化学的な「スーパースポンジ」がついに市場へ
二酸化炭素(CO2)の回収に役立てるために、現在工業スケールで製造されている金属有機構造体(MOF)「CALF-20」の構造。 Credit: Adapted from mofanatomy.com
2025年5月、カナダ・ブリティッシュコロンビア州バーナビーで、1億5000万米ドル(約225億円)を投じて建設された二酸化炭素(CO2)回収フィルターの製造工場が稼働を開始した。世界で最も背の高い木にちなんで「レッドウッド(Redwood)」と名付けられたこの工場は、年間1000万tのCO2を回収するのに十分な量のフィルターを製造する能力を備えており、経営母体であるスバンテ・テクノロジーズ社(Svante Technologies、カナダ・バーナビー;以下、スバンテ社)はこの製造ラインを炭素回収フィルターの「ギガファクトリー」と呼ぶ。
レッドウッド工場の開設はまた、30年以上前に発明された、ある興味深い「スーパースポンジ」材料の商業的ブレークスルーを示すものでもある。この超多孔性材料は、学術的に非常に大きな関心を集め、その可能性が大々的に宣伝されたものの、実用化につなげるのが難しく、商業的には行き詰まっていたからだ。とはいえ、「金属有機構造体(MOF)」として知られるこの粉末状の固体材料は、数十年にわたって化学者らを魅了し続けてきた。
MOFは、内部に無数の細孔を有する、ジャングルジムのような構造をした世界で最も多孔質な材料群で、1 gのMOF粉末に含まれる全ての細孔の表面積を合わせると、最大でサッカー場約1面分になる。
この30年間で、化学者らが実験室で創り出してきたMOFは10万種類以上に上り、それらの機能については、ガス貯蔵能、触媒能、水中の有害化学物質回収能、薬物送達能など、多様な用途での可能性が調べられてきた。関連材料として、「共有結合性有機構造体(COF)」と呼ばれる材料群も誕生している。このように学術界で非常に大きな関心を集めてきたMOFだが、化学者らはこれまで、この材料を工業規模の製品へと結び付けられずにいた。
そんな中、スバンテ社をはじめとする複数の企業は、CO2回収にMOFやCOFを使うというアイデアに目を付けて開発を進め、見事商業化にこぎ着けた。現在、スバンテ社のレッドウッド工場向けのMOFは、t規模で生産されている。MOFが実際に他のCO2吸着材よりも優れているかどうかは明らかでないが(スバンテ社は別の種類の吸着材も製造している)、その市場は確かに開かれつつあるようだと、研究コンサルタント会社IDTechEX(英国ケンブリッジ)のアナリストShababa Selimは言う。実際、CO2の回収以外にも、水の捕集や有毒ガスの濾過での使用を目的として、複数の企業がMOFの開発を進めている。Selimによれば、MOF市場は今後10年間で30倍成長し、2035年には9億3000万米ドル(約1395億円)を上回る可能性があるという。
MOFであるCALF-20。 Credit: Adapted from mofanatomy.com
MOFが一握りの工業的応用にたどり着くまでの紆余曲折の道のりは、エキサイティングな学術的発明であっても商業的用途を見いだすには数十年を要する場合がある、という先進材料開発に特有の厳しい現実を物語っている。「CO2の回収は、まさにMOFが必要としていた、突破口となる応用だったのだと思います」とSelim。
前例のない特性
MOFの物語は、1989年にメルボルン大学(オーストラリア)の化学者Richard Robsonと共同研究者のBernard Hoskinsが、「前例のない、有用と考えられる特性を持つ、広範なクラスである可能性のある新規固体ポリマー材料を発明した」と発表した時に始まった1。後にMOFとして知られることになるこの材料は当初、「複数の金属イオンが長い棒状の有機分子で連結された無限の繰り返し構造」と説明されていた。Robsonは、新たに合成した有機リンカー分子を銅イオン(Cu+)と混ぜ合わせ、慎重に選んだ溶媒を用いて、溶液をゆっくりと蒸発させることで、金属と有機分子で組み上げられた多孔性骨格を結晶化することに成功した。
その後、1990年代半ばにアリゾナ州立大学(米国テンピ)の化学者Omar Yaghi(現在はカリフォルニア大学バークレー校〔米国〕に在籍)が、こうした多孔性の骨格構造をMOFと名付けて使い始めたことで、この名称は広く知られるようになる。初期の構造の中には、不安定なものや、非常に低い温度でしか構造を保持できないものもあったが、Yaghiらは、金属と配位子が強く結合したクラスターを構成単位とすることで、より堅牢なMOFを構築できる方法を開発2。学術界の研究者らはこの設計概念に飛びついて、次々に新たなMOFを合成していった。今では、実に10万種類以上のMOFが、ケンブリッジ結晶学データセンター(CCDC、英国)が運営する有機化合物や有機金属化合物の結晶構造データベース「ケンブリッジ結晶構造データベース(CSD)」に登録されている。また、Natureの分析によると、これまでに出版されたMOFに関する学術論文の数は10万報以上に上る(「金属有機構造体に関する論文」参照)。
Source: Nature Analysis/Dimensions
粘土のような一部の天然の多孔性材料とは異なり、こうした人工のスーパースポンジの内部細孔は、骨格を構成する分子によって、サイズを細かく一貫して規定することができる。Yaghiをはじめとする研究者らは、MOFが条件に応じてどのような動的挙動を示すか調べ、圧力や温度を変化させることで、気体分子などの積み荷分子が細孔に入ったり出たりできることを明らかにした。
化学者らは他にも、最大の内部表面積を持つMOFを作製しようと競い合った。現在その称号は、2018年に作製された「DUT-60」という名のMOFが保持しており、その内部表面積はなんと7839 m2 g−1に達する3。
内部表面積が最大のMOFであるDUT-60。 Credit: Adapted from mofanatomy.com
これだけの面積があれば、応用の可能性も相当広がると思われた。化学者らが強い関心を示した応用には、例えば、水素(H2)ガスなどの貯蔵・輸送・放出がある。2000年代初頭、当時ミシガン大学(米国アナーバー)で研究を行っていたYaghiは、亜鉛(Zn)系MOFがH2に対して優れた吸着能を示すことを明らかにした4。ちょうど同じ頃、米国ではジョージ・W・ブッシュ大統領が、化石燃料を水素に置き換える「水素経済」の実現に向けた「水素燃料イニシアチブ」を発表。スーパースポンジであるMOF内にH2を閉じ込めて輸送し、必要に応じて放出させるという考えは非常に興味をそそるものであった。世界的な大手化学会社であるBASF社(ドイツ・ルートヴィヒスハーフェン)は早くからMOFの研究開発に投資しており、2010年にはMOFの工業規模での製造が可能になったと発表していた(BASF社はこのプロジェクトについて詳細を明かさなかった)。
しかし今では、MOFによる輸送革命や水素経済の話はほとんど聞かなくなってしまった。電気自動車の普及促進や太陽光発電のコスト削減に伴い、水素貯蔵が概念的に時代遅れになっただけでなく、こうした用途でのMOF使用がうまくいかなかったのである。その理由の1つは、MOFの入ったタンクに十分な量のH2を効率よく迅速に充塡することが技術的にかなり困難だからだと、スタートアップ企業Numat Technologies社(米国イリノイ州シカゴ;以下、Numat社)の事業開発担当ディレクターWilliam Morrisは言う。彼は、Yaghiがカリフォルニア大学ロサンゼルス校在籍中に、同氏の研究室で博士号を取得している。一方で、MOF粉末は、大量生産するには費用がかかり過ぎるようにも思われた5。既存の技術の方が魅力的に見えたのだと、Selimは説明する。
魅力を新たに
しかし、適切な用途さえ見つかれば、研究者は製造コストを引き下げる方法を見いだすことができる。それが、CO2回収業界のMOFへの関心の高まりから得られた教訓と言えよう。「材料の場合、投資を推進したり、実際に製造能力の向上を可能にして価格を引き下げたりするのは、単にそうした特別な市場機会にいつ出合えるか、ということに尽きるのです」とSelimは言う。
スバンテ社の物語はその良い例だ。同社が常に目を向けていたのは工場の排ガスからのCO2除去であり、その手段にはこだわっていなかったと、社長兼最高経営責任者のClaude Letourneauは語る。スバンテ社は以前、CO2を回収する「ドープ」シリカ材料を開発しようとしていたが、その材料はすぐに劣化してしまい実用的ではなかったという。そこでLetourneauは、「CALF-20(Calgary Framework 20)」と呼ばれるMOFを開発したカルガリー大学(カナダ・アルバータ州)の化学者George Shimizuの研究グループに連絡を取った。CALF-20はZn系のMOFで、煙道ガスの主成分である水蒸気の存在下でも、細孔内にCO2分子を大量かつ選択的に捕捉することができる(多くのMOFは水を優先的に取り込んでしまい、それがガス貯蔵用としてのMOFの商業化におけるもう1つの障壁となっていた)。
「『我々に必要なのは、まさにこの材料です』と言いました」とLetourneauは当時を振り返る。だが、コストが難点だった。製造コストが高過ぎて、商業的に採算が取れそうになかったのである。「まるで実験室の飾り物だな」とその時は思ったと、Letourneauは言う。そこで彼は、より単純でスケールアップが可能な合成方法の開発をShimizuに依頼。「すると彼は、『分かった、やってみるよ』と言い、1年後に、とてもシンプルな合成方法を携えて戻ってきたのです」とLetourneau。Shimizuらは、水とメタノールの混合溶液に溶かした低コストのバルク化学品からCALF-20を合成できることを見いだしたのだった6。
この方法は、まずスバンテ社の研究開発チームによって、一度に数kgのMOFを合成できるまでスケールアップされた後、BASF社との共同開発で、さらに数t規模までスケールアップされた。BASF社は現在、スバンテ社向けにCALF-20を生産している。Selimによれば、他にも複数の企業が、方向転換またはリブランディングして、CO2回収用のMOFに焦点を合わせているという。例えば、2007年にノッティンガム大学(英国)からスピンオフしたPromethean Particles社は、従来のナノ粒子開発からCO2回収・貯留用のMOF開発へと方向転換した。
英国北アイルランドのベルファストを拠点とするNuada社(旧MOF Technologies社)も、炭素回収・貯留用のMOF系製品の開発を表明している。同社は最近、英国の廃棄物発電事業者であるEnfinium社(ロンドン)が所有するウェストヨークシャーの施設で、MOF技術を用いたCO2回収の試験的運用を開始した。しかし、少なくとも公に知られる限り、今のところ商業規模でMOFを製造している唯一のプロセスはBASF社とスバンテ社によるものだけだとSelimは言う。
MOFの多様な用途
スバンテ社が開発した、排出源からCO2を回収する装置。フィルターには金属有機構造体(MOF)が用いられている。 Credit: Svante Inc.
とはいえ、MOFも全ての形のCO2回収に適しているわけではない可能性がある。例えば、大気からのCO2の直接回収は、大気中のCO2濃度が低いため、工場の排ガスからのCO2回収よりも難しい。スバンテ社は、「直接空気回収技術(DAC)」のパイオニアであるClimeworks社(スイス・チューリヒ)に吸着材を供給しているが、それはMOFではなく、CO2回収によく用いられる多孔性のアミン系吸着材だとLetourneauは言う。
これに対し、Yaghiらは2024年10月に、開放空気から直接CO2を回収できるCOFを合成したことを報告した7。これは非常に有望な進展である。Yaghiによれば、彼の研究チームは現在、この材料の合成の簡素化とスケールアップに取り組んでいるという。
Yaghiらはまた、空気から水を捕集するためのMOFの商業化も進めている。彼の研究チームは、低湿度でも水蒸気を吸着することのできる「MOF-303」と呼ばれるMOFを用いた装置を、条件の異なる2カ所(カリフォルニア州のバークレーとデスバレー)で実証した8。この技術のカギとなるのは温度変化で、MOF-303は夜間に気温が下がると空気中の水蒸気を吸着し、昼間に太陽光で温度が上昇すると水を脱着する。そしてこれが凝縮器に送られて、水滴となるのだ。Yaghiは2020年に、スタートアップ企業Atoco社(カリフォルニア州アーバイン)を設立した。この会社では、MOFを用いた「商業化前の水捕集ユニットの試験」を進めているとYaghiは言う。同じく空気からの水の直接捕集を目標としているスタートアップ企業AirJoule Technologies社(モンタナ州ローナン;以下、AirJoule社)は、2025年6月、匿名のデータセンター開発企業との間で、大規模データセンター施設に同社のMOF水捕集技術を導入することで合意に達したと発表した。
そんな中、Numat社は既に、MOFを用いた製品や技術を2種類販売している。1つは、半導体業界で用いられる有毒ガスを安全に貯蔵・輸送するためのボンベで、もう1つは、化学防護服などの個人防護具用の濾過システムである。こうした製品は高付加価値な用途向けに設計されていて、材料は比較的少量で済むため、MOFを大量生産する必要はないとMorrisは説明する。彼は、具体的な販売数は明かさなかった。
実は、MOFで水素を貯蔵するという概念も、立ち消えになったわけではない。2021年にYaghiが、2016年のノーベル化学賞受賞者である故フレーザー・ストッダート(Fraser Stoddart)と共同で設立したH2MOF社(カリフォルニア州アーバイン)では、温和な温度と圧力で水素を貯蔵できるMOF技術の商業化を目指して、今も開発が進められている。同社の広報担当者は現状について、まずドローンや電動自転車用の小型燃料タンクに的を絞って、2025年中に試作品を作る予定だと話す。
MOFは今後も、水素貯蔵技術開発における多くの選択肢の1つであり続けるだろうと、BASF社の広報担当者は言う。同社では、MOF製造に関して顧客からの要望が高まっているが、それはCO2回収や水捕集などの分野によって後押しされたものだと、彼は補足する。CALF-20はBASF社が現在商品として扱う唯一のMOFだが、同社は他にも、多くの民間プロジェクト向けに数kg規模や数t規模で「試験的」にMOFを製造しているという。
MOFの商業化における進展を長く阻んできたボトルネックは、その費用と市場適合性の欠如だったと、AirJoule社の事業開発担当部長である工業化学者Matt Grandboisは言う。「厄介なのは、いくら素晴らしくても、最終的な装置で使い道を見つけられなければ日の目を見ることがない、ということです」と彼は言う。「もう1つの問題は、研究者が安く作る方法を開発しない限り、あまりに高過ぎることでしょう」。
学術研究からエンジニアリングへ
こうしたボトルネックを打破するため、スイス連邦工科大学ローザンヌ校の化学者Wendy Queenは、MOFを用いた装置やその他の材料を実験室よりも大きな規模で試験するのに役立つ小規模なパイロットプラントを開発し、2024年11月にその稼働を開始した。材料の設計者(実験室の化学者)が考えることとプロセスエンジニアが注目することの間には往々にしてずれがあると、Queenは説明する。例えばMOFに関しては、化学者らが、この固体材料の吸着量や特定のガスに対する選択性に目を向けがちなのに対し、エンジニアらは、特定の出発物質からどれだけのMOFをどれほどのコストで大量生産できるのか、そして最終的に生成されるMOFの純度がどの程度なのかを知りたがる。
Queenは現在、このプラントで、MOF製造のエンジニアリングプロセスを調べている。試験対象には、吸着量が特に優れていなくても、スケールアップが可能で性能が良好なものも含まれるという。このプラントは、スイスの化学エンジニアリング企業であるGaznat社(ヴヴェイ)とCasale社(ルガーノ)と共同で開発されたもので、彼女は、他の化学者らがこの施設を使って、ベンチマーキング研究や製品開発のスピードアップに役立ててくれることを望んでいる。
人工知能(AI)を使えば、用途に適したMOFの発見とその合成方法の考案が容易になるとYaghiは主張する。彼の研究チームと共同研究者らは、2025年4月にプレプリントサーバーに投稿された論文9で、MOFの構造データで訓練された大規模言語モデル(LLM)などの複数のエージェントが相互接続されたAIのシステムが、多様なMOFを提案し、有機リンカーに関して多数の新しいアイデアをもたらしたことを報告した。研究者らは、提案されたMOFのうち5つを実際に合成し、このシステムの能力を実証している。
「LLMやAIツールを用いることで、発見にかかる時間を数年から数週間に短縮できます」とYaghiは言う。彼のこの確信が現実となれば、間もなく化学者らはさらに数十万種類ものMOFを手に入れ、そしてより多くのMOFの有用性が明らかになるだろう。
翻訳:藤野正美
Nature ダイジェスト Vol. 22 No. 10
DOI: 10.1038/ndigest.2025.251034
原文
World’s most porous sponges: intricate carbon-trapping powders hit the market- Nature (2025-07-10) | DOI: 10.1038/d41586-025-02067-y
- Katharine Sanderson
- 英国コーンウォール在住のジャーナリスト
参考文献
- Hoskins, B. F. & Robson, R. J. Am. Chem Soc. 111, 5962–5964 (1989).
- Li, H., Eddaoudi, M., O'Keeffe, M. et al. Nature 402, 276–279 (1999).
- Hönicke, I. M. et al. Angew. Chem. Int. Edn 57, 13780–13783 (2018).
- Rosi, N. L. et al. Science 300, 1127–1129 (2003).
- Wright, A. M. et al. Nature Mater. 24, 178–187 (2025).
- Lin, J.-B. et al. Science 374 1464–1469 (2021).
- Zhou, Z. et al. Nature 635, 96–101 (2024).
- Song, W., Zheng, Z., Alawadhi, A. H. & Yaghi, O. M. Nature Water 1, 626–634 (2023).
Inizan, T. J. et al. Preprint at arXiv https://doi.org/10.48550/arXiv.2504.14110 (2025).
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