学術界のプレカリアート、ポスドク
Nature が初めて実施したポスドクを対象とするアンケート調査の結果、不安定な立場に置かれている世界のポスドクたちは、キャリアの展望、仕事量、職場の文化などについて深く思い悩んでいることが明らかになった。
今回の調査はポスドクが抱えている主な問題を把握するために行われたもので、93カ国の7670人のポスドクが自主的に選択して回答した。彼らの主要な問題は目新しいものではない。全米アカデミーズや経済協力開発機構(OECD)などは、少なくとも20年前からポスドクのことを研究職のプレカリアート(precariat)の一部として認識している。プレカリアートとは、雇用保障がほとんどなく、薄給で、終身ポストへの道筋がはっきりしない立場で働く人々のことである。
こんな不確実性にもかかわらず、今もまだ新たなポスドクが生まれては仕事に就いている。その10人中6人が、現在のポジションに満足していると答えている。彼らはまた、高い志を持ち続ける傾向がある。世界中の大学が人員削減や採用凍結を余儀なくされているパンデミック下にあっても、回答者の約3分の2、そして現在欧米で働いている回答者の80%が学術研究機関で働くことを希望しているのだ。
今回の調査では、ポスドクの間で現在と将来への不安が広がっていることが明らかになった。ポスドク生活は期待通りだったかという質問に対しては、回答者の32%が期待より悪いと答え、12%が期待より良いと答えている。半数以上(56%)が自分のキャリアの見通しに悲観的で、昔の自分に助言できるとしたら科学者になるように勧めるだろうという人は半数に満たなかった。ある回答者は自由記述欄に、「選択肢がなくなってきている」と書いている。
2020年はポスドクにとって特に厳しい年だった。アンケートに回答したポスドクの半数が、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が出現して世界に広まった過去12カ月間に、仕事の満足度が低下したと報告している(パンデミックがポスドクに与えた広範な影響については、Nature 585, 309-312; 2020を参照)。
本稿では、アンケート調査の結果の概要を紹介する。今後の記事では、自身の生活の質(メンタルヘルスや、差別やハラスメントへの遭遇などを含む)に関するポスドクの意見と、ポスドクの今後にとって重要な課題であるキャリアの展望についての考えも探っていく。なお、全ての調査データはgo.nature.com/3tmckuqから入手可能である。
「ポスドクとは何か、誰も知らない」
アンケート調査では、世界のポスドクはどのような存在なのか、自分たちの立場をどう考えているのか、という基本的な疑問に光を当てた。Nature は今回、対象を学術界のポスドクに限定して調査を実施したが、今後は産業界やその他の領域のポスドクにも目を向ける予定である。回答はあらゆる科学分野のポスドクから寄せられた。回答者の半数以上(52%)が、ポスドクの労働力に大きく依存している生物医学分野で働く研究者だった。WEHI(旧ウォルター・アンド・エリザ・ホール医学研究所;オーストラリア・パークビル)の免疫学者で、科学者の権利擁護団体グローバル・ヤング・アカデミー(Global Young Academy;ドイツ・ハレ)の執行委員会の元メンバーであるAnna Coussensは、「生物医学研究室のポスドクは、彼らが生み出す成果ゆえに、研究室にとって最も価値ある構成要素になっています」と言う。「彼らは現場で働く研究者です」。
ポスドクという概念がまだ漠然としている分野もある。オルフス大学(デンマーク)で考古学を研究するポスドクPetra Hermankovaは、「ポスドクは学術界へのキャリアパスなのでしょうか? 研究職なのでしょうか?」と問い掛ける。「ポスドクとは何かを誰も知らないので、私たちは孤軍奮闘しなければなりません」。
ポジションへの不満
実際、アンケート調査に回答を寄せたポスドクの多くがもがいている。その4分の1以上(26%)が自分のポジションに不満を持っていると回答した。また半数は、この1年で満足度が低下したと答えている(図「改善の余地」参照)。
明るい材料もある。回答者の10人中8人が自分の仕事への興味を通じて満足感を得ているとしており、4人中3人が自分の独立の程度に満足していると答えている。
満足度は分野によって差があった。生態学と進化学分野のポスドクの69%が自分のポジションに満足していると答えており、この割合はどのグループよりも高かった(ただし、これらの分野の回答者は全体の8%にすぎない)。不満足の割合が最も高かったのは生物医学と物理学分野のポスドクで、共に28%だった。生物医学分野では、満足していると回答したのは57%で、14%はどちらでもないと答えた。
テキサス大学健康科学センター(米国ヒューストン)でがんを研究しているポスドクNatalie Sirisaengtaksinは、生物医学研究は特に要求が厳しく、大きなプレッシャーがのしかかる分野であると言う。「生物医学分野のポスドクは、とにかく実験室にいなければなりません。家族と一緒に過ごすことはできず、他にしたいことがあってもすることはできません。机に向かってできることはごく限られているので、実験室以外の場所で生産的に過ごすことはできないのです」。
調査結果は、ポスドク生活への満足度が時間の経過とともに低下する傾向があることを示唆している。26~30歳の比較的若いポスドクの満足度は66%と、最も高かった。また、ポスドクとして働くようになって2年未満の回答者の満足度も64%と比較的高いが、年数が長い回答者では満足度が低下している。
ポスドクはいろいろな場所で働く。回答者の61%が、現在母国以外の国で働いていると答えている。ポスドクはしばしば外国で経験を積むことを奨励されているが、外国での生活は大変なことも多い。
フランスから米国に来たある遺伝学者は、「人々は私たちが払った犠牲を理解していません」と書いている。特に、彼女が心配しているのは、米国の政治的不確実性が高まっている時下、ビザを維持できるかどうかだ。
このような不安はどの国で働くポスドクにも当てはまるが、今回の調査は、海外で働くポスドクが、概して自国で働くポスドクと同じような生活を送っていることを示唆している。自分のポジションにどのくらい満足しているかを聞いたところ、外国で働いているポスドクの満足度は、母国で働いているポスドクの満足度に比べて高くも低くもなかった。
長期にわたる待機状態
ポスドクは、1回の契約が2~3年の短期で働くのが一般的だ。だが、多くは終身ポストを探しながらポスドクとして働く長期待機状態にある。今回の調査では、回答者の48%がポスドクとして3年以上働いていると答えている。また30%は、既に2、3カ所でポスドクをしたと答えていて、4、5カ所が少数いたほか、6、7カ所という人もいた。
英国の研究資金配分機関であるUKリサーチ・イノベーション(UKRI)の人材・スキル担当ディレクターであるRory Duncanは、ポスドクの仕事は終身ポストをつかむための足掛かりになるものだと言う。Duncanは、UKRIが英国内の研究室や大学への資金提供を通じて間接的に約4万人のポスドクを支援していると推定している。「ポスドクや指導者を含む全ての人に対して、ポスドクの役割は一時的なものであり、発展的なものであることを明確にしなければなりません」と彼は言う。
エディンバラ大学(英国)の生態学者であるKate Buckeridgeは、2010年に初めてポスドクとして働き始め、現在は4カ所目でポスドクをしている。北極圏のツンドラの研究をしている彼女は、カナダ、グリーンランド、スウェーデンなどでポスドクを経験したが、終身ポストへの道はなかなか見つからないという。「これまでのプロジェクトに携わることができたのは幸運だったと思っています」と彼女は言う。「私は、ほとんどの新任教員よりも研究経験が豊富です」。けれども今のところ、終身ポストを得ようとする彼女の挑戦はうまくいっていない。「欲しいのは機会です」と彼女は言う。「私は良い教員になれると思いますよ」。
10年以上ポスドクをしているBuckeridgeは、安定感と継続性がないことに苦痛を感じている。1つのプロジェクトが軌道に乗るまでに2年ほどかかることがあるが、その頃にはもうそこを去らなければならないという。ポスドクの選択肢が限られていることも痛感している。彼女がカナダで働いていたときには自分の研究に協力してくれる博士課程の学生を正式に指導できなかったし、英国では主任研究者(PI)向けの高額な助成金を直接申請することが許されていない。「どこにいても、ポスドクにできることには限界があり、常に天井があると感じます」と彼女は言う。
資金を追い掛けて
ポスドクはある意味、資金源によって規定される。所属機関に直接雇用されているのは13%だけで、それ以外は学生と教職員の間のグレーゾーンにいる。回答者の40%が資金配分機関からフェローシップを受けており、ほぼ同じ割合の回答者がPIの獲得した助成金の中から報酬を支払われている。独自に助成金を得ているポスドクは、既にある程度の自律性を確立しているが、完全に自立しているわけではないことが多い。ハードサイエンス分野のポスドクは物資や作業スペースを指導者や所属機関に依存していることが多い、とCoussensは指摘する。このような状況は、ポスドクの独立性や研究、知的財産の所有権に重大な影響を及ぼす可能性がある。「ポスドクがプロジェクトとスキルを築き上げても、そのプロジェクトは誰のものなのかというどっちつかずの精神状態が続いているのです」と彼女は言う。
多くのポスドクは、自分の研究が本当に自分のものだと感じることができずにいる。独自の助成金やフェローシップを受けている回答者のうち、別の機関に移動する場合には自分のプロジェクトを持っていけると答えたのは18%にとどまり、29%は分からないと答えた(この数字は生データをさらに分析した結果である)。回答は分野によって異なっていた。自分の資金で研究している社会科学分野のポスドクの31%は自分の研究を携えて移動できると感じており、この数字は生物医学(17%)や化学(11%)のポスドクを大きく上回っていた。Sirisaengtaksinは、自分の研究の少なくとも一部については所有権を持っているが、それには交渉が必要だったと言う。「私は研究室のプロジェクトに従事するということで雇われましたが、それ以外に、他の場所に持っていける独自のプロジェクトの開発に時間を割くことができる、という取り決めをしたのです」。
また、アンケート調査では、PIや指導者からの指導や指示はほとんど受けていないことも報告されている。半数以上(55%)が、研究室の責任者と一対一で過ごす時間は1週間に1時間未満で、3分の1は週に1~3時間しかないと回答しているのだ(図「研究室で過ごす時間」参照)。ある回答者は自由記述欄に、「私はポスドクとして1年半働きましたが、PIと直接会ったのは3回だけでした」と書いている。
給与と福利厚生
ポスドクは必ずしも十分な報酬を得ているわけではない。米国の化学分野のポスドクは自由回答欄に、「私たちポスドクは助教の半分以下の給料で働くことを求められており、通常は大学院生よりも年間数千ドル(数十万円)多いだけです」と書いている。「それなのに、どの大学院生よりもはるかに多くの責任を負わされています」。
回答者のうち、年間の収入が5万ドル以上8万ドル未満(約515万円以上825万円未満)になると報告した人は半数以下(42%)で、それ以上あるという人はわずか3%だった。これらの数字は、主要な資金配分機関が定めた給与の指針に沿ったものである。例えば、米国立衛生研究所(NIH)の所内研究訓練奨学金(Intramural Research Training Awards:IRTA)を受けている新しいポスドクは、少なくとも年間5万2850ドル(約545万円)を得ている。調査から、男性と女性の給与にはほとんど差がないことが分かった。また、民族的マイノリティーを自称する回答者からも収入面での不利は報告されなかった。
収入の低い方に目を向けると、回答者の38%が年収3万ドル以上5万ドル未満(約310万円以上515万円未満)、15%が年収3万ドル未満と答えている。収入は地域によって大きく異なっていた。多いのは、オーストララシア(オーストラリア、ニュージーランドと周辺の南太平洋諸島)と北中米のポスドクで、それぞれ84%および70%が年収5万ドル以上と回答している。対照的に、この水準の年収を得ているポスドクは欧州では29%、アジアでは13%しかいない。欧州では、欧州ポスドク協会ネットワーク(European Network of Postdoctoral Associations;ポルトガル・コインブラ)が2019年に実施した調査の結果、ポスドクの収入には大きな格差があり、中央値が約3万8000ドル(約390万円)と示されたことと一致している。
他の分野よりも収入が高い分野もある。天文学と惑星科学分野のポスドクは回答者全体の3%だが、その63%が年間5万ドル以上の収入を得ていると報告しており、この割合は他のどの分野よりも高い。生物医学分野では、過半数をわずかに上回る人(51%)が、年間5万ドル以上の収入があると回答している。対照的に、社会科学分野のポスドクで年収が5万ドルを超えているのは全体の43%で、生態学と進化学の分野では36%だった。
そして、回答者全体の半数以上(51%)が、この1年で報酬の増加はなかったと答え、5%は1年前よりも収入が減ったと答えた。自由記述欄では、数人がパンデミックに関連した資金削減に言及した。
生物医学分野のポスドクは、自分のためだけに働くのではなく、研究室や所属機関にも資金をもたらす傾向がある、とSirisaengtaksinは言う。「ポスドクが長い時間をかけ、大変な努力をして出版した論文が、結果的に指導者に助成金をもたらすのです」と彼女は言う。その報酬は、経済的な苦境を脱するには十分ではないかもしれない。Sirisaengtaksinは、米国では多くの研究者が博士号を取得した直後から学生ローンの返済を始めなければならないからだと言う。生物医学分野のポスドクは大学院生に比べて給料がわずかに上がるだけなのに、自分の人生を築くための多額のコストに直面する。「ある意味、学生でいるよりもポスドクになる方が経済的な負担が大きいのです」と彼女は言う。調査では、回答者の22%がポスドクの収入では貯金はできないとしている。また48%は、貯金はしているが、望んでいるほどではないと答えている。
ポスドクが学生と常勤スタッフの間の定義しにくい立場にあることを反映して、健康保険、退職金、有給休暇などの福利厚生にも大きな差がある。有給休暇を取得していると回答したのは全体の84%、有給の病気休暇を取得できると回答したのは79%だった。また、半数をわずかに上回る回答者が有給育児休暇の制度があると答えたが、育児手当があるケースは14%にとどまった。こうした手当は、回答者の13%を占める、現在のポスドク期間に子どもを授かったポスドクにとっては、特に重要なものである。給与や福利厚生に満足しているという回答者は半数以下(46%)であった。
地質学分野のポスドクTara Edwardsは、「ケープタウン大学(UCT;南アフリカ)では、ポスドクは博士号を持っているにもかかわらず、博士課程の学生と同じ扱いを受けています」と言う。彼女は、ポスドクは大学が直接雇用しているわけではないので、教職員が享受している福利厚生を受ける権利がないのだと説明する。彼女は母国オーストラリアでの博士課程の学生時代には、4週間の有給休暇など、より多くの恩恵を受けていたという。
UCTの広報担当者は、同大学の規定ではポスドクは職員ではなく「訓練中の学者」と見なされていると言う。ただし、ポスドクには図書館やコンピューティングサービスへのアクセスなどの「関連するアカデミックな特権」を提供していると付け加える。また、個々のPIがケースバイケースで産休などの福利厚生を提供することができる場合もあると言う。「問題は根強く残っていますが、潮目は変わりつつあるかもしれません」とEdwardsは言う。
どのような肩書であれ、ポスドクがその人にふさわしい評価や支援を受けられることはほとんどない。「ポスドクが多くの仕事をしているのに、手柄はPIのものになるのです」とHermankovaは言う。「将来のポスドクは、意見を持つ重要なグループとして認識されるべきです。私は、彼らの声がアカデミアの上層部に聞こえるようにしたいと思っています」。
翻訳:三枝小夜子
Nature ダイジェスト Vol. 18 No. 2
DOI: 10.1038/ndigest.2021.210226
原文
Postdoc survey reveals disenchantment with working life- Nature (2020-11-18) | DOI: 10.1038/d41586-020-03191-7
- Chris Woolston
- Chris Woolstonは、米国モンタナ州ビリングス在住のフリーライター。
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2018年2 月号「米国のポスドクの給料格差」
2014年12 月号「科学界を去ったPhD」
2011年12 月号「年中無休、24時間研究中!」
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