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霊長類の脳の「ソフトウエア」を調べる

外科的処置中にてんかん患者の単一ニューロンの活動を追跡した。 Credit: BSIP/UIG VIA GETTY

ヒトの脳は「ロバストネス」(ニューロン信号がどれくらい同調しているかを示す尺度)を犠牲にして、情報処理の効率を高めていることが分かった。実験を行った研究者たちは、今回の結果は、ヒトの独特な知性や、ヒトが精神障害にかかりやすい理由についての説明を助けるかもしれないと考えている。この知見はCell 1月24日号に発表さ れた(R. Pryluk et al. Cell http://doi.org/gfthv2; 2019)。

科学者たちは、この種の異色な研究は、精神疾患の動物モデルでの研究結果を臨床に橋渡しする際に役立つかもしれないと言う。

この研究では、てんかん患者の脳の深部で記録された単一ニューロンの活動についての稀なデータを利用した。この技法は非常に難しいため、この種の研究に参加できるのは世界でも一握りのクリニックに限られる。今回の研究では、3頭のサルの既存データに加え、新たに2頭からニューロン情報が集められた。

過去数十年にわたり、神経科学者たちはヒトと他の霊長類の脳について、解剖学的な「ハードウエア」の微妙な違いと著しい違いを数多く発見してきた。一方、この研究では脳信号の違い、つまり「ソフトウエア」が調べられた。

「ヒトとヒト以外の霊長類の間には、行動と心理において明確な違いが見られます」と、マサチューセッツ工科大学(米国ケンブリッジ)のMark Harnettは言う。彼はニューロンの生物物理学的性質がどのように神経計算に影響を与えるかを研究している。「今、私たちは脳の生物学にこの違いを見いだしています。これは大変貴重な研究です」。

この研究は、学習に関係する神経回路の動態をマカク属のサルで研究するワイツマン科学研究所(イスラエル・レホボト)のRony Pazと、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(米国)の神経外科医Itzhak Friedが共同で行った。

Pazの研究では、2つの異なる脳領域に焦点を合わせている。1つは進化的に原始的な偏桃体と呼ばれる領域で、トラがこちらに迫ってきたら走って逃げ出すなどの基本的な生命維持スキルの基盤となる。一方の帯状皮質はもっと進化が進んでいて、学習などのより洗練された認知的行動の処理を担う。

Pazは、サルのこれらの領域のニューロンがヒトのそれに相当する領域のニューロンとどのように異なっているかを明らかにしたいと考えた。そこで彼はFriedに協力を求めた。Friedは、薬物治療が効かないてんかん患者に対し単一ニューロンの活動を記録する技法を用いており、その先駆者だった。

こうした患者たちは、一連の細い電極を脳に埋め込んで電気的活動を記録し、発作の源を正確に特定するという治療を受けることができる。患者たちは発作が起こるまで病院にとどまり、発作が起きると、外科医は電極とてんかん性活動の源となっている障害された脳組織を除去する。発作が起こるのを待つ間、患者たちは脳機能について調べる実験に参加することが多い。

霊長類のパターン

PazとFriedは、治療の一環で偏桃体と帯状皮質の近くに電極を埋め込んでいて、さらに記憶の研究に参加した患者(H.Gelbard-Sagiv et al. Science 322, 96–101; 2008)のデータセットの中から、偏桃体と帯状皮質の単一ニューロンデータを特定した。

こうして集められたサル5頭とヒト7人のニューロン約750個のデータには、単一ニューロンごとに、発火を示すスパイクまたは静止状態が途切れることなく数時間にわたって記録されている。Pazらは、「ロバストネス」を、ニューロンの発火および、似たパターンのスパイクの頻繁な反復の両方において、同期(または同期に近い)レベルにあることと定義し、一方の「効率」を、ニューロンの活動のパターンに、より多くの組み合わせが見られることと定義して、この2つの特性をデータの中に探した。

彼らは、両方の種で、偏桃体の信号は帯状皮質の信号よりもロバストであることを発見した。ただし、帯状皮質の信号の方がより効率的であった。ヒトではどちらの領域も、サルよりロバストネスは低い一方で、効率は高かった。つまりヒトは効率を高めるためにロバストネスを犠牲にしてきたのだ。

Pazは、それは理にかなっていると言う。信号がロバストであればあるほど、不確かさ、すなわち誤りの起こりやすさが低くなる。「もしトラに出合ったら、偏桃体のニューロンの全てに『早く逃げろ!』と叫んでほしいと思うでしょう」。しかし、霊長類など高等な種では、皮質によって周りの環境に対してもっと考え抜かれた反応ができるようになっている。

精神医学的副作用

ヒトの皮質はより賢いけれど、誤りを犯す傾向が高いということは、ヒトが精神疾患にかかりやすい理由の説明になるかもしれないとPazは言う。

これは、脳でのニューロンの活動の同期が精神病やうつに関連するかもしれないと示唆する他の神経心理学的考え方と共鳴すると、カリフォルニア大学バークレー校(米国)の認知神経科学者Robert Knightは言う。「この種の研究は非常に重要です。ほとんどの神経科学研究が動物で行われていて、ニューロンの活動の中核となるパターンはヒトを含めどの種にも共通すると仮定されてきたからです」と彼は言う。

Pazらのロバストネス-効率トレードオフ仮説は今後の研究で検証される必要のある重要な知見だと、ニューカッスル大学(英国)の神経科学者Christopher Petkovは言う。だが、データが集められている時のサルとヒトの精神状態が同等であったかどうかを知るのは困難であり、サルとヒトのデータセット間の直接比較は難物だと彼は述べる。

翻訳:古川奈々子

Nature ダイジェスト Vol. 16 No. 4

DOI: 10.1038/ndigest.2019.190414

原文

Pioneering brain study reveals ‘software’ differences between humans and monkeys
  • Nature (2019-01-19) | DOI: 10.1038/d41586-019-00198-7
  • Alison Abbott