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プロトンで検出する画期的な高速ゲノム解析法

「1000ドルゲノム」をめざして参入した新顔企業が、その技術にふさわしいやり方で心意気を示した。解読したのは、コンピューター業界の先駆者ゴードン・ムーアのゲノム塩基配列だ。

解読に使われたマシンはIon PGM(パーソナル・ゲノム・マシン)と呼ぶ。これは半導体技術を利用したもので、これまでにない解読速度とコスト削減を達成した。製造元はIon Torrent社(米国コネチカット州ギルフォード)。

同社はほかにも、4万9500ドル(約380万円)の装置で、1個の細菌ゲノムをわずか2時間で解読できることを示した。「時間という点からいえば画期的な進歩です」と、ペンシルベニア州立大学(米国ユニバーシティーパーク)の分子生物学者Stephan Schusterは言う。彼は、ほぼ1年にわたってこの技術を検証しており、すでにイオン検出データを使って、タスマニアデビルの間に急速に広がっている「がん」を調べた研究論文を発表済みだ2。この技術は、今年5月にドイツを中心に蔓延した病原性大腸菌株のゲノム解析の際も最初に使われ3、わずか3日でその塩基配列を解読した。

PGMがこれほど高速かつ安価な理由は、DNAのヌクレオチド塩基の種類を読み取るのに新しい方法を使っているからだ。10年前のヒトゲノム計画では、多大な時間と労力を要するサンガー法が頼りだった。

最近開発された高速の「次世代」技術は、実際に起こっている相補的DNA鎖の構築を追跡して、塩基配列を読み取る。ただ、ほとんどの方法は、蛍光標識法を使って、付加される個々のヌクレオチドを特定している。そのための試薬が高価で、1回の配列解読動作に数千ドルかかることもあり、時間も1週間以上かかる場合がある。

これに対してIon Torrent社のデバイスは、安価な天然ヌクレオチドを使って、各ヌクレオチドが相補的DNAに組み込まれる際に放出される水素イオン(プロトン)を検出している。「我々のアレイは、化学的変化を“見る”装置なのです」と、Ion Torrent社の最高責任者で分子生物学者のJonathan Rothbergは解説する。

1個99ドル(約7500円)の小さいチップ上には、3.5µm幅のウェル(微小なくぼみ)が120万個並んでおり、ここにまず、DNA断片を吸着させた微細なビーズを装填する。続いて、このチップに、4種類の塩基のいずれかをもつヌクレオチド溶液を流し込む。その後、液をきれいに取り除く。この操作が順に繰り返されていく。

ビーズ上のDNA鎖では、普通は、対合していない塩基が次隣りに並んでいる。ここで、流し込むヌクレオチド溶液の塩基が、その塩基と相補的なら、ヌクレオチドは結合するはずである。結合すれば水素イオンが1個放出され、ウェル内のpHを変化させる。それによって電気シグナルが発生するから、その回の配列塩基がどのウェルで加わったのか、決めることができる。この手順は1回当たり5秒もかからないので、1個のチップを2時間稼働させれば、約2500万塩基を読み取ることができ、費用はわずか数百ドルですむ。

この技術はいずれ、精度の点でも大いに期待できるだろうと、国立がん研究所(米国メリーランド州ベセスダ)のトランスレーショナルゲノミクス研究所所長Stephen Chanockは話す。現時点では、PGMはまだ、大型で高価な解読装置にはかなわない。それらは、1回当たりの稼働で何十万ドルもの費用がかかるが、数千万個の塩基対を読み取ることができる。現在のところ、ヒトの全ゲノムを高い忠実度で読み取るには、こうした従来型装置のほうが選択肢としては望ましい。

一方、今回のイオンチップ技術は、小規模なプロジェクトで素早く結果を得たい場合に適している。例えば細菌ゲノムの塩基配列を読み取ったり、疾患の特性解析のために、多くの患者を対象に特定遺伝子領域の配列を読み取ったりする場合である。しかしRothbergは、電子回路を高集積化すれば、この技術の威力はより高まるはずだと力説する。

ムーアのゲノム解読には1000個のイオンチップ(センサー数にすると10億個)を並列稼働させる必要があった。しかし、Ion Torrent社はすでに、約10倍の1100万個のウェルを備えたチップを試験している。チップ数が10分の1になれば、費用も削減できるはずだ。

さらに微小なチップ構造を作り込む製造工程に切り替えることで、「我々は1000ドル(約7万6000円)をはるかに下回るゲノム解読装置が楽に実現できると思っています」とRothbergは話している。

翻訳:船田晶子、要約:編集部

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 10

DOI: 10.1038/ndigest.2011.111030

原文

Chip chips away at the cost of a genome
  • Nature (2011-07-21) | DOI: 10.1038/475278a
  • Gwyneth Dickkey Zakaib

参考文献

  1. Katsnelson, A. Nature http://dx.doi.org/10.1038/news.2010.674 (2010).
  2. Miller, W. et al. Proc. Natl Acad. Sci. USA http://dx.doi.org/10.1073/pnas.1102838108 (2011).
  3. Turner, M. Nature http://dx.doi.org/10.1038/news.2011.345 (2011).