貧困国のlong COVIDの「二重の呪い」
2021年、飛行機でブラジルに帰国したLetícia Soaresは、傷つき、弱っていた。彼女は疾病生態学のポスドク研究員としてカナダに滞在していたが、最終年は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)後遺症(long COVID)の激しい片頭痛、ひどい倦怠感、体の痛みなどの不調に悩まされ続けた。それぞれの症状がいつ現れていつ消えるかは自分でも予測がつかず、体調はいつになっても回復しなかった。健康を損ない職もないなら自国にいた方が医療支援を受けやすいだろうと考え、Soaresは帰国を決意した。
彼女がカナダでかかっていた医師はそっけなかったので、母国の医師ならもっと親身になってくれるだろうと期待したのだが、その期待は早々に裏切られた。COVID-19のパンデミック(世界的大流行)が始まってから既に1年以上たっていたにもかかわらず、Soaresがブラジルでかかった医師も、友人も、家族も、long COVIDの存在を知らなかったのだ。現在はブラジルのサルバドールで、long COVIDとその関連疾患に的を絞った国際的な支援・研究組織であるPatient-Led Research Collaborativeで働いている彼女は、「人々は私に、それは先進国の病気かと尋ねました」と言う。「ブラジルでは誰もそんな病名を聞いたことがなかったのです」。
いくつかの推定では、ブラジルにはlong COVID患者が400万人以上いるとされている。けれども研究者たちは、Soaresが遭遇したような反応は、多くの中低所得国では珍しくないと言う。世界のlong COVIDに関する研究の大半が豊かな地域で行われており、他の地域での有病率や重症度に関するデータは限られているのだ(「少ない研究」参照)。保健指標評価研究所(IHME、米国ワシントン州シアトル)の疫学者であるTheo Vosは、「中低所得国のデータが少ない主な理由は、高所得国に比べて研究の数が少ないからです」と言う。「患者を探せば、どこでも必ず見つかります」。
これまでに得られたエビデンスは、中低所得国でも豊かな国でもlong COVIDの有病率は同様であることを示唆しているが、どちらの数字にも大きなばらつきがある。ある総説1では、重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2(SARS-CoV-2)に感染したが入院には至らなかった人々の8〜41%にlong COVIDの症状があったことが紹介されている。しかし、long COVIDに関する研究が足りていない貧しい国では「二重の呪い(人々が自分の無知を知らない状況)」が生じている。有病率とリスク因子に関する情報がない国では、long COVIDの問題について呼び掛けることができず、医師ですらlong COVIDの存在をほとんど認識していない。データの欠如は、long COVIDの機序を探り、治療法を開発する取り組みの足かせにもなる。コンサルタント会社Genesis Analytics(南アフリカ共和国・ヨハネスブルク)の公衆衛生専門家であるWaasila Jassatは、「行動するためにはデータが必要です」と言う。「サービスが必要だと主張するならエビデンスが必要で、外国のデータだけでは不十分です」。
不明な有病率
long COVIDは、重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2(SARS-CoV-2)の感染によって引き起こされる複雑な疾患である。仕事もままならないような「ブレインフォグ(脳の霧:認知機能関連症状)」や倦怠感から、患者を衰弱させる疼痛(とうつう)や筋力の低下まで、200以上の症状と関連付けられている。症状の重さはまちまちで、多くの人は症状が現れたり消えたりするため、罹患前と同じくらい調子がいい日があっても、翌日には症状がぶり返したりする。最初の感染から3カ月以上現れたり持続したりする全ての症状をlong COVIDに含める定義もある。
このような事情から、リソースが豊富な国でも、long COVIDの疾病負荷がどれほどかを測定するのは難しい。異なる研究同士を比較するのはさらに困難だ。どのような定義を採用し、どのような症状に注目し、どのような集団を調査の対象とするかが、研究グループによって異なるからだ。
中低所得国は130以上の多様な国々の集団であり、経済的に豊かな国々以上に多くの課題に直面している。こうした国々の多くは植民地支配と搾取の歴史を持ち、経済的に苦しい状況にある。医療システムもさまざまだが、豊かな国々と比べるとリソースが不足している国が多い。Jassatは、ただでさえ研究のためのリソースを見つけることが困難なのに、一元化された健康データがないことが研究の実施を一層難しくしていると言う。例えば、ブラジルでは全労働者の3分の1以上が非正規雇用であるため、労働者がlong COVIDにより何日仕事を休んだかを体系的に追跡する方法がない。
ハーバード大学T.H.チャン公衆衛生大学院(米国マサチューセッツ州ボストン)のグローバル公衆衛生研究者で、研究のためにブラジルの医療従事者やlong COVID患者にインタビューしてきたEmma-Louise Avelingは、「人々は静かに社会から脱落していくのです」と言う。
それでも科学者たちはlong COVID患者の人数を特定しようと努力してきた。イスファハン医科大学(イラン)の心臓病専門医のNizal Sarrafzadeganは、COVID-19のパンデミックの急速な拡大が慢性疾患の悪化や新規発症につながることを懸念し、2020年3月に長期研究を開始した。彼女のチームは、イランでCOVID-19によって入院した人の60%が、感染から1年が経過しても症状があることを見いだした2。
また南アフリカではJassatらがCOVID-19の転帰に関する研究で3700人を6カ月間追跡したところ、そのうちの39%が最初の感染から6カ月後になっても1つ以上の症状を有していることが明らかになった3。COVID-19で入院した人のlong COVID有病率は46.7%で、入院には至らなかった人の18.5%に比べて高い数字になっていた。
サンパウロ大学(ブラジル)の老年医学者であるMurilo DiasとMárlon Alibertiらの2020年の研究では、サンパウロの病院にCOVID-19で入院した患者の3人に1人に、退院後1年経っても1つ以上の症状が見られることが分かった4。「これは医療システムにとって非常に大きな問題です」とAlibertiは言う。
この問題には、SARS-CoV-2に感染したときには軽症だったのに、long COVIDを発症したという症例は含まれていない。Soaresは、ブラジルのlong COVID研究の大半がこの点に配慮していない上、ほとんどの医師が、long COVIDのことも、その診断方法も、リスクが大きいのはどのような人であるかも知らないことが、研究を困難にしていると指摘する。
さまざまな状況においてlong COVIDを研究するもう1つの理由は、土地によってその症状に違いがある可能性があるからだ。多くの研究者は、long COVIDの根底には複数の機序があるのではないかと考えている。ナイジェリアのラゴスでlong COVIDの研究をしてきたネバダ大学リノ校(米国)の公衆衛生研究者のOlufemi Erinosoは、この疾患のリスクは遺伝要因や環境要因の影響を受けるのかもしれないと言う。「遺伝要因が転帰に影響を及ぼす仕組みを理解するためには、グローバルなアプローチからこの疾患に迫る必要があります」。
多様なデータ
long COVIDの機序を詳細に解明するためには、どの細胞経路が関与していて、これらの経路にどのような個人差があるかを明らかにする必要があるため、多様な遺伝的背景を持つ研究参加者を調べる必要がある。細胞経路についての理解が深まれば、それだけ治療薬の標的候補が増えることになる。エール大学(米国コネティカット州ニューヘイブン)の免疫学者である岩崎明子(いわさき・あきこ)は、「long COVIDについての理解を深め、全ての人により良い治療法を提供する上で、グローバルな協力体制でこの疾患の解明に取り組むことができないことが大きな障害となっています」と言う。
世界中で一貫していると思われる1つの傾向がある。この2年間でSARS-CoV-2の変異株が出現するとともに、long COVID患者の人数が減少してきているように見えるのだ。南アフリカではJassatらが、SARS-CoV-2のオミクロン株に感染した人のlong COVIDの発症率が、ベータ株やデルタ株に感染した人での発症率よりも低いことを明らかにしている3。英国の研究者たちも、オミクロン株に感染した人はデルタ株に感染した人に比べてlong COVIDを発症しにくいことを見いだしている5。モスクワで小児のlong COVIDを研究してきたインペリアルカレッジ・ロンドン(英国)の小児科医Daniel Munblitによると、long COVIDを発症するリスクのある人々の数が世界的に減少した理由は、世界がオミクロン株の脅威を脱して久しいこともあるが、予防接種や感染により免疫レベルが向上したこともあるとみられていると言う。
これは基本的には良い知らせだが、1つだけ小さな欠点がある。long COVIDの新しい研究の参加者が集まらない可能性があるのだ。研究組織チャールズ・リバー医療グループ(Charles River Medical Group、ジンバブエ・ハラレ)のエグゼクティブ・ディレクターであるTariro Makadzangeらは、2024年の研究にlong COVIDを含めようとしたが、新規の症例が少な過ぎて苦労したという。
治療法を探す
欧米では、long COVIDの治療法を探す大規模な取り組みが始まっている。米国立衛生研究所(NIH)は11億5000万ドル(約1720億円)を投じてRECOVER(Researching COVID to Enhance Recovery)プログラムを実施しているが、予算の一部はlong COVIDの治療法の発見のために使われる。英国でも、30の病院と大学からなるコンソーシアムがSTIMULATE-ICPプログラムの下で治療法を探している。
ラ・サバナ大学(コロンビア・ボゴタ)の感染症専門医であるLuis Felipe Reyesは、欧米で開発された治療法が低所得国でも使えるようになるかどうかは分からないと言う。彼は、SARS-CoV-2ワクチンの供給において問題になった不平等が今回も繰り返されることになるだろうと予測している。当時は、豊かな国々によるワクチンの買い占めが問題になったし、各種のワクチンの中でもmRNAワクチンなどは低所得国が使用するのは難しかった。mRNAワクチンは製造コストが高いだけでなく、多くの低所得国では困難な低温輸送を必要としたからだ。
「豊かな国々はlong COVIDの治療法を発見していますが、これを貧しい国々にそのまま持ってくることはできないかもしれません」とReyesは言う。
現段階では、long COVIDの治療には慎重なリハビリが行われることが多く、理想的には、さまざまな分野の専門家からなる共同チームが必要になる。チャールズ・リバー医療グループのワクチン専門家であるKimberly Kononoは、こうした集中的なモニタリングとケアは、医療システムに余裕がない貧しい国々はもちろん、豊かな国々でも難しいと言う。しかし、リソースが限られている中低所得国の中には、豊かな国にはない選択肢を持つ国々もある。例えば、ブラジルの公的医療システムにはコミュニティーの医療従事者のネットワークがある。Avelingは、地域に根付き、住民のことをよく把握しているこのネットワークを活用することで、貧しい地域でのlong COVIDの認知、診断、治療を向上させることができるはずだと考えている。
このアプローチが成功するかどうかは、医療システムがlong COVIDを真剣に受け止められるかどうかに懸かっている。実は、ある種の熱帯病をはじめとする他のウイルス感染症の後にも同様の症状が現れることがあるのだが、患者の訴えは必ずしも聞き入れられてこなかった。リオグランデ・ド・スル連邦大学(ブラジル・ポルトアレグレ)の人類学者Jean Segataは、これらの疾患は長年顧みられず、社会から疎外されたコミュニティーで発生した場合は特にその傾向が強いと言う。「患者たちは、医師に不調を訴えてもまともに相手にされず、何でもない、そのうち治ると言われることが多いのです」とSegataは言う。「貧しい国々のlong COVID患者にとって、自分たちの苦しみを認めてもらえないことは、さらなる不満と苦痛の原因になります」。
Avelingらとブラジルにおけるlong COVIDの影響について研究しているSoaresは、この影響を目の当たりにしている。long COVIDも他のウイルス感染後症候群も、事実上、目に見えないものになっているのだ。「私たちは、人々が実際にこのような症状を経験し、対処すべき問題を抱えていることをデータで示す必要があります」とSoaresは言う。そして彼女はため息をつく。「そんなことをしなくても分かってもらえればいいのですが」。
翻訳:三枝小夜子
Nature ダイジェスト Vol. 21 No. 4
DOI: 10.1038/ndigest.2024.240425
原文
Long COVID is a double curse in low-income nations — here’s why- Nature (2024-01-04) | DOI: 10.1038/d41586-023-04088-x
- Heidi Ledford
- 米国ワシントン州シアトル在住のNatureシニア記者。
参考文献
- Nittas, V. et al. Public Health Rev. 43, 1604501 (2022).
- Sarrafzadegan, N. et al. J. Res. Med. Sci. 27, 65 (2022).
- Jassat, W. et al. Int. J. Infect. Dis. 128, 102–111 (2023).
- Dias, M. B. et al. J. Intern. Med. 293, 264–268 (2023).
- Antonelli, M., Pujol, J. C., Spector, T. D., Ourselin, S. & Steves, C. J. Lancet 399, 2263–2264 (2022).
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