News in Focus

ワクチンの利益とリスクを一人一人が正しく理解するための対話とは

米国では2021年4月に、10日間にわたってジョンソン・エンド・ジョンソン社製の新型コロナウイルスワクチンの接種が中断された。 Credit: FREDERIC J. BROWN/AFP VIA GETTY

米国で実施されたある世論調査から、米連邦政府当局が2021年4月にジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)社製の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対するワクチンの接種を一時的に中止した後、COVIDワクチン全般の安全性に対する市民の信頼が低下したことが分かった。

COVIDワクチンは、今回のパンデミックを収束させ、人々の命を守るための手段であり、当局は人々に接種を受けてもらいたいと考えている。ただし、ワクチンにはリスクがある。公衆衛生の専門家は、利益だけでなくリスクの情報も提供する必要がある。「人々の信頼を失わないようにし、科学倫理を守っていくためには、透明性のある情報提供が必要です」と、オーストラリアのビクトリア州でエビデンスに基づく医療について研究している独立科学者のHilda Bastianは説明する。

しかし、COVIDワクチンの接種は非常に大規模に進められているため、安全性に関するデータの進化が速く、研究者たちは透明性と明確さをもって人々に新しい情報を伝えるのに苦労している。また偽情報を拡散しようとする人々によって自分たちのメッセージが悪用されたり、不適切に解釈されたりすることも心配している。Nature の取材に答えた科学者たちは、新型コロナウイルス感染症について語ること自体、不安要素が多く、ワクチンの安全性について解説する際には特に緊張すると言う。「地雷原を歩いているような感じです」とBastian。

一時的な中止の影響

2021年4月、米連邦政府はJ&J社製のCOVIDワクチンの接種を一時的に中止し、その間、米国疾病管理予防センター(CDC)と米国食品医薬品局(FDA)の研究者に、同社のワクチンを接種した680万人のうちの6人で報告された稀なタイプの血栓について評価を行わせた。それ以前には、欧州医薬品庁(EMA)が、オックスフォード大学(英国)とアストラゼネカ社が共同開発したCOVIDワクチンを、同様の血栓症の報告と関連付ける発表を行っている。

米連邦政府当局は中止期間が終わるまでに、J&J社のワクチンの接種を受けた人々のうち15人が、稀ではあるが重篤な「血小板減少を伴う血栓症(TTS)」を発症していたことを確認した。TTSの特徴は、脳や腹部などの珍しい部位に血栓ができることと、血小板の数が減少することである。今回発症したのは女性のみで、年齢は18歳から59歳にわたっていた。しかし当局は、COVIDワクチンがもたらす予防効果の恩恵は、ごく稀にしか発生しないTTSのリスクを上回ると判断し、中止措置を解除。医療従事者に対して、J&J社のワクチンと一緒に配布する資料にTTSに関する警告を追加するよう求めた。

新たなためらい
血栓への懸念からJ&J社製のワクチンの接種が一時的に中止された後、COVID-19ワクチンの接種をまだ受けていない米国人がワクチン接種を受けることをためらうようになったことを示す調査結果が発表された。 Credit: SOURCE: KAISER FAMILY FOUNDATION COVID-19 VACCINE MONITOR

非営利の保健政策団体であるカイザー・ファミリー・ファウンデーション(KFF;米国カリフォルニア州サンフランシスコ)は、この中止期間中と接種再開から1週間後まで、全米の約2100人の成人を対象に、この出来事に関する報道がCOVIDワクチンに対する考え方に影響を及ぼしたかどうかを調査した(go.nature.com/3fyfaoi参照)。回答者の69%は米国内で接種されている他の2種類のCOVIDワクチン(ファイザー社/ビオンテック社製、およびモデルナ社製)を信頼していると答えたが、J&J社のワクチンを信頼していると答えた回答者は46%にとどまった。そして、まだワクチン接種を受けていない回答者のうちの約20%が、今回の接種中止によって少なくとも1種類のCOVIDワクチンに対する見方が何らかの意味で変わったと答え、そのうちの7%は、どの会社のCOVIDワクチンであっても接種を受けたくなくなったと回答した(「新たなためらい」参照)。

バークレー・メディア・スタディーズ・グループ(米国カリフォルニア州)で公衆衛生コミュニケーションを研究しているKatherine Schaffは、J&J社のワクチンの安全性を巡る懸念が盛んに報道されていることを思えば、「人々が疑問を抱くのは意外ではありません」と言う。彼女は、現在使用されている他の2種類のCOVIDワクチンに対する人々の信頼は依然として高く、J&J社のワクチンの接種が一時的に中止されたことは、ワクチンの安全性を監視するシステムが本来の機能を果たしていることの証拠なのだと強調する。しかしSchaffは、KFFの世論調査によって明らかになった「新たなためらい」は、ワクチンの安全性に関する透明性の高い情報を市民に確実に届けるにはさらなる努力が必要であることを示していると指摘する。

リスクは単なる数字ではない

ロンドン大学衛生熱帯医学大学院(英国)の人類学者で、リスクと意思決定の科学を専門とするHeidi Larsonは、人々の不安を軽視しているような印象を与えることなくワクチン接種のリスクについて理解してもらうことは、公衆衛生当局が直面する課題の1つであると指摘する。当局は「重篤な副反応が生じる確率は100万分の1です」と説明するが、人々が知りたいのは、「その数字は自分や家族にどのような意味があるのか」なのだと彼女は言う。

その情報を人々に提供するのは簡単ではないと、ケンブリッジ大学(英国)の「リスクおよびエビデンスのコミュニケーションに関するウィントン・センター」のエグゼクティブディレクターであるAlexandra Freemanは言う。リスク認知は極めて主観的なものであるからだ。Freemanは、人々が意思決定を行う際に理解する必要のあるリスクの要素として、「何かが起こる可能性」と「何かが起こった場合の影響」の2つを挙げる。例えば、ワクチン接種を受けた後で重いインフルエンザ様症状が出る可能性は10分の1かもしれないが、もしそれが起こった場合、ゆっくり静養できる人よりも、育児支援を受けられないシングルファーザーやシングルマザーの方が、その症状によって大きな影響を受ける可能性がある。

公衆衛生の専門家はNature に、国民からの信頼を高めるカギはやはり透明性にあると言う。Freemanらは、ワクチン接種の有効性に関する情報の伝え方が人々の決断にどのように影響を与えるかを調べる研究を行い、不確実性について率直に伝えた場合も、その人がワクチン接種を受けるか否かのどちらの決断にも影響を及ぼさなかったことを明らかにした(J. Kerr et al. Vaccines 9, 379; 2021)。不確実性を説明することはプラスにもマイナスにも働かなかったが、「より情報量の多いコミュニケーションができた人々は、より多くの情報を得られたと感じ、自分の決定に自信を持てることが分かりました」と彼女は述べている。

翻訳:三枝小夜子

Nature ダイジェスト Vol. 18 No. 8

DOI: 10.1038/ndigest.2021.210813

原文

‘It’s a minefield’: COVID vaccine safety poses unique communication challenge
  • Nature (2021-05-21) | DOI: 10.1038/d41586-021-01257-8
  • Ariana Remmel & Heidi Ledford