mRNAワクチン完成までの長く曲がりくねった道
1987年末、ソーク生物学研究所(米国カリフォルニア州ラホヤ)の大学院生だったRobert Maloneは、メッセンジャーRNA(mRNA)鎖を脂肪滴と混ぜ合わせて「遺伝子ごちゃ混ぜ」スープを作り、そこにヒト細胞を浸した。すると、細胞はmRNAを取り込み、それに基づいてタンパク質を産生し始めた1。
自分の発見が医学にとって大きな可能性を秘めていることに気付いたMaloneは、後でこのことをメモし、署名と日付を入れた。1988年1月11日のメモには、細胞内にmRNAを送達し、細胞がこのmRNAからタンパク質を作ることができれば、「RNAを薬として扱う」ことが可能になるかもしれないと記されている。研究所の他のメンバーも、後世に残すために彼のメモに署名をした。Maloneは同じ年の実験で、カエルの胚がそうしたmRNAを取り込むことを示した2。脂肪滴を利用してmRNAを生体内に取り込ませやすくしたのは、彼の研究が最初であった。
これらの実験は、歴史上最も重要で、最も大きな利益を上げることになる、2つの「mRNAベースのワクチン」への足掛かりとなった。この2つの新型コロナウイルス感染症(COVID-19)ワクチンは、2021年だけで全世界で500億ドル(約5兆5000億円)の売り上げが見込まれている。
しかし、成功への道のりは決して平坦ではなかった。Maloneの実験自体、他の科学者の研究を参考にしていたし、彼の実験からかなりの年月が経っても、mRNAは不安定で高価であり、治療薬やワクチンとして利用することはできないだろうと考えられていた。しかし、数十の学術研究機関や企業がmRNAワクチンのアイデアを追究し、その構成要素である脂質と核酸の適切な製法を見つけようと努力を重ねた。
今日のmRNAワクチンには、化学修飾されたRNAや、それを細胞内に運ぶための各種の脂肪の泡など、Maloneの実験の後に発明された新技術が使われている(「mRNAベースのCOVIDワクチンの内部」参照)。しかし、「mRNAワクチンの発明者」を自称するMaloneは、自分の貢献が十分に認められていないと考え、自分は歴史から抹殺されたとNatureに語っている。
というのも、最近、mRNAワクチンの研究者に各種の賞が授与され始め、mRNAワクチン技術の先駆者として顕彰されるべき人物は誰かという議論が高まっているからだ。しかし、数人の科学者にしか授与されない形式的な賞では、mRNA医薬品の発展に貢献した多くの科学者を十分に評価することはできない。実際、mRNAワクチンの開発には、30年以上にわたって数百人の研究者が関わっている。
この物語では、多くの科学的発見が、誰かの人生を変えるような革新的な技術を生み出すまでの数十年の歩みをたどる。アリゾナ大学(米国トゥーソン)の発生生物学者で、自身も1980年代半ばにこの分野に貢献しているPaul Kriegは、mRNAワクチン開発の歴史は一歩一歩の長い積み重ねなのだと言う。「どれが有用なものとなるか、その時点では全く分からないのですから」。
mRNAの利用の始まり
Maloneの実験は突然行われたわけではない。科学者たちは1978年の時点で既に、リポソームと呼ばれる脂質人工膜を使って、マウス3やヒト4の細胞内にmRNAを導入し、タンパク質の発現を誘導することに成功していた。リポソームはmRNAを包み込んで保護し、細胞膜と融合して細胞内に遺伝物質を送達する。これらの実験も、リポソームとmRNAが発見された1960年代から行われてきた研究の成果に依拠している(「mRNAワクチンの歴史」参照)。
とはいえ、当時は実験室でmRNAを作製する方法がまだなかったこともあり、これを医薬品とする可能性を考える研究者はほとんどいなかった。彼らが考えていたのは、mRNAを利用して基礎的な分子過程を調べることだった。ほとんどの科学者は、ウサギの血液やマウスの培養細胞などの動物由来のmRNAを転用していた。
そんな状況が変わったのは1984年のことだった。Kriegはこの年、ハーバード大学(米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)の発生生物学者のDouglas Meltonと、分子生物学者のTom ManiatisとMichael Greenが率いる研究チームのメンバーと共に、ウイルス由来のRNA合成酵素などのツールを用いて、実験室で生物学的に活性のあるmRNAを作り出した5。この手法の本質的な部分は今日も変わっていない。Kriegは実験室で作製したmRNAをカエルの卵に注入し、それが天然のmRNAと同じように機能することを示した6。
MeltonもKriegも、合成mRNAは主として遺伝子の機能や活性を研究するためのツールであると考えていたという。合成mRNAを利用してタンパク質の産生を活性化したり抑制したりできることを発見したMeltonは、1987年にオリゴジェン社(Oligogen;米国カリフォルニア州フォスターシティ)の設立に参加した。後に社名をギリアド・サイエンシズ(Gilead Sciences)に変更することになる同社は、合成RNAを使って標的遺伝子の発現を阻害する方法を探り、疾患の治療に役立てることを考えていた。しかし、Meltonの研究室のメンバーも共同研究者も、ワクチンのことは念頭になかったという。
「一般に、RNAは極めて不安定だといわれていました。RNAを巡る全てが用心深く覆い隠されていました」とKriegは言う。ハーバード大学の技術開発室がKriegらのRNA合成法の特許を取得しなかった理由はそこにあるのかもしれない。同大学の研究者らは試薬を実験用品サプライヤーのプロメガ社(米国ウィスコンシン州マディソン)に提供し、同社がRNA合成ツールを研究者に提供するようになった。この研究者たちが受け取ったのは、ささやかなロイヤルティーと、ヴーヴ・クリコのシャンパン1ケースだった。
特許を巡る争い
数年後、Maloneは自分の実験用に、ハーバード大学のチームと同じ方法でmRNAを合成した。しかし彼は、正電荷を帯びた新しいタイプのリポソーム(カチオン性リポソーム)を加えることで、負電荷を帯びたmRNA鎖との結合力を高めた。このリポソームは、生化学者のPhilip Felgnerが開発した。彼は現在、カリフォルニア大学アーバイン校(米国)のワクチン研究開発センターを率いている。
Maloneは、リポソームを使ってヒト細胞やカエル胚にmRNAを送達することに成功したにもかかわらず、博士号を取得できなかった。指導教官であったソーク研究所の遺伝子治療研究者Inder Vermaと不仲になった彼は、1989年に大学院を中退し、設立直後のバイカル社(Vical;米国カリフォルニア州サンディエゴ)に入社。Felgnerの下で働き始めた。彼らはそこで、ウィスコンシン大学マディソン校(米国)の共同研究者らと、脂質–mRNA複合体を利用してマウスにタンパク質を産生させられることを示した7。
その後、ややこしい事態になった。バイカル社(とウィスコンシン大学)とソーク研究所の両方が1989年3月に同じ技術に対する特許申請手続きを開始したのだ。しかしソーク研究所はすぐに特許請求を取り下げ、1990年にはVermaがバイカル社の顧問委員会に加わった。
Maloneは、Vermaとバイカル社が裏取引をして、問題の知的財産がバイカル社に渡るようにしたと主張している。Maloneは、ソーク研究所側の複数の発明者の1人として名を連ねていた。ソーク研究所が特許を取得していたら、その後のライセンス契約で彼は利益を手にしていただろう。「彼らは私の頭脳から生まれた発明で金持ちになった」というのが、Maloneの結論だ。
一方のVermaとFelgnerは、Maloneの告発を全面的に否定している。VermaはNature に、特許申請取り下げの判断はソーク研究所の技術移転室に委ねられていたと説明する(なお、Vermaはセクシャルハラスメントの告発を受けて2018年にソーク研究所を退職したが、問題の行為については一貫して否定している)。
Maloneは1989年8月にバイカル社を去った。理由は、「科学的判断」や「私の知的貢献に対する評価」を巡って、Felgnerと意見の相違があったからだという。Maloneは医学系大学院を卒業し、1年間の臨床訓練を受けた後、大学でmRNAワクチンの研究を続けようとした。しかし、資金の確保に苦労した。そこで彼は、DNAワクチンとその送達技術に目を向けるようになった。
Maloneは、2001年に活動の軸足をビジネスやコンサルティングに移したが、ここ数カ月は、自分の研究が実現を後押ししたmRNAワクチンの安全性について、公然と批判している。その言い分によれば、ワクチン接種によって産生されたタンパク質は体の細胞を損傷する恐れがあり、子どもや若者にとっては、ワクチン接種はメリットよりリスクの方が大きいという。しかし、彼のこうした主張は、他の科学者や保健関係者によって繰り返し否定されている。
1991年、バイカル社は世界最大のワクチン開発企業の1つである米国のメルク社(Merck;ニュージャージー州ケニルワース)と数百万ドル(数億円)規模の共同研究契約とライセンス契約を結んだ。インフルエンザワクチンの製造にmRNA技術の利用を計画していた同社の科学者たちは、マウスを使ってこの技術を評価したが、やがて断念した。メルク社の元科学者で、ワクチン研究に関する問題を扱う企業コンサルタントのJeffrey Ulmerは、「製造のコストと実現可能性を考えると、躊躇してしまったのです」と言う。
フランスの小さなバイオテクノロジー企業トランスジーン(Transgène;ストラスブール)の研究者たちも同じように感じていた。Pierre Meulien率いる同社のチームは、1993年に産学連携パートナーとの共同研究により、リポソーム中のmRNAによってマウスでウイルス特異的免疫反応を誘導できることを世界で初めて示した8(1992年には、米国カリフォルニア州ラホヤのスクリプス研究所で代謝障害の治療法を研究していたチームが、ラットにmRNAを投与して欠損タンパク質を産生させるという画期的な成果を挙げていた9。しかし、独立の研究機関が同様の成功を報告するまで約20年かかった)。
トランスジーン社の研究者たちはこの発明の特許を取得し、mRNAワクチンの研究を続けた。しかしMeulienは、このプラットフォームを最適化するには少なくとも1億ユーロ(約130億円)はかかると見積もり、「困難でリスクの大きい」冒険のためにその金額を上司に要求することはできなかったと打ち明ける。トランスジーン社の親会社は、特許の維持費の支払いの停止を決め、特許は失効した。
現在は官民合同事業Innovative Medicines Initiative(IMI;ベルギー・ブリュッセル)を率いているMeulienのグループは、メルク社のチームと同様、DNAワクチンやその他のベクターベースの送達システムに焦点を当てるようになった。現在、このDNAプラットフォームに基づく動物用ワクチンがいくつか認可されており、養魚場での感染症の予防などに役立っている。2021年8月にはインドの規制当局が、COVID-19を予防するための世界初のヒト用DNAワクチンを緊急承認した(10ページ「世界初のDNAワクチン、COVID-19に対してインドで承認」参照)。しかし、ヒトでのDNAワクチンの成功は遅れていて、その理由はまだよく分かっていない。
それでもUlmerは、業界が一丸となってDNAワクチン技術を推進してきたことは、RNAワクチンにも恩恵をもたらしたと考えている。製造上の配慮や規制に関する経験から配列の設計や分子を巡る知見まで、「私たちがDNAから学んだことの多くは、そのままRNAに応用できました。それがRNAワクチン成功の基盤となったのです」と彼は言う。
苦労の連続
1990年代から2000年代末近くまで、mRNAワクチンの研究を検討したワクチン企業のほとんど全てが、その資源を別の研究に投下することを選んだ。mRNAはあまりに分解されやすく、製造にコストがかかり過ぎるというのが当時の常識だったからだ。カロリンスカ研究所(スウェーデン・ストックホルム)のウイルス学者で、30年前に「自己増幅型」RNAワクチンの一種を最初に開発したPeter Liljeströmは、「苦労の連続でした」と述懐する。
RNAに特化した最初の実験用品サプライヤーの1つ、アンビオン社(Ambion;米国テキサス州オースティン)を1989年に設立したMatt Winklerは、「RNAの扱いは非常に困難でした。当時の私が、RNAをワクチンとして体に注入することは可能かと聞かれたら、笑い飛ばしたでしょう」と言う。
mRNAワクチンのアイデアは腫瘍学の世界ではより好意的に受け止められたが、彼らが考えていたのは疾患の予防ではなく、治療に用いることだった。遺伝子治療の専門家であるDavid Curielの研究を皮切りに、学術研究機関の科学者やベンチャー企業ががんとの闘いにmRNAの利用を検討するようになった。がん細胞が発現しているタンパク質をコードするmRNAを体内に注入すれば、免疫系にがん細胞を攻撃するよう仕向けられるのではないかと考えたのだ。
現在はワシントン大学医学系大学院(米国ミズーリ州セントルイス)に所属しているCurielによると、マウスではある程度うまくいったという10。しかし、アンビオン社に商品化の話を持ち掛けたところ、「この技術には経済的可能性が感じられません」と一蹴されたという。
もう1人のがん免疫学者の研究はいくらかうまくいき、1997年には世界初のmRNA治療薬会社メリックス・バイオサイエンス社(Merix Bioscience;米国)の設立にこぎ着けた。デューク大学医療センター(米国ノースカロライナ州ダーラム)のEli Gilboaは、血液中から免疫細胞を抽出し、腫瘍タンパク質をコードする合成mRNAを取り込ませることを提案した。その細胞を体内に戻せば免疫系が活性化して、潜んでいる腫瘍を攻撃するようになるという。
Gilboaらは、マウスを使ってこのアプローチを実証した11。1990年代末には、彼らと共同研究をしていた大学がヒトでの臨床試験を開始し、Gilboaのメリックス・バイオサイエンス社も独自に臨床試験を開始した。同社は後に社名をアルゴス・セラピューティクス(Argos Therapeutics)に変更し、現在の社名はコイミューン(CoImmune)である。彼らのアプローチは数年前まで有望視されていた。しかし、大規模臨床試験で後期段階の候補ワクチンが失敗に終わり、今ではすっかり時代遅れになってしまった。
しかし、Gilboaの研究には大きな意義があった。今日のmRNA企業の二大巨頭であるキュアバック社(CureVac;ドイツ・チュービンゲン)とビオンテック社(BioNTech;ドイツ・マインツ)の創業者たちが、mRNAの研究を始めるきっかけとなったのだ。キュアバック社のIngmar Hoerrも、ビオンテック社のUğur Şahinも、「Gilboaの研究を知って同じことをやりたいと思ったが、自分たちはmRNAを体内に直接投与しようと考えた」と述べている。
現在はマイアミ大学ミラー医学系大学院(米国フロリダ州)に所属しているGilboaは、「挑戦者が雪だるま式に増えていきました」と振り返る。
勢いづくベンチャー企業
最初に成功したのはHoerrだった。2000年にエバーハルト・カール大学チュービンゲン(ドイツ)に在籍していた彼は、マウスの体内にmRNAを直接注入すると免疫反応を誘導できたと報告した12。彼は同年にキュアバック社を設立したが、科学者も投資家もほとんど興味を示さなかった。Hoerrがある会議でマウスでの初期のデータを発表したところ、最前列に座っていたノーベル賞受賞者が立ち上がって、「君が言っていることは戯言だ。全くの戯言だ」と言ったという(彼はその人物の名は明かさなかった)。
やがて、ぽつりぽつりと資金が入ってくるようになり、数年後にはヒトでの試験が始まった。最初の被験者は、当時、同社の最高科学責任者を務めていたSteve Pascoloで、彼は自身にmRNAを注射した13。その脚には、皮膚科医によるパンチ生検の痕が残る。そのすぐ後に、皮膚がん患者を対象に腫瘍特異的mRNAを用いた正式な治験が始まった。
ビオンテック社のŞahinと、その妻で免疫学者のÖzlem Türeciも、1990年代末にmRNA研究を始めた。だが、会社を設立したのはHoerrよりも後だった。彼らはヨハネス・グーテンベルク大学マインツ(ドイツ)で地道に研究を進め、特許を取得し、論文を出版し、助成金を獲得してから、2007年に億万長者の投資家に事業計画を提示した。「うまくいけば画期的なものになるでしょう」とŞahinは言い、1億5000万ユーロ(約190億円)の元手を得た。
同じ年、RNARxという設立されたばかりのmRNAスタートアップ企業が、米国政府から9万7396ドル(約1000万円)のささやかな中小企業向け助成金を受け取った。この会社の設立者である生化学者のKatalin Karikóと免疫学者のDrew Weissmanは、在籍していたペンシルベニア大学(米国フィラデルフィア)で、mRNAワクチンの成功のカギとなる発見をした。mRNAのコードの一部を改変すると、合成mRNAが細胞の自然免疫の防御機構を擦り抜けられるようになる、という発見だった。
mRNAワクチンの根幹に関わる発見
1990年代、KarikóはmRNAを薬物プラットフォームに変えようと努力を続けていた。しかし、助成金の申請は却下され続け、1995年には、ペンシルベニア大学を去るか、降格と減給を受け入れるかの選択を迫られた。彼女は同大学にとどまって研究を続けることを選んだ。そしてMaloneのプロトコルに改良を加え14、治療に使える大きくて複雑なタンパク質を細胞に産生させることに成功した15。
1997年、Karikóはペンシルベニア大学で研究室を立ち上げたばかりのWeissmanとの共同研究を開始した。彼らは、HIV/AIDSに対するmRNAベースのワクチンの開発を計画していた。しかし、Karikóが合成したmRNAをマウスに注射すると、重い炎症反応が起きてしまった。
その理由は間もなく判明した。病原体からの危険信号に最初に応答するToll様受容体と呼ばれる一連の免疫センサーを、合成mRNAが刺激していたのだ16。2人は2005年に、mRNAのウリジンというヌクレオチドの化学結合を組み替えて「プソイド(シュード)ウリジン」という類似体を作り、体はこのmRNAを敵と認識しなくなるようだと報告した17。
当時、こうした修飾ヌクレオチドが治療に役立つと認識していた科学者はほとんどいなかったが、科学界はやがてその可能性に気付き始めた。2010年9月、ボストン小児病院(米国マサチューセッツ州)の幹細胞生物学者Derrick Rossiの研究チームが、修飾mRNAを使って繊維芽細胞を胚性幹細胞に形質転換し、さらにそれを、収縮可能な筋肉組織に分化させられたと発表した18。この発見は大きな話題となった。RossiはTimeが発表する2010年の重要人物の1人に挙げられ、モデルナ(Moderna;米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)というスタートアップ企業を共同設立した。
KarikóとWeissmanの修飾mRNAに関する発明は、ペンシルベニア大学が2006年に特許を取得していたため、モデルナ社はその特許の使用許諾を得ようとした。だが、間に合わなかった。ライセンス契約を巡ってKarikóらのRNARx社ともめていたペンシルベニア大学は、手っ取り早く投資を回収するため、2010年2月にセルスクリプト社(Cellscript;ウィスコンシン州マディソン)という小さな実験試薬サプライヤーに独占的な特許実施権を与えていたのだ。同社はこの契約に30万ドル(約3300万円)を支払ったが、後にモデルナ社とビオンテック社からサブライセンス料として数億ドル(数百億円)を受け取ることになる。最初の新型コロナmRNAワクチンを開発した両社の製品に、この修飾mRNAが使われているからだ。
一方、RNARx社はスモールビジネス助成金の80万ドル(約9000万円)も使い果たし、2013年に事業を停止した。同じころ、Karikóはビオンテック社に加わった(ペンシルベニア大学での非常勤職は維持していた)。
プソイドウリジンを巡る論争
KarikóとWeissmanの発見がmRNAワクチンの成功に不可欠なものであったかどうかは、研究者の間でいまだに論争が続いている。社名が「modified mRNA(修飾mRNA)」に由来するモデルナ社は常に修飾mRNAを製品に使用しているが、修飾mRNAを使わないmRNA製薬会社もある。
アイルランドの製薬会社シャイアー(Shire;現在は武田薬品工業の傘下)のヒト遺伝子治療部門(米国マサチューセッツ州レキシントン)の研究者たちは、未修飾mRNAに適切な「キャップ」構造を追加し、全ての不純物を除去すれば、修飾mRNAと同様の効果を持つ製品ができるはずだと考えた。シャイアー社の研究を主導し、後にシャイアー社がmRNAポートフォリオを売却したトランスレート・バイオ社(Translate Bio;米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)でこの技術の開発を続けたMichael Heartleinは、「重要なのはRNAの品質なのです」と説明する。
トランスレート・バイオ社は、自社のmRNAが、懸念されている免疫反応を引き起こさないことを示すヒトでの実験データをいくつか得ているが、そのプラットフォームの安全性はまだ臨床的には証明されていない。同社のCOVIDワクチン候補は、ヒトでの臨床試験の初期段階にある。しかし、フランスの大手製薬会社サノフィ(Sanofi)は、この技術の将来性を確信し、2021年8月に32億ドル(約3600億円)でトランスレート・バイオ社を買収する計画を発表した。なお、Heartleinは2020年に同社を退社し、マリタイム・セラピューティクス社(Maritime Therapeutics;米国マサチューセッツ州ウォルサム)を設立した。
キュアバック社も、mRNAワクチンの免疫原性を抑えるために独自の戦略を持っている。それは、mRNAの塩基配列を変えて、ワクチンに含まれるウリジンの量を最小化するという方法だ。狂犬病19とCOVID-1920に対する同社の実験的ワクチンは、初期の臨床試験ではいずれも成功を収め、20年に及ぶ研究が実を結んだように思われた。しかし、2021年6月に出た後期臨床試験のデータは、同社のCOVIDワクチン候補の効果が、モデルナ社やビオンテック社のワクチンに比べてはるかに低いことを示していた。
こうした結果を見たmRNAの専門家の一部は、プソイドウリジンはmRNAワクチン技術にとって必須の要素であると考え、KarikóとWeissmanの発見は世間から評価され、賞を受けるに値すると述べるようになった。mRNAベースの治療法を開発している合成生物学企業ストランド・セラピューティクス社(Strand Therapeutics;米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)の共同設立者で最高経営責任者のJake Becraftは、「真の勝者は修飾RNAです」と言い切る。
とはいえ、誰もが同意しているわけではない。未修飾mRNAを使用したCOVIDワクチン「ARCoV」を開発し、現在、後期臨床試験を行っている中国企業アボジェン・バイオサイエンス(蘇州艾博生物科技;江蘇省)のCEOであるBo Ying(英博)は、「mRNAワクチンの安全性と有効性に影響を与える要因は複数あり、mRNAの化学修飾はそのうちの1つにすぎません」としている。
もう1つの革新
mRNAワクチンに欠かせないもう1つの革新技術として多くの専門家が挙げているのは、mRNAそのものとは無関係な部分である。それは脂質ナノ粒子(LNP)と呼ばれる脂肪でできた小さな泡で、mRNAを保護し、細胞内に送り込む役割を担っている。
この技術はブリティッシュコロンビア大学(カナダ・バンクーバー)の生化学者Pieter Cullisの研究室と、彼が関わった複数の企業から生まれた。彼らは1990年代後半から、遺伝子の発現を抑制する核酸鎖をLNPを使って送達する技術を開発してきた。こうして生まれたパティシラン(patisiran)は、現在、稀な遺伝性疾患の治療薬として承認されている。
この遺伝子サイレンシング療法が臨床試験で有望そうな結果を出すようになると、2012年にはCullisが関わる2つの企業が、mRNAベースの医薬品にLNP送達システムを利用する可能性を探り始めた。例えば、Thomas Maddenを最高経営責任者とするアクイタス・セラピューティクス社(Acuitas Therapeutics;カナダ・バンクーバー)は、ペンシルベニア大学のWeissmanのグループや複数のmRNA企業と提携して、各種のmRNA–LNP製剤の試験を行った。そのうちの1つは、現在、ビオンテック社とキュアバック社のCOVIDワクチンに採用されている。モデルナ社のLNP製剤も、これと大きな違いはない。
このナノ粒子には4種類の脂質分子が混合されている。そのうちの3つは構造と安定性に寄与し、イオン化脂質と呼ばれる第4の脂質分子が、LNP成功のカギだ。この物質は実験室環境下では正電荷を帯びており、1980年代末にFelgnerが開発してMaloneが試験したカチオン性リポソームと同様の長所を持つ。しかし、Cullisとその提携企業が開発したイオン化脂質は、血流中などの生理的条件下では電気的に中性となり、生体への毒性を抑えることができる。
それだけではない。Cullisが関わった複数のベンチャー企業で役員を務めたIan MacLachlanは、4種類の脂質を配合したことで、薬局の棚で製品の長期保存が可能になり、体内で安定に保てるようにもなったと説明する。「つまり、今の製品の特徴につながる全要素がここにあるのです」。
2000年代半ばには、脂質を混合してナノ粒子を製造する新しい方法が考案された。アルコールに溶かした脂質を、酸性バッファーに溶かした核酸と合流させる「Tコネクター」装置を使う方法である。2つの溶液が合流すると、核酸を封入したLNPが自発的に形成された21。この方法は、mRNAベースの医薬品を作る他の方法よりも信頼性が高いことが証明されている。
レプリケート・バイオサイエンス社(Replicate Bioscience;米国カリフォルニア州サンディエゴ)の最高開発責任者であるAndrew Geallは、全ての要素がそろったとき、「ついにスケールアップ可能なプロセスを手にすることができたと思いました」と語る。ノバルティス社(Novartis、スイス・バーゼル)の米国ケンブリッジの研究拠点は、LNPにRNAを封入したワクチンを2012年に初めて作製したが、このときの研究チームを率いていたのが彼だった22。今日のmRNA企業の全てが、LNPを利用したこの送達プラットフォームと製造システムのバリエーションを使用しているが、誰が関連特許を所有しているかについては法的な争いが続いている。例えばモデルナ社は、同社のCOVIDワクチンに使われているLNP技術の権利の所有者を巡って、Cullisが関わっているアービュタス・バイオファーマ社(Arbutus Biopharma;カナダ・バンクーバー)と係争になっている。
産業の誕生
2000年代後半までには、複数の大手製薬会社がmRNA分野に参入していた。2008年には、ノバルティス社とシャイアー社がそれぞれmRNA研究部門を設立している。ノバルティス社ではGeallが中心となってワクチン開発に当たり、シャイアー社ではHeartleinが中心となって治療薬の開発に当たった。同じ年にビオンテック社が設立され、2012年に米国防総省の国防高等研究計画局(DARPA)が、産業界の研究者によるRNAワクチンやRNA医薬品の研究に資金提供を行うことを決定すると、他のスタートアップ企業も参入するようになった。最高経営責任者Stéphane Bancelが率いるモデルナ社は、mRNAを利用して体内の細胞に自分用の薬を作らせる研究の資金として、2015年までに10億ドル(1100億円)以上を調達した。この薬が実現すれば、タンパク質の欠失や欠損によって起こる疾患を治療できると期待された。残念ながらこの計画は頓挫し、同社は、よりハードルの低いワクチンの製造を優先することにした。
モデルナ社のこの決定は、多くの投資家や傍観者を失望させた。ワクチンプラットフォームは大きな変革や利益をもたらすものではないように思われたのだ。同社は2020年初頭までに、感染症に対する9種類のmRNAワクチン候補についてヒトでの試験を行っていたが、どれも大成功を収めたとは言えず、より大規模な治験に進めたものは1つしかなかった。
しかし、COVID-19が流行し始めると同社はすぐに動き始め、ウイルスのゲノム配列がネット上で公開されると、わずか数日でワクチンの試作品を作った。それからNIH 国立アレルギー・感染症研究所(NIAID;米国メリーランド州ベセスダ)と協力してマウス実験を行い、ヒトでの治験を開始した。これだけのことが10週間足らずの期間に起きたのだ。
ビオンテック社も総力戦で臨んだ。2020年3月にファイザー社(Pfizer;米国ニューヨーク)と提携すると、記録的な速さで臨床試験が進み、ヒトでの最初の試験から8カ月もしないうちに緊急承認を受けた。
承認された2種類のワクチンは、いずれもLNPに封入された修飾mRNAを使用している。また、どちらのワクチンにも、重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2(SARS-CoV-2)のスパイクタンパク質をコードする配列が含まれている。しかもそのタンパク質は、体の免疫反応を誘導しやすい形状で安定するよう設計されている。タンパク質のこの形状は、NIAIDのワクチン学者Barney Grahamと、テキサス大学オースティン校(米国)の構造生物学者Jason McLellan、およびスクリプス研究所のAndrew Wardが考案したものだ。COVIDワクチンに特異的なものであるため、mRNAワクチン全般に使えるわけではないが、何らかの賞に値する貢献であると、多くの専門家が評価している。
mRNAワクチン技術が誰の功績かを巡って激しい議論になっている理由の1つは、莫大な富をもたらす特許権の帰属に関わるからだ。しかし、基礎となる知的財産権の多くは、1989年にFelgnerとMaloneとバイカル社の同僚らが請求した(そして1990年にLiljeströmが請求した)権利にさかのぼる。これらは特許発行日から17年で消滅するため、現在はパブリックドメインにある。
2006年に取得されたKarikóとWeissmanの発明に関する特許権も、あと5年で消滅する。これにより、「mRNAをLNPに封入して送達する」という広いクレーム(特許請求の範囲)の特許を企業が取得することは非常に困難になると、業界関係者は言う。もちろん、mRNAの特定の配列(例えば、スパイクタンパク質の1つの形など)や、自社の脂質製剤などは、特許の取得が可能だ。
企業は挑戦を続けている。mRNAワクチンの分野で優位に立つモデルナ社は、インフルエンザウイルスやサイトメガロウイルスなどによる感染症に対する実験的なワクチンの臨床試験を進めていて、2020年には、分泌タンパク質を産生させるためのmRNAの広範な使用をカバーする2つの特許を取得した。しかし、複数の業界関係者は、これらの特許に対して意義を申し立てられる可能性があると言う。
mRNAワクチン企業プロビデンス・セレピューティクス(Providence Therapeutics;カナダ・カルガリー)の最高科学責任者Eric Marcussonは、「特許取得できるものは多くないでしょう。権利行使はもっと難しそうです」と言う。
ノーベル賞は誰の手に?
mRNAワクチンの開発に関わった科学者の中で誰がノーベル賞にふさわしいかという話になると、KarikóとWeissmanの名前が挙がることが多い。2人は既に、科学賞の中で最も高額な300万ドル(約3億3000万円)の賞金が授与されるブレイクスルー賞や、権威あるスペインのアストゥリアス王太子賞(技術・科学研究部門)など、いくつかの賞を受賞している。アストゥリアス王太子賞は、Felgner、Şahin、Türeci、Rossiに加えて、ワクチン学者Sarah Gilbertにも贈られている。Gilbertは、オックスフォード大学(英国)とアストラゼネカ社(AstraZeneca;英国ケンブリッジ)が開発した、ウイルスベクターを利用するCOVIDワクチンの生みの親である。ちなみにCullisの最近の栄誉は、徐放性製剤の研究者の専門組織である薬物放出制御学会(Controlled Release Society)から5000ドル(55万円)のファウンダーズ・アワードを受賞したことだけである。
Karikóについては、実験室での発見だけでなく、mRNA研究コミュニティー全体への貢献の大きさも顕彰されるべきだという意見がある。ブリティッシュ・コロンビア大学のRNA生体工学者で、自己増幅型RNA技術に特化したワクチン会社バックス・エクイティー(VaxEquity;英国ケンブリッジ)の共同設立者であるAnna Blakneyは、「彼女は卓越した科学者であるだけでなく、この分野で大きな影響力を持っています」と語る。彼女はKarikóが2019年の大きな学会で、起業前の若手ポスドクだった自分に講演時間をくれたことを心から感謝している。「彼女自身はずっと正当な評価を受けられずに来たのに、今は他の研究者を積極的に引き上げようとしているのです」。
mRNA技術の開発に携わった人々の中には、Maloneのように、自分はもっと評価されるべきだと考えている人もいるが、他の研究者にも注目してほしいと言う人もいる。例えばCullisは、「『これは自分の功績だ』などと主張することはできません」と謙遜する。彼が開発した脂質送達システムについても、何百人、何千人の協力があったからこそ実用化できたと言う。Karikóも、「全ての人が、少しずつ何かを追加していったのです。私も含めて」と述べている。
多くの研究者が、これまでの歴史を振り返って、mRNAワクチンが人類の役に立っていること、そしてその過程に自分が貢献したかもしれないことに純粋な喜びを感じていた。「これを見られたことが、ぞくぞくするほどうれしいのです」とFelgnerは言う。「当時考えていたことの全てが、今、実現しているのですから」。
翻訳:三枝小夜子
Nature ダイジェスト Vol. 18 No. 11
DOI: 10.1038/ndigest.2021.211116
原文
The tangled history of mRNA vaccines- Nature (2021-09-16) | DOI: 10.1038/d41586-021-02483-w
- Elie Dolgin
参考文献
- Malone, R. W., Felgner, P. L. & Verma, I. M. Proc. Natl Acad. Sci. USA 86, 6077–6081 (1989).
- Malone, R. W. Focus 11, 61–66 (1989).
- Dimitriadis, G. J. Nature 274, 923–924 (1978).
- Ostro, M. J., Giacomoni, D., Lavelle, D., Paxton, W. & Dray, S. Nature 274, 921–923 (1978).
- Melton, D. A. et al. Nucleic Acids Res. 12, 7035–7056 (1984).
- Krieg, P. A. & Melton, D. A. Nucleic Acids Res. 12, 7057–7070 (1984).
- Wolff, J. A. et al. Science 247, 1465–1468 (1990).
- Martinon, F. et al. Eur. J. Immunol. 23, 1719–1722 (1993).
- Jirikowski, G. F., Sanna, P. P., Maciejewski-Lenoir, D. & Bloom, F. E. Science 255, 996–998 (1992).
- Conry, R. M. et al. Cancer Res. 55, 1397–1400 (1995).
- Boczkowski, D., Nair, S. K., Snyder, D. & Gilboa, E. J. Exp. Med. 184, 465–472 (1996).
- Hoerr, I., Obst, R., Rammensee, H. G. & Jung, G. Eur. J. Immunol. 30, 1–7 (2000).
- Probst, J. et al. Gene Ther. 14, 1175–1180 (2007).
- Karikó, K., Kuo, A., Barnathan, E. S. & Langer, D. J. Biochim. Biophys. Acta 1369, 320–334 (1998).
- Karikó, K., Kuo, A. & Barnathan, E. Gene Ther. 6, 1092–1100 (1999).
- Karikó, K., Ni, H., Capodici, J., Lamphier, M. & Weissman, D. J. Biol. Chem. 279, 12542–12550 (2004).
- Karikó, K., Buckstein, M., Ni, H. & Weissman, D. Immunity 23, 165–175 (2005).
- Warren, L. et al. Cell Stem Cell 7, 618–630 (2010).
- Aldrich, C. et al. Vaccine 39, 1310–1318 (2021).
- Kremsner, P. G. et al. Wien. Klin. Wochenschr. https://doi.org/10.1007/s00508-021-01922-y (2021).
- Jeffs, L. B. et al. Pharm. Res. 22, 362–372 (2005).
- Geall, A. J. et al. Proc. Natl Acad. Sci. USA 109, 14604–14609 (2012).
関連記事
Advertisement