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陽子半径の謎に進展

Nature ダイジェスト Vol. 17 No. 2 | doi : 10.1038/ndigest.2020.200234

原文:Nature (2019-11-07) | doi: 10.1038/d41586-019-03364-z | Progress on the proton-radius puzzle

Jean Philippe Karr & Dominique Marcahnd

ミューオン水素の分光で得られた陽子半径の測定値は、それまでの陽子半径の測定結果と食い違い、議論を巻き起こした。今回、通常の水素を使った陽子半径の精密な測定が、原子物理学と原子核物理学の手法でそれぞれ行われ、いずれもミューオン水素で得られた結果と一致した。

米国・スタンフォード大学(当時)の物理学者ウィリス・ラム。1955年、彼の研究室で。ラムらは1947年、水素原子でラムシフトを発見し、ラムシフトは量子電磁力学の正しさを証明するものになった。ラムは1955年のノーベル物理学賞を受賞した。陽子半径の謎の発端は、2010年、ミューオン水素でラムシフトを測定したことだった。 | 拡大する

STEVE GSCHMEISSNER/SPL/GETTY

陽子は100年前に発見され1、目に見える物質の不可欠な基本構成要素だ。水素原子の原子核は1個の陽子でできているため、水素は陽子の固有の性質を決定するのに適したプラットフォームだ。陽子固有の性質の1つが陽子の電荷半径(陽子半径)で、これは陽子の電荷分布の空間的広がりに相当する。2010年、ミューオン水素の分光により、陽子半径の非常に正確な測定が行われた。ミューオン水素は、エキゾチックなタイプの水素で、電子がミューオン(ミュー粒子)と呼ばれるより重い粒子で置き換えられている2。しかし、この測定で得られた値は、それまでに受け入れられていた値3よりもほぼ4%小さかった(Nature ダイジェスト2010年10月号「陽子のサイズはもっと小さい!?」参照)。今回、この陽子半径の謎を解くための決定的な進展になる可能性のある実験結果を、ヨーク大学(カナダ・トロント)のNikita BezginovらがScience4、デューク大学(米国ノースカロライナ州ダーラム)のWeizhi XiongらがNature 2019年11月7日号147ページ5報告した。

原子物理学者は、分光によって水素原子の2つの電子状態のエネルギー差を測定し、陽子半径を決定する。量子力学によると、電子が軌道角運動量ゼロの状態(S状態)にあれば、電子が陽子の内部に見つかる確率はゼロではない。電子が陽子の内部にあるとき、外にあるときに比べて、陽子の電荷の影響は弱くなる。この効果は、電子と陽子の結合をわずかに弱め、S状態のエネルギーに、他の状態に対するわずかなずれを引き起こす。実験と量子電磁力学という理論の両方によって達成される高い精度のため、このエネルギーのずれと陽子半径を測定から得ることができる。

ミューオンは電子よりも約200倍重い。このため、ミューオン水素原子のミューオンが陽子の内部で見いだされる可能性は、通常の水素原子の電子よりもずっと高い。その結果、これに伴うエネルギーのずれは、ミューオン水素の方が通常の水素の約800万倍(2003倍)大きい6。だから、ミューオン水素は陽子半径の鋭敏なプローブになる。

Bezginovらの研究は、通常の水素の2S励起状態と2P励起状態間のエネルギー差であるラムシフトに関するものだ。ラムシフトは、ミューオン水素でも調べられた2,7。Bezginovらは、ラムシフトを測定するため、原子時計で使われるラムゼー干渉と呼ばれる技術に由来する実験方法を開発した8

この実験方法は、系統的不確かさや背景雑音を取り除き、スペクトル信号の形が単純であるなど、他の方法に対して多くの技術的利点を持つ。この方法の重要な特徴は、わずか数時間で完全なスペクトルを測定する能力だ。このため、Bezginovらは系統的不確かさを注意深く調べ、陽子半径の精密な値を得ることができた。その結果は、0.833±0.010フェムトメートル(fm;1fmは10-15メートル)だった。

原子核物理学者は、陽子による電子の弾性散乱を使って陽子半径を測定する。この相互作用では、入射する電子は、仮想(一時的)光子の交換を通じて、標的の陽子にエネルギーを移す。顕微鏡と同様、短波長の光子(多くのエネルギーを移す)は、対象の詳細を短い長さスケールで明らかにできる。陽子の電荷分布の広がりを完全に決定するためには、原理的には無限大の波長の光子(移行するエネルギーはゼロ)を使う必要があるが、この場合は散乱は全く起きない。このため、実験では、可能な限り低いエネルギー移行を達成し、ゼロへ外挿する。この外挿には実験データのパラメーター化が必要であり、陽子半径を精密に決定する際の主要な課題の1つになる。

Xiongらは、トマスジェファーソン国立加速器施設(米国バージニア州ニューポートニューズ)で彼らが実施した実験「陽子電荷半径実験」で、以前の研究に比べていくつかの重要な改善を行った。重要な点は、この研究は、既存のデータとの一貫性を保証するため、より大きなエネルギー移行も調べる一方で、極端に低いエネルギー移行(以前の実験に比べて1桁小さい)を調べたことだ。散乱された電子は、電磁カロリメーターと呼ばれる検出器中でのそのエネルギー損失を通じて検出された。この機構のため、系統誤差を引き起こす設定が多い磁気スペクトロメーターを使う必要がなかった。

さらに、Xiongらは絶対的な測定ではなく、相対的測定を行った。これも有利な点だ。正確に言えば、彼らは、電子・陽子弾性散乱に対応するイベントの数と、メラー散乱に関係するイベントの数の比を決定した。メラー散乱はよく理解されている計算可能な量子電磁力学過程であり、電子は原子内電子によってメラー散乱で散乱される。この戦略のため、絶対的な測定に伴う多くの系統的効果がキャンセルされた。

さらに、陽子はチャンバー内に保持された水素ガスの中にあり、このチャンバーには以前の同様の実験で使われたような入り口と出口のウィンドウがない。この構成のため、ウィンドウの材料と粒子の相互作用で生じていたらしい背景雑音がなくなった。こうして、Xiongらの選択した機構、各段階での系統的不確かさの注意深いチェック、ゼロエネルギー移行へデータを外挿するいくつかのパラメーター化に関する徹底的な研究が、彼らが得た陽子半径の値の支えになっている。結果は0.831±0.014fmだった。

BezginovらとXiongらによって独立に行われた陽子半径測定は、精密であり、また、矛盾していない(図1)。彼らは、ミューオン水素実験による非常に正確な結果と合う、小さな陽子半径を支持する結果を出し、形勢を決めた2,7

図1 陽子半径の値
陽子の重要な性質の1つが、その電荷半径だ。電荷半径は、電荷分布の空間的広がりであり、フェムトメートル(1フェムトメートルは10-15メートル)の単位で表される。グラフのデータ点は、Bezginovら4とXiongら5の最新の結果を含め、この10年間に得られた陽子半径の値を示している。不確かさはエラーバーで示している。これらのデータは、電子・陽子散乱5,10、通常の水素の分光4,9,13、ミューオン水素と呼ばれるエキゾチックなタイプの水素の分光2,7という、3つの異なる測定技術を使って得られた。ミューオン水素分光による2つのデータ点のエラーバーは、この図で示すには小さすぎるため、描かれていない。帯の部分は、2014年(参考文献11)と2018年(go.nature.com/2bwkrqzを参照)に科学技術データ委員会(CODATA)によって採用された値を示す。 | 拡大する

しかし、陽子半径の謎を最終的に解決するためには、最新の結果と、以前の水素分光9や電子・陽子散乱実験10によるデータが一致しない理由を解明する必要がある。例えば、2014年に科学技術データ委員会(CODATA)が採用した陽子半径の値は0.8751±0.0061fmだった11。この不一致について納得できる説明が提案されていない以上、今回の最新の結果を確認し、さまざまな測定技術を批判的に評価する努力が世界の研究者に求められている。

この課題に、次世代の実験は革新的な切り口で取り組む。例えば、ポール・シェラー研究所(スイス・フィリゲン)での「ミューオン散乱実験」12は、ミューオン・陽子散乱と電子・陽子散乱を同時に調べている。この実験は、電子とミューオンの振る舞いの違いを探している。違いが存在すれば、素粒子の標準模型を超える物理学の存在を意味する。高精度な分光測定は、ヘリウムなどの他の原子核や分子に拡大されるだろう。今後の実験結果から、陽子半径の不一致が明確に解決されるだけではなく、その理由も説明されることは大いにあり得る。

(翻訳:新庄直樹)

Jean-Philippe Karrは、カストレル・ブロッセル研究所(フランス・パリ)、およびパリ・サクレー大学の基幹大学エヴリー・ヴァル・デソンヌ大学(フランス・パリ)に所属、Dominique Marchandは、フランス国立原子核素粒子物理研究所(CNRS-IN2P3)オルセー原子核研究所(フランス・オルセー)に所属。

参考文献

  1. Rutherford, E. Phil. Mag. Ser. 6 37, 581–587 (1919).
  2. Pohl, R. et al. Nature 466, 213–216 (2010).
  3. Bernauer, J. C. & Pohl, R. Sci. Am. 310(2), 32–39 (2014).
  4. Bezginov, N. et al. Science 365, 1007–1012 (2019).
  5. Xiong, W. et al. Nature 575, 147–150 (2019).
  6. Pohl, R., Gilman, R. et al. Annu. Rev. Nucl. Part. Sci. 63, 175–204 (2013).
  7. Antognini, A. et al. Science 339, 417–420 (2013).
  8. Vutha, A. C. & Hessels, E. A. Phys. Rev. A 92, 052504 (2015).
  9. Fleurbaey, H. et al. Phys. Rev. Lett. 120, 183001 (2018).
  10. Bernauer, J. C. et al. Phys. Rev. Lett. 105, 242001 (2010).
  11. Mohr, P. J. et al. Rev. Mod. Phys. 88, 035009 (2016).
  12. Gilman, R. et al. Preprint at https://arxiv.org/abs/1709.09753 (2017).
  13. Beyer, A. et al. Science 358, 79–85 (2017).

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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