COVID-19パンデミックの引き金はタヌキか?
タヌキは一部の国で食用とされ、毛皮としても利用されている。 Credit: Bernhardt Reiner/Prisma by Dukas Presseagentur via Alamy
2020年3月ごろ、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)を引き起こす重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2(SARS-CoV-2)は、野放し状態で世界中に広がっていった。そして今、このウイルスについて残された最大の疑問の1つは、「どこから来たのか」ということである。
現在、10を超える研究から得られた数多くの証拠から、COVID-19アウトブレイク(集団発生)の震源地である中国・武漢の華南海鮮卸売市場で、野生動物からヒトにSARS-CoV-2が伝播したことが示されている(2025年1月号「COVID-19は武漢の市場で始まった」参照)。そして、その野生動物の最有力候補がタヌキ(Nyctereutes procyonoides)である。「タヌキに大きな注目が集まっています」と、スクリプス研究所(米国カリフォルニア州ラホヤ)の進化生物学者Kristian Andersenは言う。
シドニー大学(オーストラリア)のウイルス学者Edward Holmesをはじめ、一部の研究者は最初からタヌキを疑っていた。2020年1月21日、HolmesはAndersenや他の同僚らに「アウトブレイク・ポーカー」という件名の電子メールを送った。彼は冗談で、ヒトに最初にSARS-CoV-2を感染させた可能性のある動物についての賭けを提案したのだ。「私はタヌキに賭けます」とHolmesは書いた。彼は2014年に武漢を訪れた際、華南海鮮卸売市場でタヌキを見かけていた。
しかし、アリゾナ大学(米国トゥーソン)の進化生物学者Michael Worobeyは、タヌキが候補動物リストの最上位に挙げられている理由の1つは、この動物が、同じ市場にいた他の動物よりもよく研究されているからかもしれないと言う。彼によれば、有力な候補動物はまだ他にもいるという。
エラスムス医療センター(オランダ・ロッテルダム)のウイルス学者Marion KoopmansもWorobeyと同意見だ。「どの動物種がCOVID-19パンデミックを引き起こしたかについての我々の予測能力は、それほど優れていないと言わざるを得ません」とKoopmansは言う。
COVID-19パンデミックの起源については、いまだに政治が深く関わっており、明確な答えが出ていないことが事態を複雑なものにしている。SARS-CoV-2はおそらく、中国南部に生息するコウモリに起源があるとみられる。多くの研究者は、SARS-CoV-2がそうしたコウモリから、中間宿主となる動物を介してヒトに伝播したと考えている。SARS-CoV-2がコウモリからヒトに直接感染することも考えられるが、コウモリの生息地は武漢から遠く離れているので、この可能性はあまり高くないだろう。そして、このウイルスが、コロナウイルス研究で知られている武漢ウイルス研究所から流出した、あるいは意図的に放出されたことを疑う声も依然としてある。
中国のタヌキには多数のウイルスが感染していることが多く、こうしたウイルスは異種間で伝播し得る
ウイルス宿主
タヌキが早くから最有力候補に挙げられていた理由の1つは、タヌキが別の関連ウイルスをヒトに感染させることに関与した可能性が高いからである。2003年に研究者らは、中国・広東省にある生きた動物を売買する市場で、数匹のハクビシンと1匹のタヌキから、重症急性呼吸器症候群(SARS)を引き起こすウイルスに非常に近縁なウイルスを単離した。
この知見1を受けてドイツの研究者らは、これらの動物のSARS-CoV-2に対する感受性を調べることにした。
その結果、タヌキはSARS-CoV-2に感染し得ること、そして自身は発症しないものの、他の動物に感染を伝播させる能力を持つことが分かった。
Holmesらの研究から、中国の養殖および野生のタヌキには多数のウイルスが感染していることが多く、こうしたウイルスは異種間で伝播し得ることが示されている。「タヌキは非常に一般的なウイルス宿主です」とHolmesは言う。
適切なタイミングで、適切な場所に
COVID-19パンデミックの最初期の症例の多くは華南海鮮卸売市場と関連があることから、この市場はSARS-CoV-2のスピルオーバー(異種間伝播)が起こった場所であると考えられている。このことは、2019年12月下旬から2020年1月上旬の最初期の感染者から得られたSARS-CoV-2の塩基配列と、地理的位置データ、疫学的データによって裏付けられている2。
COVID-19アウトブレイクの中、華南海鮮卸売市場は規制当局によって閉鎖されていたが、この市場でタヌキが毛皮用や食用として販売されていたことが分かっている。2021年6月には、武漢の4つの市場(華南海鮮卸売市場の7つの露店を含む)で2017年5月から2019年11月までの間に売買された生きた野生動物についての月次調査結果が報告された3。これらの市場では、月平均38匹のタヌキが売買されていた。最も多く売買された種はアムールハリネズミ(Erinaceus amurensis)で、月平均332匹であった。またハクビシン(Paguma larvata)、ブタバナアナグマ属の1種(Arctonyx albogularis)、タケネズミ(Rhizomys sinensis)、マレーヤマアラシ(Hystrix brachyura)も日常的に売買されていた。
華南海鮮卸売市場の2019年12月の販売記録には、タケネズミ、ヤマアラシ、ハリネズミの生体や製品の取引も記載されている。
2023年には、タヌキをSARS-CoV-2の中間宿主とする説を裏付けるさらなる証拠が得られた。中国の研究者らは、華南海鮮卸売市場が閉鎖された直後の2020年1月に、この市場の露店、ごみ箱、下水などからスワブ(拭き取り)試料を採取し、そのゲノムデータを報告した4。解析の結果、いくつかのスワブ試料からタヌキのミトコンドリアDNAが検出され、それらの一部はSARS-CoV-2陽性でもあったことが見いだされた。ミトコンドリアDNAが検出された野生の哺乳動物種として最も頻度が高かったのは、タヌキとシラガタケネズミ(Rhizomys pruinosus)で、ハクビシンやブタバナアナグマ(A. albogularis)由来のDNAも検出されたが、多くの試料から検出されたわけではなかった5。こうした知見は、これらの動物がSARS-CoV-2に感染していたことを証明するものではないが、感染していたならばこのような証拠が見つかるはずだと、Andersenは言う。
サスカチュワン大学(カナダ・サスカトゥーン)のウイルス学者Angela Rasmussenによる未発表の研究からは、華南海鮮卸売市場のタヌキとブタバナアナグマ属の1種(Arctonyx collaris)の一部は、おそらく良好な健康状態ではなかったことが示唆されている(ただし、どのウイルスに感染していたかは不明である)。
この市場にいたタケネズミ、マレーヤマアラシ、アムールハリネズミなどの他の動物もSARS-CoV-2に感染していて、それをヒトに伝播させた可能性はある。しかし、これらの種がSARS-CoV-2に対してどの程度感受性を示し、感染を伝播するかは分かっていない。
細胞を用いた研究から、ハクビシンはSARS-CoV-2に感染する可能性が示唆されているが、他の動物にウイルスを伝播できるかどうかは調べられていない。こうした研究には多額の費用がかかり、パンデミック初期に優先される研究ではなかったことが一因だと、Koopmansは言う。
Koopmansはまた、華南海鮮卸売市場には、他にも関連する動物が存在していたかもしれないが、検出されていない可能性についても指摘している。多くの野生動物はこうした市場での売買が許可されていない。つまり、その存在が、市場の売買記録に残っていない可能性がある。そして、スワブ試料の採取はスピルオーバーが起こった数週間後に行われている。
どこが起源か?
研究者の多くは、SARS-CoV-2は、中国南部の雲南省、ラオス、東南アジアの他の地域に生息するキクガシラコウモリ属(Rhinolophus)のコウモリに起源がある可能性が高いという意見で一致している。その理由の1つは、こうした地域でSARS-CoV-2に最も近縁なウイルス種が見つかっているためである。
研究者らは、SARS-CoV-2がこれらの地域から武漢までどのようにして移動したのかを解明しようとしている。SARS-CoV-2近縁種がコウモリでまん延しているこうしたホットスポットは、武漢から1000 km以上も離れている。
だからこそ、中間宿主の候補動物が生息する地理的範囲が、こうしたコウモリの生息範囲と重なるかどうかを検討することが重要であると、ボルティモア(米国メリーランド州)を拠点とする非営利団体の計算生物学者Alex Crits-Christophは言う。華南海鮮卸売市場で売買されていた動物の中で、起源と考えられるコウモリと生息範囲が重複するのは、野生のタヌキ、ハクビシン、シラガタケネズミ、ブタバナアナグマ(A. collaris)である。この仮説に合致して、華南海鮮卸売市場で採取されたタヌキのミトコンドリアDNAは、中国東北部の養殖タヌキのものとは一致せず、中国の中央部や南部で捕獲された野生タヌキのものにより近縁であった。
しかし、この知見は新たな謎を突き付けているとKoopmansは言う。ある動物集団がウイルスを伝播するのに十分な期間ウイルスを保有しているためには、集団の個体数が多くなければならない。そうでなければ、ウイルスは「集団内に広がるだけで、感染が一巡したらすぐに消失してしまうでしょう」。中国南部でタヌキが十分な規模で養殖されているかどうかは明らかではないと、彼女は言う。
翻訳:三谷祐貴子
Nature ダイジェスト Vol. 22 No. 6
DOI: 10.1038/ndigest.2025.250610
原文
What sparked the COVID pandemic? Mounting evidence points to raccoon dogs- Nature (2025-02-21) | DOI: 10.1038/d41586-025-00426-3
- Smriti Mallapaty
参考文献
- Freuling, C. M. et al. Emerg. Infect. Dis. 26, 2982–2985 (2020).
- Worobey, M. et al. Science 377, 951–959 (2022).
- Xiao, X. et al. Sci. Rep. 11, 11898 (2021).
- Liu, W. J. et al. Nature 631, 402–408 (2024).
- Crits-Christoph, A. et al. Cell 187, 5468–5482 (2024).
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