SARS-CoV-2ワクチンの開発競争を注視する
COVID-19が世界の健康や社会経済に与えた深刻な影響は、COVID-19に対して有効性が明らかな予防手段や治療法がないことも相まって、アンメットメディカルニーズ(満たされていない医療ニーズ)を大量に生み出している。そうした中、政府、専門家、産業界による迅速な対応により、ワクチン候補は既に180を超えた1。そのうちの42は、この原稿の執筆時点で、ヒトでの試験が始まっている(2020年6月号「コロナウイルスワクチンの開発レース」参照)。これらのワクチン候補が開発競争で有利なスタートが切れたのは、設計にかなりの柔軟性がある新たなタイプのワクチン技術であるためだ。このようなワクチン候補の一部には、核酸(メッセンジャーRNAなど)ベースのものがあり、早くも2020年3月にヒト臨床試験2に入っている。Nature 2020年10月22日号では、ニューヨーク大学(米国)のMark J. Mulliganら3およびビオンテック社(BioNTech;ドイツ・マインツ)およびTRON社(Translational Oncology;ドイツ・マインツ)のUgur Sahinら4が、BNT162b1と呼ばれるCOVID-19ワクチンの臨床試験結果を報告した。BNT162b1は、重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2(SARS-CoV-2)の表面に見られるタンパク質の一部をコードするmRNAを含んでいる。このワクチンは、ファイザー社(米国ニューヨーク州)とビオンテック社によって開発・製造されていて、成人を対象に第I相と第II相を組み合わせた臨床試験が行われた。
ワクチンの第I/II相臨床試験の主要な目的は、短期間での安全性の評価、投与量の確認、ワクチンに対する体のさまざまな反応(反応原性として知られる効果)の評価である。反応原性には、ワクチン注射部位での局所的な痛み、発赤、腫れと共に、全身や注射部位以外の場所での症状(発熱、筋肉痛、頭痛など)が含まれる。反応原性の一部は、免疫系がワクチンに応答している正常な症状であると考えられるため、初期段階の安全性評価では特に、より重篤な影響に焦点が合わせられる。
これらの初期段階の臨床試験の副次的な目的は、免疫原性、つまり、ワクチン標的に対する検出可能な免疫応答をワクチンが刺激する能力を評価することである(図1)。これには通常、免疫系の適応免疫として知られる構成要素の評価が含まれる。評価の対象とされる特徴は、ワクチン特異的抗体応答と、CD4(ヘルパー)T細胞およびCD8(細胞傷害性)T細胞と呼ばれる免疫細胞である。これらのT細胞は、ウイルス感染細胞を直接標的とすることも、抗体産生B細胞と協働することもできる。最高のワクチンは、感染性病原体が疾患を引き起こすのを妨げる、つまり疾患を予防する作用を持つ「中和」抗体を産生する応答を長期的に誘導する能力を有する5。第I/II相試験が完了すれば、第III相試験が実施され、ワクチンが人の疾患感受性に影響を及ぼすかどうかを判断する。
Mulliganら、およびSahinらは、BNT162b1の反応原性と免疫原性に関する最初の手掛かりを示した。このワクチンはmRNAワクチンと呼ばれるもので、SARS-CoV-2の「スパイク」タンパク質の一部をコードするmRNAを体内に注入し、このタンパク質に対する抗体を体に作らせる。ウイルスは、スパイクタンパク質の受容体結合ドメイン(RBD)を使ってヒト細胞に結合し感染する。RBDに結合する抗体を体に作らせることで、SARS-CoV-2の感染サイクルで重要な開始点を阻害し、SARS-CoV-2の弱点を攻撃できるわけだ。従って、RBDやスパイクタンパク質は、ほとんどのワクチン候補において標的となっている。
Mulliganらは、ワクチンを3種類の用量(10 µg、30 µg、100 µg)のうちのいずれかで36人の健康な成人(18〜55歳)に接種し、他の9人の参加者にはプラセボを接種した。Sahinらの試験にはプラセボ対照群がなく、ワクチンを5種類の用量(1 µg、10 µg、30 µg、50 µg、60 µg)のいずれかで接種した60人の参加者が登録された。両試験の最高用量群(100 µg接種者および60 µg接種者)を除く全ての参加者は、プライムブースト法として知られるワクチン接種法で、3週間間隔でワクチン接種を2回受けた。この接種法の試験では、2回目の「ブースター(追加免疫)」ワクチン接種によって強力な免疫応答を誘導できるかどうかを決定することが可能である。この臨床試験では参加者の80%以上が白人で、約2%が黒人であった。
重篤な有害事象は報告されていないが、注射部位あるいはそれ以外の場所で、顕著な反応がよく見られた。例えば、両試験の中用量(30 µg)群の参加者のうち、96%が注射部位の痛み、92%が頭痛を報告している。さらに、これらの反応の有病率は用量依存的であり、追加免疫後に増加したため、最高用量群には2回目の注射を行わなかった。その上、リンパ球(T細胞およびB細胞を含む)は、ワクチン接種を受けたほとんどの人で数の減少が見られたが、ワクチン接種後6~8日で正常に戻った。
ワクチンによって誘導される抗RBD抗体レベルは、複数の時点で定量された。しかし、最後に評価された時点は、追加免疫後わずか2週間(Mulliganら)あるいは3週間(Sahinら)であった。全てのワクチン接種者は、初回のワクチン接種後に低レベルの抗RBD抗体応答を示した。予想通り、抗体レベルはワクチンの用量に依存し、追加免疫後に10〜15倍増加した。追加免疫後3週間までに抗体レベルの低下が見られた。in vitro実験での評価でも、抗体によるSARS-CoV-2の中和は、同様のパターンに従い、追加免疫後3週間までに低下が見られた。この結果は、ワクチンによって誘導される免疫応答の持続性を理解するためには長期間の追跡が重要であることを強調している。時間の経過とともに免疫応答が低下すると予想されるので、低下する速さを判断するために、追跡が必要である。
最も低用量のワクチンを接種された群を除いて、ワクチン接種群のSARS-CoV-2に対する中和抗体のレベルは、COVID-19から回復した人の血液試料(一般的に、COVID-19回復期血清あるいは血漿と呼ばれる)の中和抗体レベルよりも優れていた。誘導される抗体応答の大きさや動態から、このワクチンには追加免疫が不可欠であることが示された。これは重要な知見である。
Sahinらは、初回ワクチン接種前と追加免疫の1週間後にCD4 T細胞とCD8 T細胞の応答を測定した。ワクチン接種を受けた人の大部分は確固たる応答を示したが、T細胞応答の強さについて、サイトカインと呼ばれる免疫系シグナル伝達分子の産生を測定して調べると、応答の強さは参加者間で異なり、応答に明確な用量依存性はなかった。
これらの第I/II相臨床試験の結果から、反応原性と初期の安全性プロファイルは許容範囲であると考えられた。しかし、著者らが認めているように、今回の臨床試験は小規模であり、COVID-19において主要な年齢層や、リスクが潜在的に高い群が不足していたことを覚えておく必要がある。今回の2つの試験の参加者の平均年齢はそれぞれ35歳と37歳であった。
ファイザー社とビオンテック社は別の研究6で、BNT162b1を、全長スパイクタンパク質をコードするmRNAを用いるBNT162b2と名付けられたワクチンと比較する臨床試験を行い、その結果を報告している。65~85歳までの高齢者では、BNT162b2のワクチン接種を受けた人は、BNT162b1のワクチン接種を受けた人よりも全身の反応原性が低いことが分かった。そのため、同社はBNT162b2を選択し、現在、第II/III相大規模臨床試験が進行中である6。
このデータから、このワクチンによってCOVID-19に対する免疫が生じるかどうかについて、また、免疫による予防と相関する物、つまりワクチン誘導性の抗体や誘導されるT細胞応答の質と量について、どのようなことが分かるだろうか? 結果は有望であるが、決定的ではない。中和抗体の存在は、サルにおけるSARS-CoV-2感染の予防と相関し7–9、ヒトではこれと一致する事例報告がある10。しかし、このようなデータの決定的な解釈は簡単ではない。T細胞および中和抗体応答を評価するための標準化された方法がないためだ。この課題に取り組むための手法は、既に開発されている。例えばSARS-CoV-2中和アッセイ一致調査(SARS-CoV-2 Neutralization Assay Concordance Survey;go.nature.com/3iqh0jp)の結果は、さまざまなワクチン候補を比較する方法を提供するのに役立つと考えられる。
以上のことから、ファイザー社/ビオンテック社のワクチン候補の初期段階の臨床データは有望であるが、SARS-CoV-2を標的とするこのワクチンや他のmRNAワクチンには多くの疑問が残っている。例えば、最適な用量や、追加免疫のためのワクチン接種を行う最適なタイミングに加え、ワクチンによる免疫応答が持続する期間や、持病のある人あるいはCOVID-19の影響を過度に受けている少数の人種的/民族的な背景を持つ人での安全性や有効性などである。このワクチンの小児における安全性も試験する必要がある。さらに、このワクチンは−80℃で輸送および保管する必要があるため、ワクチンを配布したり、投与したりする際に考慮すべき物流上の障害がある。また、中でも、ワクチンが誘導する免疫応答が感染と疾患を予防することを確立する必要がある。
進行中の大規模第II/III相臨床試験(有効性と長期的な安全性のプロファイルを明らかにする)から得られるデータは、残りの疑問の一部に答えるために重要である。これは、BNT162b1やBNT162b2など、先駆的なRNAベースのワクチンにとって特に重要だ。従来の手法を用いて開発されたワクチン候補が持つ広範な安全性の記録がないからである。
幸いなことに、目標達成に向かう最後の障害、つまり適切に制御された第III相臨床試験の完了が見えてきている。また理想的なことに、この臨床試験から十分な安全性と有効性の情報が得られる前に、臨床でのワクチン使用に向けて米国食品医薬品局あるいは他の国際規制当局が時期尚早にも緊急使用を許可するなどしても、この第III相試験はそうした影響を受けないと考えられる。どのような開発競争においても、首尾よく、また安全に目標を達成するためには、技能、速さ、判断力の全てが必要である。
翻訳:三谷祐貴子
Nature ダイジェスト Vol. 18 No. 1
DOI: 10.1038/ndigest.2021.210140
原文
All eyes on the hurdle race for a SARS-CoV-2 vaccine- Nature (2020-10-22) | DOI: 10.1038/d41586-020-02926-w
- Christian Gaebler & Michel C. Nussenzweig
- Christian Gaebler & Michel C. Nussenzweigは、ロックフェラー大学(米国ニューヨーク)に所属。
参考文献
- Krammer, F. Nature 586, 516–527 (2020).
- Jackson, L. A. et al. N. Engl. J. Med. https://doi.org/10.1056/NEJMoa2022483 (2020).
- Mulligan, M. J. et al. Nature 586, 589–593 (2020).
- Sahin, U. et al. Nature 586, 594–599 (2020).
- Plotkin, S. A. Clin. Vaccine Immunol. 17, 1055–1065 (2010).
- Walsh, E. E. et al. New Engl. J. Med. https://doi.org/10.1056/NEJMoa2027906 (2020).
- Mercado, N. B. et al. Nature 586, 583–588 (2020).
- Yang, J. et al. Nature 586, 572–577 (2020).
- van Doremalen, N.et al. Nature 586, 578–582 (2020).
- Addetia, A. et al. J. Clin. Microbiol. https://doi.org/10.1128/JCM.02107-20 (2020).