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AIで切り開く新たな未来

Credit: METAMORWORKSISTOCK/GETTY IMAGES PLUS/ GETTY

Mariette DiChristina
Scientic American 編集長 Credit: 日経サイエンス

科学誌のScientific AmericanSA)は7月2日、日経サイエンスと「AIで切り開く新たな未来」と題したシンポジウムを東京都内で開いた。AI(人工知能)は研究が急進し、実用化の取り組みが盛んだ。シンポジウムでは3人の日本の専門家が登壇し研究成果や応用の可能性を紹介した他、技術的な課題や社会的・倫理的な問題を議論。約100人の聴衆が熱心に聴き入っていた。司会はSA 編集長のMariette DiChristinaが務めた。

登壇したのは、国際電気通信基礎技術研究所(ATR)脳情報通信総合研究所所長の川人光男氏、早稲田大学基幹理工学部表現工学科教授で産業技術総合研究所(AIST)人工知能研究センター特定フェローの尾形哲也氏、産業技術総合研究所(AIST)人工知能研究センター首席研究員兼確率モデリング研究チーム長の本村陽一氏。

川人光男氏
国際電気通信基礎技術研究所(ATR)脳情報通信総合研究所 所長 Credit: 日経サイエンス

川人氏は、ロボットを使って脳のメカニズムを解明する研究や、脳の中に特定の神経活動パターンを起こしてその人物の行動を変える研究の第一人者。川人氏によると、世界中がAIと呼んで注目するディープニューラルネットワーク(深層学習)は人間の脳の視覚情報処理を非常に単純化したモデルで、数年前から人間の能力も超えるほど高い認知能力を持つことが分かってきた。

人間の知能の解明は途上

これに強化学習を組み合わせると、例えば囲碁の世界では「アルファ碁」のような人間の世界トップ棋士を打ち負かす強力なソフトが登場し、現在も進化している。AIはもはや人間の知能を凌駕したのではないかと指摘する声があるが、川人氏は「AIの抱える課題が全て克服されたわけではなく、決して人間のような知能を実現できたわけではない」と強調した。

川人氏は2015年にDARPA(米国防高等研究計画局)が主催したロボット競技会の事例を紹介。この競技会は「砂場を歩く」「階段を昇る」「バルブを回す」といった動作をこなすロボットを世界の大学や研究機関がそれぞれ開発し競うイベントで、参加したロボットの3分の2は転んだりおかしな動きをしたりして、人間ならば簡単な動作をロボットにさせることの難しさを示したと解説した。

人工知能を「人間の知能を人工的に再現したもの」と定義するとすれば、そのようなものは存在しないと川人氏は指摘。「なぜならば、私たちは人間の知能を完全に解明・理解できていないからだ」と述べ、運動学習、概念形成、意識、エピソード記憶などといった人間の能力を、人工知能では実現できていないと説明した。

「特定の脳活動を定着させれば嫌いな生物を 怖がる反応を弱めたりできる」(川人氏)

その上で、川人氏は人間をはじめとして動物が持っている、少ないサンプル(事例)を参考にして物事を学習するメカニズムに注目しているという。例えば、ロボットが砂場を上手に歩く方法を習得するのに何度も転びながら学習していたのでは、転ぶたびに故障しかねず、修理コストがかさむし習得するまでに時間もかかる。一方、人間は数回、場合によっては1回転んだだけで上手な歩き方をマスターすることが可能だ。川人氏は「少ないサンプルを参考にして学習できるメカニズムは今後のロボットに絶対不可欠」と語った。

川人氏は、機械学習などの人工知能の成果は脳科学に応用できると指摘した。人間の脳活動をfMRI(機能的磁気共鳴画像装置)で測定すると、視覚に関わる脳の領域にどんな情報があるかが分かる。ある特定の方位を表しているような情報(脳活動)がそこに現れたときに、被験者に金銭報酬を与えるとオペラント条件付けが起こり、その脳活動がより一層頻繁に生じるようになる。

こうした操作を繰り返すと、被験者本人が気付かないまま特定の脳活動を何度も発生させることができ、特定の方位に対する弁別の能力が高まり知覚学習が成立するという。この手法は川人氏らが開発したもので「デコーデッド・ニューロフィードバック」と呼ぶ。この手法を活用すると、「『自分は自信がない』という人の自信を高めたり、ゴキブリやヘビといった嫌いな生物に対する恐怖反応を弱めたりできる」と川人氏は説明した。

尾形哲也氏
早稲田大学基幹理工学部教授 産業技術総合研究所(AIST)人工知能研究センター特定フェロー Credit: 日経サイエンス

尾形氏は早大でロボットを学び、京都大学大学院で情報を専攻した研究者で、2つの分野は考え方が異なることを指摘した。機械の専門家は微分方程式を使ってロボットの運動を解析していかに安定させるかを考えるため、ロボットを制御するのに精緻なモデルを作る必要がある。一方、人工知能の専門家は、確率統計モデルを扱ってロボットがどこに向かって動くかを確率の観点から考えると解説した。

尾形氏は現在、ロボットにディープラーニング(深層学習)を適用する研究に取り組んでいる。例えば、ロボットにタオルをたたませる場合、機械の専門家の発想でロボットを制御するとなると、「タオルがどこにあるのか」「タオルのどこをつかんだらよいか」「アーム(腕)をどのように動かしていくか」などについて膨大な計算と処理が必要で、とても難解な作業になる。これをディープラーニングを使ってロボット自身に予測学習をさせると、ロボットはより簡単にたためるようになるという。

ロボット、人間と協調するように

ディープラーニングを適用するとロボットは自分の行動を生成する際に、自分の動作によって生じる周辺の世界の変化も学習する。尾形氏は「基本的に同じハード、同じディープラーニングのモデルを使いながら、学習データを変えるだけでさまざまなタスクを実行することができる」と述べた。

尾形氏によると、日本では大手ロボットメーカーとAIのスタートアップの共同開発が相次いでいる。尾形氏はデンソー社が製作した小型の人間協調ロボットに、AI開発のスタートアップであるエクサウィザーズ社のAIを組み込んで研究を進めている。工場などで使う産業ロボットは特定の動作をするようにあらかじめプログラムされているが、尾形氏は「今後は家庭や社会のさまざまな場所にロボットが普及し、人間と協調することが欠かせなくなる」と語った。

「深層学習はこれからはロボットの制御で大きな影響を及ぼしていくだろう」(尾形氏)

例えば、ブロックをつかんで所定の場所に運ぶ作業をロボットにさせる場合、これまでは膨大なプログラムを人間が作りロボットに組み込まなければならなかった。尾形氏はデンソー社のロボットにディープラーニングを組み込み、ダイレクトティーチングという方式で動作をカメラ映像や力センサーと統合して学習させたところ、ロボットはブロックに近づき目標地点に移動する「軌道」を覚えるだけでなく、ブロックの置いてあった場所やブロックの色など「軌道」を生成するのに必要だった条件まで学習した。おかげで、このロボットは人間が作業を邪魔してもうまく対処することができるようになったという。

ロボットに部屋のドアを開けさせてそのまま通り抜けさせる実験では、複数のディープラーニングを利用するミクスチャー・オブ・エキスパートという学習方式を応用した。すると、ロボットはドアに近づく行為、ドアを開ける行為、通り抜ける行為などをそれぞれバラバラに学習したにもかかわらず、それらを自律的に組み合わせて動かせるフレームを利用し、移動しながら同時にアームを動かし始めるといったことを人間が教えなくてもするようになった。

ロボットの位置を変えても、ドアノブの高さを変えても、過去の学習経験を基にロボットはドアをうまく開けて通り抜けることができた。

Credit: 日経サイエンス

従来は、あるタスクをロボットに実行させるには、ロボットのモデリング、環境のモデリング、ロボットの動作制御の仕方、シーケンスの制御など全てを人間がプログラムしていたが、これだと時間が数カ月もかかるし、ロボットの動作も鈍い。

それがディープラーニングを駆使すれば、非常に短期間でスムーズな動作を習得することができる。ディープラーニングについて尾形氏は「今は画像処理や音声認識、翻訳において優れた性能を発揮しているが、これからはロボットの制御に大きな影響を及ぼしていくだろう」との見方を紹介した。

本村陽一氏
産業技術総合研究所(AIST)人工知 能研究センター首席研究員兼 確率モデリング研究チーム長 Credit: 日経サイエンス

本村氏は国立研究機関である産総研(AIST)の人工知能の専門家。本村氏は「社会がAIを使うようになるとさまざまな現象がデジタル化されて新しいデータが得られる。その新しいデータによってAIがさらに進化するというスパイラルが起きる」との見方を示した。

「膨大なデータをAIと一緒に活用すればコスト以上の利益を社会は得られる」(本村氏)

新たに得られるデータは時間、場所、人間の属性など多種多様で、こうしたデータによって社会で起きる現象の理解が深まり、AIの予測精度が一層高まる。本村氏はAIが学習した結果を、経済の分野に応用するならばマーケットの状況を深く理解できるし、公衆衛生の分野ならば感染症の発生を詳しく把握できるので、より良いマネジメントが可能になると説明した。

さらに本村氏は「さまざまな分野の企業同士が連携してそれぞれ独自に収集している膨大なデータをAIと一緒に活用すれば、収集に費やすコスト以上の利益を社会は得ることが可能になる」と強調した。

具体例として本村氏は2つのケースを紹介した。1つは飲料品の自動販売機に対話型のAIを搭載して日本科学未来館(東京都江東区)に設置したケースだ。館内を見学した来館者が自販機にカードをかざすと、飲料を入手できる。同時に、来館者の見学履歴がデータとして収集でき、館内の展示コーナーごとに見学者数や見学者の集中する時間帯などきめ細かなデータが得られ、売り上げの向上や来館者へのサービスの改善などに役立てられると説明した。

児童と対話 自販機が見守り役に

2つ目のケースは社会問題の改善や解決につなげる取り組みで、自販機を児童の見守りに活用するプロジェクトを紹介した。「飲料を買いに来た児童に対して自販機のAIが生活上の困りごとをクイズ形式で問いかけ、家族などからの虐待の兆しなどを探り児童のリスクを評価する。AIを使って自販機に児童相談所や地域の社会基盤の役割を兼ね備えさせるプロジェクトだ」と本村氏は説明した。

AIの可能性については川人氏が精神疾患や発達障害の治療に役立てられると述べた。川人氏によると、精神疾患や発達障害は神経疾患に比べると器質的な障害が非常に小さいと考えられる。これは心室細動で起こる心臓発作に似ている。こうした心臓発作を起こした患者はAED(自動体外式除細動器)で電圧を加えると正常な拍動に戻るが、それによって心臓の器質的な異常が治るわけではない。

川人氏は精神疾患なども同様の可能性が高いと指摘した。電気けいれん療法(エレクトロ・コンバルシブ・セラピー)という高圧の電場をかける治療法が統合失調症やうつ病で薬の効かない患者などに治療効果が高いことを説明した。

「患者の脳活動が良い方向へ動いた際に報酬を与える手法は治療法になり得る」(川人氏)

川人氏らは患者と健常者の脳回路のデータを多数集めて人工知能の機械学習の手法で分析した。その結果、患者特有の脳活動パターンを突き止めた。川人氏は「患者の脳活動が良い方向に動いたときに報酬を与えるオペラント条件付けの方法で治療することが考えられる」と説明した。

川人氏は独自開発のデコーデッド・ニューロフィードバックでの治療対象として統合失調症、うつ病、自閉症、慢性疼痛などを挙げた。脳活動パターンは客観診断のバイオマーカーとしても活用できるという。川人氏は2017年にスタートアップを立ち上げ、医療機関などと協力して3~4年で治験を開始したい考えを示した。

人工知能の医学応用への可能性については尾形氏も言及した。ディープラーニングを組み込んだロボットのニューラルネットワークのパラメーターを操作してニューロンの興奮性または抑制性の発火の頻度のバランスを崩すように学習させると、ロボットの行動が不安定になってくるという。「自閉症児はこのバランスがうまく取れていないと指摘されており、(ディープラーニングを組み込んだロボットの研究は)こうした現象の説明にも使えるのではないか」と尾形氏は述べた。

シンポジウムでは司会のDiChristinaがAIやロボットと日本の将来、AIの社会的・倫理的な問題について質問を投げかけた。川人氏は日本ではロボット研究がとても人気で、人間の脳を理解するためにロボットを活用する研究の流れがあることを説明した。脳科学や認知科学、ロボティクス、AI、計算論などの分野では研究分野の枠を超えた共同研究が盛んで、ユニークな成果を上げていると語った。

尾形氏は日本人のロボット観に言及し、ロボットが人間のような知能や脳を持つことに違和感が少なくヒューマノイド研究が古くから盛んであると語った。現在、ディープラーニングやAIを使った画像認識や音声翻訳などの研究は米中が優勢だが、「日本はロボットの開発力を生かしつつ、さまざまな研究分野の専門家が積極的に関わることが期待される」と指摘した。本村氏は、日本では労働人口が少ない状況にあることがAIやロボットを活用する上で開発の追い風になると述べた。

AIがウイルスソフト生み出す恐れ

AIの社会的・倫理的な問題について尾形氏は、AIの悪用の危険性を指摘した。ディープラーニングを利用して簡単なウイルスソフトを作ったり偽ニュースをでっち上げて拡散したりすることがあり得ると推測。研究者に求められることとして、AIには何ができる可能性があるかをいち早く社会に伝えること、法律や哲学など幅広い専門家と情報を交換し議論すること、適切な歯止めをかけながら研究を進めていくことが重要と述べた。また、尾形氏はAIが生み出す画像や音楽が人間の著作権や創造性に与える影響を早急に考える必要性も指摘した。

本村氏はAIによって社会の予測能力が高まり、意思決定をAIに委ねる場面が増えると推測。「人間は何をもって『良し』とするかの判断の基準を常に考え、しっかりマネジメントする必要がある」と述べた。さらに、AIが家庭に普及するとさまざまなトラブルが起きる可能性があると指摘した。新たな技術を導入したときに100パーセント安全な環境を整えるのは難しいので、「トラブルの事例をしっかり収集・分析して二度と起きないように対処することが不可欠だ」と強調した。

川人氏は人工知能の技術や脳科学の知識を治療や診断に使うことは科学的には難しくないが、それを社会が受け入れて変革していくのは難しいだろうと述べた。人工知能や脳科学の成果によって、病気の定義や治療の仕方が変わるとしたら、患者や医療関係者、製薬企業、保険会社などへの影響が大きいからだ。また、川人氏は脳活動パターンを制御する微小チップを脳に埋め込む治療が実現したら、文化や国民性の違いから許容する国と許容しない国があるだろうと語った。

主催、共催、協力

Nature ダイジェスト Vol. 15 No. 9

DOI: 10.1038/ndigest.2018.180906a