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転移性の膵臓がんにみられるゲノム変化

ヒトの進化に関しては、放射性炭素年代測定法や、骨格の比較解剖学からさまざまな情報が得られてきた。それと同様、がんの進化についても、その核心に迫るため、現在では、腫瘍細胞のDNA塩基配列解読に加え、染色体異常についても分子レベルでの「解剖」が始まっている。Nature 2010年10月28日号に掲載された2つの論文では、転移性(ステージIV)の膵臓がん患者のゲノムから、遺伝子2万個以上のタンパク質コード領域(エキソン)の塩基配列を解読して得られた知見が報告されている1,2。これらの知見は、膵臓腫瘍とそこから発生した転移性腫瘍の変異分布状況を、非生殖細胞系列として初めて高い解像度(塩基対1個のレベル)で示したものである。

ゲノムの不安定性(ゲノムに安定に維持されていた染色体構造や塩基配列が変化してしまう現象)は、がんの特徴の1つだと長い間考えられてきた。しかし、この「ゲノム不安定性」は、がんの進行においてどんな重要性をもち、どういった影響を与えているのか、長らく議論の的であった。ウェルカムトラスト・サンガー研究所(英国ケンブリッジ)のCampbellらは、この問題に取り組むため、DNA塩基配列に基づいて染色体再編成を調べた(Nature 2010年10月28日号1109ページ1。その結果、患者1人の転移巣のほぼすべてで、「折り返し型(fold-back)逆位」と彼らが名付けた、特異的な染色体再編成が起こっていることがわかった。そのうえ、この染色体再編成は、原発腫瘍と転移巣の両方に見つかったのだ。これは、ほかの種類の染色体再編成が原発腫瘍か転移巣のどちらかにみられるのとは異なっている。そのためCampbellたちは、この折り返し型逆位は腫瘍形成の初期に起こっており、膵臓がん進行の重要な促進要因になっている可能性が高いと考えている。

折り返し型逆位の起源、つまり、いつどこで起こるかは、正確にはわかっていない。しかし、プロセスとしては、おそらくテロメラーゼ(テロメア伸長酵素)の活性は抑制されるか機能不全になっているので、DNA複製に伴ってテロメアの短縮が進み、これがBFB(切断−融合−架橋)サイクルの反復を引き起すのかもしれない3,4。BFBサイクルが繰り返されることで、遺伝物質を徐々に獲得もしくは喪失し、ゲノム不安定性を招いていると考えられる。なお、興味深いことに、浸潤性腫瘍ではテロメラーゼが再活性化しているようである。テロメラーゼ活性は、多量のBFBサイクル誘導型再編成を安定化する作用をもっている可能性があるが、ほかの種類の再編成に対してはそうした作用はもたないと考えられる。

それはさておき、Campbellたちの研究成果は、膵臓がんの発生においてゲノム不安定性が存在することを明確に確認したものだ。しかし、患者間で染色体再編成の数や型、位置に大きな違いがあり、また、患者1人の同一臓器内の複数ある転移性沈着の間でさえもそうした違いがあるため、ゲノム不安定性の機能的な影響はまだよくわかっていない。もっと多数の患者を対象に次世代シーケンシング技術を用いて調べれば、パズルの欠けている部分を埋められ、がん全般について腫瘍進行や転移性播種の促進要因を突き止められるようになるだろう。

図1:膵臓がん進行の時間区分
2つの共同研究チームが、腫瘍−DNA塩基配列データの数理解析1,2を行った。その結果、正常細胞での変異の発生(発がんイニシエーション)から親クローンが誕生して膵臓がんになるまで、10年以上かかる可能性が高いことが示唆された。しかし、この親クローンに転移能はなく、ほかの組織に広がる能力をもつサブクローンは、さらに5〜6年かけて発生する。転移には、その後およそ3年かかり、患者は転移からさほど経たずに死亡する。

一方、ジョンズホプキンス大学医学系大学院(米国メリーランド州ボルティモア)の谷内田真一らは、腫瘍進行の時間区分という、臨床に関連する問題にも取り組んでいる(Nature 2010年10月28日号1114ページ2。谷内田はCampbellらの研究にも携わっているが、彼らも7人の膵臓がん患者の転移巣についてゲノム塩基配列解読を行い、各々について、あらかじめ配列解読しておいた原発腫瘍と系統発生的な類縁性を調べた。その結果、3つの時間区分の推定値が導かれた(図1)。つまり、正常細胞が変化する発がんイニシエーションから非転移性の親クローンになる細胞の発生までの時間、親クローンの出現から転移能獲得までの潜在時間、そして、転移性播種(転移がんの発生)から患者死亡までの時間である。

谷内田たちが、発がんイニシエーションから転移性播種までの時間は少なくとも15年あると見積もったことは注目すべきだ。なぜならこの結論は、膵臓がんが離れた臓器へ広がる前に、医療介入を行えるだけの時間的余裕があることを物語っているからである。この知見は、以前に報告された、一般集団における膵臓がんの年齢別発生率の定量解析から導かれた推定値5と矛盾しない。この集団解析5は、膵臓がんには変異蓄積とクローン拡大の両方にランダムな性質があることを示す、総合的な数学的記述に基づいている。それによると、発がんイニシエーションとなる変異からがんの臨床診断までの平均潜在時間が50~60年にもなる可能性があると見積もられていた。

一見すると、一般集団の解析で得られた「最初の原発腫瘍に偶然なるまでの推定時間」は、谷内田らが見積もったものよりも随分と長い。しかし、塩基配列に基づく谷内田らの推定値2には一般性がないことに留意すべきだろう。彼らは、がん化や転移の可能性のある全ての膵臓内病巣の平均をいっているわけではない。組織内の1つの病巣がそうなるまでの時間を示したのである。つまり、谷内田らの推定値は、膵臓上皮内腫瘍のような浸潤性や転移性のがんを生じうる膵臓病巣における平均潜在時間を見積もったのであり、低いほうの限界値を示したものだと考えるべきだろう。臨床的見地からすると、肝心なのは将来の疾患リスクであり、複数の病巣はそれぞれが、がんに進行する可能性をもっていると考えられる。したがって、短めに見積もられた谷内田らの推定時間は、臨床的に意味のあるものといえる。

これら2つの研究1,2は先駆け的なもので、個々人の腫瘍について塩基配列データの生物学的、臨床的な意味を探った最初の研究といえる。塩基配列解読の技術は猛烈な速さで進んでいるので、腫瘍進行の進化的過程に関するさらに詳細な情報が次々と発掘されることだろう。そうした情報は、がんの発生・進行過程の理解を深めるだけでなく、がんの早期発見や予後の改善、そして最終的には、予防のための新しい手法にもつながるものと期待される。

翻訳:船田晶子

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 1

DOI: 10.1038/ndigest.2011.110130

原文

Genomic evolution of metastasis
  • Nature (2010-10-28) | DOI: 10.1038/4671053a
  • E. Georg Luebeck
  • ※ゲノム不安定性
    ゲノムの恒常性維持機構が破綻した結果、正常な体細胞よりもゲノムの構造異常が起こりやすい状態。その結果、染色体の構造やコピー数の変化、またはDNAレベルで塩基配列の変化が生じる。こうした変化はがん細胞に高率にみられるため、がん細胞の生物学的挙動の異常の一因と考えられてきた。
  • E. Georg Luebeck、フレッド・ハッチンソンがん研究センター(米国)。

参考文献

  1. Campbell, P. J. et al. Nature 467, 1109–1113 (2010).
  2. Yachida, S. et al. Nature 467, 1114–1117 (2010).
  3. McClintock, B. Genetics 26, 234–282 (1941).
  4. Lo, A. W. I. et al. Neoplasia 4, 531–538 (2002).
  5. Meza, R., Jeon, J., Moolgavkar, S. H. & Luebeck, E. G. Proc. Natl Acad. Sci. USA 105, 16284–16289 (2008).