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生物学はデータだけでなく考え方も生み出さなければならない

Nature ダイジェスト Vol. 18 No. 12 | doi : 10.1038/ndigest.2021.211216

原文:Nature (2021-09-13) | doi: 10.1038/d41586-021-02480-z | Biology must generate ideas as well as data

Paul Nurse

データは、それを得ることが目的ではなく、知識を得るための手段であるべきだ。

ポール・ナース氏(Paul Nurse)。王立協会前会長、2001年ノーベル医学・生理学賞受賞。 | 拡大する

THE FRANCIS CRICK INSTITUTE

2002年にノーベル医学生理学賞を受賞した私の旧友シドニー・ブレナー(Sydney Brenner)は、生物学に対して「私たちはデータの海に溺れ、知識に飢えている」と警告を発していた。ブレナーは、線虫の一種Caenorhabditis elegansをモデル生物として確立した分子生物学の創始者の1人であり、彼によるその警告は、今日の生物学において一層、重要な意味を持つ。

私は、研究発表をかなり聞きに行くが、データの中で溺れている気分になることが多い。一部の講演者は、自分の話を真剣に受け止めてもらうには、大量のデータを披露する必要があると考えているようだ。研究の骨組みはないがしろにされており、なぜデータを収集しているのか、どんな仮説を検証しているのか、どんな考え方が浮かび上がってきているのかが軽視されているのだ。研究者たちは、生物学的な結論を出したり、新しい考え方を提示したりすることに消極的なように見える。学術誌に掲載される論文でも同様だ。研究者たちは、データが何を意味するのかについて推測したり、いろいろな考え方について論じたりすることをあまり「適切」ではないと考えているかのような状況だ。

私の見解は異なる。説明やデータ収集は必要だが、それだけでは不十分だ。たとえ暫定的なものであっても「考え方」は必要であり、「考え方」は事実や議論が蓄積されるにつれて変わっていくと認識する必要がある。

チャールズ・ダーウィン。 | 拡大する

Grafissimo/DigitalVision Vectors/Getty

研究者はなぜ、考え方を発表したがらないのだろうか? ある考え方を提案した後でそれが間違っていることが判明すると、昇進や資金調達のチャンスが失われる可能性があると心配しているのかもしれない。しかし、チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin)はこう述べている。「虚偽の事実は、科学の進歩にとって非常にマイナスである。そうした事実はしばしば長い間、正しいこととして信じられてしまうからだ。だが、何らかの証拠によって裏付けられている場合、たとえそうした見解が間違ってたとしてもそれはほとんど害を及ぼさない。なぜなら、だれもが喜んでその見解の誤りを証明するために有益な努力をするからだ。そして間違いが判明すれば、誤りへの道の1つが閉じられるのと同時に真実への道が開かれることが多い」。つまり、事実を正しく把握することは重要だが、新しい考え方は、合理的な証拠に基づいていて修正の余地がある限り、役に立つものなのである。

誤解しないでもらいたい。理解を深めるためには、新しい技術によって生み出されたデータが必要だ。「仮説のない研究」の重要性は十分に確立されている。哲学者のフランシス・ベーコン(Francis Bacon)は、1620年に「経験的方法」の一部として「仮説のない研究」を提案した。彼は著書『ノヴム・オルガヌム(新機関)』の中で、科学的真理を確立する最初のステップは体系的な観察によって事実を記述することであるべきだと主張している。しかし、これは最初のステップにすぎない。例えば、ダーウィンがフィンチのくちばしの形やサイズを記述した後に考察をやめてしまい、自然選択による進化という考え方を提唱しなかったとしたら、それはかなり残念なことになっただろう。

次のステップは、データから知識を抽出することである。その目標に再び焦点を合わせるには、作業プロセスを改善して、理論により大きな重点を置き、研究文化を変える必要がある。

では、具体的にどうすればいいのか? 生物学的問題に、新しい技術や方法を開発しているエンジニアや実験者を深く関与させるのだ。重要な疑問は、単に多くのデータをもっと収集したいという衝動からではなく、生物学に深く精通することによって生じる。このような疑問は、パターンや知識が現れてくるまでデータをとことん調べようとする研究者の情熱を持続させ、収集されるデータにも影響する。

他にも重要なステップがある。1)データマイニングや機械学習のプログラムなど、適切な分析ツールを開発すること。2)データをきちんと使用できる状態にして、適切な注釈を付け、オープンに共有すること。3)生物学的現象に関与する分子や細胞の構成要素をモデル化して、動的な振る舞いと相互作用の分析を可能にすることだ。時には、解を求めずに疑問を書き留めるだけでも役立つ場合がある。モデルをより厳密に構築できるからだ。

もっとたくさんの理論が必要である。これについて私は、進化生物学者のビル・ハミルトン(Bill Hamilton)とジョン・メイナード・スミス(John Maynard Smith)、そして遺伝学者のバーバラ・マクリントック(Barbara McClintock)とフランシス・クリック(Francis Crick)などを手本として挙げたい。彼らの論文には、豊富な情報に基づいた生物学的直感があふれていて、読んでいてわくわくする。このような考え方が、記述から知識への移行を加速するのであろう。理論家は、生物システムを通る情報の流れを考察するに当たって「肥沃な土壌」を見つけることができ、それは生物学的データの洪水をより深く理解するのに役立つ。

理論と知識に導かれることを求めるには、おそらく研究文化の転換が必要になるだろう。理論を立てることを奨励する必要があり、実験論文の中に理論を組み入れて、文脈の中でデータを考察するべきだ。こうした試みは、論文査読・編集や資金提供のプロセスにおいて、根拠のない憶測として片付けられるべきではない。ダーウィンが述べたように、それによって考え方は批判され、却下または修正されることが可能になる。「分野の専制政治」とでも呼ぶべきものが、現在の共通認識とは異なる説明の登場を妨げることがあるが、これは間違いだ。新しい考え方が満足のいくものではない場合、それらはすぐに排除され、進歩につながるだろう。

虚偽の事実は容認されるべきではないが、学術誌や研究資金提供者は、合理的な新しい考え方や解釈が、特に現在の共通認識と異なる場合、進んで取り入れるべきである。評価委員会は、昇進や資金提供を検討している人々の考えの一部が正しくないことが示されたとしても、寛容でなければならない。

このようなアプローチは、研究だけでなく教育の進歩にもつながるだろう。学生たちが、生物学にはいろいろな考え方があり、それらには議論の価値があると教えられれば、やる気を高め、より刺激を受けるだろう。

(翻訳:古川奈々子)

Paul Nurseは王立協会の前会長で、フランシス・クリック研究所 (英国ロンドン)の所長。

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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