臨床論文にゴーストライティング疑惑
製薬会社が医学研究論文に影響力を行使したかどうかをめぐる論争が勃発した。告発したのは、ペンシルベニア大学(米国フィラデルフィア)の精神医学の教授、Jay Amsterdamだ。その主張によれば、国際的大手製薬会社グラクソ・スミスクライン(GSK)社が主導権を握り、外部編集業者を雇って研究論文(C. Nemeroff et al. Am. J. Psychiatr. 158, 906-912; 2001)を作成、その論文の著者陣に、同大学の数人の教授(精神医学科長を含む)が加わって、研究対象となったGSK社の抗うつ薬パキシル(パロキセチン)を不当に宣伝した、というのだ(外部編集業者はこの主張を認めていない)。
Amsterdamの弁護士が米国研究公正局(ORI)に送った7月8日付の書簡には、「発表された論文は、結論に偏りがあり、根拠なくパキシルの効能を主張し、その有害事象プロフィールを過小評価した」と記されている。ORIは、米国公衆衛生局の各機関とその助成金の交付先での研究上の不正行為の調査を担当している。
書簡では、研究者が論文に名前を貸すという科学的不正行為がなされた、と糾弾している。この論文の被引用回数は250回を超えている。Amsterdamの申し立て書に添付された文書は、GSK社と医療コミュニケーション関係のSTI社(Scientific Therapeutics Information;米国ニュージャージー州スプリングフィールド)が、試験結果の信頼性を高めるために論文著者の「全員ではないが、その大部分」を特に選び出した証拠書類だという。Amsterdamは、この試験結果によってパキシルが過度に有利になったと話している。添付文書の1つには、この研究には参加しておらず、2001年に精神医学科のためにこの問題を調査した精神科医Karl Rickelsのコメントが記載されている。その中でRickelsは、「[大学所属の]著者は、論文が出版されるまでに、精査どころか論文自体を見る機会を与えられなかったと思われます」と語っている。
これに対して、GSK社側は次のように反論している。「論文原稿の最終承認は筆頭著者が行うというのがGSK社の一貫した方針であり、そのとおりに実行されています。また、医療ライターを適切に利用することは、臨床試験データのタイムリーな分析を行い、臨床試験データを公開して国民の判断に委ねるという正当な役割にかなっています」。
Amsterdamは、この臨床試験のために患者を集めたが、論文の著者には選ばれなかった。当時、彼は、このことを上司の精神医学科長Dwight Evansに抗議した。その後、Amsterdamは、GSK社から報酬を受け取っていたSTI社のライターが執筆した社説(D. L. Evans and D. S. Charney Biol. Psychiatr. 54, 177-180; 2003)にEvansが名前を貸したという主張があることを知り、ORIに対して今回の申し立てを行った(この社説にGSK社が報酬を支払った点は明記されていない)。当時、大学側はゴーストライターによる執筆という主張には根拠がないと判断した。
Amsterdamの申し立ては、オバマ大統領の生命倫理委員会委員長を務めるペンシルベニア大学学長Amy Gutmannにとって、厄介な問題となる可能性がある。Amsterdamが連絡をとっていたワシントンD.C.に本部を置く監視団体「Project on Government Oversight(POGO)」は、7月11日付の書簡で、対応のまずいGutmannの委員長辞任を求めた。POGOのDanielle Brian事務局長は、「Gutmann委員長は、自らが学長を務めるペンシルベニア大学の学内における生命倫理問題に目をつぶっているように思われ、生命倫理委員会の委員長としての信頼性を備えているとは考えられない」と書簡に記している。
一方、ペンシルベニア大学は、Amsterdamの主張について、医学部が調査を行う旨の声明を7月11日に発表した。2010年に採択された医学部の方針によれば、医学研究者は「企業を含む、いかなる者のゴーストライティングによる口頭または書面での専門的なプレゼンテーションは禁止」されている。2001年の論文には、GSK社からの資金提供によって研究が実施されたことは記載されているが、論文原稿の作成についてSTI社を採用したこと、共著者のうちの3人が臨床試験の実施時にGSK社の社員だったことは記載されていない。なお、GSK社の社員だった著者については、Amsterdamの申し立て書には含まれていない。
Amsterdamが糾弾している5人の著者は、Evansのほかに、Charles Nemeroff(現在は米国フロリダ州のマイアミ大学精神医学科長)、Laszlo Gyulai(当時ペンシルベニア大学に所属していた精神科医でその後退職)、Gary Sachs(米国マサチューセッツ州ボストンのマサチューセッツ総合病院に勤務する精神科医)、Charles Bowden(米国テキサス州サンアントニオのテキサス大学健康科学センターの精神医学科長)だ。
EvansとGyulaiは、Natureのインタビュー要請に応じなかったが、「この2人のペンシルベニア大学関係者は、申し立て書の内容を知らされており、その主張には根拠がないと考えているが、調査に全面協力することを大学側に明確に表明した」という大学側の声明がある。Bowdenは、「私のほうから情報を提供して、それが論文に取り入れられています。この論文がゴーストライティングによるものだと思ったことはありません」と答えた。Sachsは、自分も全く同じ考えだと語り、Gyulaiと「初稿を作成するため、実際にボストンからフィラデルフィアまで出かけました」と話している。
問題の多施設臨床試験は、1990年代中期に実施され、GSK社(資金提供開始時は旧スミスクラインビーチャム)が資金を提供した。この臨床試験では、自殺リスクの高い双極性障害の患者に対して、うつ症状を治療する状況において、GSK社の新しい抗うつ薬パキシル(米国以外ではセロザットとして販売)と、従来からある安価な抗うつ薬イミプラミンと、プラセボ(偽薬)を比較した。
Amsterdamは、この臨床試験について、確定的な結論を得るために十分な数の患者が参加していない点、被験者のサブグループについて表面的な区別しかしておらず、そのために一部の患者においてパキシルが肯定的な結果をもたらしたことになっている点、それに、パキシルの副作用を過小評価した点を指摘している。これに対し、筆頭著者であるNemeroffは、論文に用いたデータは厳しい査読を経たものであり、その際、何度も書き直しのために原稿が著者に送り返されたと話している。「抄録の『結果』の項目には、『3つのグループ間で、全体的な効能の差に統計的有意性は認められなかった』と記されています。どのように書けば、これ以上明快に表現できるのでしょうか」。
さらにNemeroffは、「2011年の基準が適用されていれば、当然のことながら、編集アシスタントを利用した旨が論文に書き添えられていたと思います」と指摘し、それでも「[STI社の]関与は、各著者のコメントを整理し、参考文献欄の作成を手伝ったことだけで、論文を書いたのは我々です」と付言した。
エモリー大学(米国ジョージア州アトランタ)の生命倫理学者Paul Root Wolpeは、かつてペンシルベニア大学精神医学科の教官であったときにEvansの部下であり、Amsterdamとも共同研究を行った。そのWolpeは、この論文がゴーストライターによって書かれたことは、添付文書によって暗示されてはいるが、証明されてはいない、と話している。しかし、学術論文に対する製薬会社のコントロールが困ったほど強くなっている、とも指摘した。
そしてWolpeはこう付け加えた。「これは特殊な事例ではありません。制度上の問題であり、よく調整された制度的解決が必要とされているのです」。
翻訳:菊川要
Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 10
DOI: 10.1038/ndigest.2011.111022