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バイオハッカーが世界を変える?

Rob Carlsonは、1996年のある日、列車で1人の男性と隣り合わせた。当時、プリンストン大学(米国ニュージャージー州)博士課程で物理学を研究していた彼は、大学にないジャーナルの論文を手に入れるため、ニューヨークに向かっていた。その男性は非常に好奇心が強く、Carlsonは、物理的な力が血球に与える影響という自分の研究テーマについてまでも説明するはめになった。別れ際、男性はいった。「ぜひ一緒に研究しましょう。私はシドニー・ブレナーといいます。研究者です」。Carlsonはその名前に聞き覚えがなく、「はぁ、いいですけど、シドニー・ブレナー博士」といって別れた。この偶然の出会いが、Carlsonが「バイオハッカー」へ進むきっかけとなった。

大学に戻ったCarlsonは、友人に尋ねて初めて、「シドニー・ブレナー博士」が生物学に大変革をもたらすような高名な研究者であることを知った。Carlsonは誘いに応じることにし、1年と経たないうちに、ブレナーが設立した分子科学研究所(MSI;米国カリフォルニア州バークレー)で、生物学者、物理学者、技術者が集まった混成研究チームに加わった。MSIは創造性にあふれ、ほんの25年前にパソコン革命を巻き起こした薄汚いハッカー精神を思わせる雰囲気だった。やがてCarlsonは、バイオテクノロジーでも同じことが起こるかもしれないと考えるようになった。誰もがたやすく手に入れられるハイテクツールを誰でも使えるようにすることで、新しい産業はおろか、新しい文化までもが生み出されたらどうなるだろう。既に、多くの実験装置がeBayなどのウェブサイトで売られていた。

Carlsonは、自分の思いを鼓舞するようにエッセイや記事を執筆した。2005年の技術系雑誌Wiredの記事では、「ガレージ生物学の時代がやって来た。君もやってみないか」と書いた。科学の大衆化により、新しい才能が流入し、新しい実験装置が製作されたり改良されたりするかもしれないし、さらにはバイオテクノロジーの新たな産業応用が見いだされるかもしれない、とCarlsonは考えた。2005年、Carlsonはついに、自分が思い描いたガレージ実験室を立ち上げることにした。「自分が予言したのだから、自分で実験してみなければと思ったのです」という。

Carlsonだけではない。今世界中で、自称「バイオハッカー」が、自宅のガレージやクローゼット、キッチンに実験室を作っている。それは、科学者の副業的なものから、それまでピペットを使ったこともない人によるものまで、多岐にわたっている。バイオハッカーたちは、インターネットで中古の実験器具を買い、ウェブカメラを利用した10ドルの顕微鏡を作り、わきの下で遺伝子組み換え大腸菌の試験管を温めて培養する(37℃のインキュベーターは100ドル以上もする)。オープンなフォーラムで実験法や発想を共有する人もいる一方、ガレージの実験装置を当局に見られたらバイオテロリストというレッテルを張られるのではないかと恐れ、実験室を隠してこっそり実験をする人もいる。

Rob Carlson。2005年、肌寒いガレージ生物学実験室にて。 Credit: S. KELLER

今のところ、「自作=DIY(Do It Yourself)」生物学者のコミュニティーに参加している多くの人は単なる愛好家であり、安い器具をそろえて、(必ずしも分子生物学の裾野を押し広げるわけではないが)創造性豊かなハッカー魂を示そうとしている。米国カリフォルニア州サンフランシスコ在住のコンピューター・プログラマーMeredith Pattersonは、「DIYバイオの第一人者」とよばれているが、自宅で、細菌をいじって蛍光タンパク質を生成できるようにし、暗闇で光るヨーグルトを作り出した。自分自身についてもっと知りたがっている人々もいる。DIYゲノミクスというグループは、合同で自分たちのゲノムを解析し、小規模な臨床試験を実施したり、それに加わったりしている。世界を変えたいと思うちょっと野心的な人には、バイオ燃料開発の改善が人気の的だ。また、DNA断片を増幅するPCR装置のような定番装置を、実験室という枠組みの外で使えるよう、安く簡単に製作することに没頭しているグループもある。こんな風にして、やがてDIYバイオはもっと身近なものになるだろう。

旧来の研究者には慎重な姿勢を崩さない人が多い。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(米国)の人類学者Christopher Keltyは、「バイオハッカーについては、多分に誇張、過熱気味に書かれていると思います。何もかもまだ始まったばかりです」と語る。DIY生物学を批判する人は、ガレージ分子生物学に大きな市場があるかどうかにも疑問をもっている。自宅にPCR装置が必要な人なんていないし、価格が下落し続けたとしても、生物学研究の装備にはカネがかかるのだ(上図参照)。一方、「かつてパソコンについても同じことがいわれました」と話すのは、ハーバード大学医学系大学院(米国マサチューセッツ州ボストン)の遺伝学者George Churchだ。Churchは高校生のとき、初めて自分のコンピューターを手に入れ、「恋に落ちて」しまったのだという。「周りからは『一体どうしてそんなものを欲しがるのか』という目で見られていました」。

当初Carlsonは、趣味的にガレージ実験室をスタートさせた。もちろん、所属するワシントン大学(米国シアトル)の研究室から実験用品をかすめ取ることは禁物だった。分子生物学研究の必需品であるマイクロピペットや遠心分離機などは、改造品や中古品をeBayで買った。そして2007年、助成金申請にうんざりしていたCarlsonは、ガレージ実験室での研究時間を増やしたいと考え、とうとう大学での研究に終止符を打った。MSIでの研究を続けることにしたのだ。

MSIでは、タンパク質の「頭」がDNAの「しっぽ」に付いた「オタマジャクシ」を使って、1個の細胞内にある微量なタンパク質の量を測定する方法を開発するチームに加わっていた。「オタマジャクシ」の頭は標的タンパク質と結合するように作られていて、しっぽのDNAをPCRで増幅して定量することで、細胞内のタンパク質の数が計算できる仕組みだ(Nature Meth. 2, 31–37; 2005)。この「オタマジャクシ」には商業的な可能性がある。現在、タンパク質の定量に標準的に利用されている蛍光標識抗体では、せいぜい大雑把に推定することしかできないが、「オタマジャクシ」ではより正確な定量が可能なのだ。しかし、Carlsonによれば、最初の方法はコストがかかりすぎて実用化できるものではなかったという。「もしこのタンパク質をガレージで簡単に使ってきちんと機能することを示せたら、ローテク環境や屋外、小さな診療所で使える製品になるかもしれません」とCarlsonは話す。

Carlsonの例のように、ガレージ・バイオハッキングという着想は現実のものとなり始めていた。ハーバード大学医学系大学院(米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)の個人ゲノムプロジェクトで地域への働き掛けを取り仕切るJason Bobeと、地元のウェブ開発者であるMackenzie Cowellは、2008年5月、マサチューセッツ工科大学にほど近いアイリッシュ・パブで、DIYバイオの最初の会合を開催した。当時の出席者は25人ほど。2年後の今、DIYバイオのEメールリストには、2000人を超える会員が登録されている。

その2000人のうち何人が真剣に活動しているのかはわからない。30パーセントはいたずらで、残りの70パーセントはDIYコミュニティーを監視している当局の人だろう、とBobeは冗談をいう。しかし最近、多くのDIYコミュニティーが連合しつつある。それはケンブリッジに限らず、ニューヨーク、サンフランシスコ、ロンドン、パリ、オランダでも進んでいる。なかには、共同で実験室を開設し、月額の会費制でユーザーに提供しようとするものもある。また、電子機器マニアに同様のサービスを提供している地元の「ハッカー活動拠点」と、既に提携しているところもある。例えば、ニューヨークDIYバイオのグループは、「NYCレジスター」というハッカー集団の作業場所で毎週会合を開いている。今やそこには、PCR装置など、分子生物学の基本的な機器がわずかながら置かれている。

DIYバイオの源流となった「オープンサイエンス」という動きは、実験材料やデータ、成果発表のオープンなやり取りを促進するもので、1990年代のオープンソース・ソフトウェアの隆盛に起源が求められる、とKeltyは説明する。バイオハッカーの多くは、新しい遺伝子回路を組み立てて細胞を作り出すようなプロジェクト、いわゆる「合成生物学」への取り組みにも熱心だ。合成生物学の発展により、DIYバイオは推進されているが、一方では不名誉な烙印も押されてしまっている。社会の課題を解決するものだとまつり上げられることもあれば、バイオテロリストの温床と非難されたりもする。ついには、何百人ものバイオハッカーが監視のないガレージ生物学実験室で病原体を作り出しているのではないかという懸念から警戒され、米連邦捜査局(FBI)は、2009年、DIYバイオの会議に大量破壊兵器担当の理事会から代表者を送り込むようになった。

バイオハッカーは用心深い。そうならざるを得ないのだ。Bobeは、芸術家Steve Kurtzの身に降りかかったことを思い返す。2004年、防護服を着た連邦捜査官が、拳銃を構えてKurtzの自宅を急襲した。ピッツバーグの遺伝学者から送ってもらった細菌を使っていたKurtzは、郵便詐欺罪で逮捕され、身の潔白の証明に4年もかかった。BobeはFBIと接触してこの細菌を使ってもバイオテロは行えないと話したが、FBIと市民がバイオセキュリティーに関して根拠のない恐怖を抱いていることがわかったという。「現在のアマチュアの実験活動は、中学1年か2年のレベルです。我々は確かに、10ドルの顕微鏡を作り、仲間内ではもっぱら炭疽菌兵器について議論しています。一般の人と同様に我々もそうした兵器を気にかけているのです。しかし、議論といっても、『炭疽菌兵器なんて人道に反する恐ろしい兵器だよ。そんなことはしちゃだめだよね』というだけです」とBobeは語る。

FBIは彼の言葉を受け入れたようで、いわゆる「近隣警戒活動」のスタンスを取ることにした。FBIのバイオテロリズム部隊で特別捜査官を務めるEdward Youは、この方式は、バイオハッカーが自身の共同体を監視して、危ないと思った行動を報告することが基軸になっている、と説明する。

Carlsonのプロジェクトは、DIYバイオの平均的な愛好家よりも先進的だ。このため、自宅宛てに実験用の物品を配達するよう企業に頼むのに苦労することもあるという。Carlsonは、自分たちのガレージハッカー精神がやがて災いになると考えるようになり、ガレージを元のボート格納庫に戻すことにした。

2009年、Carlsonは、仕事仲間の技術者Rik Wehbringとともに、実験室をガレージからこぢんまりした商業用スペースに移した。2人は、Biodesic社という小さなコンサルティング会社から、場所と実験に使う資金の提供を受ける代わりに、同社を通じ、バイオセキュリティーから脳波利用型のゲームコントローラーのデザインまでさまざまな技術的問題に取り組む企業に助言を与えている。

OpenPCRが手製PCR装置のプランとキットをもたらすかもしれない。 Credit: J. PERFETTO

プロジェクトの資金調達に関しては、こうした提携以外にも、独創的な方法が生まれている。その1つが「Kickstarter」というウェブサイトである。このサイトでは、バイオハッカーが自分のプロジェクトと資金調達目標額を提示し、それを見た人が自分の気に入ったプロジェクトに寄付を行う。通常は少額だが、うまくいけば、わずかな寄付がたくさん集まって大きな額になる。Tito Jankowski、Josh Perfettoというカリフォルニア州在住のガレージバイオハッカーは、Kickstarterを使って、OpenPCRという小型の安いPCR装置の開発資金を調達した。6000ドル(約50万円)を集めるという目標は10日で達成し、20日後に登録が締め切られるまでに金額は2倍になった。別のバイオハッカーグループは、Kickstarterを使ってBioCurious(米国カリフォルニア州シリコンバレー)というハッカーの活動拠点のための資金を募り、3万5000ドル(約290万円)以上集めた。

しかしいずれも、実際に会社を立ち上げるコストと比べればわずかなものだ。米国カリフォルニア州マウンテンビュー在住の自称「プロの企業家/活動家」Joseph Jacksonと、ベネズエラのコンピューター生物学者Guido Nunez-Mujicaは、ほかのハッカーたちと組み、LavaAmpというポータブルPCR装置を開発した。これはコンピューターのUSBポートから電源を取って動かすことができる。Jacksonによれば、チームは今回のプロジェクトに数万ドルを投入したが、愛好家、理科教師、さらには開発途上国の研究者が使えるリーズナブルなPCR装置を作るという目標の達成には、10万ドル(約830万円)近い資金が必要だという。

ボストン大学の合成生物学者Jim Collinsは、分子生物学研究を行うためのコストを見れば、アマチュア生物学者とパソコン革命をよからぬものにしたハッカーとの違いがわかる、と語る。ハッカーと違い、アマチュア生物学者と本来の研究室が使える人との間には、大きな隔たりがある。Collinsによれば、大学の教職員は通常、分子生物学の実験室の立ち上げに際して数十万ドル(数千万円)を大学に求めるという。頭脳明晰なアマチュア生物学者は革新的な将来をもたらすかもしれないが、その道のりは苦難に満ちているのだ。「由緒正しいということが必要だといっているのではありません。適切な装備が必要なのです」とCollinsはいう。

しかしCarlsonは、生物学研究のコストが下落していると話す。「生物学は高コストで困難なもの、と一般に考えられてきました。確かにいまだ困難には違いありませんが、コストはそれほどでもなくなっています」。2003年、Carlsonは、DNAとタンパク質の配列解読および合成に必要なコストの下落を見通し、タンパク質構造の解明などの分野では研究が加速する、と予測した(R. Carlson Biosecur. Bioterror. 1, 1–12; 2003)。この予測はコンピューターに関するムーアの法則をなぞっており、「Carlsonの曲線」と命名した人もいる。

しかし、実際の曲線は、Carlsonの期待ほど急激なものにはなっていない。Carlsonは、「オタマジャクシ」のタンパク質の頭を設計し直し、早い段階で、コストがかかって骨の折れるタンパク質の製造を自分でするのではなく、業者に対価を支払って作ってもらうことに決めた。この場合、ほかのタンパク質が混ざった安いタンパク質を3000ドル(約25万円)程度で買う道と、5万ドル(420万円)出して純度の高いタンパク質を買う道があった。「その中間はありませんでした」とCarlsonは話す。結局安いほうを選んだが、バッチは純度が低く、成果の公表にも実用化オタマジャクシの発売にも堪えるものではなかった。プロジェクトは行き詰まった。しかし数か月前、Carlsonは、新たな企業がこの領域に参入してきたことを知った。その中には、ほどよい価格を示すものもあり、Carlsonは1バッチ注文した。ところが、1か月以上前に納品されるはずだったのにいまだに届けられていない。「こんな問題は、銀行に100万ドルあったらとっくに解決しています。それに、経験豊富な生化学者か分子生物学者を1年か2年雇えたら、同じコストでもっと早くできたでしょうね」とこぼす。

それでも、科学をガレージに持ち込んで5年が経った今、Carlsonは、バイオハッキングが技術革命を起こす可能性を確信しているという。「何らかの形で、市場に出回るさまざまな製品につながるものが、ガレージレベルからたくさん出てくるでしょう」。

Carlsonは、「オタマジャクシ」が完全なものになった暁には、さらに投資家たちから注目が集まるだろうと期待している。また、遅れや個人的な犠牲は発生したが、自分のガレージを拠点とした新しい実験は、これまでのところ成功だったと感じている。「ガレージ実験の目的の1つは、一本立ちできるかどうかを見極めることでした。辛抱強く、時には夕飯の食卓におかずがなくても平気なら、どうやらうまくいきそうです」とCarlsonは語っている。

翻訳:小林盛方

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 1

DOI: 10.1038/ndigest.2011.110110

原文

Life hackers
  • Nature (2010-10-07) | DOI: 10.1038/467650a
  • Heidi Ledford
  • Nature 10月7日号634ページのEDITORIALも参照されたい。
  • Heidi Ledfordは、米国マサチューセッツ州ケンブリッジを拠点に活動するNatureの記者。