脳波を操作して病を治療する
マサチューセッツ工科大学(MIT;米国ケンブリッジ)の神経科学者Li-Huei Tsaiは、2015年3月、実験室にマウス用の小さなディスコを設置した。明滅するストロボライトだけに照らされるこの箱の中に、彼女はマウスを毎日1時間入れた。興味津々といった様子で箱の中をはい回っているこのマウスたちは、脳内でアミロイドβというペプチドのプラークを産生するように改変されている。このプラークはアミロイド斑と呼ばれ、アルツハイマー病の顕著な特徴として知られている。Tsaiが後にマウスたちを解剖したところ、ミニダンスパーティーに参加したマウスは、同じ時間を暗闇の中で過ごしたマウスに比べて、プラークのレベルがかなり低かった1。
Tsaiは、この結果を繰り返しチェックしたという。「非常に長い間、私はこの結果を信じられませんでした」と彼女は言う。ストロボライトは40ヘルツに調整されていて、齧歯動物の脳波を操作するように設計されていた。これがアミロイドβを除去するさまざまな生物学的作用の引き金となった(Natureダイジェスト 2017年3月号「神経の同調を回復させてアルツハイマー病を治療」参照)。アルツハイマー病のマウスモデルでの有望な実験結果は、ヒトで再現するのがとんでもなく難しいが、Tsaiの実験結果は、期待をかき立てるいくつかの可能性を示していた。「度肝を抜かれるような結果で、このアイデアを受け入れるにはしばらくかかりましたが、非常に確固としたものでした。私たちはヒトで同じことを試す方法を考え出さなければならないと思いました」とTsaiは言う。
電気的活動の波が常にさざ波のように脳全体に伝わっていくことは、約100年前には明らかにされていた。だが、行動や脳の機能におけるこれらの振動の決定的な役割を特定することはこれまで難しかった。いくつかの研究で、脳波は睡眠中の記憶の固定に強く関連することが示されている。また脳波は、知覚入力の処理や、意識の調整にさえも関係すると示唆されている。しかし、脳波がそれほど重要であると誰もが確信しているわけではない。「現段階では、脳波がどんな働きをするのか、本当のところは分かっていません」と、コロンビア大学(米国ニューヨーク)の神経科学者Michael Shadlenは言う。
近年、Tsaiの研究結果をはじめとして、アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経疾患と脳波に重要な関連があることを示唆する証拠が増え続けている。Tsaiの研究は、そのような病態によって生じた損傷を、薬を使用せずに未然に防ぐ、あるいは逆行させることすらできる可能性がある。
何らかの方法で脳波を変化させることを目指す臨床試験は、20件以上行われている。明滅する光や、リズミカルな音を使う試験もいくつかあるが、ほとんどの試験が脳か頭皮に電流を直接適用するという方法を採用している。それらは、不眠から統合失調症、月経前不快気分障害(PMDD)など、あらゆる症状を治療することを目指している。Tsaiの研究は、脳波操作に対する細胞の応答を初めて垣間見せてくれた。「Tsaiの結果は本当に大きな驚きでした」と、国立神経疾患・脳卒中研究所(米国メリーランド州ベセスダ)の所長のWalter Koroshetzは言う。「実に興味深く、さらに追求したくなる、新しい観察結果ですね」。
パワフルな波
ヒトの脳波に初めて気付いたのは、ドイツの精神科医ハンス・ベルガー(Hans Berger)だ。1929年、ベルガーはヒトの頭皮に電極を設置したときに、電流の波が繰り返し起こることを観察し、これについて説明する論文2を発表した。それは世界初の脳波記録であったが、大きな注意を払った人はいなかった。ベルガーは、精神科医としての生涯の多くを精神的現象の生理学的基盤を特定するために費やした。物議を醸す人物でもあったため、ベルガーの発明が「脳の活動をのぞき見る窓」として認識されるようになったのは、彼の発表から数年後、同僚たちが実験結果を確認し始めてからだった。
ニューロンは、各細胞の内から外、あるいは外から内へのイオンの流れによって生じる電気インパルスを使用して交信する。脳波計の電極では単一の発火ニューロンを特定することはできないが、ニューロン集団が同期して繰り返し発火すると、脳全体に広がる振動性の電気のさざ波として表れる。中でも最も高い周波数のものはガンマ波と呼ばれ、25〜140ヘルツの周波数域にある。この種類の活動は、心を最も集中させているときに多く見られる。その対極にある最も周波数が低いデルタ波は、約0.5〜4ヘルツだ。デルタ波は熟睡しているときに生じる傾向がある(「心のリズム」参照)。
どのような任意の時点においても、1つのタイプの脳波が際立つ傾向があるが、他の周波数帯の波もいつも、ある程度存在している。科学者は長い間、この低いうなりのような活動に意味があるのか、もしあるとすればどんな目的なのか、という疑問を抱いていた。そして過去30年間に、いくつかの手掛かりが見つかった。例えば1994年にはマウスで、睡眠中に見られる振動性の活動の特徴的パターンが、それ以前の学習訓練中の活動を反映することが示された3。これらの波が、記憶の固定を助けているのかもしれない。
また脳波は、意識的な知覚にも影響を及ぼすように思われる。カリフォルニア大学バークレー校(米国)のRandolph Helfrichらは、経頭蓋交流電気刺激(tACS)と呼ばれる非侵襲的技術を使用して、約40ヘルツのガンマ振動を亢進させるか、または抑制する方法を考案した。点が動く動画を見ている人に対しtACSでこれらの振動を変化させると、点が動く方向の知覚(垂直方向なのか、水平方向なのか)に影響を与えることができた4。
また振動は、結合問題(binding problem、結び付け問題とも呼ばれる)として知られている謎にも、ある仮説をもたらした。脳は、感覚器から絶え間なくやってくる混沌とした刺激の交響曲から、1つのまとまった経験を作り出す。その際に脳波は、同じ出来事に応答するニューロンの発火率を同期させることで、1つの物に関連する全情報が、脳の正しい領域に正しいタイミングで確実に到着するようにしているのかもしれない。カリフォルニア大学バークレー校の認知神経科学者Robert Knightは、これらの信号を調整することが知覚のカギであり、「それらは自動的に組織化されるわけではないのです」と言う。
健康な振動
しかし、いくつかの特定の疾患では、これらの振動が混乱を来している可能性がある。例えば、パーキンソン病では、身体の動きが損なわれるにつれ、一般に脳の運動領域でベータ波が増加し始める。健康な脳では、ベータ波は身体が動き出す直前に抑制されるのに対し、パーキンソン病ではニューロンは、同期した活動パターンにはまり込んでしまっているように思われる。これが硬直や運動困難につながる。オックスフォード大学(英国)でパーキンソン病を研究しているPeter Brownは、パーキンソン病の症状に対する現行の治療法(脳深部電気刺激法とレボドパによる薬物療法)では、ベータ波を減少させることによって効果が表れるのかもしれないと言う。
アルツハイマー病の患者ではガンマ振動の減少が見られる5。そこでTsaiらは、ガンマ波の活動を回復させることができるかどうか、そしてこれがアルツハイマー病に何らかの影響を与えるかどうかを調べたいと考えた。
彼らはまず、光遺伝学を使用する実験から始めた。光遺伝学は、閃光に直接反応するように脳細胞を遺伝的に改変する手法だ。この技術を使ってTsaiのチームは2009年、当時同じくMITにいたChristopher Mooreとの共同研究により、マウスの脳の特定の部分でガンマ振動を引き起こせることを初めて示した6。
Tsaiらは次に、振動を操作すると多くの生物学的事象が始まることを発見した。振動の操作で遺伝子発現が変化し始め、それによってミクログリア(脳の免疫細胞)の形態変化が引き起こされた1。それらの細胞は基本的にスカベンジャーモードに入り、脳内の有害なごみ(アミロイドβなど)をうまく廃棄できるようになる。Koroshetzは、神経免疫とのつながりの発見は新しく、衝撃的だと言う。「脳のミクログリアのような免疫細胞の役割は極めて重要でありながら、十分な解明が進んでおらず、今、最も注目される研究領域の1つです」と彼は言う。
もしかすると、この技術は何か治療的な意味を持つかもしれない。そこでTsaiらは、なるべく体を傷つけずに脳波を操る方法を見つけなければならないと思った。特定の周波数で明滅する光は、脳のいくつかの領域で振動に影響を及ぼすことが示されていたので、Tsaiらはストロボライトを使うことにした。彼らはまず、アミロイド蓄積傾向がある若いマウスを、明滅するLEDライトに1時間さらしてみた。この処置は浮動性アミロイドの低下を引き起こしたが、それは一時的で、24時間未満しか継続せず、視覚野に限定されていた。
アミロイド斑のあるマウスでより持続的な効果を達成するために、彼らは1週間にわたってこの実験を1日当たり1時間繰り返した。この実験では、アミロイド斑が形成され始めたより年長のマウスを使用した。実験終了から24時間後、これらのマウスの視覚野のアミロイド斑は対照と比べて67%減少していた。研究チームは、この技術によってタウタンパク質(アルツハイマー病の顕著な特徴の1つ)も減少させられることを明らかにした。
しかし、アルツハイマー病のアミロイド斑が最も早期に有害な影響を与えるのは、視覚野ではなく、海馬であることが多い。必要な部位で振動を引き起こすため、Tsaiらは他の技術も試している。例えば40ヘルツの雑音を齧歯動物に聞かせると、海馬でのアミロイド蓄積が減少するように思われた。おそらく、海馬が視覚野より聴覚皮質の近くにあるからだろう。
Tsaiと、彼女の同僚でMITの神経科学者であるEd Boydenは現在、ヒトで同様の治療を試験するために、ケンブリッジでCognito Therapeuticsという会社を設立し、2017年から安全性試験を始めている。この試験では、12人のアルツハイマー病患者を被験者として、眼鏡のように装着できる明滅光装置を試している。
しかし注意点はたくさんある。アルツハイマー病のマウスモデルはこの疾患を完全に反映しているとはいえないし、齧歯動物で有望と示された多くの治療法がヒトでは失敗している。「私は以前、よく人にこう言ったものです。アルツハイマー病になるならまず、マウスになるのです、とね」と、神経科学者で精神科医のThomas Inselは語る。彼は2002年から2015年まで、国立精神衛生研究所(NIMH;米国メリーランド州ベセスダ)の所長を務めた。
アルツハイマー病患者の治療に役立つ脳波の操作方法を見つけ出すための試験を始めている研究者は、他にもいる。「Tsaiの研究は傑出していると思いました」と話す、ハーバード大学医学系大学院(米国マサチューセッツ州ボストン)のEmiliano Santarnecchiも、その1人だ。彼のチームはすでに、脳を刺激するのにtACSを使用しており、彼は、明滅するストロボライトよりもtACSの方が、強い効果を引き出すのではないかと考えている。「この種類の刺激は、特定の脳領域を感覚刺激よりも厳密に狙うことができます。Tsaiの結果を見た後に、アルツハイマー病の患者でこれを試みるべきだと考えたのは当然の成り行きでした」。
彼のチームはアルツハイマー病患者10人を対象とし、2週間にわたって毎日1時間tACS処置を施すという初期臨床試験を始めている。この種の臨床試験としては2番目に当たるBoydenとTsaiの共同研究では、活性化したミクログリアの信号とタウタンパク質のレベルを調べる予定だ。両方の試験の結果は2018年末に報告される予定だ。
Knightは、Tsaiの動物実験は、振動が細胞代謝に影響を与えることを明確に示していると言う。しかし、同じ効果がヒトでも見られるかどうかは分からない。「結局のところ、物を言うのはデータなのです」と彼は話す。
これらの研究でリスクも明らかにされるかもしれない。ガンマ振動は、光過敏性てんかん患者で最も発作を引き起こしやすいタイプの振動だと、スタンフォード大学(米国カリフォルニア州)の神経科学者Dora Hermesは言う。彼女は、日本のテレビアニメによって引き起こされた有名な事件を挙げる。そのアニメの中で赤と青の光が点滅する場面を見た一部の視聴者がてんかん発作を起こしたのだ。「非常に多くの人がその番組を見ていたため、この映像が原因でその日救急外来を訪れた人は700人にもなりました」とHermes。
脳を後押し
それにもかかわらず、薬物ではなく、ニューロモジュレーション(神経機能修飾とも呼ばれ、神経機能を刺激して活動を変化させる方法)によって神経学的疾患を治療することに、明らかに関心が高まりつつある。「神経回路の活動を変えることによって、パーキンソン病や慢性疼痛、強迫性障害やうつ病を改善できる場合があることについては、かなり良い証拠があります」と、Inselは言う。神経学的疾患に対する薬物療法はこれまでのところ特異性がないことが問題となっていたため、これは重要だと彼は言う(Natureダイジェスト 2015年2月号「うつ病の分子機構解明に向けて」参照)。Koroshetzは、研究資金提供機関は、革新的かつ非侵襲的で、患者にすぐ応用できる治療法を切実に求めていると言い足す。
2016年にマウスでの論文を発表して以来、「他の障害を治療するために同じ技術を使用したい」という研究者からのリクエストが殺到していると、Boydenは言う。
しかし、詰めなければならない細かな点がたくさんある。「私たちは、脳のさまざまな部位で振動を操作する方法として、最も効果的で侵襲性が低いものを見つけ出さねばなりません」と彼は言う。「良い方法は、おそらく光を使用することですが、電気や音を使ってこれらの振動を標的にできる、例えばスマート枕とかヘッドバンドなどもあり得ると思います」。科学者がこれまで見つけた中で最も簡単な方法の1つはニューロフィードバックである。ニューロフィードバックは、不安、うつ病、注意欠陥多動性障害などさまざまな障害の治療にいくらかの効果を上げている。この技術を使用した治療を受ける人々は、脳波を測定し、視覚や聴覚の手掛かりという形でフィードバックを得ることによって、自分の脳波を制御するやり方を学習する(Nature ダイジェスト 2017年1月号「量子画像化技術でうつ病診断・治療を目指す」参照)。
ノースウェスタン大学(米国イリノイ州シカゴ)の神経科医Phyllis Zeeらは、健康な高齢者が眠っているときに、「ピンクノイズ」のパルスを聞かせた。ピンクノイズとは、合わさると少し滝の音のように聞こえる可聴周波数のノイズだ。彼らは特に、熟睡の特徴であるデルタ振動を引き出すことに関心を持っていた。睡眠時のデルタ振動は年齢が進むにつれて減少していき、記憶を統合する能力の低下に関連している。これまでに、彼女のチームは、刺激によって遅い波の振幅が増大すること、そして、その前夜に学習した単語ペアの想起が偽治療と比べて25〜30%改善していたことを明らかにしている7。現在は、より長期の音刺激によって軽度認知障害の人々に良い効果があるかどうかを調べる臨床試験を行っている最中だ。
こうした種類の技術は比較的安全だが、やはり制限がある。例えば、ニューロフィードバックは学習するのは簡単だが、効果が出るまでに時間がかかることがあり、しかも、効果は長く続かないことが多い。磁気または音の刺激を使用する実験では、脳のどの領域が影響を受けているかを正確に知ることは難しい。「外部からの脳刺激を扱う研究分野は、現時点では少し弱いです」とKnightは言う。彼は、多くの手法が開ループだと言う。つまり、モジュレーションの効果を脳波計を使用して追跡していないのだ。彼は、閉ループの方がより実用的だろうと言う。Zeeの実験や、ニューロフィードバックに関わる実験など、いくつかの実験はすでに閉ループで行われている。「この分野は難関を脱しつつあると感じます。重大な研究をある程度引き寄せています」とKnightは言う。
これらの研究は、治療につながる可能性があることに加えて、神経振動の分野全般をこじ開け、神経振動と、脳が全体として動く仕組みや行動との関連をより強固に結び付ける一助となるかもしれない。
Shadlenは、振動がヒトの行動と意識で役割を果たしているという考え方を否定してはいないが、人々が「不思議な呪文」のように振動に割り当てている多くの役割について確信が持てないのと同じく、振動が直接これらの現象に関与しているという考え方に今はまだ納得しかねると言う。彼は、これらの脳リズムが重要な脳の過程のシグネチャーであることに全く異存はないが、「仮に神経活動のスパイクの同期が重要だとしても、また特定の周波数の波動をいきなり入力する方法で同期できるとしても、それにより神経活動が、私たちが意識できるほど突然高まるものでしょうか? これにはもっと多くの説明が必要です」と言う。
脳波の役割が何であれ、Tsaiは主として、脳波を制御できるよう訓練して、病気の治療に利用したいと考えている。Cognito Therapeutics社はちょうど、2つ目のより大規模な臨床試験の承認を受けたばかりだ。この試験では、この療法がアルツハイマー病の症状に何らかの効果を与えるかどうかを見ることになるだろう。その間、Tsaiのチームは、下流の生物学的作用をより深く理解することと、非侵襲的技術によって海馬をよりうまく標的にするやり方に研究の焦点を合わせている。
Tsaiにとって、この研究には個人的な意味がある。彼女を育ててくれた祖母は認知症になった。「祖母の混乱した顔は私の心に深く刻み込まれています」とTsaiは言う。「これは私たちの時代における最も大きな挑戦です。私は持てるもの全てをそれにかけるつもりです」。
翻訳:古川奈々子
Nature ダイジェスト Vol. 15 No. 6
DOI: 10.1038/ndigest.2018.180619
原文
How flashing lights and pink noise might banish Alzheimer’s, improve memory and more- Nature (2018-03-01) | DOI: 10.1038/d41586-018-02391-6
- Helen Thomson
- Helen Thomsonは、ロンドンを拠点とする科学ジャーナリストで、『Unthinkable: An Extraordinary Journey Through the Worldʼs Strangest Brains.』の著者。
参考文献
- Iaccarino, H. F. et al. Nature 540, 230?235 (2016).
- Berger, H. Arch. Psychiatr. Nervenkr. 87, 527?570 (1929).
- Wilson, M. A. & McNaughton, B. L. Science 265, 676?679 (1994).
- Helfrich, R. F. et al. PLoS Biol. 12, e1002031 (2014).
- Koenig, T. et al. Neurobiol. Aging 26, 165?171 (2005).
- Cardin, J. A. et al. Nature 459, 663?667 (2009).
- Papalambros, N. A. et al. Front. Hum. Neurosci. 11, 109 (2017).
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