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死んだブタの脳を体外で数時間生存させることに成功

今回の研究で使われた脳は、食肉処理場で解体されたブタのものだ。 Credit: SCOTT OLSON/GETTY IMAGES

脳死は決定的で不可逆的なものだという考え方に疑問を持った研究者らが、食肉処理場で解体されたブタの頭部から取り出した死後4時間の脳を蘇生させたことを報告した。この実験では、意識が回復する前に脳への処置を意図的に停止させたが、それでも、脳蘇生の倫理性に関する問題を提起しただけでなく、もっと根本的に、死の本質そのものについての疑問も投げ掛ける結果となった。ヒトの死に関する現在の法的定義や医学的定義が、蘇生法や臓器移植の手順の指針となっているからだ。

この研究の詳細は、2019年4月18日号のNature で発表された論文1で見ることができる。それによると、エール大学(米国コネチカット州ニューヘイブン)の研究者らが、ブタの頭部から取り出した脳を、代用血液を送り込むシステムに組み込んだ。この手法によって、エネルギー生成や老廃物除去といった細胞の生存に不可欠な機能の一部が回復し、脳の内部構造の維持が促進されたという。

「人類の歴史が始まってからごく最近まで、死はとても単純なものでした。しかし今や我々は、何をもって不可逆的とするのかを問う必要があります」と、アレン脳科学研究所(米国ワシントン州シアトル)の主任研究者で理事長でもあるChristof Kochは話す。多くの国では、個人の脳活動が停止した場合、あるいは心肺機能が停止した場合に法的に死亡したものと見なされる。

脳は、生存維持のために膨大な量の血液や酸素、エネルギーを必要とし、これらの重要な供給支援システムがなければ数分で不可逆的な損傷が生じると考えられている。

20世紀初頭から、脳を低温にしたり血液や代用血液を送り込んだりすることで、心臓が止まった時点から動物個体の脳を生存維持させるという実験が行われてきた。しかし、そうした処置後の脳がどの程度機能したかは明らかでない2。それ以外にも、死後8時間以内のヒトの脳から取り出した細胞が、タンパク質生産などの正常な活動を行えることを示した研究もある3。これらの研究を踏まえて、エール大学の神経科学者Nenad Sestanはこう考えた。「死後数時間たった丸ごとの脳を蘇生させることができないだろうか」。

Sestanはこの疑問に取り組むことを決め、研究室近くの食肉処理場で解体されたブタ32頭の切断頭部を研究に使った。彼の研究チームは、ブタの頭蓋から取り出した脳にカテーテルを取り付け、脳の静脈や動脈に保存液を送り込み始めた。その時点で、脳は死後4時間がたっていた。

チームが「BrainEx」と呼ぶこのシステムは、血流を模倣して脳細胞に栄養素や酸素を供給する仕組みだ。保存液には、ニューロンの発火(電気的活動)を抑止する化学物質も含まれている。ニューロンの損傷や、脳の電気的活動の再開を防ぐためだ。こうした処置を施す一方で、チームは実験の最中ずっと脳の活動を監視しており、脳が意識を取り戻しつつあることを示す何らかの兆候が見られた場合に、いつでも麻酔薬を投与できるよう待機していた。

研究チームは、BrainExに組み込んだブタの脳が6時間でどの程度回復できるかを調べた。その結果、保存液を注入しなかった対照群の脳の細胞は崩壊してしまったのに対し、BrainExに組み込んだ脳では個々の細胞や部位の構造が保存されていた。また、ニューロンや他の脳細胞が正常な代謝機能を再開したことや、脳の免疫系も機能しているらしいことが分かった。さらに、BrainExに組み込んだ脳から採取した組織試料に通電したところ、個々のニューロンがまだ信号を伝達できることも判明した。

ただし、高度な脳活動を意味する脳全体の協調的な電気的活動パターンは全く見られなかった。研究チームによれば、そうした高度な機能を復活させるには、電気ショックを与えるか、もしくは、もっと長い時間にわたって脳を溶液中で保存し、酸素供給がない状態で受けたあらゆる損傷から細胞を回復させることが必要だろうという。

Sestanはすでに、BrainExを使ってブタの脳を最大36時間生存させているが、脳の電気的活動を復活させる喫緊の予定はない。彼の目的は、体から取り出した脳の代謝機能や生理機能をどのくらい長く維持できるかを知ることだ。

「我々は不可避なものの訪れを防いでいるだけだと思われます。脳が生き返るわけではないのです」とSestanは話す。「我々はわずか数百m飛んだだけにすぎず、それで本当に空を飛べたことになるのでしょうか」。Sestanはさらに、BrainExはヒトへの使用を考えるような段階には到底達していないと言う。BrainExを使うにはまず、頭蓋から脳を取り出さなくてはならないからだ。

さらに、体から取り出した意識のある臓器を生存維持できるような技術の開発は、対象がヒトであってもヒト以外の動物であっても倫理的影響が大きい。「生きた動物個体ではないものに意識を持たせることで生じそうな倫理的影響を懸念して監視するような仕組みは、現実には存在していません」と話すのは、今回の論文の共著者であるエール大学の生命倫理学者Stephen Lathamだ。彼によれば、一部の事例においては意識のある脳の生存維持を正当化できるのではないかという。例えば、生身のヒトではなく体外で生存維持された脳で、脳変性疾患の治療薬を試験できるような場合だ。

今回の最新の研究からは、脳の損傷や死が果たして永久的なものなのかという疑問も生まれてくる。ファインスタイン医学研究所(米国ニューヨーク州マンハセット)の救急医療専門家Lance Beckerによれば、多くの医師は、脳に酸素がない状態だと分単位で深刻な損傷が進んでいくだろうと考えている。しかし今回のブタ脳の実験から、脳はたとえ外部からの支援がない状態でも、従来考えられていたよりも長く生存能力を持ち続けられる可能性が出てきた。「我々は、脳の回復能力を過小評価し過ぎていたのかもしれません」とBeckerは話す。

そうした問題が、臓器提供に影響してくる可能性もある。欧州の一部では、患者が蘇生できないとなった時点で、緊急時対応要員が酸素を豊富に含む血液を体に送り込んで移植用臓器を保存する場合があるが、脳の生存維持のための処置は施されない。もしBrainExのような技術が広く利用できるようになれば、蘇生の可能性が広がって、適合する臓器提供者のプールが縮小してしまうかもしれないと、ケース・ウエスタン・リザーブ大学(米国オハイオ州クリーブランド)の生命倫理学者Stuart Youngnerは話す。「臓器提供の候補者(技術進歩により提供者ではなくなる)と提供臓器を待つ人々の間に、利害の対立が生まれてしまう可能性があります」と彼は言う。

一方、研究者や各国政府は、板挟み状態の中で進んでいかねばならない。「ここは誰もまだ足を踏み入れていない領域です。恐らく法律は、これに遅れずに進化していく必要があるでしょう」とKochは言う。彼は、単離された脳の覚醒を誰かが試みてしまう前に、倫理的問題に関する議論をもっと広く行ってほしいと考えている。「単離された脳の覚醒は、とてつもなく大きい一歩であり、その一歩を踏み出せば、もう戻ることはできないのです」とKochは話す。

翻訳:船田晶子

Nature ダイジェスト Vol. 16 No. 7

DOI: 10.1038/ndigest.2019.190708

原文

Pig brains kept alive outside body for hours after death
  • Nature (2019-04-18) | DOI: 10.1038/d41586-019-01216-4
  • Sara Reardon

参考文献

  1. Vrselja, Z. et al. Nature https://doi.org/10.1038/s41586-019-1099-1 (2019).
  2. White, R. J., Albin, M. S. & Verdura, J. Science 141, 1060–1061 (1963).
  3. Verwer, R. W. H. et al. FASEB J. 16, 54–60 (2002).