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衛星による1000km超の量子鍵配送を達成

Nature ダイジェスト Vol. 17 No. 9 | doi : 10.1038/ndigest.2020.200942

原文:Nature (2020-06-25) | doi: 10.1038/d41586-020-01779-7 | A step closer to secure global communication

Eleni Diamanti

量子鍵配送は、安全な通信を保証できる暗号技術だ。長距離の量子鍵配送が、信頼できる中継装置の必要性なしに可能であることが、人工衛星を使った実験で示された。

現代社会は、情報の大規模な交換によって機能している。このため、機密データの世界規模での安全な通信は、ますます重要なものになっている。量子物理学の原理を応用して通信リンクの安全性を高めれば、安全な通信のために広く使われている数学的方法を補完することができる。この手法は将来、計算能力が進歩した結果として生じるかもしれない脅威からも暗号化された情報を保護できるなど、とても望ましい特徴を持っている。しかし、この手法には、通信可能な距離、使われる装置に対する信頼の程度といった点で多くの技術的課題も残っている。今回、中国科学技術大学(安徽省合肥市)のJuan Yinらは、この暗号技術は、基礎にある量子技術が保証する安全性を損なうことなく、1000kmを超える距離でも使えることを実証し、Nature 2020年6月25日号501ページで報告した1

この暗号技術は、量子通信の代表的な応用例であり、量子鍵配送(QKD)と呼ばれている。量子鍵配送を使えば、互いにある距離だけ離れた二者が、秘密鍵と呼ばれる秘密のビット(情報の単位)列を共有することが可能になる。二者は、秘密鍵を使って秘密のメッセージを暗号化し、解読することができ、この際、潜在的な盗聴者の計算能力について前提を設ける必要はない。このような絶対的安全性は、自然界の基本法則に強固に基づいているが、実際の実現にはさまざまな構成がある2

例えば、二者の片方が、光の量子状態(量子通信における、情報の自然な物理的運び手)を準備し、もう一方にそれを送り、測定させることは可能だ。このデータを標準的な古典通信を使って処理することにより、二者は秘密鍵を抽出できる。この設定の量子鍵配送は、低損失光ファイバーでは400kmの距離で3、衛星から地上への通信リンクを使った場合は1200kmの距離で実証された4

これらの実証は感嘆させるものではあるが、二者の装置が完全に明確になっていて信頼できることが必要だ。さらに、光伝送媒質の損失は、距離とともにやがては克服できないほど大きくなる。このため、二者間で鍵を安全に配送する必要のあるネットワークはノードを含み、ノードも信頼できる必要がある5,6。この制約は、一部の応用では望ましくないかもしれない。

その代わりに、もしも1つの源で作られた、光の「もつれた状態」の配送を利用できるなら、信頼の必要性は大きく軽減される。もつれた状態は、量子物理学の奇妙な性質を体現するもので、古典物理学では見られない相関を示す。そうした相関は、量子リピーターと呼ばれる装置を通じて伝送することができ、離れた物理系をもつれさせることができる。この数年、この方向に大きな前進があった7。しかし、今のところ、もつれの配送の最長距離は、状態を直接に送ることによって達成されていて、光ファイバーでは約100km8,9、衛星リンクを使った場合で1200kmだ10

理想的には、量子鍵配送で生成された鍵の安全性は、ベルの不等式と呼ばれる統計的性質を通して非古典的相関を実験的に検出することで確認され、二者が使う装置を信頼する必要はない11。しかし、現実には、このレベルの安全性を達成するためには、実験装置に要求される条件は厳しく、現在利用可能な技術では満たせない。代替手段は、もつれを使っているが、必要な条件が弱い量子鍵配送を実行することであり、その場合、二者の装置は信頼できなければならないが、もつれた状態の源は信頼できなくてよい12

Yinらは、こうした制約のある量子鍵配送を、完全かつ長距離で実行した(図1)。彼らの結果を理解するためには、今回の研究者の一部やその同僚らによる2017年の研究から始まって10、今回の研究が達成されるまでの過程を見ることが重要だ。2017年の論文では、この研究者たちは量子科学実験衛星「墨子」(2016年8月打ち上げ、高度約500km)上で生成されたもつれた状態の配送を実証し、それを2つの通信リンクを通じて、地上で1200km離れた、中国の2つの光地上局へ送った。

図1 量子もつれを使った量子暗号
Yinらは、量子科学実験衛星「墨子」上で、もつれた光子の対(非古典的なやり方で相関した光子)が作られる実験を報告した1。各対の光子は、地上で1120km離れた2つの光地上局(中国青海省デリンハと新疆ウイグル自治区南山)へ送られる。このプロセスにより、2つの受信局にいる二者が、秘密鍵と呼ばれる秘密のビット列を共有することが可能になる。彼らは秘密鍵を使って、秘密のメッセージを絶対的安全性で暗号化し、解読することができる。Yinらの設定では、二者が使う装置は信頼できなければならないが、もつれた光子の源は信頼できなくてよい。 | 拡大する

この研究は、この分野の画期的成果だったが、現実的な状況で量子鍵配送を行うには、達成された伝送効率は低過ぎた。特に、短いデータ取得ウィンドウの間に伝送され得る状態の数は有限なので、誤り(エラー)が多いことが秘密鍵の抽出を妨げた。有限数の伝送状態の使用を考慮することは、安全性を達成するためには不可欠だ。特に、衛星を使った実験の場合はそうだ。衛星を使った実験では、データを集めることができるのは、地上局から衛星が見える短時間だけだ。

Yinらはこの問題を、技術を大きく進めることによって改善した。改善点には、地上局に高効率の望遠鏡を備えつけることや、光経路のあらゆる段階の装置部品を最適化することなどがあった。Yinらは、衛星と地上局の両方について、最先端の信号取得システム、指向システム、追跡システム、同期技術を細心の注意で最適化した。この努力により、伝送効率は以前の実験と比較して4倍になり、その結果、秘密鍵が抽出できるほど誤り率(エラーレート)は低くなった。Yinらは、彼らの結果の安定性と信頼性についても、複数回の衛星軌道で確かめた。

中国は2016年8月、同国北部の酒泉衛星発射センターから長征2号Dロケットで量子科学実験衛星「墨子」(質量約600kg)を打ち上げた。墨子は、地球規模の量子通信の実現を目指した実験を行う衛星で、これまでに、衛星から2つの地上局へのもつれた光子の配送、衛星から地上局への量子鍵配送、地上局から衛星への量子テレポーテーションを実証する実験などを行った。 | 拡大する

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通信の安全性の観点から言えば、この実証では、受信局が信頼できる必要性は残る。だから、受信局の装置内部の働きについての前提が必要になる。Yinらは、これらの前提が実際には成り立たないリスクを最小にするため、2つのことを行った。第一に彼らは、潜在的な盗聴者に不注意に情報を漏らすかもしれない不備に、体系的なアプローチで対処した。第二に彼らは、さまざまな方法を使って、光子である情報の運び手の性質を能動的に制御した。この結果、可能性のあるあらゆる攻撃に対して保証されるはずの量子的方法の安全性と合わせ、Yinらの結果は今のところ最も先進的な量子鍵配送の実証になった。

しかし、これらの成果が、安全性が高く、真に現実的な応用に使えるようになるためには、いくつかの不十分な点が克服されなければならないだろう。例えば、この実験の鍵生成速度は非常に低かった。また、実験は夜にのみ行われ、遠距離通信に使われる光ファイバーネットワークには適合しない波長を使っていた。光ファイバーネットワークは、世界的な量子通信基盤において、宇宙空間を利用したネットワークと接続されるはずだ。さらに、この量子鍵配送は衛星から同時に見える地上局の間でのみ実現可能だ。

これらの点で前進するためには、今回の研究で使われた波長よりも長い波長で動作する高性能装置の開発、墨子の軌道より高い軌道の衛星の使用が必要になる。さらに長期的には、今回実証された技術と、量子リピーターや、信頼できないノードを許容する有望な構成との統合が必要になる13。そうした前進が成されれば、地球規模での暗号通信における量子技術の潜在力が解き放たれることになるだろう。

(翻訳:新庄直樹)

Eleni Diamantiは、ソルボンヌ大学(フランス・パリ)とフランス国立科学研究センター(CNRS)に所属。

参考文献

  1. Yin, J. et al. Nature https://doi.org/10.1038/s41586-020-2401-y (2020).
  2. Diamanti, E., Lo, H.-K., Qi, B. & Yuan, Z. npj Quantum Inf. 2, 16025 (2016).
  3. Boaron, A. et al. Phys. Rev. Lett. 121, 190502 (2018).
  4. Liao, S.-K. et al. Nature 549, 43–47 (2017).
  5. Peev, M. et al. N. J. Phys. 11, 075001 (2009).
  6. Liao, S.-K. et al. Phys. Rev. Lett. 120, 030501 (2018).
  7. Bhaskar, M. K. et al. Nature 580, 60–64 (2020).
  8. Aktas, D. et al. Laser Photon. Rev. 10, 451–457 (2016).
  9. Wengerowsky, S. et al. Proc. Natl Acad. Sci. USA 116, 6684–6688 (2019).
  10. Yin, J. et al. Science 356, 1140–1144 (2017).
  11. Ekert, A. K. Phys. Rev. Lett. 67, 661–663 (1991).
  12. Bennett, C. H., Brassard, G. & Mermin, N. D. Phys. Rev. Lett. 68, 557–559 (1992).
  13. Lo, H.-K., Curty, M. & Qi, B. Phys. Rev. Lett. 108, 130503 (2012).

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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