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神経回路の衰えた修復力を回復する因子を発見!

Credit: selvanegra/iStock/Getty

–– 髄鞘の異常に着目されましたが、その理由は?

今回の研究は、「老化すると、なぜ神経回路が修復されにくくなるのか」というところから始まりました。高齢になると、誰にでも記憶力や認知力の低下、運動機能の衰えが起きますが、その原因の1つに、神経回路の損傷があります。神経回路とは、神経細胞(ニューロン)同士が情報をやり取りするための複雑な配線です。1つの神経細胞に注目すると、細胞体の一方向から長い突起(軸索)が伸び、その末端が次の神経細胞の細胞体に結合しています。これが、回路を構成するための基本単位です。

神経回路の異常を来す原因の1つに、髄鞘(ミエリン)の脱落があります。髄鞘とは、軸索を幾重にも覆う密な膜構造のことで、電気信号(神経パルス)を高速で伝えるための絶縁体として機能します。ただし、1つの髄鞘は長さが約0.1〜1mmで、軸索全体を覆っていません。髄鞘と髄鞘の間には数十µmから数mmの隙間(ランビエ絞輪)が空いていて、信号は絶縁体である髄鞘をスキップし、ランビエ絞輪を飛び飛びに伝わります。今回は、髄鞘の異常や修復と神経回路機能について明らかにしたいと考えました。

–– 髄鞘はどのような細胞でできているのですか?

グリア細胞の1つであるオリゴデンドロサイトからなります。グリア細胞にはさまざまな種類と役割があるのですが、オリゴデンドロサイトは髄鞘を形作る機能を担っています1。正常な脳でも髄鞘に傷が付く(脱髄という)ことがありますが、直ちにオリゴデンドロサイト前駆細胞の分化が誘導され、髄鞘は修復されます(図1)。ところが、年齢を重ねると適切に分化誘導されなくなり、髄鞘が修復されない状態になります。脱髄した軸索の伝達スピードは極端に遅くなり、脱髄部位によってさまざまな脳機能障害が生じます2

図1 神経回路の傷害、修復、修復阻害の仕組み
炎症や外傷などにより神経組織が損傷すると、神経回路が傷付くことがある。若年者の脳では、修復機構が働くことで神経回路が再生される。この修復能は、加齢や神経変性疾患などで低下してしまう。

–– 脱髄に関連する因子を今回見いだしたとのこと。これらはどのような分子ですか?

今回、私たちが突き止めたのは、オリゴデンドロサイトに発現しているAPJ受容体と、そのリガンドであるアペリンです3。アペリンは、血管内皮細胞や肝臓、肺など、さまざまな組織や臓器で作られ、分泌される生理活性ペプチドです。APJ受容体の方は「膜貫通型のGタンパク質共役型受容体(GPCR)」の1つとして知られ、こちらも血管内皮細胞、脳や脊髄、肺、心臓など、全身に広く分布しています。

アペリンとAPJ受容体を介したシグナル伝達系は「アペリン–APJ系」と呼ばれ、血管を新生する、血管内皮細胞由来の一酸化窒素を放出して血圧を下げる、心筋を収縮させるといった、多様な機能が知られています。

–– どのようにして突き止めたのですか?

脱髄修復に寄与する分子を特定するための実験を、脳組織と細胞とで、それぞれに行いました。脳組織の実験では、生後3週の若いマウスと、生後1.5年以上の老齢マウスの大脳皮質からオリゴデンドロサイト前駆細胞を取り出し、網羅的な遺伝子発現解析(RNA-Seq)を行いました。大脳皮質を対象としたのは、アッセイ系が確立しており、解析結果を評価しやすいと考えたからです。細胞実験の方は、「分化誘導したオリゴデンドロサイト」と「未分化状態を維持しているオリゴデンドロサイト」の初代細胞培養を行い、脳組織と同様のRNA-Seqを行いました。

それぞれについての遺伝子発現データを得たところで、発現量がミエリン塩基性タンパク(MBP;成熟したオリゴデンドロサイトマーカーとして知られる)遺伝子の発現と正の相関をする遺伝子を探し出しました。その遺伝子が、新たな成熟オリゴデンドロサイトのマーカーとして使え、かつ、オリゴデンドロサイトの成熟を促す可能性が高いと考えたからです。候補の絞り込みには、バイオインフォマティクスの手法を用いました。

その結果、APJ受容体を含め、遺伝子の候補を2つ得ました。そこで、培養オリゴデンドロサイト前駆細胞を使って、候補遺伝子の作用を増強させた場合に、分化が促されるかどうかを検証しました。もし、分化誘導されるなら、その遺伝子の発現量の増加がオリゴデンドロサイトの分化を促進している、つまり、脱髄後の髄鞘の修復の促進に関わる、といえるからです。

すると、市販されているAPJ受容体の活性化剤(APJ受容体から細胞内に伝わる信号を増強させる)を加えた場合には分化が促されましたが、もう一方の候補遺伝子の作用を増強させても顕著な作用は認められませんでした。これらの結果から、APJ受容体とそのリガンドであるアペリンが、オリゴデンドロサイトの分化誘導に重要であると結論付けました。

–– 個体レベルでの検証も行ったのですか?

はい、行いました。同じAPJ受容体活性化剤を、脱髄を施した老齢マウスの脊髄の髄腔内に投与する実験を行いました(図2)。解析する神経回路を大脳皮質のものではなく脊髄のものにしたのは、脊髄の脱髄モデルだと、髄鞘の修復に伴う機能回復を評価する行動試験の系が確立されているからです。

図2 APJ活性化剤による改善効果
老齢マウスに脱髄処置を施し、患部にAPJ受容体活性化剤を投与した。その結果、APJ受容体活性化群では脱髄領域が狭くなり、髄鞘の修復促進が示唆された。行動試験においても、APJ活性化剤処置群では、髄鞘修復と関連する運動機能の改善が認められた。 Credit: Ref.3

結果は予想通りでした。活性化剤投与前のマウスは動きが悪かったのですが、投与2週間目くらいから運動機能が顕著に改善しました。髄鞘の形成を可視化する染色法で、投与21日後のマウスとコントロールマウスの脱髄範囲を調べたところ、投与マウスの脱髄範囲は対象群マウスよりも約43%も小さいと分かりました。

–– APJ受容体のシグナル増強がオリゴデンドロサイトの分化を促す仕組みはどのようなものでしょうか?

その点は、論文投稿後の追加実験として行いました。まず、APJ受容体のシグナルは、細胞分化に関連することが知られるPI3キナーゼなどを介したリン酸化カスケードの反応を促すと分かりました。シグナルとしては、別のマップキナーゼ(MAPK)のリン酸化反応も亢進され、オリゴデンドロサイトの分化を促す転写因子(MYRF)の核内移行も促していました。

まとめると、①アペリン–APJ受容体の系が活性化される。②その下流のリン酸化反応が促される。③MYRFの核内移行が促進する。④オリゴデンドロサイト前駆細胞の分化が誘導される。⑤脱髄した髄鞘が再生する。⑥神経回路が修復される。⑦運動機能が回復するなどの神経機能が回復するという、APJ受容体の活性化から神経機能の回復までの流れを明らかにできたことになります。

–– アペリン–APJ系は、疾患にも関与するのでしょうか?

はい、そう考えています。例えば、多発性硬化症は脱髄が起きる代表的な疾患です。他にも、脱髄が見られる神経変性疾患はたくさんあります。

私たちは、「多発性硬化症のモデル」といえるマウスを用いて、アペリン–APJ系の活性化が神経回路を修復させることも確認しました。多発性硬化症様の病態は、特定のペプチド(ミエリンオリゴデンドロサイト糖タンパク質;MOG)を投与することで、比較的容易に引き起こせます。

多発性硬化症は、自己免疫疾患の1つです。過剰に活性化した免疫細胞(自己反応性T細胞)が、神経系の細胞を攻撃することで発症します。実験では、免疫反応による脱髄の可能性を除外するために、自己免疫反応が治るのを待ち、脱髄状態だけが残されたマウスで検証しました。この状態のマウスにAPJ受容体活性剤を投与したところ、分子レベルでは、マウスのオリゴデンドロサイト分化が誘導され、髄鞘が再生すると分かりました。また、行動レベルでは、多発性硬化症で顕著な震えなどの症状が改善され、運動機能が高まることを確認しました。

–– アペリンは脳で産生されているのですか?

ここが非常に興味深い点です。私たちは、脳以外の臓器や組織で産生されたアペリンが、血流に乗って脳に運ばれると考えています。そう考える理由は2つあります。1つは、「正常な脳内に存在するアペリン」と「脳の血中に含まれるアペリン」を調べると、後者の方が圧倒的に濃度が高い点。もう1つは、正常な脳内に存在しているアペリンの量では、前駆細胞を分化させるには不十分な点です。

脳神経系に異常が生じると、脳への物質の流入を制御する血液脳関門が機能しなくなることが知られています。検証はしていませんが、このようなときにはさまざまな組織や臓器で作られているアペリンが、脳に流入してくるのだと思います。私たちは今回、アペリンは3週齢マウスでは肺に最も多く、脊髄、腎臓、脂肪細胞などにも存在すること、また、生後1.5年のマウスでは全身各所のアペリン濃度が低いことなども明らかにしました。

–– 残された課題はありますか?

最近になり、「グリア細胞はどれも同じというわけではなく、多様性がある」という報告が増えています。私は、このことがオリゴデンドロサイト前駆細胞にも当てはまるのではないかと考えています。例えばオリゴデンドロサイトに、APJ受容体の数のばらつきが見られるということがあるかもしれないと思っています。

脳脊髄の損傷部位によって治りやすさに差があることが知られているのですが、もしかしたら、APJ受容体数が関与しているのかもしれません。この辺りの解析が、今後の課題です。

–– 今回の成果は、創薬にもつながりそうですか?

はい。日々、臨床につなげたいと思って研究を続けています。ただし、アペリンは非常に不安定な物質なので、そのまま薬に使うのは難しいと思います。また、今回の実験で使ったAPJ受容体活性化剤は、構造上、医薬品には適していません。そのため、同様の作用をもたらす別の低分子化合物か、APJ受容体の下流シグナルを増強する方法を探索するのがよさそうです。薬を送達するためのドラッグデリバリーシステム(DDS)も重要だと考えており、既に工学の専門家と共同研究を進めています。

私の興味は、「生体の全身環境の異常と、脳の関係」にあります。例えば、脳との関連が検討されてこなかった筋ジストロフィーや糖尿病などと、脳機能の異常との関連にとても興味があります。こうした点を明らかにした上で、記憶、認知、行動などの異常を、分子レベルで説明できるといいと考えています。

–– 最後に、日頃の工夫などについて教えてください。

遺伝子発現などを網羅的に調べることと、ビッグデータを対象に情報学を利用して丁寧に解析することです。私の共同研究者には情報学の専門家もおり、こちらの要望をきちんと理解し、解析してくれる点に、心から感謝しています。

–– ありがとうございました。

聞き手は西村尚子(サイエンスライター)。

Author Profile

村松 里衣子(むらまつ・りえこ)

国立精神・神経医療研究センター 神経研究所 神経薬理研究部 部長
2008年に東京大学大学院 薬学系研究科にて、松木則夫(まつき・のりお)教授の下、海馬の神経回路形成の研究に従事し、博士(薬学)を取得。その後、大阪大学大学院医学系研究科の山下俊英(やました・としひで)教授の下で、特任助教、助教、准教授として、脳神経回路の傷害と修復に関する研究に従事。その間、2013 〜 2017年には科学技術振興機構さきがけ研究員を兼任し、臓器間ネットワークに関する研究を展開した。2018 年4 月より現職。神経、免疫、内分泌のクロストークによる脳機能の解明を進め、神経疾患の克服への貢献を目指している。

村松 里衣子

Nature ダイジェスト Vol. 18 No. 7

DOI: 10.1038/ndigest.2021.210730

参考文献

  1. Bradl, M. & Lassmann, H. Acta Neuropathologica 119, 37–53 (2010).
  2. Franklin, R. J. & Ffrench-Constant, C. Nature Reviews Neuroscience 9, 839–855 (2008).
  3. Ito, M. et al. Nature Aging 1, 284–294 (2021).