奈良墨に着目した高大連携チーム、煤生成の通説を覆す発見
–– 奈良墨の主原料である煤の生成過程を調べ、Analytical Sciences (日本分析化学会の雑誌)で論文発表されました1。高校生と大学生の混成チームですが……どのように結成を?
仲野:私が京都大学理学部の非常勤講師を兼務しており、奈良高等学校と京都大学理学部での新しい高大連携事業の形態を試行・検証することを企画提案したのが始まりです。
奈良高等学校では「高校生と大学生が対等・協働的に研究を推進する」ことを趣旨として明示した上で参画希望者を公募し、志望書や面接などで選考しました(大学生は直接声がけするなどして必要人数を集めました)。公募は、廉さんと久米さんが入学した2020年の5月に行い、応募条件は「科学に関心を持ち、大学生と共に積極的・主体的に活動を推進できる者」としました。選考では、科学的な素養だけでなく、人の話を聞きつつ積極的に発言できるかも評価しました。
–– 廉さんと久米さんは、どうして応募したのですか?
廉:募集要項にあった、高校生と大学生が対等に議論しながら進める研究という、珍しい形態の活動に興味を抱いたからです。この高校でしかできないことだと思い、応募しました。
久米:高校生という節目に、自分の新しいアイデンティティーの発見につながる活動をしたいと考えていたことと、京都大学の学生方と共同研究できることに引かれました。
–– 煤を調べようと思ったきっかけは?
久米:研究に独自性を持たせるために、地場産業に関連したテーマはどうかと考えていました。そこで、地元の伝統工芸品である「奈良墨」に着目しました。実際に奈良墨の生産現場に足を運んでいろいろと話を聞く中で、奈良墨の主原料の1つである煤は科学的に未解明なことが多いと知り、煤を追究したら面白いのではないかと思ったのがきっかけです。
廉:私はもともと、炭素材料を研究してみたいと考えていて、独自に調べていました。グラフェンやフラーレンをはじめとする炭素材料は、注目度が高く、活発に研究されているからです。そこへ、奈良墨の案が出てきました。興味を持っていた炭素材料の一種、それも地元の伝統工芸品に使われる「煤」を調べるのも面白そうだと思いました。
–– 煤とは、化学的にどのようなものなのですか?
廉:燃料などの有機物が不完全燃焼によって分解され、微粒子となって不規則に凝集したものです。成分のほとんどが炭素と水素であり、他に質量分率で10%程度の酸素が含まれています。生成過程ですが、まず分解された燃料が多環芳香族炭化水素(PAH:polycyclic aromatic hydrocarbon)となり、球状に積層するような形で直径約10~80 nm前後の煤粒子を形成します。さらに、数十個の煤粒子同士が融着(ファンデルワールス力によって弱く結合した後、粒子表面でグラフェン層が成長し、強く結合すると考えられている)して鎖状に連なり、長さ数百nmの凝集体となります。この凝集体が物理的に多数寄り集まったものが、私たちが普段目にする煤です。
–– 奈良墨はどのように作られるのですか?
廉:原料の煤は主に、イグサをねじり合わせた芯に菜種油を染み込ませたものを燃やして得ます。このとき、職人さんの経験則によれば、細い芯を用いる方が小さい炎となり、質の良い(細かい)煤ができるそうです。こうして得られた煤をにかわとよく練り合わせて棒状に固めて乾燥させることで、お馴染みの奈良墨ができます。
生産現場を見学させてもらった際に、煤の良しあしが奈良墨の品質の要であると知りました。「どうすれば高品質な煤を効率良く生産できるか?」と考えていくうちに、炎中で煤がどのように生成するかを把握し、制御できるようにする必要性を感じ、煤の生成過程を研究テーマとすることにしました。
–– 限られた時間で膨大な数の先行研究を調べ、自分たちの研究の独自性を磨き上げていくのは大変な作業だったのでは?
廉、久米:先行研究の調査には、テーマ決定後から実験開始までの半年間と、実験開始後も半年間は費やしたと思います。一連の研究活動で一番時間を必要としました。
廉:大学生の力も借りながら関連文献を絞って、効率的・効果的に論文を読むことを心掛けました。その過程で、煤の内部構造やPAHの生成メカニズムはよく研究されている一方、煤の外観形状については詳細な議論があまりないことに気付きました。奈良墨にとっては、煤の粒子の大きさや凝集形態といった外観形状が重要です。その点を追究することで独自性が出せると考えました。
久米:煤生成研究の根幹は20世紀の報告で、それが今も引用され結論が導かれていることも知りました。煤生成の解明に飛躍的な進歩があったわけではないのだと驚きました。
廉:煤生成に関して、2021年の総説論文2に、燃料は芯付近で熱分解されてPAHになり、炎中を上昇するに従い凝集が進んで煤になり酸化されるというモデル(既存モデル)が示されています。ただ、煤形状の完成までの各段階が炎中のどの位置で起こるかが曖昧で、実験的な検証はなされていませんでした。そこで、炎のさまざまな位置で煤を採取して比較することにしました。
–– 実験はどのように進めたのですか?
廉:まず、奈良墨の生産現場を意識した実験環境の構築から始めました。初めは、温度や酸素濃度などを制御するために、比較的密閉された形のチャンバーを作製したのですが、チャンバー内部や壁面が大変熱くなることや、煤による汚染が問題でした。その後、2週間にわたって生産現場で温度・酸素濃度の測定を行ったところ、厳密な制御環境は不要と判断できたので、開放型のチャンバーに簡素化することに落ち着き、学校内で実験環境を構築することができました。材料も生産現場を意識し、イグサの芯と菜種油を使いました。ただ、この芯を素人の私たちで作るのは難しかったため、生産現場の職人さんに供与いただきました。
また、化学的な分析も必要と考えました。特に着目したのは煤の酸化で、それが起きるのは本当に炎の上部のみなのか、実際に確かめることにしました。それには、X線光電子分光法(XPS)を用いました。XPSとは、X線を試料に照射した際に放出される光電子(こうでんし)の運動エネルギーを測定することで、試料中に存在する元素の種類や化学結合状態を把握する分析手法です。ただし、分析できるのは主に表面10 nm程度のみです。各種の分析データを解析しながら、煤生成について考察を深めていきました。
–– どのようなことが分かったのですか?
廉:主に2点あります。1つ目は「煤形状は炎の明るい部分の根本(いわゆる内炎の中でも炎心にかなり近い所)で既に完成していて、特に炎心から内炎に向けて急激に形成が進行する」ことです。内炎の輝きが高温に熱せられた煤に起因することは、ファラデー(Michael Faraday)の実験でも知られていますが、今回、内炎に存在する煤は全て完成形であることが分かりました。加えて、炎心では煤がまだ形作られていないことから、煤形状の形成には炎心と内炎の境界付近が支配的である可能性が示唆されました。
2つ目は、「煤の表面酸化(煤として完成しているため、その表面の酸化が進む)が、内炎の根本でも起こる」ことです。差し込んだ銅板の上側に煤が付着することはなかったので、既に酸化された煤が対流で炎の上部から落ちてきた、という考えは否定できます。これら2つはどちらも、既存モデルでは言及されていない新知見です。
–– 通説を覆す発見ですね。
廉:内炎の根本で採取した煤の形状が、炎の上部と全く変わらなかったことにはとても驚きました。先行研究からすると、少しぐらい違いがあるだろうと思っていたのですが。この結果から、煤生成は下から上へという流れだけではなく、横方向も含め、炎の内部から外側へ向かって起こると考えられます。酸化についても同様であると考えています。
久米 私も、支持されてきた通説を一部改めるような結果が出たことに驚きました。また、炎心には煤の存在が確認できなかったことにも驚きました。
廉:調べたいことはまだあります。まず、炎心では何が起こっているのか。また、炎心と内炎の境界での煤生成をもっと細かいタイムスケールで調べる必要があります。それに、上に行くにつれ酸化状態がどのように変化するのか。今回、私たちが調べたのは内炎の根本のみでしたので。
–– 研究を進める中で、困ったことはありましたか?
廉:煤の分析では、真空引きした際に煤が飛散して装置を汚染する懸念があり、細心の注意が必要でした。また、コロナ禍で県外活動が制限されていたため、作製した試料は基本的に大学へ輸送して分析していただくことにしたのですが、その輸送方法も課題でした。最初、銅板を両面テープで段ボールに貼り付けて送ったところ、中で銅板が飛び散ってしまったのです。最終的に、半導体などの輸送に使われる「ゲルパック」を使用する形に落ち着きました。しかし、できれば分析現場に直接立ち会いたかったですね。
久米:炎から煤を採取する実験で、煤を付着させるガラスの板が熱に耐え切れず破損してしまい、何度も実験をやり直したのが大変でした。また、実験結果が予想外の結果になった際に、その原因や、次の実験へどうつなげることができるかを考察するのも難しかったです。
論文投稿から掲載までの道のり
–– Analytical Sciences に投稿した理由をお聞かせください。
廉:私たちの研究は、「煤」「炎」「伝統工芸」と領域が曖昧で、投稿先選びに苦労しました。最初は地域や伝統・文化を対象とする学術誌に投稿し、領域が異なるという理由でリジェクトされたのです。その際、分析化学という分野に該当するのではとアドバイスをもらったのがきっかけです。
審査スピードも重要でした。論文にできるだけのデータが得られたのは2021年夏で、そこから執筆を始めましたが、投稿時には第3学年でした。同誌には、長い歴史と審査の素早い短報があることが投稿の決め手でした。
仲野:なお昨今は、高校生でも論文発表する事例が増えているように見受けられます。そのような中、「論文誌の『質』がどこまで意識されているか」は、気になっているところです。研究倫理そのもの、そしてその一端ともいえる「ハゲタカ(Predatory)」誌への投稿是非についても、高校ではほとんど話題にすら上がらないのではないでしょうか。
–– 仲野教諭にお尋ねします。活動全体を通して指導で苦労したことは?
特に挙げるとすれば、論文を完成させるところでしょうか。大学教員が「学生がレポートをうまく書けない」と嘆いているのを私も耳にしますが、高校までの課程でレポートの書き方を十分に指導されることは少ないと思います。学術的な論文はさらに一段階上のものを書かねばなりませんし、独特の表現方法を習得させる必要もありました。さらに今回は英語論文ですから、彼らにとっては全てが初めてのことでした。
–– 高大連携を実際に行ってみて、いかがでしたか?
高校生側については2人が話した通りですが、大学生側にもメリットがあると感じました。高校生に教えてあげたいという気持ちで自発的に勉強して情報を集めるようになり、大学の講義とはまた違う、学びの機会になったと思います。また、教員免許取得を考えている学生にとっては、教育実習前の実習のような良い機会になると考えています。
–– 高校での研究で、教員は生徒をどうサポートすればよいでしょうか。
基本的には、高校生の主体性を尊重した推進が望ましいと考えます。ただし、野放しにはせず、タイミングを見計らって介入・サポートする必要も当然あろうかと思います(特に、各種の方法論的側面の指導)。また、彼らが研究しやすい環境づくり(例えば、外部機関との折衝や手続きなど)も教員の責務と捉えています。
なお、そうした行動としてのサポートも大事ではありますが、やはりその前提として、教員自身が「研究」に対する経験値を上げ、感性を磨き続ける必要があります。そのためには、どんなことでもいいので、各々の教員自身が何らかの研究に日々取り組み、適宜、対外発表も行っていくという姿勢が求められるのではないかと考えています。
–– ありがとうございました。
聞き手は編集部。
著者紹介
仲野 純章(なかの・すみあき)
奈良県立奈良高等学校教諭・研究推進部長
京都大学大学院理学研究科非常勤講師(兼務)
京都大学総合人間学部卒業。パナソニック(株)にて金属材料の基礎研究に従事し、京都大学大学院より博士(工学)授与。2016年4月より同校教諭。現在、理科教育学に関わる実践・研究を推進しつつ、高大連携の企画・運営にも注力。東レ理科教育賞企画賞、日本理科教育学会優秀実践賞など、各種受賞。
廉 明徳(れん・あきのり)
奈良県立奈良高等学校3年生
将来、化学を軸とする基礎研究に携わりたいと考えている。
久米 祥子(くめ・しょうこ)
奈良県立奈良高等学校3年生
将来、食品開発に携わりたいと考えている。
Nature ダイジェスト Vol. 20 No. 1
DOI: 10.1038/ndigest.2023.230124
参考文献
- Ren, A., Kume, S., Baba, R., Kishida, Y., Fujiwara, M. & Nakano, S. Analytical Sciences 38, 1149–1152 (2022).
- Xi,J., Yang, G., Cai, J. & Gu, Z. Front. Mater. 8, 695485 (2021).