News & Views

ヒト脳の進化の遺伝的交響曲

Nature ダイジェスト Vol. 19 No. 1 | doi : 10.1038/ndigest.2022.220137

原文:Nature (2021-10-21) | doi: 10.1038/d41586-021-02460-3 | The genetic symphony underlying evolution of the brain’s prefrontal cortex

Jenelle L. Wallace & Alex A. Pollen

ヒトの脳の前頭前野は他の生物種よりも大きい。マウス、マカク、ヒトの脳の比較により、これらの違いの背後にある遺伝的・分子的要因のいくつかが明らかになった。

拡大する

Bruce Rolff/Stocktrek Images/Getty

交響曲は、オーケストラの多くの楽器を慎重に調律して調和させることから生まれる。それになぞらえれば、生物では、トランス作用因子として知られるタンパク質などの分子が、指揮者のように、離れた場所から複数の遺伝子の発現を制御し、シス調節エレメント(CRE)と呼ばれるDNA領域が、楽器を奏でる楽団員のように、染色体上で近傍にある個々の遺伝子の発現を調節する。CREの変化は、個体群全体の進化的変化の原因ではないかと考えられているが、それはCREが1つの生物の特性に非常に特異的な影響を与えるからである。対照的に、トランス作用因子の変化は、大きな遺伝子群の活動を調整して、複数の特性に影響を与える1。このほど、エール大学医学系大学院(米国コネチカット州ニューヘイブン)の柴田幹士らは、人類の進化の特徴である、前頭前野(PFC)と呼ばれる脳領域のサイズが大きいことと他の領域との神経接続が豊富であることについて、シス調節とトランス調節の変化の相互作用を探り、Nature 2021年10月21日号483ページ489ページに発表した2,3

霊長類の進化に伴って、脳の大脳皮質は劇的に拡大した。特にヒトでは、複雑な脳機能を果たすと考えられている、PFCなどの皮質領域が非常に顕著に大きくなった4,5。また、ヒトPFCのニューロン細胞は、PFC領域以外のニューロンよりも、他のニューロンとのシナプス結合が豊富である6。しかし、これらの特性を遺伝子の発現や調節における特定の変化に関連付けることは困難だった。

柴田ら2は、発生過程でPFCとそれ以外の皮質領域に違いを引き起こすメカニズム7は、異なる種間でPFCに違いが生じることにも関与している可能性があるのではないかと推論し、ヒトPFCで他の皮質領域よりも高いレベルで発現する遺伝子群を調べた8。すると、これらの遺伝子の多くは、ビタミンAの代謝で生成される分子であるレチノイン酸によって、その発現が調節されているようだった。レチノイン酸はシグナル伝達分子として機能し、発生において多くの役割を果たしていることから、レチノイン酸がPFC機能のマスタートランス作用因子ではないかという仮説が導かれた。

実際、柴田らは、ヒト、マカク、マウスの脳において、PFCでは他の皮質領域よりもはるかにレチノイン酸レベルが高いこと、中でもヒトで最もそのレベルが高いことを発見した(図1a)。これらの結果は、レチノイン酸が、PFCで高発現する遺伝子の発現を調節する「指揮者」として機能している可能性があることを示唆している。

レチノイン酸レベルの勾配は、調査した3種全て(ヒト、マカク、マウス)の皮質領域に存在した。そこで柴田らは、マウスモデル(ただし、マウスのレチノイン酸レベルは他の2種より全体的に低い)を使用して、ヒトPFCに関連する機能の発達におけるレチノイン酸シグナル伝達の役割を探ることにした。彼らは、レチノイン酸受容体タンパク質RXRGおよびRARBをコードする遺伝子を欠失しているマウスを作製して、この経路を介したシグナル伝達低下の影響を調べた。改変されていないマウスと比較して、改変マウスは、通常PFCで高度に発現する遺伝子の発現が低く、PFCでのシナプス結合が少なかった。さらに、PFC内側部(mPFC)と、視床内側と呼ばれるもう1つの脳領域との間のニューロンの相互接続が、特異的に減少していた。

対照的に、レチノイン酸を分解する酵素を欠失するように遺伝子操作されたマウスでは、結果として生じるレチノイン酸シグナル伝達の増加により、視床内側とmPFCの間の投射がより多く発達した。また、視床からの入力を受け取る皮質第4層の細胞集団で発現する遺伝子Rorbの発現も増加した。皮質第4層は、ヒトやその他の霊長類のPFCに特徴的だが、マウスのPFCには存在せず、Rorb遺伝子の発現は通常ごく少量である9

mPFCと視床内側の間の相互接続が、ヒトの脳機能にどのように関与するかはまだ不明だが、皮質での計算の調整、認知の促進、柔軟な意思決定に関係している可能性がある。柴田らによる、視床内側–mPFC経路の発達を制御するメカニズムに関する今回の発見は、非霊長類モデル生物における視床内側–mPFCの相互接続の発達と機能について詳細な研究を行う基礎となるかもしれない。

2つ目の論文3では、柴田らは、CBLN2遺伝子に焦点を合わせている。CBLN2は、シナプスを組織するタンパク質であるセレベリン2をコードし、PFCで豊富に発現している。特にヒトでは、マカクやマウスよりも多くの種類のPFCニューロンで発現している。柴田らは、レチノイン酸シグナル伝達によってCBLN2の発現が増加するという観察に基づいて、CBLN2近傍のCRE候補を調べ、DNA配列を1つ特定した。この配列は遺伝子発現を促進するエンハンサーと呼ばれるもので、PFC発達初期に活性化していることが分かった。このエンハンサーには、レチノイン酸受容体が結合できるいくつかの部位が含まれており、レチノイン酸に応答したCBLN2の発現の増加につながる(図1b)。

図1 マウス、マカク、ヒトの大脳皮質の違い
a 柴田ら2は、マウス、マカク、およびヒトの脳を比較した(図は同じ縮尺ではない)。その結果、レチノイン酸分子のレベルは3つの生物種全てにおいて、発生中の大脳皮質で前から後ろに向かって徐々に低くなる勾配を示し、また全体的なレベルは、ヒトで最も高く、マウスで最も低いことが分かった。ヒトの前頭前野(PFC)は、マカクやマウスと比較して拡大しており、またヒトPFCはマウスのPFCよりも、視床との相互接続の数が多い(接続は示されていない)。
b 柴田ら3は、エンハンサーとして知られる遺伝子発現を調節するDNA配列を特定した。このエンハンサーは、PFCの発達中に活性化する。このエンハンサーには、レチノイン酸受容体やSOX5タンパク質が結合できる部位が含まれており、遺伝子発現をそれぞれ促進、抑制する(部位がそれぞれ1つずつ示されている)。ヒトでは、いくつかの抑制性部位が削除され、遺伝子CBLN2の発現が増加している。さらにマウスPFCの神経細胞は、ヒトPFCニューロンよりも、シナプス結合を形成する樹状突起スパインと呼ばれる構造の密度が低い。 | 拡大する

今回柴田らは、このエンハンサーはSOX5と呼ばれるタンパク質が結合できる部位を複数持っており、遺伝子発現を抑制できることを発見した。異なる種のエンハンサー配列を比較したところ、おそらくおよそ1200万〜700万年前に2カ所の配列が欠失したことにより、ヒトとチンパンジーの共通祖先のゲノムからSOX5結合部位のいくつかが除去されたことが明らかになった。培養細胞では、ヒトとチンパンジーのCBLN2エンハンサーはSOX5によって抑制されなかったが、ゴリラとマカクのエンハンサーは中程度に抑制され、霊長類よりもSOX5結合部位が多いマウスのエンハンサーは最も強く抑制された。

次に、柴田らは、Cbln2エンハンサーをヒトタイプのものに置き換えたマウスを作製し、たった1つのCREの改変が、脳のどの機能と特異的に関連しているかを調べた。注目すべきことに、遺伝子改変していないマウスと比較して、ヒトエンハンサーを有するマウスは、シナプス形成に関与する樹状突起スパインと呼ばれるニューロン構造が豊富で(図1b)、PFC発達中の Cbln2の発現が高くなっており、発生中および成体のPFCでより多くのシナプス構造が見られることが分かった。これらの結果は、ヒトPFCの進化という「交響曲」には、トランスで作用するレチノイン酸受容体シグナル伝達を介した遺伝子群の協調的な発現の増加が関与しており、その上、シスで作用するエンハンサーエレメントでのSOX5結合部位の喪失によって、少なくとも1つの応答遺伝子、CBLN2の発現が増加するというさらなる「クレッシェンド」が伴うことを示唆している。

残念ながら、今回の2つの研究では、いくつかの疑問は解決していない。まず、霊長類の脳内のレチノイン酸レベルが比較的高い原因は何か? 柴田らは、いくつかのレチノイン酸合成酵素の発現を分析したが、これらの酵素はさまざまな種類の神経細胞および非神経脳細胞、そして脳を包む髄膜層で発現している。これを考えると、どのタイプの細胞が、そしてどのような進化的変化が関与しているのかを絞り込むのは難しい。

第二に、霊長類の進化のどの時点で、シスおよびトランス作用因子におけるこれらの変化が起こったのか? 柴田らは、レチノイン酸シグナル伝達が、マウスからマカク、ヒトへと段階的に増加していること2を発見した。さらにヒトでは、下側頭皮質(高レベルの認知に重要なもう1つ別の皮質)に、これまで認識されていなかった、マウスやマカクには存在しないレチノイン酸シグナル伝達領域が存在することも明らかにした。しかし、これらの違いが本当にヒト特有であり、私たちの最も近い現生の親類であるチンパンジーに存在しないかどうかは、まだ検証されていない。同様に、CBLN2遺伝子近傍のCREの変化はヒトにもチンパンジーにも見られるが、言語や構文文法などの重要な特性の進化に付随して、ヒトだけに生じた他の分子的・遺伝的変化はまだ調べられていない。

より広い意味において、今回の2つの研究は、脳の重要な特性を変化させるために協調して作用する、シスおよびトランスの作用メカニズムの興味深い例を示している。このメカニズムの「交響曲」が、ヒト脳の他の構造的および行動的特殊化の進化において、例外であるのか、それとも規則であるのかを明らかにするには、霊長類の脳の進化についてのさらなる研究を待つしかない。

(翻訳:古川奈々子)

Jenelle L. Wallace & Alex A. Pollenは、共にカリフォルニア大学サンフランシスコ校(米国)に所属。

参考文献

  1. Carroll, S. B. Cell 134, 25–36 (2008).
  2. Shibata, M. et al. Nature 598, 483–488 (2021).
  3. Shibata, M. et al. Nature 598, 489–494 (2021).
  4. Buckner, R. L. & Krienen, F. M. Trends Cogn. Sci. 17, 648–665 (2013).
  5. Striedter, G. F. in Principles of Brain Evolution Ch. 9 (Sinauer, 2005).
  6. Elston, G. N. et al. Anat. Rec. 288A, 26–35 (2006).
  7. Cadwell, C. R., Bhaduri, A., Mostajo-Radji, M. A., Keefe, M. G. & Nowakowski, T. J. Neuron 103, 980–1004 (2019).
  8. Miller, J. A. et al. Nature 508, 199–206 (2014).
  9. Carlén, M. Science 358, 478–482 (2017).

キーワード

Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

プライバシーマーク制度