Editorial

水素はむやみに使わず、賢く使おう

中国などでは、水素を燃料とする自動車の普及促進が計画されている。 Credit: VCG/Contributor/Visual China Group/Getty

世界各国の政府は、エネルギーシステムを変革して気候変動対策の誓約を達成する道を見つけ出そうと躍起になっている。その中で、重要性と影響力が漠然と高まっているのが水素である。水素は、現在の実質ゼロ排出シナリオのほとんどで中心的存在に位置付けられており、その生産量は、21世紀半ばに今の5倍以上に拡大すると予想されている。

水素に対する熱意は、理解できる面もある。もし水素が自由に手に入るとしたら、「脱炭素化の奇跡」のようなことが起こると考えられるからだ。水素は、輸送用機器や暖房装置に用いる場合は無炭素燃料となるばかりか、簡単に電化できないエネルギー集約型産業の一部(例えば、製鉄業や肥料製造業など)でも、燃料として利用できる(Nature 2022年11月17日号440ページ参照 )。

問題は、水素が自由に手に入らないことだ。地球上では、ほとんどの水素は他の元素と結合して分子の形で存在しているため、水素を抽出するには膨大なエネルギーコストをかけなければならない。また政策立案者は、水素に向かって無理に突進することで、意図せざる悪影響が人と地球の両方に及ぶ可能性がある点にも気を付けるべきだ。

現在のところ、ほとんどの水素の製造プロセスで、大量のCO2が副産物として生成される。その一例が、天然ガス(メタン)の水蒸気改質という製造プロセスだ。このプロセスでは、メタンを水と反応させることで水素と二酸化炭素に分解する。一方、再生可能エネルギー由来の電力を利用して水分子を分解すれば、確かにグリーン水素(製造プロセスでも燃焼プロセスでも二酸化炭素を排出しない)の製造は可能だが、標準的な製造法と比べてコストが高い。

また、グリーン水素を製造するために、再生可能資源が非効率に利用される事態も起こり得る。電力需要のピーク時に、グリーン電力(自然エネルギーによって発電された電力)を使って水素の製造を行えば、グリーン電力を電力網に供給して化石燃料由来の電力を置き換えるという本来の効果が奪われ、温室効果ガス排出量全体が意図したレベルを上回ってしまうかもしれないのだ。ましてや、化石燃料の使用量を減らさない発電によって得られた電力を使って水素を製造すれば、状況は悪化するだろう。

結局のところ、水素の利用は慎重にすべきであり、温室効果ガスの排出をなくす方法が他にない場合に水素を利用すべきなのだ。現在喧伝されている水素の利用法の多くは、この条件を満たしていない。例えば、天然ガスの代わりに水素を家庭用暖房の燃料として利用することを推進するグループがあるが、この方法は、電力を直接利用する方法よりもはるかに効率が悪い。もっと直接的にいえば、消費者にとって暖房費の上昇を意味する。それどころか、真のグリーン水素を家庭用暖房の燃料に用いる場合であっても、温室効果ガスの排出をなくすには水素を燃料にするしかない、という用途に振り向ける場合と比べれば、現在のCO2排出量を削減できる余地は小さいのだ。

意図せざる悪影響の例をもう1つ挙げよう。水素を動力源とする乗用車と小型商用車である。欧州連合(EU)は、内燃機関を動力源とする乗用車と小型商用車の販売を禁止する協定を多くの国々と結んだばかりである。そして、2030年に温室効果ガス排出量の55%削減(1990年比)を目標とする政策パッケージ「Fit for 55」の一環として、2035年に域内の全ての新車がゼロエミッションとなる。しかし、業界団体や一部の国々の政府は、「e-fuel」(水素とCO2を原料とする合成燃料)で走行する自動車を引き続き許可したいと考えている。現在のバッテリー技術は、特定の大型トラックや大型船舶、飛行機などの輸送用機器の脱炭素化という目的には適合していないため、将来的には、e-fuelがこの目的の達成に有効な手段となるかもしれないのだ。しかし、自家用車に関しては、既にエネルギー効率の高いバッテリーが利用可能であるため、e-fuelは邪魔な存在だ。

政策立案者は、意図せざる悪影響が人と地球の両方に及ぶ可能性に気を付けるべきだ

またEUには、グリーン水素の定義を骨抜きにし、温室効果ガス排出量が「Fit for 55」の許容レベルに達しない燃料を製造する方法でも補助金を出すことを求める圧力が産業界からかかっている。これは、EUが書面上で環境と調和しているように見える政策を採用したが、かなり小さな字でただし書きが記載されていたという過去の事例に似ている。例えば、木質派生燃料から発生したエネルギーが再生可能エネルギーに算入されたため、欧州やその他の地域の森林地帯の破壊が起こり、温室効果ガス排出量の削減につながらなかった。

米国は、もっと良い手本を示している。真のグリーン水素の製造に対して1 kg当たり最大3ドル(約400円)の補助金を付与し、温室効果ガス排出量の多いものは補助金を低減するというインフレ削減法案が2022年8月に可決されたのだ。これに対して、世界的には、水素の製造方法と水素の利用が有益となる状況を明確に定めた統一規則があれば、水素の製造と貿易が恩恵を受けると考えられる。水素協議会(ベルギーのブリュッセルに本部を置く業界団体)は、グリーン水素製造の国際基準と認証制度を強く求めている。

この国際基準の制定は、優先的に進められるべきだ。しかし、政策立案者が実質ゼロ排出戦略を設定する際には、パリ協定に適合した総炭素収支の範囲内に収めるという究極の目標を見失うべきではない。水素は、魅力的に見えるかもしれないし、例えば重工業の脱炭素化のように現実のチャンスであるかもしれない。しかし、多くの場合において、正解は水素ではないのだ。

翻訳:菊川要

Nature ダイジェスト Vol. 20 No. 2

DOI: 10.1038/ndigest.2023.230205

原文

Overhyping hydrogen as a fuel risks endangering net-zero goals
  • Nature (2022-11-16) | DOI: 10.1038/d41586-022-03693-6