半球形の網膜でできた高性能の人工眼球
Nature ダイジェスト Vol. 17 No. 8 | doi : 10.1038/ndigest.2020.200839
原文:Nature (2020-05-21) | doi: 10.1038/d41586-020-01420-7 | Artificial eye boosted by hemispherical retina
ヒトの網膜に似た半球形の基板にナノメートルスケールの光センサーを高密度に組み込んだ、画期的な生体模倣眼球が開発された。このデバイスには、ヒトの眼に匹敵する数々の視覚能力が備わっている。
SFの世界では、人工眼球を持つロボットや、脳と連動して視覚障害者の視覚を回復させる人工視覚デバイスが頻繁に登場する。しかし現実世界では、そうしたデバイスを開発する多くの取り組みがなされてきたにもかかわらず、ヒトの眼球のような丸い形状の人工眼、特に半球形の人工網膜の作製は極めて難しく、デバイスの機能が著しく制限されている。今回、香港科技大学(中国)のLeilei Guら1は、ヒトの網膜の光受容細胞を模倣したナノメートルスケールの光センサーのアレイからなる、凹型半球形の革新的な人工網膜を開発し、Nature 2020年5月21日号278ページで報告した。この網膜を用いた電気化学的な人工眼球は、ヒトの眼に匹敵する複数の能力を有し、画像のパターンを取得する基本機能を実行できる。
ヒトの眼の網膜は半球形をしており、例えばカメラに使われている平坦な撮像素子(イメージセンサー)と比べて、より巧妙な光学配置を有する。このドーム形の網膜が、水晶体(レンズ)を通って入ってきた光の広がりを自然に抑え、焦点を鋭くしているのだ。
今回Guらが開発した生体模倣電気化学的眼球の中核をなすのは、網膜として機能する高密度の光センサーアレイである(図1)。個々の光センサーはペロブスカイト製のナノワイヤーからなり、半球形の酸化アルミニウム(Al2O3)膜に開いた多数の細孔の内部で直接形成される。光センサーから外部の信号処理回路への信号伝達には、軟質ゴムチューブに封入された細く柔軟な液体金属(ガリウム–インジウム共晶合金)のワイヤーが用いられた。これらの液体金属ワイヤーは、ヒトの眼と脳をつなぐ神経繊維を模倣したもので、液体金属ワイヤーとナノワイヤーの間には、接触性を向上させるためインジウム層が設けられた。この人工網膜はシリコーンポリマー製のソケットで固定されており、このソケットによって液体金属ワイヤーの適切な配列が保持されている。
今回Guら1が報告した、ヒトの眼球を模倣した人工視覚システムは、それぞれが半球形をした前部の金属シェルと後部の人工網膜、そしてその内部を満たすイオン液体で構成される。この「眼球」のレンズ(人工水晶体)は人工虹彩の内側に固定されている。この人工眼球の中核をなすのは半球形の網膜で、ペロブスカイト製のナノワイヤーからなる光センサーの高密度アレイが、酸化アルミニウム膜に開いた多数の細孔内部に形成されている。これらのナノワイヤーは、ヒト網膜の光受容細胞を模倣したものである。人工網膜はポリマー製のソケットで固定されており、ヒトの眼の神経線維を模倣した液体金属ワイヤーがこのソケット部分でナノワイヤーと電気的に接触し、ナノワイヤーからの信号を外部の信号処理回路に伝達している。 | 拡大する
Yaying Xu / Fantastic Color Animation Technology Co., Ltd.
Guらは、この人工網膜を、人工の虹彩と水晶体からなる半球シェルと組み合わせることで、「眼球」を作製した。この半球シェルはアルミニウム製で、内面はタングステン膜で覆われており、眼球の内部はイオン液体電解質で満たされている。この液体は、ヒトの眼球の水晶体と網膜の間の空間を満たすゲル状の硝子体液を模倣したものだ。このような構成は、ナノワイヤーの電気化学的な動作に必要である。Guらの人工眼球は全体的な構造がヒトの眼球のそれと非常に似ており、この形状の類似性によって100°という広い視野が実現された。これは、約130°というヒトの眼の垂直方向の静的視野に匹敵する値である。
こうした構造の模倣は確かに見事だが、今回の人工網膜が既報の数々の視覚デバイスの中でも特に突出しているのは、ヒトの眼に引けを取らない多くの視覚能力を有するからである。例えば、この人工網膜は、0.3µWcm-2から50mW cm-2という幅広い強度の光を検出できる。このうち最も低い強度の光では、人工網膜の各ナノワイヤーが検出した光子の数は平均で毎秒86個と、ヒト網膜の光受容体と同等の感度を示した。この優れた感度は、ナノワイヤーに用いられているペロブスカイト材料に由来する。ペロブスカイト化合物は、オプトエレクトロニクスやフォトニクスなどの多様な応用に極めて有望な材料である2。今回Guらが用いたペロブスカイトはホルムアミジニウムヨウ化鉛で、優れたオプトエレクトロニクス特性と良好な安定性を理由に選定された。
Ron Boardman/The Image Bank/Getty
これらのナノワイヤーの応答度(入射光1W当たりの出力電流で表される)は、可視スペクトルの全周波数にわたってほぼ同じだった。さらに、ナノワイヤーアレイを規則的な高速パルス光で刺激すると、わずか19.2ミリ秒(ms)で応答して電流を発生し、光照射を停止すると、わずか23.9 msで回復した(不活性状態に戻った)。こうした光センサーの応答時間と回復時間は、最終的に人工眼球が光信号に対してどれほど素早く応答できるかを決定する、重要なパラメーターである。ちなみに、ヒト網膜の光受容体の応答時間と回復時間は40~150msで、今回の人工網膜のものよりはるかに遅い。
Guらの人工網膜は多くの点で優れているが、中でも最も素晴らしいのはその高い撮像解像度だろう。この特徴は、ナノワイヤーアレイの密度が高いことに起因する。これまでの人工網膜では、まず光センサーを平坦な硬い基板上に作製し、その後、それらの光センサーを曲面状の支持表面に転写するか3、基板そのものを曲げて曲面状に加工していた4。だがこうした手法では、転写や曲げができるよう光センサー間に隙間を残す必要があり、密度が制限されてしまう。
これに対しGuらの人工網膜では、光センサーを半球形の膜に直接形成させるため、配置密度を高めることができる。実際、今回のデバイスにおける光センサーの密度は4.6×108cm-2と、ヒト網膜の光受容体密度(約107cm-2)よりはるかに高い。このデバイスでは、各ナノワイヤーからの信号は別々に取得できるが、ピクセルは3~4本のナノワイヤー群から形成される。
Guらの人工眼球の全般的な性能は、視覚デバイス開発における大きな前進を表しているが、改善すべきことは多分に残されている。第一に、今回の光センサーアレイは10×10ピクセルで構成されており、ピクセル間隔は約200µmである。これは、光検出領域の幅が約2mmしかないことを意味する。また、今回の作製プロセスには、Al2O3膜にナノワイヤー用の細孔を開ける際に高価な集束イオンビームエッチング法を用いるなど、高コストな工程が含まれている。より大きな光センサーアレイを今よりはるかに低コストで作製するには、将来的により高スループットの作製法を開発する必要があるだろう。
第二に、人工網膜の解像度と規模をさらに向上させるには、液体金属ワイヤーのサイズを小さくする必要がある。今回用いたワイヤーの外径は約700µmで、理想的にはナノワイヤーの直径(数µm)と同等にすべきだが、今のところ、液体金属ワイヤーの直径をこのサイズまで小さくするのは困難である。
第三に、人工網膜の動作寿命を確認するために、より多くの試験を行う必要がある。Guらは今回、9時間動作させた後で目立った性能の低下は見られなかったと報告しているが、電気化学デバイスには時間とともに劣化するものもあるため、さらなる確認が必要だ。
最後に、Guらはイオン液体電解質の濃度を高くするとデバイスの応答時間と回復時間が短くなったが、濃度の増大に伴い光の透過性は悪くなったと述べている。この問題に対処するには、イオン液体の組成をさらに最適化する必要がある。
とはいえ、今回のGuらの成果は、この数十年間にもたらされた数々の飛躍的進歩3–9をさらに躍進させるものと言えよう。これらの進歩は、ヒトの眼などのカメラ眼だけでなく、昆虫の眼のような複眼をも模倣することによって成し遂げられてきた。こうした流れ、そして今回の成果を踏まえると、今後10年以内に人工眼球や視覚デバイスが我々の日常生活に普及するのを目の当たりにする可能性は十分にありそうだ。
(翻訳:藤野正美)
Hongrui Jiangは、ウィスコンシン大学マディソン校に所属。
参考文献
- Gu, L. et al. Nature 581, 278–282 (2020).
- Stranks, S. D., Snaith, H. J. Nature Nanotechnol. 10, 391–402 (2015).
- Ko, H. C. et al. Nature 454, 748–753 (2008).
- Zhang, K. et al. Nature Commun. 8, 1782 (2017).
- Jung, I. et al. Proc. Natl Acad. Sci. USA 108, 1788–1793 (2011).
- Liu, H., Huang, Y., Jiang, H. Proc. Natl Acad. Sci. USA 113, 3982–3985 (2016).
- Floreano, D. et al. Proc. Natl Acad. Sci. USA 110, 9267–9272 (2013).
- Huang, C. C. et al. Small 10, 3050–3057 (2014).
- Jeong, K. H., Kim, J., Lee, L. P. Science 312, 557–561 (2006).