News in Focus

細胞内で起こる相分離が抗がん剤の薬効を高める可能性

Nature ダイジェスト Vol. 17 No. 8 | doi : 10.1038/ndigest.2020.200803

原文:Nature (2020-06-18) | doi: 10.1038/d41586-020-01838-z | How cells’ ‘lava lamp’ effect could make cancer drugs more powerful

Elie Dolgin

合成化合物が細胞内部で濃縮され液滴を形成することが分かった。医薬品の開発に改革をもたらすかもしれない。

蛍光標識を付けた抗がん剤シスプラチンの分子が細胞の液滴内に集積している。 | 拡大する

Isaac Klein/Whitehead Institute

細胞内に入った薬剤分子は均一に拡散するという前提は、製薬業界内の常識だ。しかし、生物学者Rick Youngによれば「それはまるで見当違いだ」という。

ホワイトヘッド研究所(米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)のYoungらはScienceに掲載された論文1で、抗がん剤である化合物が細胞内の明確な小領域に濃縮されることを示した。これは「相分離」と呼ばれる現象であり、全ての細胞は相分離によって内容物を区画化している(2018年6月号「細胞内の『相分離』に注目」参照)。

この研究成果は、低分子医薬品の働きや動態、分布に関する基本的な前提に疑問を投げ掛けるものだ。また、治療薬候補の多くは研究室のシャーレの中では効果があっても最終的に人体で効果が得られないが、その理由を説明するのにも役立つかもしれない。

「この論文は、薬剤の代謝や細胞を標的とする薬剤に関する認識を改めるための良いきっかけになります」と、トロント小児病院(カナダ)の細胞生物物理学者Jonathon Ditlevは話す。

細胞内で生体物質が秩序ある形で存在するための単純な方法が1つある。インテリア照明器具のラバランプの中を漂う浮遊物や、攪拌した水中に浮遊する油滴のように、RNAや他の細胞内成分が自己組織化して「凝縮体(condensate)」と呼ばれる液滴となるのだ。こうした凝縮体が細胞内部を区画化するのに役立っているわけである。

この「ラバランプ効果」が天然の分子で起こることは既に分かっていたが、今回の研究で、合成化合物も同様の仕組みで選択的に液滴内に隔離され得ることが明らかになった。この現象を利用すれば、特定の薬剤を効率よく標的に向けることができ、なおかつ、予期せぬ毒性で有害な副作用が起こるのを抑えられるかもしれない。

「これらの凝縮体が低分子を区別する仕組みを解明できるようになれば、既存の凝縮体を利用する方法を開発して治療法を改善できるようになるでしょう」とDitlevは言う。

シスプラチンの集合

今回の研究でYoungのチームは、5種類の低分子抗がん剤について、凝縮体内部での動態を試験管実験と培養ヒトがん細胞で追跡した。まず、多くの化学療法で標準的に使われるシスプラチンで実験を開始した。シスプラチンを、細胞核内で凝縮体を形成することが分かっているタンパク質と混合したところ、遺伝子活性化タンパク質MED1が形成した液滴の内部に、シスプラチンが選択的に集まることが分かった。

シスプラチン分子は、MED1が存在するどの場所にも集合した。凝縮体内部のシスプラチン濃度は、外部の濃度の600倍もの高さだった。MED1は主として発がん遺伝子に作用する。そのためシスプラチンは、MED1が作用するのと同じDNA部位を毒性のある白金原子で狙い撃つことを、Youngらは明らかにした。要するに、シスプラチンはがん細胞の一番痛いところを突いているわけである。

ラバランプ効果は薬物耐性にも影響を及ぼすようである。Youngらは、乳がん治療の抗がん剤タモキシフェンもMED1凝縮体内に含まれることを見つけた。しかし、タモキシフェンに耐性のあるがん細胞は通常より多い量のMED1を産生している。このため凝縮体の体積が増え、タモキシフェンが希釈されて薬効が弱まることをYoungらは明らかにした。

「我々が調べた抗がん剤はいずれも、こうした相分離の凝縮体内にいつの間にか集積していました」とYoungは話す。「これは果たして無視できる事例でしょうか」。

Youngらは現在、薬剤分子が凝縮体に入り込む理由の解明に取り組んでいる。「分子の『文法』をもっと理解できるようになれば、低分子を改変して適正な部位にそれらを凝縮させることが可能になるかもしれません」と、今回の論文の共著者であるホワイトヘッド研究所の腫瘍学者Isaac Kleinは話す。

コロナウイルスの凝縮体

Kleinと、同じく論文共著者であるホワイトヘッド研究所の分子生物学者Ann Boijaは、今回の研究で得られた知識を、COVID-19の原因ウイルスであるSARS-CoV-2との闘いに応用することに、既に2カ月を費やしている。

彼らは未発表の実験研究で、SARS-CoV-2の複製機構に関わる3種類の重要なウイルスタンパク質が、薬剤化合物を吸収し濃縮できる凝縮体の中に集積することを見つけた。

「これは、我々が低分子のスクリーニングに取り掛かるために必要な結果です。つまり、ウイルスRNAの複製の抑制と、その複製が起こっている凝縮体への選択的な集積という2つの能力を併せ持つ低分子です」とYoungは話す。レムデシビルという分子は、厳密な試験でCOVID-19に対して何らかの効果があると実証された唯一の抗ウイルス薬だが、わずかな有効性しか得られていない。凝縮体への集積が不十分なことがその理由ではないかとYoungは推測している。

相分離は「創薬の一部になっていくでしょう」と、デューポイント・セラピューティクス社(Dewpoint Therapeutics;米国ボストン)の科学担当主任Mark Murckoは言う。同社は、Youngが2018年に、マックス・プランク分子細胞生物学・遺伝学研究所(ドイツ・ドレスデン)の細胞生物学者Tony Hymanと共同で設立した会社であり、凝縮体の生物学的特性を利用して、疾患に関与する凝縮体を破壊する医薬品や細胞内の特定の凝縮体に集積する医薬品を開発することを目指している。

ただし、こうした動きに誰もが納得しているわけではない。細胞内で天然分子と合成分子の両方が集積する仕組みは他の機構で説明できるかもしれないのに、研究者らは凝縮体をさまざまな生体過程に結び付けることを急ぎ過ぎていると、カリフォルニア大学バークレー校(米国)の生化学者Robert Tjianは考えている2。彼は、Youngらなどの論文が巻き起こしたこの相分離ブームに人々が乗っかり、相分離の液滴に集積するような構造の薬剤を探索し始めたとしても、その液滴が実験室にしか存在しない場合もあるのではないかと懸念する。「これは少々危ういことです」と彼は注意を促している。

(翻訳:船田晶子)

参考文献

  1. Klein, I. A. et al. Science 368, 1386–1392 (2020).
  2. McSwiggen, D. T., Mir, M., Darzacq, X. & Tjian, R. Genes Dev. 33, 1619–1634 (2019).

キーワード

Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

プライバシーマーク制度