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150年の次へ、Nature への期待

知の創造の支援と開放を鳥居 啓子ワシントン大学 教授 / ハワード・ヒューズ医学研究所 正研究員 / 名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所 客員教授

私がNature の存在を実感したのは大学2年生の時。「DNA二重螺旋モデルの原著論文を探してこい」という課題だった。まだウェブ閲覧もPDFもない1980年代。大学中央図書館地下の書籍収蔵棚で1953年のNature を探した。茶色く変色した「あの」ワトソンとクリックの論文を目にした時、何だか科学者が身近に思えた。

2004年、新米研究室主宰者となった私は、欧州での国際会議で、植物の気孔のパターンを制御する受容体の発見を発表した。その帰途、Nature のエディターからのEメールに驚いた。「とても興味深い発見で、もし未投稿なら、弊誌を投稿先に考えてみないか」という内容だったからだ。紆余曲折があり最終的にライバル誌に掲載されたが。そして2006年。気孔を作る指令3遺伝子の発見を記した論文は、臨月まで奮闘し、娘を出産した日にNature に掲載され、一生の思い出となった。

2019年の今では、論文に対する科学コミュニティーの意識も大きく変わった。オープンアクセスや、未発表論文の公開サイト(BioRxiv)が生命科学研究分野にも浸透してきた。同時に、PubPeerなどオンライン研究者フォーラムも認知され、速報性とインパクトを重視するNature の脆弱性も見えてきた。次々と増える「姉妹誌」に、営利出版社が知を囲い込む今日の学術出版の形に警鐘を鳴らす研究者も多い。

150周年を迎えるNature。これからも自然科学の革新的発見のフォーラムであり続けてほしい。エディターの方々には矜持を持って、若手、国籍、ジェンダーを問わず、新しい(故に既存の枠組みにはまらない)研究を見いだし応援いただきたい。無名の若手研究者だった私にそうしてくれたように。

最後に、具体的提案を1つする。Nature Researchのトップ雑誌であるNature の論文は全て出版社負担で無料公開していただきたい。これら論文は、科学者だけでなく全人類の知の資産である。フェイクニュースが跋扈する今の時代、最先端の、最も権威ある科学雑誌としての新たなミッションを心から期待する。

Publicationの危機、 解決へリーダーシップを合田 圭介東京大学 教授 / 武漢大学 非常勤教授

論文発表(publication)は、研究において最も重要な活動の1つであるが、現在、複数の大きな危機に直面していると感じる。1つ目は、論文数の指数関数的な増大である。2018年で合計150万本以上の論文(1日当たり約4000本以上の論文)が発表され、研究者が自分の研究に関係する分野ですら消化しきれないほど、毎日新たな知見が生み出されている。その結果、サイエンス全体および当該分野において、何が最先端なのかを把握することが困難な状態にある。この問題により、論文中の先行文献の引用や、当該分野における有識者と見なされている査読者の知識レベルに疑問が生じる。

2つ目は、科学の異分野融合化に伴う論文共著者数の飛躍的増加である。論文当たりの平均論文共著者数の推移を見ると、1920年以前は、論文発表は一般的に1人で行うものであったが、2012年には5.3人に増加した。2030年には7.5人に増加すると予想される。この背景にあるのは、研究の複雑化だ。そうした研究の実施には、異なる分野の研究者を束ねた、大きな異分野融合(inter-disciplinary)チームが必要とされるからである。

しかしながら教育は、いまだに専門分野的(disciplinary)であるため、研究のニーズに追い付いていない。その結果、異分野融合型論文の査読が困難となっている。複数の分野に精通した研究者の数は限られており、論文の内容を正しく評価することが難しいのだ。これらの問題は時間とともに悪化している。よって、publicationの仕組み(研究者が論文投稿→エディターが査読に回すかどうか判断→査読者が論文の内容を評価→エディターが査読者の評価を総合的に判断して受理/不受理の結論を出す)を見直す時期に来ているのではないかと感じる。トップジャーナルとしてpublicationを俯瞰できるNature には、問題解決へのリーダーシップに期待する。

学術界を左右する出版形態と価格中西 友子星薬科大学 学長 / 東京大学 特任教授・名誉教授 / 内閣府原子力委員会委員

Nature はこれまで世界の学術に大きく貢献してきており、学術雑誌として高く評価できると、ほとんどの方が認識していると思う。Nature に研究成果が掲載されることは、研究者の1つの大きな目標になっており、高水準な学術の発展に寄与してきたからだ。よって、内容的には現在の立ち位置でいいのではないだろうか。

ただ、最先端の研究の掲載を目指すあまりに、過去には結果として間違った情報を載せたことがある。この点はNature だけの問題ではなく、学術界全体の問題として捉えなくてはならないが、大いに反省が必要だと考える。

それから、近年の出版業界の大きな変化として、従来の紙媒体のみによる出版から電子媒体による出版へのシフトが挙げられる。このような状況の中で、学術誌の代表的な出版社であるシュプリンガー・ネイチャーが、将来はどのような形態を考えているのか、興味を持っている。現在のような両方の出版形態を継続するのか、いずれか片方にするのか、または現在とはもっと違う形態をとっていくのだろうか。

一方、出版される科学雑誌の価格は、大学や研究機関にとても深刻な影響を与える。学術論文というものは、より広く関係者に読まれることに意義があり、もしも、予算の関係で必要な雑誌を読めない状況が頻繁に生じることになるならば、学術研究の発展を大きく阻害することにつながる。現状のように、多くの大学や研究機関で研究費や関連経費が次第に減少していく中、Nature には、学術出版界全体の価格高騰を抑えるための働き掛けを強く要望する。

本当に良い論文を見抜く「目」に期待柳沢 正史筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構 機構長 / テキサス大学サウスウェスタン医療センター 客員教授

筑波大学では2019年4月に、一貫制の博士課程「ヒューマニクス学位プログラム」の第1期生を迎えた。このプログラムでは、学生がメンターを生命医科学分野から1人、理・工・情報学分野から1人選び、両メンターが実際に共同研究を行う中で指導を受けるダブルメンター制をとる。専門以外の学問を基礎から学び、異分野の研究者とも対等に議論できる力をつけることを目指す。

文部科学省の「卓越大学院プログラム」にも採択された。だが、事業期間は7年。WPIに採択された筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構も、10年で事業期間が終わる。現時点では、事業継続について具体的な道筋は立っていない。巨額の投資で素晴らしい設備と組織を作ってすごい成果を上げていても維持できないわけで、この仕組みでは、世界をリードする研究を続けるのは困難だ。ハワード・ヒューズ医学研究所の助成金のように、審査は厳しいが継続の道があるなら、創薬などの形で社会に還元するところまで持って行けるのだが。

日本の研究者たちは、上述のように有期雇用・一時的な助成金という不安定な状況に置かれ、結果を短期間で出そうと流行を追いかけている。Nature は影響力のある雑誌だ。営利追求とは一線を画し、はやりに流されずに真に価値ある論文を見抜いてほしい。また、日本の科学行政の問題点も報じてくれるとよい。英国などでは、一流の科学者が副大臣級のポストに就いていて、科学政策で的確な意思決定を行っている。日本でも、科学者に国が支援する領域を選ばせる仕組みができることを望む。日本の科学の底上げにもつながるはずだ。

1つ、最近のNature について思うことがある。論文出版に必要な図の総パネル数が大幅に増えたことだ。30年前にNature で発表した私の論文は、パネル約10枚だったが、最近同誌に出版した論文では、その数はextended dataを含めて120枚以上だった。1つの論文に求められるデータ量がこれほどになると「データインフレーション」、つまり、読み手にとって個々の図表の価値が相対的に下がることはないだろうか。それに、物量で勝負となれば、予算の少ない研究室では太刀打ちできない。それは不健康だ。インパクトのあるパネルが数個並ぶ程度の論文セクションができたら面白いのだが。

Nature ダイジェスト Vol. 16 No. 6

DOI: 10.1038/ndigest.2019.190620