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「顔認識」触媒でSN1反応がエナンチオ選択的に

Credit: BSIP/Universal Images Group/Getty

複雑な三次元(3D)構造を持つ分子は日常生活の至る所に存在し、高性能材料からスマート医薬品まで、あらゆる物体でさまざまな機能を発揮している。こうした巨視的スケールの物体で3D形状が機能を左右することが多いのと同様に、微視的な分子でも3D構造が分子の振る舞いを決定する。そのため、特定の応用を念頭に3D分子を構築する際には、最終生成物において各原子が正確に配置されるように合成ルートを開発しなければならない。しかし、原子の配置を精密に制御できたとしても、目的分子が鏡像異性体(エナンチオマー)を有する場合は生成物が鏡像体の混合物となるため、鏡像体同士で特性が大きく異なる際には実際の用途に影響が及んでしまう。そんな中、ハーバード大学(米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)の化学者Alison Wendlandtらは今回、単一の鏡像異性体だけを選択的に合成できる(つまり、エナンチオ選択性を有する)画期的な触媒反応を開発した1。しかもこの反応は、通常ならエナンチオ選択性に欠く一分子求核置換反応(SN1反応)機構で進む。この成果はNature 2018年4月26日号447ページで報告された。

分子の断片を十分予測可能な様式で結合させるのに利用できる合成方法は、既に数多く存在する。中でも、SN1反応と二分子求核置換反応(SN2反応)に代表される求核置換反応は、最も有効な合成方法の1つだ。求核置換反応とは、電子が豊富な化学種(求核剤)が電子が不足した化学種(求電子剤)を攻撃して脱離基と呼ばれる原子団と置き換わる反応のことで、反応機構の違いによっていくつかの種類に分けられる。

SN2反応では、求核剤が求電子剤の反応中心に接近すると求電子剤上から脱離基が押し出され、求核剤が脱離基と置き換わる(図1a)。このとき、求核剤は脱離基の反対側から接近するため、反応中心と他の原子団との結合はちょうど強風にあおられて裏返る雨傘の骨のように振る舞い、分子の立体配置は反応の前後で反転する。このうまく連動した機構によって、求電子剤の四面体構造に符号化された立体配置に関する「情報」(立体化学情報)は反応後も保持される。そのため、この反応では常に単一の鏡像異性体しか生成しない。

これに対し、SN1反応では、まず求核剤の接近とは無関係に求電子剤から脱離基が外れ、正電荷を持つ「カルボカチオン」と呼ばれる分子種が中間体として生成する(図1b)。このカルボカチオンは平面状の構造をしていて求核剤はどちらの面からも同等に反応中心に近づけるため、反応の生成物は一対の鏡像異性体の等量混合物(ラセミ混合物)となる。つまり、求電子剤の立体化学情報は反応の過程で失われてしまう。ところが、Wendlandtらは今回、通常はエナンチオ選択性を欠くこのSN1反応で、単一の鏡像異性体のみを選択的に合成できることを実証し、長年にわたる立体化学の制約を克服した。

Wendlandtらの方法では、小分子触媒を用いて、中間体であるカルボカチオンの2つの面を識別している。これは、生体認証における顔認識技術の模倣と考えることができる。顔認識システムでアルゴリズムがさまざまな顔の構造的特徴を効率よく解析するのと同様に、この触媒はカルボカチオンの片方の面の特徴のみを識別することができる。そして触媒がその面から反応中心と相互作用することで、求核剤を反対側の面に誘導するのである(図1c)。カルボカチオンの「顔」を識別する能力は、この反応に高いエナンチオ選択性を付与する。結果としてラセミ混合物の生成は阻止されるのだが、この反応は、生成物の立体配置が出発物質(求電子剤)の立体配置に左右されないという点でSN2反応とは異なる。得られる鏡像異性体の種類が触媒によって決まることから、この反応は「エナンチオ収束的」であるといえる。

図1 求核置換反応におけるエナンチオ選択性
a 二分子求核置換反応(SN2反応)では、求核剤(Nu;2個の点は孤立電子対を表す)が、求電子剤の中心の炭素原子を脱離基(LG)の反対側から攻撃する(A、B、Cは原子または原子団を表す)。遷移状態において、Nuに攻撃された炭素原子はLGとの結合が部分的に切断される一方、Nuとの結合が部分的に形成される(部分的に切れた結合と部分的に形成された結合を点線で表す)。その後、LGとの結合が完全に切れて、Nuと結合した単一生成物が形成される。
b 一分子求核置換反応(SN1反応)では、まずLGが放出され、カルボカチオンと呼ばれる正電荷を持つ平面状の中間体が形成される。Nuはカルボカチオンのどちらの面からも同等に攻撃できるので、生成物は一対の鏡像異性体(エナンチオマー)の等量混合物となる。
c Wendlandtら1が報告したSN1反応では、小分子触媒とルイス酸であるトリフラート(OTf)からなる負電荷を持つ複合体がカルボカチオンの片面だけを認識して結合するため、Nuが反対側の面に誘導され、結果として単一の鏡像異性体が優先的に生成する。

この反応で、小分子触媒は、ルイス酸(他の分子から電子対を受け取る分子)と結合した負電荷を持つ複合体の形で使われた。触媒とルイス酸の組み合わせは自然界でよく見られ、多くの場合、触媒単独では進まない反応を進行させることから、こうした複合体は触媒の「活性型」と考えられている。Wendlandtらは今回、活性型の触媒として水素結合ドナー型触媒と強いルイス酸の組み合わせを用いた。この活性型触媒は、求電子剤である酢酸プロパルギルに作用して酢酸エステル基を脱離基として除去することで、通常はイオン化しにくいこの分子を活性化し、カルボカチオンを生成させる。この正電荷を持つ中間体は負電荷を持つ活性型触媒と相互作用してイオン対を形成するが、このとき活性型触媒はカルボカチオンの特定の面だけを認識してその面からのみ接近するため、求核剤が相互作用できるのはその反対側の面のみとなる。つまり、WendlandtらのSN1反応では、求電子剤がラセミ混合物であっても、片方の鏡像異性体のみが優先的に生成することになる。活性型触媒とカルボカチオンとの間のイオン対形成は、以前にもエナンチオ選択的な触媒反応に用いられたことがあるが、それはあらかじめ安定化されたカルボカチオンに限定されていた2。今回のWendlandtらの反応では、安定化されていないカルボカチオンでイオン対が形成されており、こうしたエナンチオ選択的触媒反応は前例がないという。

Wendlandtらの研究は、SN1反応をエナンチオ収束的な触媒反応に変えたばかりでなく、エナンチオ選択的な合成が難しいことで有名な「第四級炭素中心」3,4と呼ばれる構造モチーフの有効な合成ルートを確立してもいる。第四級炭素中心とは、異なる4つの炭素置換基が結合した炭素原子のことで、こうした構造要素は、モルヒネや各種ステロイドなど生物活性を持つ天然化合物に広く見られる。各置換基を少しずつ変えることで膨大な構造多様性が得られることから、第四級炭素中心は非常に価値のある創薬の出発点といえる。今回の研究は、出発物質を容易に得られるラセミ混合物の形で用い、迅速な処理で第四級炭素中心を持つ複雑な分子骨格を合成できるという点で、実に画期的だ。

今回Wendlandtらは、さまざまな求電子剤を評価した上で、中間体であるカルボカチオンを安定化させるのに適した特別な構造を持つものを用いて反応の実証を行った。しかし、その根底にある概念は普遍的なものであり、今後、関連する一連の反応に適用されることは間違いないだろう。さらに、今回の反応生成物では第四級炭素中心と結合した4つの炭素原子が多様な電子軌道(spsp2sp3)をとっているため、非常に魅力的だ。これは、中心炭素の周りの原子団がそれぞれ大きく異なる立体配置と反応性を有することを意味する。従って、将来的には、これら4つの基を変えていくことで、広範な合成反応に使える多種多様な分子ライブラリーが得られると期待され、膨大な「ケミカルスペース」の探索、すなわち考えられる無数の分子全てが検討可能になるだろう。

翻訳:藤野正美

Nature ダイジェスト Vol. 15 No. 7

DOI: 10.1038/ndigest.2018.180734

原文

Classic reaction re-engineered through molecular face recognition
  • Nature (2018-04-26) | DOI: 10.1038/d41586-018-04684-2
  • Tobias Morack & Ryan Gilmour
  • Tobias Morack & Ryan Gilmourは、ミュンスター大学(ドイツ)に所属。

参考文献

  1. Wendlandt, A. E., Vangal, P. & Jacobsen, E. N. Nature 556, 447–451 (2018).
  2. Brak, K. & Jacobsen, E. N. Angew. Chem. Int. Edn 52, 534–561 (2013).
  3. Quasdorf, K. W. & Overman, L. E. Nature 516, 181–191 (2014).
  4. Feng, J., Holmes, M. & Krische, M. J. Chem. Rev. 117, 12564–12580 (2017).