Editorial

差別を助長する科学的遺産の形成に手を貸したNatureの過去

フランシス・ゴルトンは、英国王立学会フェローの家族における「成功と天賦の才能の分布」を評価したと主張する論文を執筆し、Natureは1904年にそれを掲載した。

1904年、Natureは統計学者フランシス・ゴルトン(Francis Galton)の優生学に関する講演文を掲載した。ゴルトンは、当時の一流科学者の1人で、優生学を「人種の生来の資質を向上させ発展させる全ての影響を扱う科学」と定義し、「優生学の目的は、それぞれの階級や派閥が、その中での最高の見本となる人々で代表されるようにして、その割合を次世代に向けて増やし、その結果、それらの人々が独自のやり方で、(それぞれの階級や派閥に)共通の文明を構築できるようにすることにある」と述べた。

ゴルトンの優生学についての考え方は、科学的に不正確で、極めて大きな悪影響を残した。この悪影響との格闘は、今でも世界中で続いている。一部の集団(例えば、有色人種や貧困層)が劣っているという考えは、取り返しのつかない差別と人種主義を助長した。Natureは、ゴルトンや他の優生学者による数編の論文を出版し、こうした見解に発表の場を提供した。その当時、優生学は「活発に研究され、非常にまともな研究分野と考えられていた」と話すのは、Natureの歴史を記した『Making Nature』を2015年に上梓したメリーランド大学カレッジパーク校(米国)の歴史学者メリンダ・ボールドウィン(Melinda Baldwin)だ。「Natureはそうした学者の著作を出版することで、優生学の学説を広めるのに力を貸した」と彼女は話す。

ゴルトンの論文は、Natureにとって隠しておきたい黒歴史の一部である。Natureは、今から150年以上前に創刊されて以来、重要な科学的発見を記した論文を出版することで評判を高めてきたが、その一方で、研究や社会における偏見や排除、差別の一因となる論文も出版した。掲載論文の中には、不快感を生むものや害を及ぼすものも含まれており、これらの論文は公正性、多様性、包摂性を育むというNatureの現在の目標とは際立った対照をなしている。この遺産については、遅ればせながら検討を加え、公表する作業を進めている。

私たちは、ネイチャーに掲載される論文が害を及ぼさないよう、努力を重ねることを約束する

私たちは、研究における人種主義の特集号(2022年10月20日号)に向けて、Natureの歴史を検討してきた。私たちがこの特集号の発行を約束したのは、2020年に米国でジョージ・フロイド(George Floyd)が警官に殺され、人種主義の弊害に対する抗議運動が世界で巻き起こった後のことだった(2020年9月号「制度的な人種差別の廃絶に向けて科学は耳を傾け、学び、変わらなければならない」参照)。この特集号を指導する4人の客員編集者(Melissa Nobles、Chad Womack、Ambroise Wonkam、Elizabeth Wathuti)が強調しているのは、科学研究機関が、自らの歴史により構造的な人種主義が形成された事実を認めることの重要性である。今回の社説は、人種主義などの問題を内包した科学的遺産に対するNatureの寄与を包括的に説明したものではないが、出発点ではある。

上述の問題はNatureの歴史の古い部分にとどまらない。近年でも、Natureが出版した論文には、人を不快にするものや、破壊的なもの、エリート意識過剰だと批判されるものがある。「科学誌はその昔、社会において数多くの特権を与えられた排他的な階層の代弁者であった。だが現代でも、実際は同じことを続けている」と話すのは、ロンドン在住の科学史家・作家で、科学的人種主義と優生学を研究するスバドラ・ダス(Subhadra Das)だ。

Natureのアーカイブには、人々に害を及ぼし、気持ちを乱すことさえある多数の論文や記事が含まれている。しかし私たちは、Natureの全コンテンツを常にアクセス可能な状態に保つことが重要だと考えている。これらも科学的・歴史的記録の一部であるからだ。これは他の学術出版社と同じ考え方である。過去の出来事を研究し、そこから学びを得ることは、現代の研究者にとっても未来の研究者にとっても大事なことだ。とはいえ、のアーカイブの中には、現在の価値観を表しておらず、今では出版が認められない数々の論文が含まれているため、そのことを読者に注意喚起する方法を構築中である。Natureは、綿密な研究論文であれば、たとえ論争の的になっていても、その出版に躊躇しない。しかし、研究と研究者は、それより広い社会の一部であり、私たちは、Natureに掲載される論文が害を及ぼすことのないように、さらに努力を重ねることを約束する(2022年9月号「研究による危害を許さない」参照)。また、共同研究における包摂性と倫理の強化に関する指針や、著者が研究計画において性とジェンダーにどのように配慮して報告する必要があるかを示した指針を公表することも約束する(2022年8月号「研究に性差分析を強く求めます」参照)。

排他的なクラブ

天文学者ノーマン・ロッキャー(Norman Lockyer)と出版業のアレクサンダー・マクミラン(Alexander Macmillan)によって1869年に創刊されたNatureは、科学エスタブリッシュメント(支配階級)を構成していた旧来の価値観を持つ英国人男性の排他的なクラブが発する論文を出版して、彼らに科学情報の管理を委ねるという目標を明示していた。創刊時の想定読者は、教養ある男性というエリート読者層だったが、間もなく科学者に的を絞るようになった。

それから何十年もの間、この排他的なクラブの出身者がNatureの編集責任者に就任し、このクラブを育てた。1939〜1960年にNatureを率いたアーサー・ゲイル(Arthur Gale)とライオネル・‘ジャック’・ブリンブル(Lionel ‘Jack’ Brimble)の2人は、「最もクラブ的な時代」の編集責任者で、主に付き合いのあった研究所からの論文を出版し、「アセニアムクラブで酒を飲みながら多くの編集上の決定をしていた」とボールドウィンは話す。アセニアムクラブとは、英国ロンドンの影響力を持つ会員制クラブで、2人はそこで人脈を醸成した。またNatureは、英国が史上最大の植民地帝国になるとともに成熟した。大英帝国は1919年には世界の国土と人口の約4分の1を占めていた。ゲイルとブリンブルの時代にNatureで編集に携わり、同誌に論文を投稿した数多くの科学者は、白人の欧州人が優越しているという見解を擁護し、この優越思想が大英帝国の建設を後押しした。Natureの過去のアーカイブの多くの論文には、傲慢、帝国主義、性差別、人種主義といった空気が漂っている。

これらの有害な論文や記事の中でも、ゴルトンの論文は際立っている。Natureはゴルトンが通常利用する出版社ではなかったが、彼の学説を広め、正当化した重要な出版社だった。ゴルトンは、「最も価値があり、知的で、才能のある人々」を選択的に育成することで、人類を改善できると主張した。Natureは、1904年にゴルトンの論文を発表した。この論文でゴルトンは、英国王立学会のフェローの家族における「成功と天賦の才能の分布」を評価したと主張し、「非常に優れた才能を持つ家系が存在しなければならず、その人種は国家にとって貴重な資産である」と結論付けた。

ネイチャーのアーカイブには、植民地の拡大と表裏一体の、有害な投稿論文が含まれている

優生学は、一部の著名な科学者や政治家の支持を受けた国際的な運動になった。英国ケンブリッジ大学で科学史と英連邦史を研究するソール・デュボフ(Saul Dubow)は、優生学について「世界的な共感を得た一連の思想だった」と話す。1908年にはゴルトンの講演文がNatureに掲載された。この講演でゴルトンは、それぞれのコミュニティーで「市民としての適性が極めて高い人々の家族を支援する」ための独自の地域協会を立ち上げる方法を説明した。

1919〜1939年にNatureを率いた2代目の編集者リチャード・グレゴリー(Richard Gregory)は、優生学を積極的に支持した。その時期に、人々を不快にさせる見解や人種主義的見解の社説が出版された。例えば1921年の社説では、「欧州や米国の高度な文明を有する人種は、過去数世紀にわたる発展を背景に持っている」と述べ、さらに「欧州に属する地域ではあるが、例えばバルカン半島などに住む後進人種は今後しばらくの間、こうした理想に同化することはないだろう」とした。一部の国々では、優生学が、強制的な不妊手術プログラムを正当化するために用いられたため、批判が大きくなった。

現代の科学者は、ゴルトンら優生学者が信奉した学説を完全に否定している。しかし、こうした学説は「21世紀の日常生活に依然として影を落として」おり、「差別に苦しむ人々は、優生学が推進した(1つの社会で)標準的なアイデンティティーに関する価値観の影響下で生活している」と多くの人が主張していることが、2020年に発表されたロンドン大学ユニバーシティカレッジ(UCL)の優生学史に関する調査報告書に示されている。UCLは、ゴルトンと強いつながりを持っていた。優生学が今も社会に影を落とす一因は、遺憾ながらNatureにある。

植民地主義の遺産

Natureのアーカイブには、植民地の拡大と表裏一体だった生態学、進化、人類学、民族誌学の分野からの有害な論文も含まれている。1921年には帝国主義と人種主義の見解を反映した社説を掲載しており、その内容は、当時の英国科学振興協会の大会で開催されたあるセッションにて「大英帝国の統治において人類学の科学の実用性をより高めるための方法と手段について、特に帝国の臣民と後進民族を治める政府に関連付けて、熱心な議論が行われた」と報じた。Natureが人を不快にさせたり傷つけたりする見解や破壊的見解を科学のベールに覆い隠して出版した例は、この他にも数多く存在する。

1930年代には、「ドイツ科学におけるユダヤ人の有害な影響」について記した物理学者ヨハネス・シュタルク(Johannes Stark)の2編の反ユダヤ主義の論文がNatureに掲載された。当時のNatureは、ドイツにおけるナチスの台頭に強く反対する立場をとっていたため、その後、ドイツ国内で発行禁止になった。Natureは同時に掲載した記事の中で、シュタルクの言説がいかに衝撃的なものであるかを読者に示すためにシュタルクに論文投稿を依頼したことをほのめかしていたが、結果として反ユダヤ主義の見解を広範な読者の目に触れさせることになってしまった。

私たちはネイチャーという科学的事業を開かれたものにし、全ての人々を受け入れることを目指す

またNatureの誌面には、性差別的な論文や姿勢も頻繁に表れていた。数十年もの間、男性著者が上から目線で女性に関する記述を続ける一方、女性著者が起用されることはほとんどなかった。初代編集長のロッキャーは、例えば、女性化学者のロンドン化学会への入会を支持するなど、女性科学者を支援する努力をある程度していたが、後任のグレゴリーは「悔い改めない性差別主義者」だったとボールドウィンは言う。1906年、グレゴリーは天文学者で作家のアグネス・クラーク(Agnes M. Clerke)の新刊書に対する書評の中で、「この著者の推理力よりも女性の直感的本能の方が従うべき指針として無難」なことが同書ではっきりしたと、こき下ろした。

ここ数年間を見ても、Natureには人に苦痛を与える論文や記事が掲載されている。その1つは科学の名の下に忌まわしい行為を犯した歴史的人物の追悼に関する社説で、内容が不正確な上、認識の甘さが表れていた。この社説は有色人種や少数民族を傷つけ、Natureはその多くの誤りについて謝罪した。私たちが是正に取り組んでいるNatureの構造的問題、例えば、編集者の多様性の欠如や、人種主義におけるNatureの役割に関する認識不足などは、この経験で露呈したものだ。私たちは、Natureという科学的事業を開かれたものにし、全ての人々を受け入れることを目指している。そのために、過去から現在に至るNatureの問題を認め、そこから学び、不当な行為の根源の解明に努めている。今回の社説も、そうした試みの一環である。

翻訳:菊川要

Nature ダイジェスト Vol. 19 No. 12

DOI: 10.1038/ndigest.2022.221205

原文

How Nature contributed to science’s discriminatory legacy
  • Nature (2022-09-28) | DOI: 10.1038/d41586-022-03035-6