Obituary

追悼:根岸英一

Nature ダイジェスト Vol. 18 No. 10 | doi : 10.1038/ndigest.2021.211016

原文:Nature (2021-07-01) | doi: 10.1038/d41586-021-01828-9 | Ei-ichi Negishi (1935–2021)

Kit Chapman

医薬品の合成に不可欠なクロスカップリング反応を開発した有機化学者。

パデュー大学にて、2年生向けの講義で学生たちに有機化学を教える根岸英一。2010年10月6日撮影。 | 拡大する

BRIAN KERSEY/UPI/ALAMY

炭素原子をつなぎ合わせることは有機分子合成の基本であり、医薬品開発や工業化学に有用な複雑分子の合成には特に欠かせない。2010年、そうした合成を可能にしてきた最も重要な化学反応の3つ(いずれも貴金属のパラジウムを触媒として用いる)の開発者3人がノーベル化学賞を共同受賞した。その1人が、日本人化学者の根岸英一である。彼が開発した「根岸カップリング」と呼ばれるクロスカップリング反応は、現在、製薬業界で用いられている全反応の少なくとも4分の1を占めると推定される。根岸は2021年6月6日、米国インディアナ州インディアナポリスにて、85歳で死去した。

炭素原子は安定で、反応しにくい。有機化学者たちはかつて、炭素の反応性を向上させることに重点を置いていたが、そうした方法は不要な副生成物が生じる上、薬剤やプラスチックなどのより大きな分子構造の構築には効果的でなかった。これに代わるものとして、根岸は1970年代、2つの中間体分子を1つの金属触媒と結合させ、最終的に触媒を切り離して、中間体分子の間に炭素–炭素結合を形成する反応を開発した。触媒は、同じ反応で繰り返し再利用できる。

根岸は1935年、満州国(中国東北部に存在した日本の傀儡国家)の首都、新京(現在の長春)で誕生した。父親が鉄道会社に勤めていたため、幼少・少年時代を日本占領下のハルビン、韓国の仁川、ソウルで過ごし、第二次世界大戦後、日本に引き揚げた。幼い頃から勉強ができ、ハルビン時代に1年早く小学校に入学。引き揚げ後も成績は優秀で、14歳で神奈川県立湘南高等学校に入学を認められ、17歳で東京大学に入学した。

1958年、根岸は東京大学工学部応用化学科を卒業。その後、合成繊維会社の「帝国人造絹絲(現在の帝人)」に入社するが、すぐに、自身の化学の知識が不十分であることに気付いた。日本で大学院に行く経済的余裕がなかった根岸だったが、帝人の支援を受けて1960年にフルブライト奨学生としてペンシルベニア大学(米国フィラデルフィア)に留学することができ、1963年に博士号を取得した。その後、一度は帰国して帝人に戻るも、学界でキャリアを積むことを決意する。ところが、日本の大学では職が見つからず、1966年に再び渡米し、パデュー大学(米国インディアナ州ウェストラファイエット)のハーバート・ブラウン(Herbert Brown)の下でポスドクとなった。ブラウンの研究室では、根岸が来る1年前まで、有機化学者の鈴木章が研究を行っていた。この時はちょうどすれ違う形となったが、運命ともいうべきか、鈴木と根岸はその数十年後、デラウェア大学(米国ニューアーク)のリチャード・ヘック(Richard Heck)と共に、ノーベル化学賞を分かち合うことになる。

根岸は衝突を嫌う穏やかな性格で、風変わりで議論好きなブラウンとは対照的だったが、2人の関係は良好で、根岸は順調に研究を進めていった。彼は後にブラウンを「化学を探究する真の巨匠」と称えている。根岸は1972年、シラキュース大学(米国ニューヨーク州)に移り、そこで2つの有機分子を効率よく結合させる方法の研究に取り組んだ。20世紀半ば以降、こうした反応には銅などの遷移金属が触媒として用いられており、1960年代後半にはパラジウム触媒も使われるようになっていた。問題は、触媒される側の有機分子として最適な組み合わせを探すのが難しいことだった。根岸は周期表に立ち戻り、全ての元素を特性に基づいて検討することで、その答えを探ったという。

1976〜1978年、根岸は共同研究者たちと、パラジウム触媒やニッケル触媒を用いて有機亜鉛化合物と有機ハロゲン化物(塩素やヨウ素などのハロゲン元素を含む有機化合物)を結合させる新しい方法を開発し、一連の論文を発表した。これらの反応では、2つの有機分子が触媒と結合する際に、有機ハロゲン化物からハロゲンが、有機亜鉛化合物から亜鉛がそれぞれ剝ぎ取られ、最終的に触媒が外れると新たに炭素–炭素結合が形成する。

これは、多種多様な分子の合成に使える、コスト効率やエネルギー効率の高い簡便な方法だった。根岸はさらに、パラジウム触媒の方がニッケル触媒よりも触媒活性と部位選択性に優れ、生成物の純度が高いことも見いだした。パラジウムは高価だが、必要量は少なくて済み、再利用可能であることからコスト面でも問題はなかった。こうして確立された「根岸カップリング」は、今なお、大きな有機化合物の合成法として最も広く用いられている反応の1つであり、天然物合成にも幅広く応用されている。その例は、新たな抗生物質の開発から農業用抗真菌薬の合成、さらにはパソコンモニター用の発光ダイオード(LED)の作製まで、実に多岐にわたる。

2014年4月18日にパデュー大学で行われた胸像の除幕式にて、自身の胸像の横に立つ根岸英一と妻のすみれ。このブロンズ胸像は根岸のノーベル化学賞受賞を記念して作られたもので、同大学のWetherill化学研究棟内に、彼の恩師であり同じくノーベル化学賞受賞者であるハーバート・ブラウン(Herbert Brown)の胸像と並んで飾られている。 | 拡大する

Purdue University photo/Steve Scherer

1979年、根岸は古巣であるパデュー大学に戻り、教授に就任した。ちょうどその年、ブラウンがノーベル化学賞を受賞し、彼の計らいで根岸も、スウェーデン・ストックホルムで開催された授賞式に随行したという。根岸は、その後40年間にわたりパデュー大学で研究を続けた。根岸は親しみやすい教授として知られ、常に学生たちの相談に乗り、人より秀でるよう何度も説いていた。研究にしてもカラオケにしても競争好きな一面があり、カラオケのレパートリーは1000曲以上もあったという。2010年には、ノーベル賞に次いで、日本の文化勲章および文化功労賞を受章。2019年に、84歳で学界から引退したばかりであった。

パラジウム触媒を用いたクロスカップリング反応は、有機合成に革命をもたらし、科学の1分野を完全に塗り替えた。しかし、自身の研究の重要性を認識していた根岸は、彼のアイデアが広く用いられることを願い、特許権の取得を拒んだという。根岸は、研究人生を通してワークライフバランスの重要性を強調し続けたが、その根底には、彼が学生時代に自ら見いだした「幸福の4条件」があった。第一は健康、第二は幸せな家庭(環境)、第三はプロフェッション(価値あるキャリアの追求)、第四は長続きする趣味である。根岸は、歌や音楽、ゴルフ、スキーなど多くの趣味を持っていただけでなく、読書家でもあり、聖書(彼はキリスト教徒ではなかった)からハウツー本、詩集まで、ありとあらゆるものを片っ端から読んでいたという。

(翻訳:藤野正美)

Kit Chapmanは、化学を専門とする ジャーナリストで歴史家。 彼は2017年に根岸のインタビューを 予定していたが、根岸は代わりに 散歩に出掛けてしまったという。

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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