スクイーズド光で顕微鏡の感度を向上
量子状態にした光を使用することで、従来の顕微鏡法の光損傷限界を超える信号対雑音比が可能になることが実験的に示された。 Credit: Tetra Images/Getty
誘導ラマン散乱顕微鏡法は、蛍光顕微鏡法と同様に、生体組織の高解像度マップを作ることができる光イメージング(撮像)方法だ1。誘導ラマン散乱画像でのコントラストは、試料分子内の特徴的な振動に由来するもので、試料を蛍光色素で標識する必要なしに組織イメージングが可能になる。誘導ラマン散乱は生物医学分野でのイメージングツールとして支持を得つつあるが、誘導ラマン散乱で検出できる最小の分子濃度は、蛍光顕微鏡法を使って検出できる最小の分子濃度よりも高い。この検出感度が誘導ラマン散乱を応用できる場面を限定しているが、感度を根本的に改善する方法を見つけることは難しかった。クイーンズランド大学(オーストラリア・セントルシア)のCatxere A. Casacioらは今回、誘導ラマン散乱シグナルの雑音を量子的手法で抑えることにより、感度を上げる方法をNature 2021年6月10日号201ページで報告した2。
誘導ラマン散乱は、ラマン効果と呼ばれる現象に基づいている。ラマン効果には2つの光子が関わる。1つはポンプ光子(振動数はω1)と呼ばれ、1つの分子と相互作用する。もう1つはストークス光子(振動数はω2で、ω1より低い)と呼ばれ、分子とポンプ光子との相互作用により、分子から放射される。振動数の差(ω1−ω2)は、分子の特定の振動モードの振動数に相当する。従って、ストークス光子の波長の測定により、分子をその振動の振る舞いに基づいて同定することができる。しかし、ラマン効果で生じるシグナルは弱く、積分時間(シグナルを集めるために必要な時間)は長くなり、ラマン効果を組織イメージングに使いづらくしている。
誘導ラマン散乱は、ラマン効果シグナルの弱さを克服した。上で述べた線形ラマン効果が1つのレーザービームを使うのに対し、誘導ラマン散乱では、試料に2つのレーザー光場(レーザー光の電磁場)、つまり、振動数ω1のポンプ場と振動数ω2のストークス場を当てる。誘導ラマン散乱では、試料は線形ラマン効果よりも強いシグナル場を作る。さらに、シグナル場はストークス場と同位相で生じるので、強め合う干渉が起こり、試料からのシグナルを大きく強める(図1)。このため、増幅されたシグナルは、線形ラマン効果で生じる弱い分子シグナルよりもずっと強い。
図1 スクイーズド光で誘導ラマン散乱顕微鏡法の雑音を低減
a 誘導ラマン散乱顕微鏡法では、試料をある振動数(ポンプ振動数;図に示していない)のレーザー光で照らす。レーザー光は分子を振動させ、2つ目の振動数(ストークス振動数)の光を放出させて、弱い光シグナルを作る。ストークス振動数の強いレーザー光も試料に照射され、分子からの放出を強める。この2つのストークス場(放出されたシグナルとはるかに強いレーザー光)は検出器で強め合う干渉をする。
b この干渉はシグナルを増幅するが、通常はバックグラウンド雑音を基本的な限界(ショット雑音限界)より低く抑えることはできない。このため、一部のシグナルは雑音の中に埋もれてしまう。
c Casacioらは、ストークスレーザービームの光子が「スクイーズド量子状態」にあるとき、バックグラウンド雑音をショット雑音限界よりも低いレベルにまで減らすことができることを報告した2。このため、誘導ラマン散乱の信号対雑音比は大きくなった。 Credit: Ref.2
強められたラマンシグナルは、高速なイメージングを可能にする。誘導ラマン散乱イメージングは、場合によっては、線形ラマン顕微鏡法を使う場合よりも最大で100万倍速くなる3。しかし、誘導ラマン散乱シグナルの検出は、線形ラマン効果よりもずっと複雑だ。強められたシグナルを、ストークスレーザー場の非常に強いバックグラウンドと区別しなければならないからだ。誘導ラマン散乱シグナルのレーザーバックグラウンドに対する比は通常、10-5~10-6のオーダーであり、望むシグナルを得るためには特別な増幅技術が必要になる。
さらに、バックグラウンドレーザー強度の変動は、誘導ラマン散乱の寄与の検出を難しくする4。検出器からの電子雑音など、他のあらゆる雑音源を抑えても、レーザーバックグラウンドのランダムな変動が検出感度に制限を課す。こうした変動は、レーザービームが光の離散的な単位(光子)から構成されているという事実から生じ、ショット雑音と呼ばれる。ショット雑音は、誘導ラマン散乱シグナル中の雑音量に、ノイズフロアと呼ばれる下限を設ける。現在の誘導ラマン散乱顕微鏡法が成功したのは、レーザーの雑音をこの限界まで減らす技術のおかげだった。しかし、弱いシグナルはノイズフロアの下に埋もれたままであり、このため、誘導ラマン散乱顕微鏡法の感度は制限され、1mmol/l(ミリモル/リットル)未満の濃度の分子標的の検出は難しい。
原理的には、誘導ラマン散乱の信号対雑音比は、レーザービームの光子数を増やすことで改善できる。しかし、生物学的試料が損傷せずに耐えられる光照射量には限界がある5,6。誘導ラマン散乱イメージング研究は通常、損傷しきい値のすぐ下のレーザー強度で行われ、信号対雑音比を改善する余裕はほとんど残っていない。そして、他の問題を引き起こすことなしに、誘導ラマン散乱シグナル強度をノイズフロアに対して増やす簡単な手段はなかなかない。
Casacioらは、誘導ラマン散乱感度を根本的に異なる方法で改善した。彼らはシグナルを強くする代わりにバックグラウンドノイズを下げ、潮が引いた海辺で岩が露出するように、小さな誘導ラマン散乱シグナルのピークがノイズフロアの上に出るようにした。これを実現するためには、ショット雑音によって設定された検出限界を克服しなければならないが、それは、使用する光ビームを構成する光子に量子相関があるときには可能になる7,8。こうした「非古典光」の使用は、特に干渉計でのショット雑音を減らすことに成功を収め、例えば、重力波を検出するための干渉計で使われた9。誘導ラマン散乱プロセスも2つの光場の干渉に依存しており、これは、非古典光の使用が誘導ラマン散乱イメージングによく適合するはずであることを示唆する。
Casacioらは、「振幅スクイーズド状態」に用意されたレーザービームを使った。この量子状態では、ストークス光子は完全に独立ではなくなる。これは、ビーム中の光子数の変動は、古典レーザービームで観測される統計的分布に従わないことを意味する。彼らは、ノイズフロアをショット雑音限界より下に下げることにより、誘導ラマン散乱イメージングの信号対雑音比を35%改善し、検出できる最小分子濃度を14%下げた。この改善は、レーザービームの強度を増加させることなしに達成され、生物学的試料を劣化させずに済んだ。
スクイーズド光を使った誘導ラマン散乱で撮影された画像
a 直径3µmのポリスチレンビーズの画像。波数3055cm-1のラマンシフトで撮影された。緑色のバックグラウンド部分にはラマンシグナルはなく、その雑音レベルはショット雑音よりも0.9デシベル低い。その結果、信号対雑音比は23%向上している。aとbに挿入された白黒画像は、いずれも明視野顕微鏡で撮影された画像。
b 水性緩衝液中の生きた酵母(Saccharomyces cerevisiae)の画像。波数2850cm-1のラマンシフトで撮影された。いくつかの細胞小器官が見えている。バックグラウンドの雑音はショット雑音よりも1.3デシベル低く、信号対雑音比は35%向上している。
今回報告された改善は大きくはなく、得られた性能は、最先端の誘導ラマン散乱システムの性能より劣ることに触れておくべきだろう。今回とは別の技術の場合は、狭帯域レーザー光をスクイーズすることにより、大きな雑音低減が達成されている(例えば参考文献9を参照)が、誘導ラマン散乱に必要な広帯域レーザービームを使って同様の低減を達成することは難しいことが分かるかもしれない。さらに、今回の方法では、光子間の相関を作るための光のスクイージング過程のために、既に複雑な誘導ラマン散乱イメージング技術に余分な1段階が付け加わった。このため、ユーザーはこの雑音低減方法の採用を思いとどまるかもしれない。
それでも、Casacioらの研究は、光イメージング技術に量子光を使うことの可能性がエキサイティングであることを示した。困難はあるだろうが、量子光は誘導ラマン散乱顕微鏡法をより良いものにしていくだろう。
翻訳:新庄直樹
Nature ダイジェスト Vol. 18 No. 9
DOI: 10.1038/ndigest.2021.210937
原文
Squeezed light improves sensitivity of microscopy technique- Nature (2021-06-10) | DOI: 10.1038/d41586-021-01514-w
- Eric O. Potma
- Eric O. Potmaは、カリフォルニア大学アーバイン校(米国)に所属。
参考文献
- Freudiger, C. W. et al. Science 322, 1857–1861 (2008).
- Casacio, C. A. et al. Nature 594, 201–206 (2021).
- Min, W., Freudiger, C. W., Lu, S. & Xie, X. S. Annu. Rev. Phys. Chem. 62, 507–530 (2011).
- Audier, X., Heuke, S., Volz, P., Rimke, I. & Rigneault, H. APL Photon. 5, 011101 (2020).
- Hopt, A. & Neher, E. Biophys. J. 80, 2029–2036 (2001).
- Fischer, F. F. et al. J. Biomed. Opt. 13, 1–8 (2008).
- Giovannetti, V., Lloyd, S. & Maccone, L. Science 306, 1330–1336 (2004).
- Moreau, P.-A., Toninelli, E., Gregory, T. & Padgett, M. J. Nature Rev. Phys. 1, 367–380 (2019).
- Aasi, J. et al. Nature Photon. 7, 613–619 (2013).
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