるいは危うく)死ぬような出来事、重症を負うような出来事、自分や他人の体の保全に迫る危険を体験、目撃、あるいはそのような状況に直面したことで、強い恐怖、無力感、または戦慄を感じること」と定義されています。今回の東日本大震災、特に巨大津波の襲来は、きわめて多くの人々にトラウマを残したと思います。

––これまで、トラウマについてどんなことがわかっていたのでしょうか?

実は、定義付けはされているものの、病態についてはあまりわかっていませんでした。トラウマは脳に「恐怖記憶」として記録され、うつ状態、過呼吸、パニック障害などを引き起こすことがあります。私自身は、PTSDや境界性人格障害の多くが、恐怖記憶と関連していると考えています。

どんな体験がトラウマになるかは、個人によって大きく異なります。多くの人が怖いと感じるような体験をしてもトラウマにならない人もいるし、逆に恐怖はないと思われる体験でトラウマになる人もいます。ただし、トラウマになりやすい人には「ストレスに対する耐性が弱い」という共通点があります。幼少期に虐待を受けていたなど、育った環境が過酷な場合が多く見られます。一般に、ストレスに対する耐性が弱いと、うつ病、双極性障害、境界性人格障害などの難治性の精神疾患になりやすいと考えられています。

とはいっても、恐怖記憶の仕組みが全くないと、生物としての生存自体があやうくなります。轟音のする巨大な滝のそばで恐怖を感じて足がすくむのは、身を守るための正しい防御反応ともいえるわけです。脊椎動物の多くで、その種なりの恐怖記憶が形成されていると思われます。

トラウマ記憶の分子メカニズム

––今回は、トラウマ記憶の分子メカニズムの解明に取り組まれたわけですね。

精神疾患の病態と脳内の分子動態をつなぐ研究は非常に難しいのですが、音と関連した恐怖記憶が作られる過程では、脳の扁桃体におけるシナプスで、AMPA受容体が移動することが重要であるという報告がなされていました1。動物に音を聞かせて電気ショックを与える経験を繰り返すと、音を聞かせるだけで震えるなどの恐怖反応が引き起こされるようになります。これは、扁桃体に「この音がすると電気ショックが来る」という恐怖記憶の回路が形成されたからです。

私たちの日常を考えると、音と関連する恐怖記憶よりも、「特定の場所」と関連して作られる恐怖記憶のほうが、断然多いと思われます。そうした記憶の1つに、「8月3日に、4丁目の交差点で事故を目撃した」というような日時や場所を関連させたエピソード記憶があります。このエピソード記憶は、扁桃体以外に海馬と呼ばれる別の部位もかかわっていることがわかっていました。

以上のことから、私は、場所と関連して作られる恐怖記憶の形成には、海馬シナプスにおけるAMPA受容体の挙動が関連するかもしれないと考えて、調べてみたのです。

––AMPA受容体について、もう少し詳しく説明してください。

脳の機能は、膨大な数のニューロンが互いに情報をやりとりすることで発揮されます。ニューロンとニューロンのつなぎ目はシナプスと呼ばれ、そこでの情報伝達は、ドーパミン、セロトニン、グルタミン酸などの神経伝達物質が担っています。このような神経伝達物質を実際に受け取るのは、シナプスの膜表面(シナプス後膜)に局在する受容体です。AMPA受容体はグルタミン酸受容体の1つで、グルタミン酸を受容することで活性化され、ナトリウムイオンやカリウムイオンを透過させるようにします。こうしたイオンの流入は「シナプス応答」と呼ばれ、AMPA受容体を持つシナプスの応答こそが、学習や記憶といった高次脳機能の中心的な役割を担っていると考えられています。

シナプスにおけるAMPA受容体の数が増えれば、シナプス応答は大きくなります。実際に私は、ラットなどの実験動物が新しいことを経験して学習や記憶を行う過程で、AMPA受容体がシナプス後膜に移動し、シナプスにおける受容体の数が増えることを突き止めました2,3。1970年代に、ある刺激を与え続けるとシナプスの応答レベルが連続して上がるという「シナプス長期増強」の現象が発見されましたが、現在では、「AMPA受容体のシナプス移行」も、シナプス長期増強発現において中心的な役割を果たしていることがわかっています。

トラウマでも、AMPA受容体がシナプスに移行する

––今回、トラウマが記憶される際にも、AMPA受容体のシナプスへの移行が起きていることを突き止められたわけですね。

図1:恐怖記憶の条件付けに利用した装置

そのとおりです。まず、小さな穴で行き来できる明るい部屋と暗い部屋を用意し、ラットが暗い部屋に入ったときに電気ショックを与えました(本来、ラットは暗い部屋を好む)。しばらくすると、ラットは暗い部屋を避けるようになり、恐怖記憶が成立します(図1)。このようなラットのシナプスを電気生理学的手法によって解析したところ、AMPA受容体が海馬のシナプスに移行していることがわかりました(図2)。

図2:恐怖記憶の形成時に見られるAMPA受容体のシナプスへの移行
AMPA受容体は細胞体で作られ、樹状突起を経て、シナプスを形成する構造体(スパイン)の近くに移動する。その後、学習時に、スパイン周辺から細胞外に出て、そこからさらにシナプス後膜へと移動する。

次に、遺伝子操作によりAMPA受容体のシナプスへの移行を阻害してみたところ、ラットは暗い部屋で電気ショックを与えられても暗い部屋に入り続けました。

以上のことから、特定の場所に関連して作られる恐怖記憶は海馬に依存しており、記憶の成立にはAMPA受容体が海馬シナプスに移行することが必要だと結論付けました4。これまでに、AMPA受容体遺伝子のノックアウトマウスを使った研究によって、AMPA受容体が海馬に依存的な場所記憶に関連していることは示唆されていましたが、「AMPA受容体のシナプスへの移行」がカギを握っていることは、今回、初めて明らかになったのです。この点が大きなインパクトだったと思っています。

治療との関連性を追う

––ヒトのトラウマに対しては、どのような知見が得られたとお考えでしょうか?

トラウマ形成の機構は、ヒトにもあるだろうと考えています。実験では、ラットが暗い部屋に入っても電気ショックを与えないようにすると、再び部屋に入るのを好むようになるのですが、これは恐怖記憶を忘れたからではなく、「この場所は安全だ」という新たな記憶が形成されたためと考えることができます。私は、この過程でも、AMPA受容体のシナプスへの移行が起きていると考えています。

つまり、トラウマ記憶で苦しんでいる患者さんの脳でも、AMPA受容体のシナプスへの移行を促進できれば、「今は大丈夫」という新たな記憶を作り直すことができ、治療効果が得られるのではないかと思います。新たなトラウマとなるような環境に置かないなどの配慮をしたうえで、薬物で脳の可塑性を高め、さらに行動療法などを行えば、治療効果が劇的に上がると期待できるのです。すでに私はそのような薬物の開発をめざし、企業との創薬にも着手しています。一方で、「AMPA受容体のシナプスへの移行障害」と呼べる病態を確立すべく、脳のイメージングを利用した診断方法などの開発も始めています。

––東日本大震災の被災者への対応についてはいかがでしょうか。

「1000年に一度」とされる災害に遭われたわけですので、深い心の傷を負った方々がたくさんいるのは当然です。心の傷のケアは容易ではありませんが、地震や津波に伴う悲劇的な出来事を想起させない環境に身を置くこと、さらに、「今は安全である」という経験によって、恐怖記憶の上にポジティブな記憶を上書きすることも考えられると思います。いずれにしても、精神科や心療内科の医療チームを充実させることが大事だと思います。

––ありがとうございました。

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 11

DOI: 10.1038/ndigest.2011.111118

参考文献

  1. Rumpel S. et al. Science 308: 83-88 (2005).
  2. Takahashi T. et al. Science 299: 1585-1588 (2003).
  3. Jitsuki S. et al. Neuron 69: 780-792 (2011).
  4. Mitsushima D. et al. PNAS 108: 12503-12508 (2011).