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チューリングの数理生物学研究に着想を得た脱塩フィルター

このたび、浙江大学(中国杭州市)の材料科学者Lin Zhang(張林)が率いる研究チームが、従来のナイロン製脱塩フィルターの3倍の速さで機能するフィルターを開発し、Science 2018年5月4日号518ページに報告した1。この膜は、暗号解読者としても知られる英国の数学者アラン・チューリング(Alan Turing)の数理生物学研究に着想を得て、ポリマー糸を合成する際に混ぜ合わせる2つの材料の反応速度を調整し、管状のユニークなナノ構造を自律的に形成させたものである。

研究者らは、今回のフィルターは、これまでで最も精巧に作られた「チューリング構造」(チューリング・パターンの三次元版)の例であり、初の実用的な応用だと評価する。フリードリヒ・ミーシャ研究所(ドイツ・テュービンゲン)のシステム生物学者Patrick Müllerは、「驚異的な三次元構造です」と言う。彼によると、このフィルターの管状構造の直径はわずか数十nmで、3D印刷など他の方法では作り出すことはできない。

チューリングは第二次世界大戦中に英国政府のために暗号解読を行った功績で有名だが、現代計算機科学と人工知能の父としても知られる。彼はさらに、死のわずか2年前の1952年に、当時芽生えたばかりであった数理生物学の分野でも独創的な研究をしていた2

チューリングはこの論文で、胚が肢や骨や器官などの構造を形成し始める過程の数学モデルを提案している。彼が考察した過程では、拡散速度の大きく異なる2種類の物質が相互に連続的に反応しながら、容器中を拡散してゆく。速く拡散する方の物質(抑制因子)が遅く拡散する方の物質(活性因子)を押し戻す結果、反応生成物が集められて点状や縞状のパターン(チューリング・パターン)ができる(用語は1972年に同等の理論を独立に定式化した生物学者Hans MeinhardtとAlfred Giererによって作られたものである)。

チューリング構造を作る

Müllerによると、チューリングが考察したような過程が細胞レベルで実際に起こるかどうかを巡っては論争が続いているという。しかし、こうした反応拡散挙動は、シマウマの縞模様や、砂漣(砂丘などにできるさざ波模様)、金融市場の変動など、自然界や社会で見られるパターンの説明に用いられてきた。

こうした構造を実験室で合成する試みはこれまでにもあったが、主として二次元のパターンに限定されていた。

Zhangらの研究チームは、ピペラジンとトリメシン酸クロリドとの化学反応によって生成するポリアミドを使って3次元チューリング構造を作ることに挑戦した。ナイロンもポリアミドの1種である。従来の過程では、トリメシン酸クロリドはピペラジンより速く拡散するが、その速度差はあまり大きくなく、チューリング構造を形成するほどではなかった。Zhangは今回、ピペラジンにポリビニルアルコールを添加するという工夫によって拡散速度をもっと遅くし(ピペラジンがポリビニルアルコールに吸着するようになり、その拡散速度が遅くなる)、抑制因子のトリメシン酸クロリドに対する活性因子として作用できるようにした。

その結果、目の粗い多孔質の網状組織が形成され、これを電子顕微鏡で観察すると、チューリング・パターンに似たナノ構造が確認できた。チューリングのモデルからは点状と管状の2種類の自己組織化構造が生じると予想されており、研究チームは実際に、どちらの構造も作ることができた(図)。

点状と管状のチューリング構造を持つ膜の走査電子顕微鏡像。 Credit: Credit: Z.Tan et al. Science

チューリング構造を作れたことに有頂天になったZhangをさらに驚かせたのは、その膜が効率の良い脱塩フィルターとして機能したことだった。その性能は、いくつかの点で従来のナイロン製フィルターを上回っていた。

漢陽大学(韓国ソウル)の膜科学者Ho Bum Parkは、このフィルターは管状構造を持つため従来のフィルターよりも表面積が大きく、膜を通る水の流れが増加したと説明する。従来の膜は山と谷が連なっているような構造であるが、今回の膜の構造はそれを改良したものだという。「実にスマートなアプローチです」。

Zhangらが行った試験では、管状構造を持つチューリング型フィルターを1回通すと、薄い食塩水に含まれる塩化ナトリウムを半分除去することができた。塩化ナトリウム以外にも、塩化マグネシウムは90%以上、硫酸マグネシウムは99%以上除去することができた。著者らは、1m2のチューリング型フィルターは、約5気圧という比較的低い圧力によって、1時間に125lの水を処理することができると言う。Zhangによると、これは典型的な市販のフィルターの処理速度の3倍であり、今回のフィルターは汽水や産業廃水の浄化にも利用できるかもしれないという。

広がる用途

Parkによると、今回の膜はある種の不純物の除去には有効だが、塩化ナトリウムの除去効率は比較的低く、海水の脱塩に利用するのは実用的でないという。これに対してZhangは、海水淡水化プラントでこの膜を前処置に使い、塩化ナトリウムは逆浸透法などの従来の方法で除去することができると言う。

Müllerは、こうした構造が形成されるかどうかの予測は不確実であるため、今回の結果を他の材料で再現するのは難しいかもしれないとも釘を刺す。だが、チューリング構造の技術を一般化することができれば、こうした管状構造を人工血管や人工骨の作成に応用するなどして再生医療に役立てられるだろうと言う。「細い管を作る方法が分かった今、これらをアレンジして、高次構造、もしかすると臓器さえ作れるようになるかもしれません」。

翻訳:三枝小夜子

Nature ダイジェスト Vol. 15 No. 7

DOI: 10.1038/ndigest.2018.180703

原文

Water filter inspired by Alan Turing passes first test
  • Nature (2017-05-03) | DOI: 10.1038/d41586-018-05055-7
  • Mark Zastrow

参考文献

  1. Tan, Z., Chen, S., Peng, X., Zhang, L. & Gao, C. Science 360, 518–521 (2018).
  2. Turing, A. M. Phil. Trans. R. Soc. Lond. B 237, 37–72 (1952).