News Feature

日本の再生医療政策がもたらすもの

日本は再生医療の規制緩和へと大きく舵を切った。この政策は国際的な広がりを見せているが、世界中の患者が代償を払う羽目になる危険性もはらんでいる。

拡大する

ILLUSTRATION BY FABIO BUONOCORE

Nature ダイジェスト Vol. 16 No. 12 | doi : 10.1038/ndigest.2019.191222

原文:Nature (2019-09-26) | doi: 10.1038/d41586-019-02847-3 | The potent effects of Japan’s stem-cell policies

David Cyranoski

東京で最もトレンディーな街の1つ、南青山。ネイルサロンや宝飾店がひしめくその界隈で、フランスの高級パティスリーが1階に店を構えるビルの3階に「表参道ヘレネクリニック」はある。そこでは医師らが、心血管疾患の治療のために患者に幹細胞を注入している。襟元に大きな蝶結びをあしらったお洒落な制服姿の女性コンシェルジュが、アクアリウムのあるロビーを行き来しては、中国人のメディカルツーリスト(医療目的の観光客)を診察室へと誘導している。

このクリニックの典型的な治療の1つでは、医師が患者の耳の後ろから皮膚を生検し、検体内部の脂肪組織から幹細胞を取り出す。次に幹細胞を増殖させ、それらを静脈内に注入して、損傷箇所(この場合はアテローム性動脈硬化で硬くなった動脈)に向かわせるのだという。

クリニックの壁には2枚のポスターが貼られている。大手製薬会社の後援を受けて有名な学術雑誌に発表された有望な研究結果を大まかに説明したものだ。正当性があるという雰囲気を醸し出すのには役立っているが、どちらのポスターにも、このクリニックが提供する治療に関するデータは提示されていない。訪問客が(ジャーナリストだとは名乗らず)詳細を尋ねると、コンシェルジュは、クリニックのサービスが症状の治療に有効だという証拠を提供することはできないと答えた。その理由は主に、結果が患者によって異なるからだという。彼女は最終的に、この治療はどちらかといえば予防的なものだと説明し、「アンチエイジングのためです」と話した。

その後Nature がヘレネクリニックに問い合わせて、代表者の1人に一連の質問をしたところ、行っている幹細胞治療が有効だとする証拠や、治療を受けた人の数や治療の結果に関する情報を提供することはできないと断られ、今後の学会発表で結果を公表する予定だという回答を得た。ヘレネクリニックは、施術に必要な全ての審査や承認を法律に従って受けており、これまで患者に副作用は出ていないと彼は断言した。

有効性が実証されていない細胞治療を提供するこの種のクリニックは新しいものではなく、また日本に固有のものでもない。メキシコからウクライナ、インド、オーストラリアに至る世界各地ですっかり普及しており、各国の規制当局はその拡散速度に遅れまいと苦労しているのが現状である。米国では、証拠による裏付けがなく、治療を受けた人を害する場合もある治療法を売り物にするクリニックが続々と登場しており、関係当局がそれに対処している。しかし、日本における幹細胞治療クリニックの増え方はちょっと違っている。事業を活性化し、日本が再生医療界の世界的リーダーになるために策定された2つの規制法のおかげで、この種の治療が内閣官房レベルで認められ、奨励されているのだ。

日本がこれらの規制法を採択してから5年経った現在、日本国内では、さまざまな幹細胞治療を含む3700種類以上もの治療法が数百のクリニックで提供されており、海外の企業も日本に次々とクリニックを開設している。「日本は、革新的な治療法を開拓するための拠点の1つとなっています」と、バイオテクノロジー企業アセルシス(Athersys;米国オハイオ州クリーブランド)の最高責任者Gil Van Bokkelenは話す。同社は、脳卒中や呼吸器疾患に対する幹細胞治療の臨床試験を日本で進めようとしているところだ。

しかし多くの企業は、厳格な試験を回避して自社の治療法を市場に早く出すために、この規制法を巧みに利用している。こうした治療法を利用する人々は恐らく、有効性のある治療を受けてはいないだろうと科学者らは指摘する。深刻な疾患のために承認された幹細胞治療の大半は、裏付けとなる証拠が乏しく、すでに有害事象の報告が少なくとも4件あり、そこには1件の死亡例が含まれる。これらの規制法を支持する公的研究機関や学術機関の研究者でさえ、改正が必要だと話す。

クリニック側は、法律の範囲内で施術しているとの主張を崩さない。また政府関係者は、日本の制度は提供される治療法を逐一チェックするので、他国のものより安全だと言っている。しかし、こうした政策は、幹細胞治療がどの程度有効かについて人々に誤った期待を抱かせてしまう可能性がある。

一方、日本の思い切った実験的な規制緩和は、他の国々にも影響を及ぼし始めている。例えば、台湾やインドは日本の後を追い始めており、他の国々の規制当局は、企業や患者その他の団体から、治療法の承認手続きを迅速化させようとする圧力を受けていると感じている。「もし我々が規制に関して、複数の非常に異なるグローバルスタンダードを持ち続ければ、重大な問題になるでしょう」と、米国食品医薬品局(FDA)の生物製剤評価研究センター所長であるPeter Marksは話す。

最も厳しい批判者の1人である京都大学の心臓専門医、由井芳樹は、これらの法律は事業開発という点から見れば短期間で利益を上げたが、目先のことしか考えないものだと話す。「彼らは、事がうまくいかない場合にどうなるかを考えていないのです」と由井は言う。

安全だが有効ではない

2012年12月に総理大臣に就任して間もなく、安倍晋三は今後10年間で人工多能性幹(iPS)細胞研究に1100億円を投じることを約束し、再生医療の実用化・産業化を力強く進めるために大胆に規制・制度を見直していく、と述べた。このように強気の姿勢を示したのは、京都大学の山中伸弥がiPS細胞に関する研究でノーベル医学・生理学賞を受賞してわずか数カ月後のことだ。安倍は、再生医療研究において日本は世界のリーダーだと誇らしげに言う一方で、臨床応用の歩みの遅さを残念がった。彼は、そうした状況を変えたいと考え、すぐに2つの方策を打ち出した(「2つの法律で規制緩和」参照)。

2つの法律で規制緩和

2014年に日本で導入された2つの法律は、幹細胞を使った治療や他の種類の再生医療が迅速に市場に出る道筋をつけるものだ。再生医療等安全性確保法(ASRM)の下で、企業は治療法を3段階のリスクの1つに登録できる。

分類 必要条件 登録された治療法の数
(2019年6月まで)
クラスIII
(低リスク)
患者由来の細胞を使い、細胞が本来持つものに似た機能を発揮させる治療法(がんと闘うよう活性化した免疫細胞など)。 3,373
クラスII
(中リスク)
患者由来の細胞を使うが本来のものとは異なる機能を発揮させる治療法(脂肪由来幹細胞を筋萎縮性側索硬化症の治療に使う場合など)。 337
クラスI
(高リスク)
高リスクの細胞(胚はいせい性幹細胞や遺伝子編集した細胞、他人由来の細胞など)を使う治療法。 0

医薬品医療機器等法により、一部の臨床試験を通過した治療法の条件付き承認が可能になった。この承認を受けると、企業は国内での治療法の販売と保険適用を受けることが可能になるが、7年の期限で有効性に関する追加データを集めなければならない。この承認をこれまで受けたのは3件の治療法のみである。

治療法 目的
ハートシート 骨格筋由来の細胞を使って、損傷した心筋の治癒を助けるよう設計された組織シートを作る。
ステミラック注 骨髄由来の幹細胞を使って脊髄損傷の治療を試みる。
CLBS12 造血幹細胞を使って重症虚血肢を治療。

そのうちの1つが、2014年11月に採択された「再生医療等の安全性の確保等に関する法律(再生医療等安全性確保法;ASRM)」である。これにより医療機関は、医薬の有効性を実証するための通常の臨床試験を経ないで細胞治療を提供することができる。医療機関がそうした治療の提供を始めるには、厚生労働省から認定を受けた細胞培養加工施設を保有していることを示し、次に、作成した提供計画が独立した審査委員会による審査に合格する必要がある。この審査委員会も厚生労働省の認定を受けたものとする(2016年3月号「再生医療製品の早期承認制度は果たして得策か」参照)。

こうした法律の変更前に、怪しげなクリニックが急に次々と開設されて、医療観光をうまく利用しようとした。ASRMは全ての医療機関に確実に登録させることを意図して作られたので、これは当然の成り行きだったと、日本再生医療学会の主要メンバーの1人である眼科医の高橋政代は話す。厚生労働省の諮問機関の1つ、再生医療等評価部会のメンバーでもある高橋は、「この戦略では、全ての医療機関をまず含めてから、どれがリスト掲載にふさわしいかを徐々に詰めていくのです」と話す。

しかし批判派は、ASRMの計画番号による登録制度は誤解を招く恐れがあると言う。理化学研究所多細胞システム形成研究センター(理研CDB;兵庫県神戸市)で規制政策を研究するDouglas Sippによれば、ASRMは「再生医療業界に従来よりも高い透明性」をもたらしたという。ASRMによって、悪徳な医療機関も、ある程度の基準に合わせざるを得なくなったからだ。ただし、患者がクリニックの計画番号取得を「ある種の認証」だと見なしてしまう危険性があるとSippは話す。

例えば、東京の医療施設というよりはスパのようなスタイリッシュな外観の「アヴェニューセルクリニック」は、自施設の治療法がASRMの計画番号を取得したことを、ウェブサイト上に目立つように掲載している。ここでは少なくとも10人の患者が、神経変性疾患である筋萎縮性側索硬化症(ALS)の治癒もしくは進行を遅らせる目的で、脂肪由来の幹細胞を血中に注入した。

アヴェニューセルクリニックの顧客サービス担当者は、電話をかけてきた相談者(ジャーナリストだとは名乗っていない)に対して、治療後には患者の50〜70%で症状が改善したと話した。費用は投与1回につき150万円で、治療が有益と感じた患者には2〜3カ月ごとの細胞注入を続けるようアドバイスする。「この価格でも支払えるお客様はいらっしゃいます」と担当者は言った。このクリニックは、ALS以外の適応に関して年間約1000人の患者がいる。

この記事を書くために、ALSの再生医療を研究する5人の研究者に話を聞いたところ、この種の幹細胞治療がALS患者に効くという説得力のある証拠はなく、また、この治療法に効き目がないと考えられる理由がいくつかある、とのことだった。シーダーズ・サイナイ再生医療研究所(米国カリフォルニア州ロサンゼルス)でALSを研究するRobert Balohは、「インチキな似非療法で患者から直接金を取るやり方は数百年も前からあり、これも全く同じ代物です」と言い切っている。アヴェニューセルクリニックの代表者の1人は、Nature からの公式のインタビュー依頼を断ったが、同クリニックはASRMに従って運営していると電子メールで述べた。ALS研究者からの意見に対するコメントを求めると、患者の治療で忙しいので回答できないと、その代表者は返答した。

科学的証拠や有効性に関する疑問に加えて、そうした療法の登録を認める審査委員会の適格性や独立性に関しても懸念がある。厚生労働省は、これらの委員会の構成を5〜8人とし、細胞生物学や再生医療、臨床研究、細胞培養の専門家を含めることを求めている。また、法律家や生命倫理学者、生物統計学者からの情報提供も求めている。しかし、委員会の利害の対立に関する規定は緩く曖昧である。

自己骨髄由来の間葉系幹細胞を培養し脊髄損傷部に移植する治療法が、条件・期限付きで2018年12月に承認された。 | 拡大する

vshivkova/iStock / Getty Images Plus/Getty

例えば、ヘレネクリニックの場合は内部委員会を組織し、アテローム動脈硬化の治療など、施す治療法のいくつかをそこで承認した。代表者の1人によれば、この療法はまだ患者に施されておらず、同クリニックは現在、独立した第三者委員会を利用しているという(同クリニックの内部委員会は、厚生労働省によって2019年3月に解散させられた)。また、アヴェニューセルクリニックが提供するALS治療や他のいくつかの療法は、同クリニックの勤務医1名を含む委員会によって承認された。同クリニックは、これに関する質問に回答してくれなかった。

厚生労働省は2019年4月に、こうした利害の対立を防ぐための方針を設けた。しかし、たとえ完全に独立した審査委員会があっても、クリニックは欲しい答えを求めて委員会をはしごすることができる。国立医薬品食品衛生研究所(神奈川県川崎市)の再生・細胞医療製品部の部長で、自身も2つの委員会に籍を置く佐藤陽治は、こうした「委員会サーフィン」が大きな問題になっていると話す。

日本政府は、この委員会制度の改善のために、研修を求めるなど追加の措置を検討中である。「委員会に利害の対立があったり、治療が有効でなかったりするかもしれませんが、現時点ではそれが我々の限界なのです」と佐藤は話す。

それでも、日本のこの制度は、悪徳クリニックを規制当局が絶えず追い掛ける方式の米国の制度よりも優れていると彼は話す。佐藤は、有効性が証明されておらず承認もされていない幹細胞治療を米国フロリダ州で受けた2人が、その後失明した事例を挙げた。FDAがその企業に問題の治療の提供を止めさせるのに4年かかり、複雑な法廷闘争も繰り広げられた。日本では、委員会の承認がない療法であれば、「警察が関係者を逮捕することができます」と佐藤は話す。

条件付き承認

2013年に理化学研究所の発生・再生科学総合研究センター(現 多細胞システム形成研究センター)を訪れた、安倍晋三総理大臣(手前)。すぐ後ろが当時の理化学研究所理事長の野依良治、その奥が幹細胞生物学者の山中伸弥。 | 拡大する

KYODO NEWS/GETTY

安倍政権が2014年に実施した別の重要な政策は、「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(医薬品医療機器等法/薬機法)」の制定だ。この法律の下では、企業が(1カ所のクリニックや病院ではなく)日本全国で治療法を販売するための「条件付及び期限付承認」を獲得でき、承認された治療法は保険適用となる。ASRMの場合と異なり、企業は小規模な臨床試験により有効性を示唆するデータを提示する必要があるが、その後、より高い有効性を示すデータを収集するという名目で、最大7年間その治療法を販売できる。これまでに条件付き承認を獲得した治療法は、脊髄損傷、心疾患、重症虚血肢(強い疼痛を伴う重度の四肢血行障害)の3件のみである。

しかし、条件付き承認に必要なこの簡易型の臨床試験が、研究界の懸念をかき立てている。国際幹細胞学会(ISSCR)の2016年の報告によれば、小規模な臨床試験に基づいて販売を承認することで、治療法の厳正な評価が遅くなり、「この領域の科学的水準に対する信頼が損なわれてしまう」可能性があるという1

あまり表には出てこないが、中には問題点を報告した人もいる。プライバシーを守るため匿名を条件に話してくれた男性は、慢性の心臓病を患っていた。彼は、患者の大腿部から採取した骨格筋芽細胞を使って薄い組織シートを作り、開胸手術をしてシートを損傷した心臓に貼り付けるという、試験的な治療を受けることにした。この治療法の一種である「ハートシート」は、2015年に虚血性心疾患による重症心不全の治療法として、条件付きで承認された。この技術の共同開発者の1人で、大阪大学の外科医、澤芳樹に面会したこの男性は、別のタイプの心疾患を患っていたが、澤から「この試験的な治療の適用にふさわしい候補者だ」と告げられた。

この男性はハートシートが移植されると誤解していたものの、拡張型心筋症という彼と同じ病気でこの治療を受けた患者がほとんどいなかったことや、自身がそれ以前に一度も心臓手術を受けていなかったことから、心配になった。しかし彼は最終的に、シート開発陣にチャンスを与えた。

この男性によれば、症状が改善したとは一度も感じなかったという。施術の9カ月後、彼は突然、それ以前に経験したことのない息切れを感じるようになった。彼は心不全の診断を受けて1カ月入院し、退院の1カ月後にまた入院した。

施術から1年余り経った頃、男性は心臓移植が必要だと告げられた。「事態が悪化していると言われました」と彼は話す。

もっと情報がないと、この試験的な治療がその男性の心不全の一因となったのかどうかを言うことはできない。これは一例にすぎず、他の説明も可能である。しかし、こうした不確実性から問題の一部が見えてくる。ハートシートを条件付き承認に導いた臨床試験は、わずか7人で行われたものだった。ハートシートを販売しているテルモ(東京都)では、虚血性心疾患に対する有効性に関するデータを現在も収集中だ。同社によれば、この患者は治療の際にハートシートの移植を受けていないという。治療を受けた人が遭遇する可能性のある有害事象の発生率や種類については、ほとんど分かっていない。

日本の政策を巡るこの議論の要は、無作為プラセボ対照試験がどういう価値を持つかだ。従来、この種の試験は臨床研究における至適基準だと考えられているが、日本政府は日本再生医療学会が2012年に提案した見解に従った。同学会は、有効性を証明するための試験設計に、プラセボもしくは従来の治療を受ける対照群を必ずしも求める必要はないと規定しているのである。

澤は、ハートシートの承認につながった臨床試験で、この種の患者では病状が自然に進行して着実に悪化すると予測されると述べた。ハートシート療法を受けた7人のうち5人は悪化せず、そのためこの治療は役に立ったように見えた。しかし、日本で約3500人の心不全患者を調べた研究からは、澤の試験で治療を受けた人たちと同程度に重度の心疾患を持つ人々の多くは、極端な治療的介入をしなくても症状が改善もしくは安定することが示されている2。澤にコメントを求めたが回答は得られなかった。

厚生労働省は、再生医療のプラセボ対照臨床試験に対する自らの姿勢に苦慮している。2019年5月に発売されたSTR01(販売名ステミラック注)と呼ばれる脊髄損傷の幹細胞治療に対する批判を受けて、厚生労働省医薬・生活衛生局長の宮本真司は、この治療法の二重盲検法での試験は「構造的に不可能」だと主張し、偽処置やプラセボでは「倫理的問題が生じるだろう」と述べた3

生命倫理学者らは以前から、臨床試験で偽処置によって起こる害の可能性についてや、偽処置が被験者に対して公平かどうかを議論してきた。臨床試験の方針について日本政府に助言したことのある、マギル大学(カナダ・モントリオール)の生命倫理学者Jonathan Kimmelmanは、一部の偽処置は確かに害が大き過ぎると話す。しかし、脊髄損傷の幹細胞治療を研究する医師らによれば、脊髄損傷に関してはプラセボ対照試験が比較的容易だろうという。

札幌医科大学(北海道)の神経外科医でSTR01を提供する本望修は以前、脳卒中歴のある患者でSTR01の有効性を実証するための二重盲検プラセボ対照試験を提唱したことがある。2016年の発表4から見て、今ごろ彼はその種の試験を実施している最中だと予想された。そこでNature は、その種の対照試験をいかにして、脊髄損傷ではなく脳卒中で生じた損傷の治療に適するような形にするのかを本望に問い合わせたが、彼からの返答はなかった。厚生労働省の担当者によれば、脊髄損傷の場合だと偽処置は倫理に反するのだという。その理由は、患者の治療は特定の限られた時間内に行う必要があり、それ以降だと治療があまり有効でなくなる可能性があるからだという。しかし、そうした議論はその処置が有効なことを前提にしたものだ。

日本の何人かの著名な研究者はNature に対して、STR01は脊髄損傷用として承認すべきではなかったと語った。「安倍内閣は、科学分野における1〜2件の成功例を急遽必要としているのです。安倍内閣は進め方が強引過ぎます」と、ある心臓専門医は匿名を条件に話した。政府にコメントを求めたが回答はなかった。

世界を見据えた野望

拡大する

vladimir zakharov/Moment/GETTY

制度に欠陥があるにもかかわらず、日本はこうした再生医療政策を他の国にも採らせようとしており、そこには自国の治療法の市場を確保する狙いも潜んでいる。2019年3月に厚生労働省の医薬品規制担当部署が発表した5カ年計画によれば、政府は「再生医療製品を規制するための日本製モデルを発信し、日本の規制当局に対する信頼を育み、他国に日本の規制モデルを導入してもらうこと」を目指す支援計画に予算を投入する。

これらの取り組みは各方面に影響を与えているようだと、佐藤は話す。台湾では、日本の法律をベースに再生医療のための条件付き承認の法案が起草されており、韓国では2019年8月に日本の法律に似た制度が承認された。インドは2015年に、最初の再生医療条件付き承認につながった審議で日本の制度に言及している。また中国は2019年に、医療機関が幹細胞を「医療手段」として自由に使えるようにする試案を発表した。「他にもいくつかの国が同様の対応をしており、患者の幸福よりも経済競争力という歪んだ視点の方を優先しています」とSippは言う。

英国には、日本と同様の制度があってほしいと考える人々もおり、欧州連合からの脱退(ブレグジット)が迫る今こそがそのタイミングだと言う声も上がっている。心疾患治療用の「ハートセル」という細胞治療薬を製造するセリキサー社(Celixir;英国スタンフォード・アポン・エイボン。2016年に社名をCell Therapy社から変更)の共同設立者で、最高責任者でもあるAjan Reginaldは、2018年2月のBBCのインタビューで、ブレグジットは英国に、自前の迅速な認証手続きを導入するチャンスを与えてくれるだろうと語っている。

「英国の一部の人々は、日本のモデルを採用することにかなり熱心です」と、リバプール大学(英国)の幹細胞生物学者Patricia Murrayは話す。ただし、日本で実施されたような規制緩和だと、「企業がインチキな治療法を消費者に直接売りつけることも可能になってしまいます」と彼女は言う。

また、開発のスピードの速さも、他国の規制当局にとって難題の1つとなっている。FDAは、業界や患者団体(カリフォルニア再生医学研究所や保守系シンクタンクのハートランド研究所などを含む)から、日本の制度にもっと近いやり方を採用するよう徐々に圧力を受けている5

Marksによれば、問題なのは、人々が日本を指差して「FDAにいるあなた方はちっとも承認していませんね」と言ってくることだという。Marksは2019年5月に米国メリーランド州ボルティモアで開催された医療ジャーナリズムの会議で質問に答え、彼のグループが、日本などで承認された新しい治療法を知りたがっていることを認めた。「我々は、それらの治療法が安全で有効なことを確かめたいだけなのです」。

こうした圧力をプラスとして捉えているのは、皮膚若返り製品のライセンスを化粧品会社の資生堂(東京都)に2016年に供与した再生医療企業レプリセル社(RepliCel;カナダ・バンクーバー)の最高責任者Lee Bucklerだ。彼によれば、医薬品をすぐに利用したい人々が、日本で何が起こっているかを知って、「自国での同様の利用を強く求める」のだという。

幹細胞生物学や再生医療の分野で日本が上げた成果に対する誇りは、再生医療産業を育てる取り組みに大きな役割を果たしている。しかし、これらの成果に関して最も有名な人物の1人である山中は、規制緩和についてほぼ静観する姿勢をいまだに貫いている。

山中の研究所は、幹細胞治療を臨床段階へ持っていくことに力を注いでおり、規制緩和の急速な流れに乗った国内の他の研究機関とは対照的に、臨床試験を急いで終わらせようとはしていないようである。「二重盲検対照試験は、可能であれば常に検討されるべきです」と山中はNature に話した。また彼は、こうした試験が一部の細胞治療に関しては困難な場合もあると理解しているが、そうした場合でも、「科学者は、臨床試験をできるだけ客観的かつ科学的なものにするためにベストを尽くすべきです」と言う。

客観的で科学的な手段がなければ、何を信じるべきか、また誰を信じるべきかが分からなくなると、何人かの幹細胞研究者が口をそろえて語った。「問題はあります。この法律は性善説に基づいて作られましたが、世の中には良からぬ人も多くいます」と高橋は言う。それでも、彼女の眼はずっと先を見据えている。「10年経てば細胞治療はとても良くなっているはずです。そう思うから、我々は現在の批判を耐えることができるのです」。

(翻訳:船田晶子)

David Cyranoskiは、北京のシニアレポーター。追加取材はBrendan Maherによる。

参考文献

  1. Daley, G. Q. et al. Stem Cell Rep. 6, 787–797 (2016).
  2. Tsuji, K. et al. Eur. J. Heart Fail. 19, 1258–1269 (2017).
  3. Miyamoto, S. Nature 569, 40 (2019).
  4. Honmou, O. Jpn J. Neurosurg. 25, 979–984 (2016).
  5. Sipp, D. & Sleeboom-Faulkner, M. Science 365, 644–646 (2019).

キーワード

Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

プライバシーマーク制度